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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第三章 ザンクトの討伐
26/85

騎士達の酒場


 ザンクトの村は遠い。三つの町を通り、岩山を越えなければならない。

 丸一日馬を飛ばして続けても、二つ目の町へ辿り着くのがやっとだった。


 この町も通り過ぎるのかと思われたが、辺りが暗くなってきたのを見て、レイモンドが馬を止めた。

「今夜はこの町に泊まろう」

 騎士団長の声に、団員たちが歓声を上げる。てっきり野宿だと思っていたのだ。

 レイモンドは真面目に言う。

「今からならまだ二マルロ進めるが、野宿したところで、体力はあまり回復しない」

「さすが団長!」

「その代わり、明日は今日より早く起きてもらう。早く休むからには、その分早く叩き起こすからな。日の出には出発する」

 その一声で、歓声はぴったり止んだ。

「日の出って……早すぎませんか」

 何人が不満を漏らしたが、レイモンドは聞き入れなかった。

「ぐずぐず言うな!これは視察なんかじゃない。いつもだったら野宿してもらうところだぞ。こうしてわざわざ宿を使うのは、明日に備えて体力を温存しておくためだ」

 エレナはレイモンドの怒鳴り声に、びくりと肩を揺らす。

「早朝から馬をとばせば、昼過ぎには着くはずだ。自分達の任務が分かってるのか?明日、お前たちは町を壊滅させた『(ノヴル)』とご対面するんだぞ」


 不平を漏らすものは、もういなかった。辺りは静まり返っている。

――――やっぱり騎士団長って、こういうところはきっちりしてるんだ。

 シルヴィアの前で見た丁寧な態度からは感じられない、毅然とした様子は少し怖かったが、そつなくこなす仕事ぶりに、安心感もあった。

「そういう訳だ。今日は早く寝るように。酒なんて、もっての他だぞ」

 若い騎士達はため息交じりに返事をした。



 小さな宿の食堂は、王都からの騎士団が入っただけで、ほぼ満席となってしまっている。

 そこは既に、騎士達の酒場と化していた。

 エレナはロレンツォの隣に座って、ココナムという木の実でできた、甘いジュースを飲んでいた。

 食堂は酒の匂いが充満し、がやがやとうるさい。向こうからは歌声すら聞こえてくる。

「……いつもこうなの?」

 隣の行商人を見上げると、彼は頷いた。

「いつもこうだ」

 そういう彼の手元にあるのも酒である。

「だめじゃない、お酒は飲むなって、言われてたでしょ」

「いいんだよ。レイモンドだって、そこら辺は分かってるんだ。それに皆自分の限度を知ってるし、きちんと節制して飲んでるんだ。もちろん僕もね」

「あの人たちも?」

 肩を組んで歌っている若い騎士を、目の端で(とら)える。彼らはどう見ても酔っているようにしか見えない。行商人は苦笑した。

「彼らは若いからね。まれにああいう者もいる。明日の朝、レイモンドに冷水をぶっかけられるだろう」

 エレナはびっくりした。あの騎士団長は、そんなこともするのか。

 エレナの顔を見て、ロレンツォは笑った。

「信じてないな。騎士団では日常茶飯事なんだよ」


 騎士ってすごいな。変な感想を持ちながら、エレナは彼らを見る。

 ふと、騎士達のほとんどが、ちらちらとこちらを伺ってくるのに気付いた。

「あの人たち、時々こっちを見てくるわ。あなたに用があるんじゃない?」

 行商人にそう言うと、彼は面白そうな目でエレナを見た

「僕じゃない。君のことが気になってるんだ。こういう仕事に、君みたいなかわいい女の子がついて来るのは、珍しいからね」

 さらりとそんなことを言う。エレナは肩を(すく)めた。

「あなたって、気障(きざ)よね」

「そうかな?」

 とぼける彼に、だからこそ気障なのだと言ってやりたくなる。彼は城で時折変人と呼ばれるが、その責任は本人にもあるのではないか、とエレナは思っている。それを見破ったかのように行商人が言った。

