音楽一座エイブル・ホーリエ
「大丈夫だった? けがとか、ない?」
トニーが心配そうにのぞき込む。
「大したことないわ。それより、助けを呼んできてくれてありがとう。トラヴィスを捕まえられたのは、騎士団がいたからよ」
エレナが微笑むと、トニーも顔をあげて、嬉しそうに笑った。
その横で、アンセルモがうなる。
「お前、何か隠してると思ったんだ。まさか姫と、その侍女だったなんて」
「正確には、侍女ではなくて遊び相手よ」
「どちらも同じじゃないのか?」
「アンセルモ、動かないで」
ダイアがぴしりと言いつける。
四人はエイブル・ホーリエの楽屋にいた。
そこは狭くて、ごちゃごちゃしていて、なぜか居心地のいい場所だった。
壁には色とりどりの衣装やカツラがかかっており、エレナはつい眺めてしまう。ぐるりと見渡していると、牙を剥き出した魔物の面と目が合った。恐ろしい形相に、思わず視線を逸らす。
そのカラフルな部屋で、アンセルモはダイアに手当を受けていた。
彼は今、体中に湿布を張られている。
「あなたね、いくらなんでも無茶しすぎよ」
「お小言はもう沢山だよ。第一、俺はお前のためにあそこまで行ったんだぞ」
「分かってるわよ」
ダイアがにこりと笑う。
「いてっ!分かってるなら、もう少し丁寧に手当してくれよ」
エレナは思わず笑ってしまった。
二人は喧嘩しているというより、じゃれあっている感じだ。
「そういえば、姫君はどうしたんだ?」
アンセルモの問いに、エレナは肩を落とした。
「姫様は今、お城に連れて行かれてお小言の最中なの。一週間は外には出してもらえないと思うわ」
そうなの!? と驚くトニー。
「帰ったら、わたしも外出禁止令を出されると思う。騎士団たちは姫様とトラヴィスにかかりっきりだったから、見つからないうちにこっそり抜け出して、お礼を言いにきたの」
「そうだったのね」
ダイアは残念そうだ。
「お姫様にも、きちんとご挨拶をしたかったのに」
そう言った時、楽屋の扉が開いた。
「お前たち、ちょっといいか」
太った団長とのっぽのニールだった。
二人は事件のあと、どこかへ行ったきり、帰ってこなかったのだ。
「団長、どこへ行ってたんですか?」
トニーの問いに、団長はにっこり笑う。人好きのする顔だ。
「ちょっと、ある人と話していてね」
ニールも微笑みながら、後ろを振り返った。
「おーい、入っていいぞ」
二人の間から、一人の男が入ってくる。
団長が高らかに言った。
「紹介しよう。我が音楽一座、エイブル・ホーリエの新しい団員だ。――――ライアン・クレイル!」
ライアンが照れくさそうに笑った。
「えっと……皆、久しぶりだな」
わっと歓声が上がる。
アンセルモが駆け寄った。
「ライアン! どうしてここに? 一緒にやってくれるのか?」
「ああ。俺は三年前、貧乏暮らしに耐えられなくなって、金をくれるあの男に従ったんだ。でも間違ってたよ」
ダイアとエレナを交互に見やる。
「夢は金で買えるものではないし、何より自分が心から楽しめる劇をやりたいんだ。……一緒にやっても、いいかな?」
「もちろん!」
アンセルモの声に、トニーが楽しげに笑う。
「僕、またライアンのやる金の王様が見れるんだね!」
ダイアは腕を組んで唇を引き結んだが、その目は笑っていた。
「うちの練習は厳しいわよ。覚悟はあるの?」
「とっくにできてるよ」
肩を竦めてライアンが微笑む。つられてエレナも笑った。
楽しそうに話し込む団員たちを見つめていると、団長が傍にやってきた。
彼は優しく微笑み、かがみこんでエレナの両手を握りしめた。
「ありがとう。正直、私はダイアのことを諦めていた。こんな素敵な結末になったのは、君のおかげだ」
エレナは微笑んだ。
「これは、皆で得た結果です。わたし一人だったら、何もできませんでした」
こんなの綺麗ごとに聞こえるかもしれない、そう思ったが、エレナは伝えたかった。
ダイアが反抗し、アンセルモが飛び出し、トニーが助けを呼んできてくれた。
騎士団や団長達が男を捕え、シルヴィアが傍に来てくれた。
彼女を守りたい、そう思わなければ、あんな勇気は出なかったはずだ。
そんな存在でいてくれるシルヴィアは、ここにいない。
せっかく皆が笑っているのに、それだけが悲しかった。
顔を曇らせたエレナの目を、団長が覗き込む。
「さっき聞こえてしまったんだが、君と姫君は一週間、謹慎になるそうだね。
私たちはこの国には数日しかいないつもりだったんだが、ライアンが戻って来たからには、きちんと稽古をやり直そうと思うんだ。それには、十日はかかるだろう」
エレナが顔をあげる。団長は朗らかに笑った。
「謹慎が解けたら見においで。君と姫君を招待しよう」
エレナは微笑んで、彼の手を強く握り返した。
*
城に帰ると、ルーバス宰相に呼ばれ、こっぴどく叱られた。
ルーバス宰相は、長めの白髪を後ろになでつけた初老の男だ。常にぴしっと伸ばした背が印象的で、なんでもてきぱきこなす、王の右腕である。
彼は国王であるジェロームに仕えており、シルヴィアの前にやってくることは滅多にない。エレナを呼びつけたということは、それだけ今回の件が目に余るものだったということだ。
