主張と本音
――――魔法。
それは他の何よりも、クリスと自分の立場を思い起こさせる言葉だった。
大昔に討伐され、禁じられた力。
以前トラヴィスが使うのを見たが、彼は厳しく処罰され、今は牢獄に入っている。
ずっと隠してきものの、自分も花を枯らせるという、魔力の片鱗を持っているのだ。
それほどまでに疎まれる力を、一体誰が使っているのだろう。
「魔法だと?」
いつも笑顔のロレンツォですら、顔を曇らせる。
「はい。それも情報が入ったのは先程なのですが、ザンクトは既に壊滅状態です」
シルヴィアの顔が恐怖に染まった。
「どういうこと? 魔法はとっくの昔に消えたはずよ」
「しかし、全滅した訳ではないのです」
レイモンドが静かに答える。
「三百年前、英雄アシオンは魔物の王グランディールに勝利しました。けれど、『人』の国を追われた者達は、今もこの大陸に潜んでいるのです。
魔力を持つ者―――精霊や竜、魔物など―――そういった人間とは異なる者を根絶やしにするのは不可能です。ザンクトの件はそういった『魔』の仕業に間違いありません」
それでもシルヴィアは、いきり立って意義を唱えた。
「もしもの時に備え、町や村ごとに騎士団が派遣されているのではないの? 『人』の国に足を踏み入れる『魔』に、騎士団を打ち負かす力があるとは思えないわ。
どちらが勝つかなんて、アシオンの時代に証明されているはずでしょ」
姫、と行商人がたしなめる。
「あなたはご存知ないのですよ。これは、今に始まった事ではないのです。
『魔』が人の地に足を踏み入れることは、過去に何回かありました。けれど、妖精や、名前もないようなものがほとんどで、すべてヴァーグの牢獄へ収容されました。
それは騎士団の手を煩わせることもなく、王宮まで話があがる事すらなかったのです」
「……私は本当に、何も知らないのね」
姫はそっと目を伏せた。
「では、今回の件は今までとは違うの?」
行商人は頷く。
「ええ、違うのでしょう。魔力の大きさが」
エレナは何も言えず、立ち尽くしていた。
目の前の人たちがひどく遠くにいるように思えた。それなのに、一つ一つの言葉は確かに心に積もっていく。
――――彼かもしれない。
疑いはどんどん色濃くなり、心臓が早鐘を打った。
――――もう一度、彼に会えるかもしれない。
知らずに、拳を握りしめていた。
会ってどうしたいのだろう。自分ができることなど何もないはずだ。そう考えながらも、心の底では、願っていた。
もう一度、もとの関係に戻りたい。また一緒にたわいない話をしたい。
ただ二人並んで、同じ風に吹かれているだけでいい。
それがどんなに傲慢なことか分かっていた。彼を助けられなかったのは自分であり、自分を拒絶したのは彼だった。
ただ一つ、心に引っ掛かっているのは、彼が誤解したまま行ってしまったことだ。
クリスは、エレナが金と引き換えに、ダリウスに居場所を告げたと思い込んでいた。
だからあんな恐ろしい目で睨んだのだ。
謝ってももう遅いだろう。元に戻れなければ仕方がない。それは自分への罰だ。
けれど、彼を化け物として見ていた訳ではない。大事な友人だと思っていたのだ。
それだけは。
その誤解だけは、どうしても解きたかった。
やり取りはまだ続いていた。
「そうか。僕も一緒に連れて行くよう、言われたんだね」
「そうです、ロレンツォ殿」
静かな部屋で、淡々と会話は続く。
「ではすぐに準備をしよう。陛下の命令とあらば、仕方ない」
「良かった。あなたがいると心強いです」
レイモンドが丁寧に頭を下げる。
しかし、穏やかな静寂を破った者がいた。
「わたしも、連れて行って下さい」
エレナである。
騎士団長が振り返った。
「ああ、あなたはトラヴィスの屋敷で、王女のふりをしていた……」
「姫様のお傍に仕えさせてもらっている、エレナです」
少女の目を見て、レイモンドは言った。
「あなたの勇気には非常に感銘を受けました。ですが、それとこれとは話が別です。好奇心ならば、お止め下さい」
エレナは騎士団長の丁寧な言葉遣いに驚いた。身分の低い行商人に敬語を使っているのも不思議だったが、まさか自分にまで敬語とは。
「好奇心ではありません。それにあの、そんなにかしこまらなくても……」
