騎士達の酒場
ザンクトの村は遠い。三つの町を通り、岩山を越えなければならない。
丸一日馬を飛ばして続けても、二つ目の町へ辿り着くのがやっとだった。
この町も通り過ぎるのかと思われたが、辺りが暗くなってきたのを見て、レイモンドが馬を止めた。
「今夜はこの町に泊まろう」
騎士団長の声に、団員たちが歓声を上げる。てっきり野宿だと思っていたのだ。
レイモンドは真面目に言う。
「今からならまだ二マルロ進めるが、野宿したところで、体力はあまり回復しない」
「さすが団長!」
「その代わり、明日は今日より早く起きてもらう。早く休むからには、その分早く叩き起こすからな。日の出には出発する」
その一声で、歓声はぴったり止んだ。
「日の出って……早すぎませんか」
何人が不満を漏らしたが、レイモンドは聞き入れなかった。
「ぐずぐず言うな!これは視察なんかじゃない。いつもだったら野宿してもらうところだぞ。こうしてわざわざ宿を使うのは、明日に備えて体力を温存しておくためだ」
エレナはレイモンドの怒鳴り声に、びくりと肩を揺らす。
「早朝から馬をとばせば、昼過ぎには着くはずだ。自分達の任務が分かってるのか?明日、お前たちは町を壊滅させた『魔』とご対面するんだぞ」
不平を漏らすものは、もういなかった。辺りは静まり返っている。
――――やっぱり騎士団長って、こういうところはきっちりしてるんだ。
シルヴィアの前で見た丁寧な態度からは感じられない、毅然とした様子は少し怖かったが、そつなくこなす仕事ぶりに、安心感もあった。
「そういう訳だ。今日は早く寝るように。酒なんて、もっての他だぞ」
若い騎士達はため息交じりに返事をした。
*
小さな宿の食堂は、王都からの騎士団が入っただけで、ほぼ満席となってしまっている。
そこは既に、騎士達の酒場と化していた。
エレナはロレンツォの隣に座って、ココナムという木の実でできた、甘いジュースを飲んでいた。
食堂は酒の匂いが充満し、がやがやとうるさい。向こうからは歌声すら聞こえてくる。
「……いつもこうなの?」
隣の行商人を見上げると、彼は頷いた。
「いつもこうだ」
そういう彼の手元にあるのも酒である。
「だめじゃない、お酒は飲むなって、言われてたでしょ」
「いいんだよ。レイモンドだって、そこら辺は分かってるんだ。それに皆自分の限度を知ってるし、きちんと節制して飲んでるんだ。もちろん僕もね」
「あの人たちも?」
肩を組んで歌っている若い騎士を、目の端で捉える。彼らはどう見ても酔っているようにしか見えない。行商人は苦笑した。
「彼らは若いからね。まれにああいう者もいる。明日の朝、レイモンドに冷水をぶっかけられるだろう」
エレナはびっくりした。あの騎士団長は、そんなこともするのか。
エレナの顔を見て、ロレンツォは笑った。
「信じてないな。騎士団では日常茶飯事なんだよ」
騎士ってすごいな。変な感想を持ちながら、エレナは彼らを見る。
ふと、騎士達のほとんどが、ちらちらとこちらを伺ってくるのに気付いた。
「あの人たち、時々こっちを見てくるわ。あなたに用があるんじゃない?」
行商人にそう言うと、彼は面白そうな目でエレナを見た
「僕じゃない。君のことが気になってるんだ。こういう仕事に、君みたいなかわいい女の子がついて来るのは、珍しいからね」
さらりとそんなことを言う。エレナは肩を竦めた。
「あなたって、気障よね」
「そうかな?」
とぼける彼に、だからこそ気障なのだと言ってやりたくなる。彼は城で時折変人と呼ばれるが、その責任は本人にもあるのではないか、とエレナは思っている。それを見破ったかのように行商人が言った。
「なんだいその目? まあいいや、とにかく彼らは気にしないでおくこと。話しかけてきたら、答えればいい」
「……分かった」
頷いて、エレナは再びジュースを口に含んだ。ココナムの独特の甘みが、喉を潤す。
行商人も酒に口をつけたが、少し飲むと急に真面目な顔になってこちらを見た。
「君にね、確認したいことがあるんだ」
突然真面目な声で言われ、少なからず驚いた。
「確認?」
「昔、君が助けられなかったっていう男の子、『魔』だって言ってたね?」
エレナは目をふせた。
「……そうよ」
「今回一緒にと来たいと言ったのも、そのためだね? ザンクトに現れた『魔』が、彼かもしれないと思ったんだろう」
「ええ」
ロレンツォは、再び酒を飲んだ。
「……あれから、八年経っている。もう一度会って、どうしたいんだ?」
その目はどこか悲しげで、エレナはこの人になら話してもいい、と思った。
シルヴィアの部屋で決心したことを、そのまま口にする。
「わたし、彼に誤解させたままなの」
「誤解?」
「ダリウスに……あの男に騙されて、クリスの居場所を教えてしまった。もちろん、騙されたわたしが悪いんだけど。彼はわたしが金貨と引き換えに、自分を売ったと思ってるの」
