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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第二章 小さな冒険と英雄の伝説
19/85

貴族と詩人


 初めて見る舞台に、シルヴィアが目を輝かせた。

「すごい……」

 エレナも劇を見るのは初めてだ。事実、煌びやかな光景に見とれてしまっている。


 音楽は一層高らかに響き渡った。

 上手から一人の男がやってくる。その服は、金糸で縁取られた豪華なものだ。

 彼はどうやら金持ちの貴族役らしい。

 朗々と台詞(せりふ)を喋り始める。


「向こうに見えるは、貧しい娘。

生まれも名もない、哀れな娘。

けれど私は愛してみせよう。

すべてを捧ぐと誓えるほどに」


 下手から美しい女が現れた。濡れるような黒髪に、黒曜石の瞳だ。

 アンセルモが、声にならない声をあげた。トニーが頷く。

 少女達にも分かった。


――――あれが、ダイアだ。


 アンセルモが身をかがめ、トニーに囁いた。

「お前、あれが見えるな? ダイアはやっぱりここにいたんだ。俺はチャンスを待ってひと騒動起こす。だからお前は、団長達を呼んできてくれ」

「わかった」

 トニーは小さく返すと、穴を通り、静かに地下通路へと戻って行った。



 大きな広間に、ダイアの声は美しく響き渡る。

「私は何も持ち得ない。

生まれも名前も愛すらも。

もしも誰かがくれるのならば

お返ししましょう、この心。

これが私の愛の証」


 下手から、もう一人の男が現れる。やけに貧相な恰好だ。金と茶の混じったような長い髪は、灰色のチュニックによく映えた。


「ライアンだ」

 アンセルモが、驚いたように舞台を見つめる。

「どうしてここに…」


 動けないでいる彼に、エレナがすかさず聞いた。

「あの人、知り合いなの?」

「ああ、一緒に組んだことがある。あいつ、いつか世界に賞賛される役者になるって言ってたのに、なんで……」


 ライアン扮する男が言った。

「私は名もない貧しい詩人。けれどもあなたに送りましょう。

愛の賛歌を。喜びの(うた)を。

それが私の命の叫び」


 女は貴族も詩人も選ばなかった。

 貧しいなりに、生きるだけで精一杯だったのだ。

 肩を落とした男たちは、舞台の袖へとはけていく。


 そんな風にして、劇はどんどん進んで行った。

 ある時女は金を盗まれ、家賃も払えなくなってしまう。

 家を無くした女は路頭に迷い、とうとう倒れてしまった。

 たまたま通りがかった詩人が、慌てて彼女に駆け寄る。


 エレナとシルヴィアはもう、一言も話さなかった。劇に見入っていたと言った方がいいかもしれない。

 ただ、アンセルモだけが拳を握り、舞台を睨んでいる。



 心配して抱きしめる詩人に、女が謳うように言う。

 自分は貧しい身の上で、貯めた金も盗まれたと。

 食べ物すらも底をつき、もうすぐ死の床へ行くのだと。


 (こうべ)を垂れる女を、詩人が慰める。彼は女を元気づけようと、詩を謳い始めた。

 喉を震わせて奏でる旋律。

 詩人は胸も張り裂けんばかりの勢いで、女に愛を捧げる。



 少女達は既に、役者達の作った世界に入ってしまっていた。

 美しい歌声に胸を焦がし、食い入るように舞台を見つめている。

 二人とも誰かを思い出しているように見えた。

 アンセルモはため息をつく。彼は少女達の抱える事情など知らないのだ。


 長い詩が終わり、詩人は手を差し出した。

 頷くだろうと思われた女は、しかし、それを拒んだのだ。 

 あなたの歌声は素敵だが、詩は飢えを満たさない、と。

 


