豪邸の秘密
四人はトラヴィスの屋敷へ向かった。
作戦はこうだ。
落し物を見つけたふりをして、屋敷に入る。そして、手袋を差し出すのだ。もしトラヴィスが受け取れば、彼はあの通りにいたことになる。
後は彼を問いただして、屋敷を探し回ればいい。
トラヴィスの屋敷は町のはずれにあり、広い敷地に立派な建物がそびえていた。いわゆる豪邸である。
門番に事情を話すと、手袋は渡しておくから帰っていいと告げられた。四人は何とか食い下がる。押し問答を続けた後、困り果てた門番に、中へと通してもらうことに成功した。
「君達か、落し物を届けにきたのは」
広い部屋の中で、トラヴィスがおもむろに言った。ソファにこしかけ、並んで立っている四人をじろじろと見ている。
「一人で良かったのに、褒美でも欲しかったのか?」
そんな訳ないでしょ、と言おうとしたシルヴィアを、エレナが止める。
アンセルモが落ち着いて手袋を差し出した。
「これは、あなたのですか」
「ああそうだ。これはどうも」
四人は顔を見合わせる。
ダイアを攫ったのは、この男だ。
「なんだ、もう帰っていいぞ。やはり褒美が欲しいのか」
「そんな訳ないでしょう!」
今度こそ、シルヴィアが言い放った。
「何? お前、誰に向かって物を言ってるんだ」
トラヴィスがシルヴィアを睨んだ。間に割って入ったのは、アンセルモだ。
「失礼ですがトラヴィス様、我々はこの手袋を、とある通りで見つけたのですよ」
「それがなんだ?」
「こちらにいる少年が、その通りで人が連れて行かれるのを、見たのです」
睨みの矛先が、少年へと変わる。
「ほう?」
トニーは緊張した面持ちで言った。
「そ、そうだよ。僕は見たんだ。馬車の傍で、大きな荷物を持った人たちが話していた。あの人たちは、あなたから礼金をはずんでもらったと言っていたんだ!」
「それはそれは」
トラヴィスに動じる様子はない。それどころか、一層強く少年を睨みつける。
「確かに以前、新しい長机を馬車で運ばせたことはあったが。それが何か?」
少年はうっ、と悔しそうに喉をつまらせた。
「とぼけないで!」
叫んだのはエレナだ。彼女も庶民の一人である。貴族にこんな口を聞くのが許されないのは分かっていたし、普段から気を付けていた。
それでも、今の会話を聞いて、我慢できなくなってしまったのだ。
「二日前に、女性が一人行方不明になっているのよ! トニーはちょうどその時間帯に、あなたの仲間を見ているの! ダイアさんをどこに隠したの!?」
「勝手な言いがかりをつけるな!」
トラヴィスが癇癪を起こした。
「わたしが女性を攫うだと!? ふざけたことを言うな!」
あんまり迫力があったので、エレナは言い返せなくなってしまった。
「大体なんだ!そこに手袋が落ちているだけで、なぜわたしが犯人呼ばわりされなきゃならんのだ!」
「それはあんたが攫ったからに決まってるだろ!」
見かねたアンセルモが、怒りを露わにした。二人は言い合いを始め、ついに大喧嘩へと発展していく。
残った三人はその迫力に負けて、ただ見ていることしかできなかったが、最後には四人そろって屋敷から追い出されてしまった。
「なんなんだあのくそおやじ!」
屋敷から、少し離れた木陰の下。アンセルモの怒鳴り声が響き渡った。
エレナとトニーは何とか彼をなだめようとしていたが、シルヴィアはくそおやじの意味が分からないらしく、首を傾げている。
「それにしても困ったわね」
エレナが力なく言った。
「あんな風に言い返されるなんて、思わなかった」
「僕もだよ」
トニーが肩を落とす。
「正直に荷物を見たなんて言わなきゃ良かったんだ。人を攫うのを見たって言えば……。