「なんだいその目? まあいいや、とにかく彼らは気にしないでおくこと。話しかけてきたら、答えればいい」

「……分かった」

 頷いて、エレナは再びジュースを口に含んだ。ココナムの独特の甘みが、(のど)(うるお)す。

 行商人も酒に口をつけたが、少し飲むと急に真面目な顔になってこちらを見た。

「君にね、確認したいことがあるんだ」

 突然真面目な声で言われ、少なからず驚いた。

「確認?」

「昔、君が助けられなかったっていう男の子、『(ノヴル)』だって言ってたね?」

 エレナは目をふせた。

「……そうよ」

「今回一緒にと来たいと言ったのも、そのためだね? ザンクトに現れた『(ノヴル)』が、彼かもしれないと思ったんだろう」

「ええ」

 ロレンツォは、再び酒を飲んだ。

「……あれから、八年経っている。もう一度会って、どうしたいんだ?」

 その目はどこか悲しげで、エレナはこの人になら話してもいい、と思った。

 シルヴィアの部屋で決心したことを、そのまま口にする。

「わたし、彼に誤解させたままなの」

「誤解?」

「ダリウスに……あの男に騙されて、クリスの居場所を教えてしまった。もちろん、騙されたわたしが悪いんだけど。彼はわたしが金貨と引き換えに、自分を売ったと思ってるの」

 ロレンツォは黙って聞いている。

「本当はね、彼を助けたい。でも、今更そんなの身勝手だし、もう一度昔のように仲良くするなんて無理だと思ってる。彼はきっとわたしを許さないから」

 目の前の男は、再びグラスに手を伸ばした。エレナは顔をあげる。

「それでも、誤解だけは解きたいの」

 伸ばされた手が、止まる。

「一度だけでいい。きちんと会って、話がしたい。わたしはあなたを売ったんじゃない。身勝手だけど、今でも大切な友達だと思ってるって」

 エレナは静かに言い切った。言葉にすると、自分の気持ちが、一層はっきりと分かった気がした。


 ロレンツォが、ふうっとため息をつく。

「僕はあの雪の降る日、君の願いに応えられなかった。『(ノヴル)』と戦って勝てる実力はなかったし、人として未熟なところもあった。それに、あの後いくら調べても君の言う少年の行方は分からずじまいで、諦めてたんだ。

(ノヴル)』なんて探すのも難しいし、会ったところで君達が幸せになれるとは思えなかった」

 エレナは驚いて男を見上げた。

 ロレンツォは常に自分の味方だと思っていたから、そんな風に考えていたとは思いもよらなかったのだ。

「彼を探す手に、力を抜いたことはないよ。『(ノヴル)』の情報が来るたび、クリスという名を探し、ヴァーグの囚人リストも定期的に確かめていた。――――でもね、正直に言えば、時間がたてば君も少しずつ忘れてくれると思っていたんだよ。それを願ってもいたんだ」

 自嘲気味に言う行商人に、何も言い返せなかった。


 彼を探してくれと頼んだのは自分だ。手を出すなと言われたからといえ、この何年ものあいだ、クリスのことはロレンツォに任せきりだった。

 彼に非のうちどころなんて、ないのだ。

 黙っていると、ロレンツォは優しく目を覗き込んできた。

「君がレイモンドに連れてってくれと頼んだ時、分かったんだ。君の目はあの日、雪に埋もれていた時と同じだった。どうしても見つけてやるって、そう言っていた」

 そうして、確かにエレナを見据えた。

「悪かったよ。僕が諦めている間、君はずっとあの子を思い続けていたんだ」

 エレナは微笑んだ。

「それだって、こうして生きてなきゃ出来なかったのよ。あの日、わたしを見つけてくれたのはあなただわ」


 行商人は表情を和らげる。

 そしてふと、思い出したように言った。

「そうだ、君にこれを渡そうと思っていたんだ」


 懐から一冊の本を取り出す。

 古びているが、赤い革表紙で出来た立派なものだ。

 受け取ったエレナは目を見張った。

「『マルクレーンの書』……?」


「ああ、そうだ」

 行商人は温かな笑みを浮かべている。

「この前の事件で、トラヴィスが盗んだことが発覚したろう。正確には、彼と手を組んでいた書庫の兵士がやったことだけど……元に戻されたのを見計らって、少しばかり借りて来たのさ」