 そこで、現れた貴族が言った。

 地位も名誉も、すべてをあなたに捧げよう。

 だからこの愛を受け取ってくれと。



 女が駆け寄る。音楽が高らかに鳴り響き、貴族は一層、テノールを響かせた。

 エレナはあっけにとられた。

 これは要するに、金のあるものが勝つ、という話なのだ。


「ひどすぎる。幼稚な脚本だ」

 見るに堪えないと言った様子で、アンセルモが呟く。

「トラヴィスが書かせたんだ。そうに決まってる」

 見上げれば、彼の目はらんらんと光っていた。今度こそ飛び出しそうだ。

 ダイアは確かに見つかったが、今飛び出してはまずいのではないか。

 エレナは気が気ではない。



 劇は最後の場面に達していた。振られた詩人が女を見つめる。

「私は貧しく悲しい詩人。

あなたへの愛はあまりに深く

振り向くことさえ拒まれたなら

一人溺れてしまうだろう

溺れたそれは息すらできず

砕けて破片も残らない」


 女は貴族によりそい、詩人を冷たく見返した。


「捧げる心の行く手には

愛しいこの方ただ一人

流れる詩は……」

 そこでやめてしまった。


「どうした? セリフを忘れたのか?」

 呆気にとられるトラヴィスの目を、ダイアは平然と見つめた。

「いいえ、歌いたくないのです」

 辺りがしん、と静まり返った。


「どういうことだ!」

 トラヴィスが怒鳴った。

 ダイアがわななく唇で答える。

「貴族様に従う歌はまだしも、こんな……こんな歌、歌いたくありません」

「何だと?」

「これを歌えば、私は仲間を裏切ることになります」

 アンセルモが息を呑んだ。


「ふざけるな!」

 トラヴィスの怒った声が響き渡る。隠れていても、真っ赤な顔が見えた。

「貴様、なんの分際で、そんなことを」

 トラヴィスが椅子から立ち上がり、舞台へ近づいていく。

 それでもダイアは、気丈に言い返した。

「私は望んでここにいる訳ではありません。あなたが連れてきたんです。仲間のところへ返して下さい」

「黙れ!!」


 トラヴィスは階段をあがり、いよいよダイアに近寄った。

「貧しい劇団で働いているお前を見かねて、ここへ連れてきてやったんだ。

うまい食事も、きちんとした寝床も、すべて用意やってるじゃないか! 何が不満だ!」

「ここのすべてよ!」

 ダイアが叫んだ。舞台にいた一同が、ハッと息を呑む。

「それでは家へ返してやろう! 二目(ふため)と見れない姿でな!」

 トラヴィスがその頬を殴ろうと、腕を振り上げた。




 しかし、それが振り下ろされることはなかった。

「貴様、何の真似だ!」

 怒鳴り声が空気を散らす。


 ダイアの前に立ちふさがった青年は、ただ笑みを浮かべた。

 その手はトラヴィスの腕を、しっかりと押さえつけている。


「アンセルモ!」

「貴様は、さっきの!」

 激昂したトラヴィスは、真っ赤に熟れた果実のようだ。

 アンセルモは怯える様子もない。

「やっぱりお前がダイアを攫ったんだ。彼女は返してもらうぞ」

 様子を見ていた少女達は、隠れたまま息を詰めた。

 