ロレンツォは黙って聞いている。
「本当はね、彼を助けたい。でも、今更そんなの身勝手だし、もう一度昔のように仲良くするなんて無理だと思ってる。彼はきっとわたしを許さないから」
目の前の男は、再びグラスに手を伸ばした。エレナは顔をあげる。
「それでも、誤解だけは解きたいの」
伸ばされた手が、止まる。
「一度だけでいい。きちんと会って、話がしたい。わたしはあなたを売ったんじゃない。身勝手だけど、今でも大切な友達だと思ってるって」
エレナは静かに言い切った。言葉にすると、自分の気持ちが、一層はっきりと分かった気がした。
ロレンツォが、ふうっとため息をつく。
「僕はあの雪の降る日、君の願いに応えられなかった。『魔』と戦って勝てる実力はなかったし、人として未熟なところもあった。それに、あの後いくら調べても君の言う少年の行方は分からずじまいで、諦めてたんだ。
『魔』なんて探すのも難しいし、会ったところで君達が幸せになれるとは思えなかった」
エレナは驚いて男を見上げた。
ロレンツォは常に自分の味方だと思っていたから、そんな風に考えていたとは思いもよらなかったのだ。
「彼を探す手に、力を抜いたことはないよ。『魔』の情報が来るたび、クリスという名を探し、ヴァーグの囚人リストも定期的に確かめていた。――――でもね、正直に言えば、時間がたてば君も少しずつ忘れてくれると思っていたんだよ。それを願ってもいたんだ」
自嘲気味に言う行商人に、何も言い返せなかった。
彼を探してくれと頼んだのは自分だ。手を出すなと言われたからといえ、この何年ものあいだ、クリスのことはロレンツォに任せきりだった。
彼に非のうちどころなんて、ないのだ。
黙っていると、ロレンツォは優しく目を覗き込んできた。
「君がレイモンドに連れてってくれと頼んだ時、分かったんだ。君の目はあの日、雪に埋もれていた時と同じだった。どうしても見つけてやるって、そう言っていた」
そうして、確かにエレナを見据えた。
「悪かったよ。僕が諦めている間、君はずっとあの子を思い続けていたんだ」
エレナは微笑んだ。
「それだって、こうして生きてなきゃ出来なかったのよ。あの日、わたしを見つけてくれたのはあなただわ」
行商人は表情を和らげる。
そしてふと、思い出したように言った。
「そうだ、君にこれを渡そうと思っていたんだ」
懐から一冊の本を取り出す。
古びているが、赤い革表紙で出来た立派なものだ。
受け取ったエレナは目を見張った。
「『マルクレーンの書』……?」
「ああ、そうだ」
行商人は温かな笑みを浮かべている。
「この前の事件で、トラヴィスが盗んだことが発覚したろう。正確には、彼と手を組んでいた書庫の兵士がやったことだけど……元に戻されたのを見計らって、少しばかり借りて来たのさ」
エレナは驚いて声をあげる。
「もしかして、それってあなたも泥棒……」
「滅多な事を言うもんじゃない」
こつり、と頭を軽くこづかれる。見上げれば、彼は不服そうに顔をしかめていた。
「借りたって言っただろう。この討伐の間だけ手元に置けるよう、特別に許可を貰って来たんだ。その過程を詳しく説明することはできないが」
ますます怪しい。エレナは心配になったが、彼は姫や自分を危険に晒すようなことはしない。
この男のいう事なのだから、一応はきちんとした手続きをしたのだろう。
「これ、わたしが持っていて大丈夫なの?」
「ああ、旅の間だけね。国家の私物だから、城に戻ったら返さなくては駄目だよ」
エレナは本をぎゅっと胸に抱いた。
この古びた本は、想像した以上に大事なものらしい。
「ありがとう。帰るまで大切に読むわ」
鞄の留め金を外し、壊れ物でも扱うように、そっと中に入れた。
部屋に帰ったら読もう。旅は長いが、この本があれば退屈もなくなりそうだ。
そう思うと、少しだけわくわくしてくる。
そこへばらばらと騎士達がやって来た。
「こんばんは、行商人」
「楽しそうですねえ、ロレンツォさん」
何人かが近寄ったのを見て、残りの全員がこちらへ集まって来た。
突然のことにエレナはびっくりして、行商人を見る。
「大丈夫。礼儀はわきまえているはずだから」
行商人はそういったものの、エレナはちょっぴり怖いと思った。
彼らは心なしかふらふらしている。何人かが正面にどかっと座ったのを見て、エレナは縮こまった。
「行商人、この娘ずっとついてきてるけど、一体どういう関係なんだ? 姫の遊び相手ってのは聞いたけど、ザンクトに何か用があるのか?」
「彼女はきっと騎士団の手助けになる。それだけだよ」
「何だそれ」
それには答えず、行商人は残りの酒をあおると、新しい瓶をあけた。それを自分のグラスに、次いで騎士たちのグラスにも注いでやる。
