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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第二章 小さな冒険と英雄の伝説
22/85

音楽一座エイブル・ホーリエ


「大丈夫だった? けがとか、ない?」

トニーが心配そうにのぞき込む。

「大したことないわ。それより、助けを呼んできてくれてありがとう。トラヴィスを捕まえられたのは、騎士団がいたからよ」

 エレナが微笑むと、トニーも顔をあげて、嬉しそうに笑った。


 その横で、アンセルモがうなる。

「お前、何か隠してると思ったんだ。まさか姫と、その侍女だったなんて」

「正確には、侍女ではなくて遊び相手よ」

「どちらも同じじゃないのか?」

「アンセルモ、動かないで」

 ダイアがぴしりと言いつける。


 四人はエイブル・ホーリエの楽屋にいた。

 そこは狭くて、ごちゃごちゃしていて、なぜか居心地のいい場所だった。

 壁には色とりどりの衣装やカツラがかかっており、エレナはつい眺めてしまう。ぐるりと見渡していると、牙を剥き出した魔物の面と目が合った。恐ろしい形相に、思わず視線を逸らす。

 そのカラフルな部屋で、アンセルモはダイアに手当を受けていた。

 彼は今、体中に湿布を張られている。

「あなたね、いくらなんでも無茶しすぎよ」

「お小言はもう沢山だよ。第一、俺はお前のためにあそこまで行ったんだぞ」

「分かってるわよ」

 ダイアがにこりと笑う。

「いてっ!分かってるなら、もう少し丁寧に手当してくれよ」

 エレナは思わず笑ってしまった。

 二人は喧嘩しているというより、じゃれあっている感じだ。


「そういえば、姫君はどうしたんだ?」

 アンセルモの問いに、エレナは肩を落とした。

「姫様は今、お城に連れて行かれてお小言の最中なの。一週間は外には出してもらえないと思うわ」

 そうなの!? と驚くトニー。

「帰ったら、わたしも外出禁止令を出されると思う。騎士団たちは姫様とトラヴィスにかかりっきりだったから、見つからないうちにこっそり抜け出して、お礼を言いにきたの」

「そうだったのね」

 ダイアは残念そうだ。

「お姫様にも、きちんとご挨拶をしたかったのに」

 そう言った時、楽屋の扉が開いた。


「お前たち、ちょっといいか」

 太った団長とのっぽのニールだった。

 二人は事件のあと、どこかへ行ったきり、帰ってこなかったのだ。

「団長、どこへ行ってたんですか?」

 トニーの問いに、団長はにっこり笑う。人好きのする顔だ。

「ちょっと、ある人と話していてね」

 ニールも微笑みながら、後ろを振り返った。

「おーい、入っていいぞ」

 二人の間から、一人の男が入ってくる。

 団長が高らかに言った。

「紹介しよう。我が音楽一座、エイブル・ホーリエの新しい団員だ。――――ライアン・クレイル!」

 ライアンが照れくさそうに笑った。

「えっと……皆、久しぶりだな」


 わっと歓声が上がる。

 アンセルモが駆け寄った。

「ライアン! どうしてここに? 一緒にやってくれるのか?」

「ああ。俺は三年前、貧乏暮らしに耐えられなくなって、金をくれるあの男に従ったんだ。でも間違ってたよ」

 ダイアとエレナを交互に見やる。

「夢は金で買えるものではないし、何より自分が心から楽しめる劇をやりたいんだ。……一緒にやっても、いいかな?」

「もちろん!」

 アンセルモの声に、トニーが楽しげに笑う。

「僕、またライアンのやる金の王様が見れるんだね!」

 ダイアは腕を組んで唇を引き結んだが、その目は笑っていた。

「うちの練習は厳しいわよ。覚悟はあるの?」

「とっくにできてるよ」

 肩を竦めてライアンが微笑む。つられてエレナも笑った。


 楽しそうに話し込む団員たちを見つめていると、団長が傍にやってきた。

 彼は優しく微笑み、かがみこんでエレナの両手を握りしめた。

「ありがとう。正直、私はダイアのことを諦めていた。こんな素敵な結末になったのは、君のおかげだ」

 エレナは微笑んだ。

「これは、皆で得た結果です。わたし一人だったら、何もできませんでした」

 こんなの綺麗ごとに聞こえるかもしれない、そう思ったが、エレナは伝えたかった。

 ダイアが反抗し、アンセルモが飛び出し、トニーが助けを呼んできてくれた。

 騎士団や団長達が男を捕え、シルヴィアが傍に来てくれた。

 彼女を守りたい、そう思わなければ、あんな勇気は出なかったはずだ。


 そんな存在でいてくれるシルヴィアは、ここにいない。

 せっかく皆が笑っているのに、それだけが悲しかった。

 顔を曇らせたエレナの目を、団長が覗き込む。

「さっき聞こえてしまったんだが、君と姫君は一週間、謹慎(きんしん)になるそうだね。

私たちはこの国には数日しかいないつもりだったんだが、ライアンが戻って来たからには、きちんと稽古をやり直そうと思うんだ。それには、十日はかかるだろう」

 エレナが顔をあげる。団長は朗らかに笑った。

「謹慎が解けたら見においで。君と姫君を招待しよう」

 エレナは微笑んで、彼の手を強く握り返した。



 城に帰ると、ルーバス宰相に呼ばれ、こっぴどく叱られた。

 ルーバス宰相は、長めの白髪を後ろになでつけた初老の男だ。常にぴしっと伸ばした背が印象的で、なんでもてきぱきこなす、王の右腕である。

 彼は国王であるジェロームに仕えており、シルヴィアの前にやってくることは滅多にない。エレナを呼びつけたということは、それだけ今回の件が目に余るものだったということだ。