 エレナは驚いて声をあげる。

「もしかして、それってあなたも泥棒……」

「滅多な事を言うもんじゃない」

 こつり、と頭を軽くこづかれる。見上げれば、彼は不服そうに顔をしかめていた。

「借りたって言っただろう。この討伐の間だけ手元に置けるよう、特別に許可を貰って来たんだ。その過程を詳しく説明することはできないが」

 ますます怪しい。エレナは心配になったが、彼は姫や自分を危険に晒すようなことはしない。

 この男のいう事なのだから、一応はきちんとした手続きをしたのだろう。

「これ、わたしが持っていて大丈夫なの?」

「ああ、旅の間だけね。国家の私物だから、城に戻ったら返さなくては駄目だよ」

 エレナは本をぎゅっと胸に抱いた。

 この古びた本は、想像した以上に大事なものらしい。

「ありがとう。帰るまで大切に読むわ」

 鞄の留め金を外し、壊れ物でも扱うように、そっと中に入れた。

 部屋に帰ったら読もう。旅は長いが、この本があれば退屈もなくなりそうだ。

 そう思うと、少しだけわくわくしてくる。


 そこへばらばらと騎士達がやって来た。

「こんばんは、行商人」

「楽しそうですねえ、ロレンツォさん」

 何人かが近寄ったのを見て、残りの全員がこちらへ集まって来た。

 突然のことにエレナはびっくりして、行商人を見る。

「大丈夫。礼儀はわきまえているはずだから」

 行商人はそういったものの、エレナはちょっぴり怖いと思った。

 彼らは心なしかふらふらしている。何人かが正面にどかっと座ったのを見て、エレナは縮こまった。

「行商人、この娘ずっとついてきてるけど、一体どういう関係なんだ? 姫の遊び相手ってのは聞いたけど、ザンクトに何か用があるのか?」

「彼女はきっと騎士団の手助けになる。それだけだよ」

「何だそれ」

 それには答えず、行商人は残りの酒をあおると、新しい瓶をあけた。それを自分のグラスに、次いで騎士たちのグラスにも注いでやる。

「それより、君達失礼なんじゃない? 質問があるなら、僕に聞くなんてしないで、この子に直接聞けばいいだろう?」

 すると、騎士達は気まずそうに顔を見合わせてから、居住まいを正した。正面の一人が口を開く。

「失礼した、お嬢さん。俺はガスパルだ。こっちはシモン。そっちのはパトリックだ」

 そうやって九人の紹介を始める。エレナは頭が追い付かず、圧倒されているだけだ。

 全員を紹介し終えると、ガスパルと名乗った騎士は言った。

「まあ騎士団は人数も多いし、覚えろとは言わないけど。で、お前さんは?」

 本人は意識していないのだろうが、どすの利いた声である。

「エ、エレナです」

 酒の匂いは苦手だ。目の前の頑丈そうな男も、少し怖い。

「ガスパルさん。怖がってますよ」

 隣に座っていたもう一人が笑った。

「エレナさんは、王女様の遊び相手でしたっけ?」

 丁寧な物言いにほっとして、なんとか答える。

「そうです。姫様に仕えさせてもらっています」

 そう言った途端、若い騎士の顔は同情に染まった。

「大丈夫ですか?王女様にひどいことをされていませんか?」

 エレナは驚いた。

「そんな、どうしてそんなことを言うんですか?」

 問い返せば、(せき)を切ったように、騎士達が声をあげる。

「どうしてって、王女様はとても気の強い方だと聞きましたよ」

「そうそう、あれだけ贅沢をさせてもらっているのに、何が足りないっていうのかねぇ」

「お前もやめた方がいいと思うよ。姫に仕えていたって、いいことはない」