「それより、君達失礼なんじゃない? 質問があるなら、僕に聞くなんてしないで、この子に直接聞けばいいだろう?」
すると、騎士達は気まずそうに顔を見合わせてから、居住まいを正した。正面の一人が口を開く。
「失礼した、お嬢さん。俺はガスパルだ。こっちはシモン。そっちのはパトリックだ」
そうやって九人の紹介を始める。エレナは頭が追い付かず、圧倒されているだけだ。
全員を紹介し終えると、ガスパルと名乗った騎士は言った。
「まあ騎士団は人数も多いし、覚えろとは言わないけど。で、お前さんは?」
本人は意識していないのだろうが、どすの利いた声である。
「エ、エレナです」
酒の匂いは苦手だ。目の前の頑丈そうな男も、少し怖い。
「ガスパルさん。怖がってますよ」
隣に座っていたもう一人が笑った。
「エレナさんは、王女様の遊び相手でしたっけ?」
丁寧な物言いにほっとして、なんとか答える。
「そうです。姫様に仕えさせてもらっています」
そう言った途端、若い騎士の顔は同情に染まった。
「大丈夫ですか?王女様にひどいことをされていませんか?」
エレナは驚いた。
「そんな、どうしてそんなことを言うんですか?」
問い返せば、堰を切ったように、騎士達が声をあげる。
「どうしてって、王女様はとても気の強い方だと聞きましたよ」
「そうそう、あれだけ贅沢をさせてもらっているのに、何が足りないっていうのかねぇ」
「お前もやめた方がいいと思うよ。姫に仕えていたって、いいことはない」
流れ込む言葉の意味に、頭がおいつかない。どうして皆、そんなことを言うのだろうか。
「ちょっと待って下さい! どこからそんな噂が出て来たんですか? 姫様はわたしのことを、ちゃんと気遣って下さいます!」
すると、騎士達は困った顔を見合わせ、あげくの果てにこう言った。
「それって、騙されてるんじゃないですか? 彼女の周りじゃ、召使いの入れ替えが激しいっていいますし」
「そうだよ、俺もそう思う。側近たちは皆、あのわがままに振り回されて迷惑をこうむってるって話だ」
あまりの言いように、エレナは言葉も出ない。
ちらりとロレンツォを見るが、どこ吹く風と言った感じで、再び酒を注ぎ足している。この噂に慣れてしまって、聞き流しているというところだろうか。
だとすれば、このひどい嘘を正せるのは、自分しかいない。
エレナは椅子から立ち上がった。
「姫様は、そんなひどい方じゃありません!」
苛立ちから、声が大きくなる。何人かの騎士は驚いて固まった。
行商人も、静かにこちらを見やる。
エレナは構わず続けた。
「あの方は、確かに気が強くてわがままだけれど、かわいくて、とても優しい人です!」
正面に座っていた二人の騎士は、同情の眼差しを向けた。
「あなたの姫君を侮辱したのは謝ろう。申し訳ない」
「気を害したのなら、すみませんでした」
二人はそういうと、席を立った。
「失礼します」
後から、他の者もばらばらと去って行く。
「悪かったよ」
「すまなかった」
エレナは慌てて呼び止めた。彼らは誤解しているのだ。
「待って。誤解です! あの方は……!」
エレナの言葉を最後まで聞くこともなく、騎士たちは去って行った。
――――かわいそうに。
――――騙されてるんだ。
そんな声が聞こえてくる。
エレナは椅子に座りこんだ。
隣で、行商人が酒を飲み干す音が聞こえた。
ここまでだとは思わなかった。
シルヴィアが、ここまで嫌われているとは。
「君は、もう寝た方がいい」
静かな、静かな声で、行商人は言った。
エレナはきっ、と彼を見つめる。
「ロレンツォ! あんなことを言われて、なんとも思わないの? あなただって、あんな噂を信じてるわけじゃないでしょ」
「もちろん」
そう言いながら、彼は酒をグラスに注ぎ足した。四杯目である。
エレナは口を挟もうとしたが、先に沈黙を破ったのはロレンツォだった。
「君が怒るのも分かる。僕だって何もしなかった訳じゃない。今までだって、あちこちに噂を流してみたんだ。良い噂をね」
エレナはまじまじと男を見つめた。行商人は面倒くさそうに続ける。
「でも、誰も分かっちゃくれない。姫君は確かに、わがままで気が強い。それに妾の子どもという立場も相まって、悪い噂の方が広がってしまうんだ。彼女が敵意や軽蔑を向けられるのは、仕方のない事なんだよ」
困ったように、彼は笑った。
しかし、エレナは諦めきれなかった。
「それなら、わたしがそれを変えるわ」
ロレンツォが顔をあげる。
「君に何ができるっていうんだい?」
「分からないわ。でもこんなの間違ってる。姫様はいい人よ。何とかして、それを皆に分かってもらうの。何か方法があるはずだわ」
「そんなのは、ただの幻想だよ」
考え込むエレナを見て、行商人は静かに微笑んだ。
「でも君が言うと、本当に実現させてしまいそうだから、不思議だ」