それに答えたのは行商人だった。
「彼はね、女性には敬意を払うべきだと考えてるんだ。僕も敬語はやめてくれと言ったんだけど、年上だからって聞いてくれなくて」
そう言って苦笑する男をよそに、レイモンドはエレナを見た。
「とにかく、騎士団の遠征など、あなたがついて来るようなものではありません」
彼はどうやら、相当な堅物のようだ。
エレナはそれ以上深く考えるのをやめ、再び頼んだ。
「お願いです。レイモンドさん、わたしをその町まで連れて行ってください。その魔物を知っているかもしれないんです」
言葉を濁したものの、さっと、騎士団長の顔色が変わった。
「知っている? どこかで出会ったのですか?」
「あの、以前森で」
そこまで言いかけて、これ以上喋るのはまずいと思った。
この騎士団長はいい人間のようだが、エレナの事情を知ったところで、手を貸してくれるとは限らない。
むしろ、王に仕えている分、「魔」に向ける敵意は強い可能性がある。
エレナは言葉を飲み込んだ。
「森で、見かけました。それだけです」
「そうですか。それで、なぜ着いてきたいと?」
「ええと、それは……」
エレナは口を噤んだ。必死に頭を働かせる。懸命に騎士団長を見上げた。
「一度『魔』を見たわたしなら、何かお役に立てるかもしれないと思って」
「役に?」
「何も知らない人だけで行くよりは、わたしみたいなのがいれば、少しは手助けになるかと」
「危険です。あなたが行く必要はありません」
騎士団長はばっさりと切り捨てる。しかし、エレナは食い下がった。
「それだけじゃありません。わたし、魔法自体を見たこともあります。普通の人よりも知識はあるはずです」
それは本当だ。使ったこともあるのだから。
困った顔をするレイモンドを、エレナはまっすぐに見つめた。
「お願いです」
心の中で繰り返した。
お願いします。お願いだから。
「わたし、きっと役に立ちますから」
彼を、探させて。
ふうっと、傍にいたロレンツォが息を吐いた。
「君は変わらないな」
その目がエレナを捉える。
彼はエレナの意図を明確に理解しているようだった。
「このまま城に居させたら、一人で勝手に飛び出すかもしれない。その後を追って姫君も」
レイモンドが「えっ」と声をあげる。
「どういう意味ですか? この前のこともありますし、城の警備も十分固くしています」
「うーん、そうらしいけど」
「それを彼女達が破るとでも言うんですか?」
「君には失礼だが、この子達ならやりかねないだろう」
レイモンドがぎょっと顔をこわばらせる。ロレンツォが声をあげて笑った。
「僕には止められる気がしない。それを防ぐためにも、騎士団長、行かせてやったらどうだい?」
エレナは息を呑む。
ロレンツォは今まで、エレナがクリスを探すことに否定的だった。
なぜ突然連れていく事を許したのだろう。
エレナは今の言葉の意味を考え、彼が諦めたのだと悟った。
どんなに大きくなっても少女は少年を諦めなかった。ロレンツォは考えたのだ。このままエレナを押しとどめておくのは無理だと。
城を抜け出すのが可能なことは、前回のお忍び事件で証明されてしまった。あの時だって見張りの騎士はいたが、少女達に隙をつかれたのだ。
数を増やしたところで、油断していれば同じことが起きるだろう。
何かが起こっては遅いのだ。
レイモンドは、しばらく考えあぐねていたが、終いにエレナに向き直った。
「分かりました。そこまで言うのなら、お連れしましょう」
こちらの目を覗き込み、確かな声で言う。
「だけど絶対に無茶はしないこと。いいですね?」
「約束するわ」
エレナは申し訳なく思ったが、連れて行ってもらえることは素直に嬉しかった。
その後ろから、ロレンツォも続ける。
「ありがとう、騎士団長」
「ちょっと、どういうことよ!」
突然シルヴィアが叫んだ。
「おかしい! おかしいわ!」
三人が驚いて何も言えないのをいいことに、姫は続ける。
「エレナは私と一緒に謹慎をさせられたはずでしょ? もうあれはとっくに解けたけれど、そんな危険なところへ行くなんて変よ。それなら私も連れて行きなさい!」
エレナは思わず、うわずった声をあげた。
「ひ、姫様。無事に帰ると、お約束を」