 流れ込む言葉の意味に、頭がおいつかない。どうして皆、そんなことを言うのだろうか。

「ちょっと待って下さい! どこからそんな噂が出て来たんですか? 姫様はわたしのことを、ちゃんと気遣って下さいます!」

 すると、騎士達は困った顔を見合わせ、あげくの果てにこう言った。

「それって、騙されてるんじゃないですか? 彼女の周りじゃ、召使いの入れ替えが激しいっていいますし」

「そうだよ、俺もそう思う。側近たちは皆、あのわがままに振り回されて迷惑をこうむってるって話だ」

 あまりの言いように、エレナは言葉も出ない。

 ちらりとロレンツォを見るが、どこ吹く風と言った感じで、再び酒を()()している。この噂に慣れてしまって、聞き流しているというところだろうか。

 だとすれば、このひどい嘘を正せるのは、自分しかいない。

 エレナは椅子から立ち上がった。


「姫様は、そんなひどい方じゃありません!」

 苛立ちから、声が大きくなる。何人かの騎士は驚いて固まった。

 行商人も、静かにこちらを見やる。

 エレナは構わず続けた。

「あの方は、確かに気が強くてわがままだけれど、かわいくて、とても優しい人です!」 

 正面に座っていた二人の騎士は、同情の眼差しを向けた。

「あなたの姫君を侮辱したのは謝ろう。申し訳ない」

「気を害したのなら、すみませんでした」

 二人はそういうと、席を立った。

「失礼します」

 後から、他の者もばらばらと去って行く。

「悪かったよ」

「すまなかった」

 エレナは慌てて呼び止めた。彼らは誤解しているのだ。

「待って。誤解です! あの方は……!」

 エレナの言葉を最後まで聞くこともなく、騎士たちは去って行った。


――――かわいそうに。

――――騙されてるんだ。

 そんな声が聞こえてくる。


 エレナは椅子に座りこんだ。

 隣で、行商人が酒を飲み干す音が聞こえた。


 ここまでだとは思わなかった。

 シルヴィアが、ここまで嫌われているとは。


「君は、もう寝た方がいい」

 静かな、静かな声で、行商人は言った。

 エレナはきっ、と彼を見つめる。

「ロレンツォ! あんなことを言われて、なんとも思わないの? あなただって、あんな噂を信じてるわけじゃないでしょ」

「もちろん」

 そう言いながら、彼は酒をグラスに注ぎ足した。四杯目である。

 エレナは口を挟もうとしたが、先に沈黙を破ったのはロレンツォだった。

「君が怒るのも分かる。僕だって何もしなかった訳じゃない。今までだって、あちこちに噂を流してみたんだ。良い噂をね」

 エレナはまじまじと男を見つめた。行商人は面倒くさそうに続ける。

「でも、誰も分かっちゃくれない。姫君は確かに、わがままで気が強い。それに妾の子どもという立場も相まって、悪い噂の方が広がってしまうんだ。彼女が敵意や軽蔑を向けられるのは、仕方のない事なんだよ」

 困ったように、彼は笑った。


 しかし、エレナは諦めきれなかった。

「それなら、わたしがそれを変えるわ」

 ロレンツォが顔をあげる。

「君に何ができるっていうんだい?」

「分からないわ。でもこんなの間違ってる。姫様はいい人よ。何とかして、それを皆に分かってもらうの。何か方法があるはずだわ」

「そんなのは、ただの幻想だよ」

 考え込むエレナを見て、行商人は静かに微笑んだ。

「でも君が言うと、本当に実現させてしまいそうだから、不思議だ」




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