 舞台の上は、今や静まり返っている。

 エレナは、ダイアの目が輝いているのを見た。

「迎えに来てくれたのね」

「当然だ」

 彼らは恋人同士のように目配せする。

 主役は今や、アンセルモだった。

「俺はダイアを連れて帰る。そこをどけ」

「何だと?」

「嫌なら力づくでどかせるまでだ」

 アンセルモが不敵に笑う。ところが、トラヴィスは慌てるどころか、にやりと笑い返した。

「この青二才が。これで勝ったと思っているのか?」

 そう言うなり、叫んだ。

「侵入者だ! お前たち、出てこい!」


 どこから現れたのだろう。五人のたくましい男たちが、あっという間に青年を取り囲んだ。

 トラヴィスはいざというときのために、用心棒を用意していたのだ。

「アンセルモ!」

 ダイアは彼から引きはがされ、あげく突き飛ばされた。

「ダイア、大丈夫か」

 倒れ込んだダイアに、舞台にいた音楽家や役者が集まる。

 その間も、アンセルモは舞台から引きずり降ろされていく。あのまま見せしめに殴る気だ。

 顔をあげたダイアは、必死に役者達を見つめる。

「皆、わたしのことはいいから、彼を助けて」

 しかし、彼らは首を横に振った。

「何よ、悔しくないの!? こんな劇をやらされて!」

 ダイアがいきり立ったが、詩人役のライアンが力なく言った。

「トラヴィスに歯向かって、前の劇団に戻るつもりか? 聞けば、エイブル・ホーリエは未だ貧乏暮らしだそうじゃないか」

 でも、と言おうとするダイアを、ライアンは(さえぎ)った。

「俺だって昔は夢を見ていたさ。でもよく考えてみろ。雨が降れば、その日は無一文だ。何年も夢を追い続ければ、野垂死にすることは分かってる。だったらこうして、ここにいるのが、一番いいんだ」

 最後の言葉は、自分に言い聞かせるようだった。

 ダイアが何とか言い返そうとしたとき、トラヴィスの声が響いて来た。

「安心しろ。殺しはしない、ただちょっとその顔を変えてやるだけさ」

 見れば、アンセルモは舞台の下、男たちに囲まれて動けないでいた。

「やれ!」

 トラヴィスの声が響く。男たちが、一斉に殴りかかった。


「アンセルモ!」

 叫んだダイアの声は、悲鳴に近かった。



 舞台の陰で、エレナとシルヴィアはその光景を見ていた。

「ひどいわ……なんてことを」

 シルヴィアは信じられないというように口を覆った。

「私、彼らを止めに行くわ」

 そのまま立ち上がろうとしたが、エレナは許さなかった。王女の腕を掴み、青い瞳を真っ直ぐに見つめる。

「わたしが行きます。姫様はここに居て下さい。自分の身には責任を持つと約束したはずです」

「私が行けば止められるわ。ここで姫と名乗り出れば、トラヴィスも命令を聞くかもしれない」

「本気でそんな事をお思いなんですか!?」

 シルヴィアの考えに、エレナは思わず声を荒げてしまった。

「あの男は、誘拐したことも知らない振りをして、適当な理由でアンセルモを殴らせているんですよ。出て行ったところで、一緒に捕まるだけです」


――――ああもう。こんなことしてる場合じゃないのに.


 そう思うエレナをよそに、シルヴィアが怒ったように言う。

「それじゃあ、あなたはどうだって言うの!? あなたが出たところで、私と大して変わらないわ。それなら、私も行く」

 エレナはうっ、と喉を詰まらせた。実際、自分もシルヴィアと大して変わらない。ちっぽけな小娘が出て行ったところで、何もできるはずがない。

 それでも、黙って見ているわけにはいかないのだ。本当はこんな押し問答なんかしていないで、すぐにでも飛び出したい。


 その間にも、様々な思いが怒涛のようによぎっては消えていく。

 こんなの幼い頃、考えなしに飛び出したのと同じことじゃないか。

 それなら、今にも走り出しそうな一国の姫を、ここで押さえつけておいた方がいいのか。

 エレナが唇をかんだ、その時。


「アンセルモ、助けに来たよ!」

 トニーが叫んで、穴から出てきた。

 二人は安堵のため息をつく。

 後ろから、今朝見た二人の団員が続く。

 ほっとして立ち上がろうとしたエレナを、シルヴィアが引き留めた。

「ちょっと待って、今出たらまずいわ」

 トニーの後ろに続くのは、団員達だけではない。さらに後方からぞろぞろと、たくさんの男たちが入って来る。

 シルヴィアはその光景を見たまま、茫然と呟いた。

「あれ、王宮騎士団よ」

 エレナは目を見張る。暗がりでよく見えなかったが、確かに彼らは、騎士の象徴である青い服を着こんでいたのだ。

  


 

 先頭の騎士が、舞台を見て一喝する。

「これは一体、どういうことだ!」

 振り返ったトラヴィスは、びくりと肩を揺らした。



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