 宰相の怒りの原因はそれだけではない。


 書庫の兵士ザックは、エレナ達に嘘を教えたのだ。

 実際、盗難届を出したのは別の兵士ではなく、届け先もルーバス宰相ではなかった。

 ザックの言った盗難届は、彼自身によって、怠慢で辞職が決定していた補佐官に提出されたのだ。

 補佐官は届け出を紛失名簿に書き写す前に辞めてしまい、『マルクレーンの書』の紛失は、ほとんどの人が知る(よし)もなかったのである。

 

 その事の大きさと後始末に追われ、ルーバス宰相はひどく機嫌が悪かった。

 疲れが混じった瞳は、いつも以上に鋭くなっている。

 そんな時に呼び出されたエレナは、多大なお怒りを正面からぶつけられることとなった。


「お前は姫君にお仕えすることが、どういうことか分かっていない。それは傍でお世話をするだけではない、守ることでもあるんだ。それだというのに、お前ときたら護衛もつけず、外にお連れするなんて!」

 エレナはびくりと肩を揺らした。

 もう呼ばれてから一時間は経っている。この男は疲れているのではなかったか。


 正直なところ、泣きそうなのをこらえているのだが、延々と続くお小言は終わる気配がない。

「いいか、次にやったら、姫君の側近から外してやる!」

 ルーバス宰相の言葉に、エレナはぐっと息を呑んだ。


「もう、それくらいにしてやってはどうです」

 部屋の扉を開け、一人の男が入って来た。ロレンツォだ。

「貴様。誰の許しを得てここに来た」

 ルーバス宰相が恐ろしい目で睨んだが、ロレンツォに動じる様子はない。

「シルヴィア姫ですよ。いけませんか」

 彼は相変わらずだ。宰相が言葉に詰まったのをいいことに、さらりと続ける。

「異存がないようでしたら、この子は連れて行きますよ」

 ルーバスが止める間もなく、エレナを連れて部屋の外に出た。


「助けてくれて、ありがとう」

 エレナはロレンツォを見上げた。

 扉の向こうから聞こえる罵声は、聞こえないことにする。

「姫君に頼まれたからね。彼女も宰相にたっぷりお小言を頂いたようだし、頼みを聞いてあげることにしたんだ」

 長い廊下を並んで歩く。

「でもロレンツォ、あなた、本当にルーバス宰相の部屋へ入って良かったの? ……だってその、あなたは行商人でしょ? 断りもせずにあがりこむのは」

「いいんだよ」

 ロレンツォは笑った。

「前に言わなかったっけ? 僕は行商人であり、情報屋だって」

「それってどういう……」

「ほら、着いたよ。僕の役目はここまでだ」

 部屋に着いたのをいいことに、話をはぐらかされてしまった。

「それじゃ。姫君とはきちんと話をするんだよ」

 (きびす)を返して、去って行く。


――――ほんとにこの人、何考えてるのか分からない。

 彼が一度口を閉ざせば、話を聞き出すのは至難の(わざ)だ。

 エレナは気になる気持ちを抑えて、シルヴィアに会うことを優先した。


 コンコン、と部屋をノックする。

「エレナです。入りますよ」

 返事が聞こえたので扉を開けると、シルヴィアがじっとこちらを見ていた。

 唇を結び、強い視線を投げてくる。

 なんだかいつもと違う雰囲気だ。

「姫様……?」


 部屋に入った途端、シルヴィアが走ってきて、抱き着いた。

「ばか!」

 ばかばかばか、と叫んで、抱き着いたまま泣き始める。

 エレナは状況が呑み込めず、シルヴィアをまじまじと見つめた。

 ぐすぐすと泣きながら、姫は顔をあげる。

「エレナ、どこに行ってたのよ。私あの後、涙が止まらなかったの。だというのにあなたは傍に居てくれないし!」

 一気に言い放ってから「違う、こんなことを言いたいんじゃないわ」と首を振り、エレナを見つめた。

「私ね、今回の事件で分かったの。自分の身には責任を持つ、無力でいるのは嫌だと言いながら、何も出来なかった。それどころか、あなたをあんな危険な目に()わせてしまった」

「そんなことありません」

 エレナが必死に返すが、シルヴィアは有無を言わせなかった。

「あなた、あの時、首に傷ができたでしょう」

 エレナはハッとする。今まで忘れていたが、首に手をあてると、小さな傷は確かに、まだそこにあった。

 シルヴィアの目から、再び止めどない涙があふれる。

「連れてってと言ったのは私だわ。全部私のせいなの。こんなの王女失格だわ。エレナ、本当にごめんなさい」

 エレナはシルヴィアの目を見た。

「姫様、わたしはそんなこと思ってませんよ。それに、首の傷も今まで忘れていたくらいです。きっとすぐに治りますよ」

 シルヴィアはまだ信じていないようだった。

「本当に、許してくれるの?」

「そもそも、怒ってなんかいません。わたしは姫様が無事で、嬉しいんです」

 守ることができて、本当に良かった。

 こうして顔を見ていると、改めて喜びが湧き上がってくる。

「またたくさん、おしゃべりをしましょう」

 エレナは微笑んでみせた。ナイフをつきつけられた時のような、偽りの笑みではない。

 心からの笑みだった。


 シルヴィアの目に輝きが戻って来る。彼女はやっと微笑み返した。

「私達、ずっとお友達よ」

 二人は笑って、手を取り合った。




 

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