「何が約束よ! エレナ、あなたはまた無茶をして、私を泣かせるんだわ!」
ロレンツォが優しく微笑んで近寄った。
「落ち着いてください、姫君」
「大体あなたもあなたよ。行商人のくせに、どうして戦場へ行く必要がある訳? 売りたいものがあるなら、全部私が買ってあげるわ! どうしても私を置いていくって言うなら、あなたとエレナはここに残りなさい!」
大変な剣幕である。しばらく大人しく聞いていたから、その反動が来たのかもしれない。
エレナは止めに入ろうか迷ったが、ここは口のうまいロレンツォに任せた方がいいと、思い留まった。
「僕はあちこちを旅したことがあるし、地理には詳しい。それを陛下が買われて、今回のようなことになったのでしょう。それに、ザンクトは戦場ではありませんよ。村の中で、ただ一匹の『魔』が暴れているだけです」
ロレンツォがたしなめる。
「嘘を言わないで! 王都の騎士団が呼ばれるなら、それほど大事という事だわ! それに、今までと魔力が違うと言ったのはあなたでしょ!?」
「姫君」
と、再びロレンツォ。
「そうです。――正直に言えば、今回は少し厄介な事例です。ですがあなたが心配なさるほどではない。すぐに片付けて戻ってきますよ」
「…………」
「どうか俯かないで下さい。僕は行かなければならないのです」
「あなたのそういうところ、嫌いよ」
そっぽを向くシルヴィアに、エレナは隠れてため息をつく。
ロレンツォは穏やかな態度を崩さない。
「お約束しましょう。必ずあなたの遊び相手も連れて、無事に戻ってきます」
姫は静かに振り向いた。その目は、目前の男を見据えている。
「分かったわ。……破ったら、許さないからね」
「はい」
ロレンツォは微笑んだ。
*
選抜された騎士団員は、団長を除いて九名。それに、姫の遊び相手と行商人が加わり、計十二名が出発した。
馬に揺られ早朝の門を抜けると、西のはずれ、ザンクトの町を目指す。
今は町中だが、街道に出れば、全速力で馬を走らせるはずだ。
今のうちに眠気を覚まさなきゃ、とエレナは気持ちを奮い立たせる。
彼女はロレンツォと同じ馬で、列の最後尾にいた。
朝の光を浴びながら、城に思いをはせていると、シルヴィアのことを思い出す。
別れ際シルヴィアに抱き着かれ、涙ながらに「必ず戻ってきてね」と言われたのだ。
あの心配ようだが、今こうやってロレンツォと馬に乗っているのを見られたら、やきもちを焼いて怒鳴られるかもしれない。
要するに、彼女はかわいいのだ。
主人にそう思ってしまう自分に、呆れてしまう。それでも思わず、笑みがこぼれた。
「おやおや、何か楽しいことでも思い出したのかい?」
手綱を握るロレンツォが尋ねる。
思い出し笑いを聞かれて、エレナはちょっぴり赤くなった。
「あの、姫様はかわいい人だなって」
「……そうかもしれないね」
ロレンツォの口から、そういったことを聞くのは初めてだ。エレナは急いで訪ねた。
「あなたも、そう思う?」
「ああ。でもやっぱり、『籠の鳥』って感じだ」
彼はそう言って苦笑した。
「姫君はとんだ心配性だ。世間に触れていれば、ああはならなかったろうに」
エレナはそれを聞いて、たまらずに声をあげた。
「ロレンツォ、確かに姫様は心配性だけど。でも、あれはあなたのことを思って」
「分かってるよ」
朝の小道を、カツコツ足音を立て、馬が進む。
「あの方は頼りにできる人が少ないんだ。だから僕や君にすがりつく。自分を支える者を、失うのが怖いんだよ」
エレナは黙って聞いていた。後ろに座っている彼の顔は見えない。
「でももしそれが僕でなかったとしても、同じことだ。あの人の周りに、優しくしてくれる人が集まれば、彼女は僕に依存しなくてすむ。」
「そんなこと……本気で言ってるの?」
エレナはいつもと違う雰囲気を感じたが、その考えは明るい声にかき消された。
「ああ、騎士団から遅れてしまったね! 急がないと」
彼は手綱を引き、馬を急がせた。またはぐらかされてしまったのだ。
エレナは口を開いたが、これ以上深追いしてはいけない気がして、結局噤んでしまった。
向かい風が頬を滑って行く。眠気を吹き飛ばすような冷たさに、思わず小さな吐息が漏れた。