宰相の怒りの原因はそれだけではない。
書庫の兵士ザックは、エレナ達に嘘を教えたのだ。
実際、盗難届を出したのは別の兵士ではなく、届け先もルーバス宰相ではなかった。
ザックの言った盗難届は、彼自身によって、怠慢で辞職が決定していた補佐官に提出されたのだ。
補佐官は届け出を紛失名簿に書き写す前に辞めてしまい、『マルクレーンの書』の紛失は、ほとんどの人が知る由もなかったのである。
その事の大きさと後始末に追われ、ルーバス宰相はひどく機嫌が悪かった。
疲れが混じった瞳は、いつも以上に鋭くなっている。
そんな時に呼び出されたエレナは、多大なお怒りを正面からぶつけられることとなった。
「お前は姫君にお仕えすることが、どういうことか分かっていない。それは傍でお世話をするだけではない、守ることでもあるんだ。それだというのに、お前ときたら護衛もつけず、外にお連れするなんて!」
エレナはびくりと肩を揺らした。
もう呼ばれてから一時間は経っている。この男は疲れているのではなかったか。
正直なところ、泣きそうなのをこらえているのだが、延々と続くお小言は終わる気配がない。
「いいか、次にやったら、姫君の側近から外してやる!」
ルーバス宰相の言葉に、エレナはぐっと息を呑んだ。
「もう、それくらいにしてやってはどうです」
部屋の扉を開け、一人の男が入って来た。ロレンツォだ。
「貴様。誰の許しを得てここに来た」
ルーバス宰相が恐ろしい目で睨んだが、ロレンツォに動じる様子はない。
「シルヴィア姫ですよ。いけませんか」
彼は相変わらずだ。宰相が言葉に詰まったのをいいことに、さらりと続ける。
「異存がないようでしたら、この子は連れて行きますよ」
ルーバスが止める間もなく、エレナを連れて部屋の外に出た。
「助けてくれて、ありがとう」
エレナはロレンツォを見上げた。
扉の向こうから聞こえる罵声は、聞こえないことにする。
「姫君に頼まれたからね。彼女も宰相にたっぷりお小言を頂いたようだし、頼みを聞いてあげることにしたんだ」
長い廊下を並んで歩く。
「でもロレンツォ、あなた、本当にルーバス宰相の部屋へ入って良かったの? ……だってその、あなたは行商人でしょ? 断りもせずにあがりこむのは」
「いいんだよ」
ロレンツォは笑った。
「前に言わなかったっけ? 僕は行商人であり、情報屋だって」
「それってどういう……」
「ほら、着いたよ。僕の役目はここまでだ」
部屋に着いたのをいいことに、話をはぐらかされてしまった。
「それじゃ。姫君とはきちんと話をするんだよ」
踵を返して、去って行く。
――――ほんとにこの人、何考えてるのか分からない。
彼が一度口を閉ざせば、話を聞き出すのは至難の業だ。
エレナは気になる気持ちを抑えて、シルヴィアに会うことを優先した。
コンコン、と部屋をノックする。
「エレナです。入りますよ」
返事が聞こえたので扉を開けると、シルヴィアがじっとこちらを見ていた。
唇を結び、強い視線を投げてくる。
なんだかいつもと違う雰囲気だ。
「姫様……?」
部屋に入った途端、シルヴィアが走ってきて、抱き着いた。
「ばか!」
ばかばかばか、と叫んで、抱き着いたまま泣き始める。
エレナは状況が呑み込めず、シルヴィアをまじまじと見つめた。
ぐすぐすと泣きながら、姫は顔をあげる。
「エレナ、どこに行ってたのよ。私あの後、涙が止まらなかったの。だというのにあなたは傍に居てくれないし!」
一気に言い放ってから「違う、こんなことを言いたいんじゃないわ」と首を振り、エレナを見つめた。
「私ね、今回の事件で分かったの。自分の身には責任を持つ、無力でいるのは嫌だと言いながら、何も出来なかった。それどころか、あなたをあんな危険な目に遭わせてしまった」
「そんなことありません」
エレナが必死に返すが、シルヴィアは有無を言わせなかった。
「あなた、あの時、首に傷ができたでしょう」
エレナはハッとする。今まで忘れていたが、首に手をあてると、小さな傷は確かに、まだそこにあった。
シルヴィアの目から、再び止めどない涙があふれる。
「連れてってと言ったのは私だわ。全部私のせいなの。こんなの王女失格だわ。エレナ、本当にごめんなさい」
エレナはシルヴィアの目を見た。
「姫様、わたしはそんなこと思ってませんよ。それに、首の傷も今まで忘れていたくらいです。きっとすぐに治りますよ」
シルヴィアはまだ信じていないようだった。
「本当に、許してくれるの?」
「そもそも、怒ってなんかいません。わたしは姫様が無事で、嬉しいんです」
守ることができて、本当に良かった。
こうして顔を見ていると、改めて喜びが湧き上がってくる。
「またたくさん、おしゃべりをしましょう」
エレナは微笑んでみせた。ナイフをつきつけられた時のような、偽りの笑みではない。
心からの笑みだった。
シルヴィアの目に輝きが戻って来る。彼女はやっと微笑み返した。
「私達、ずっとお友達よ」
二人は笑って、手を取り合った。