あああ、いつも僕、こういう肝心なところが駄目なんだ」
その肩に、シルヴィアが静かに手を置いた。
「そんなことないわ。あなたがその現場を見なかったら、私たち、今も路地裏で手がかりを探してるはずよ」
今まで、事が順調に運びすぎたのだ。証拠の手袋が見つかったこと自体、奇跡と言っていい。今更になって、エレナはそれを実感した。
「何にせよ、あいつが犯人なことに間違いはない」
アンセルモが気を取り戻したように言った。
「ダイアは絶対、あいつの屋敷にいるんだ」
「でも、正面から入って駄目なら、もう方法はないんじゃ……」
トニーが悔しそうに言ったが、アンセルモはめげなかった。
「あるよ。正面が駄目ならから別の場所から入ればいい」
「え!? それって不法侵入だよね?」
「ああ。見つかったら捕まるのは分かってる。お前たちは来なくていいよ」
どうやら本気のようだ。
「そ、それなら、僕も行くよ!」
トニーが声をあげる。アンセルモは優しく笑った。
「無理しなくていいって」
「違うんだ。僕もダイアを助けたいんだよ」
「私も行かせて」
シルヴィアが力強く続ける。
「この国で何が起こっているのか、確かめたいの」
アンセルモが不思議そうな顔をした。
「なんだお前、貴族とは聞いていたけど、よその国から来たのか?」
「え、ええと」
シルヴィアが口ごもり、エレナは慌てた。しかし、男は気に留めなかったようだ。
「なんでもいいけど、俺はお前たち全員を守れるか分からないぞ」
じっとシルヴィアを見つめる。
「俺は音楽一座エイブル・ホーリエを、一番大事に思ってる。お前がどこの貴族かは知らないが、危険が迫ったら、団員であるトニーやダイアを真っ先に助けるだろう。申し訳ないが、その時なにがあっても、責任はとれない」
「迷惑、かしら」
「迷惑だなんて思ってない。でもついて来るなら、自分の身には自分で責任を持ってほしいんだ」
アンセルモの声は、静かに重く、心に響いた。
行かせることはできない、とエレナは思った。
時間の問題はもういい。とっくに昼食を過ぎているのだから、いつ帰ったところで罰を受けるに決まっている。
問題は、姫の身の安全だ。
自分の身なら、なんとか守れる。
けれどシルヴィアは、外に出たことすら初めてなのだ。彼女が自分自身を守れるはずはなかった。それなら、エレナが守るしかない。
けれど、剣も弓も使えない小娘に何が出来るのだろう。
シルヴィアは一国の王女だ。彼女に何かあってからでは遅い。
連れ戻すべきだ。
今すぐ。
シルヴィアが声をあげた。
「分かった。自分の身は、自分で責任を持つわ」
それはアンセルモに対する答えだったが、エレナは咄嗟に言い放った。
「駄目です!」
三人が驚いて振り返る。
「ひめ……シルヴィ様は、ご自身で身を守れますか?」
「エレナ」
「わたしは、あなたを守らなければならないんです。行かせることはできません」
苦しかったが、なんとか言いきった。
シルヴィアは静かに目を閉じて、再び開けると、エレナを見つめた。
「私はね、自分の立場を理解しているし、捕まるような行為は、軽率にできないと思っているわ」
その声は凛としていた。
「でもね、そうやって何もせず部屋に閉じこもっていたら、この国のことを知ることはできない。たった数時間だけど、今この国を始めて見て私は何も知らないと分かった。それはとても愚かだなって思ったのよ」
その青い瞳は、不思議なほど落ち着いている。
「第一、あなたが思ってるほど私の価値は大きくないわ。お兄様だって私のことを嫌っているし、もしかしたら消したいと思っているかもしれない。
私がいなくなっても誰もあなたを責めないわ。だから私は、私に責任が持てるの」
「そんな……」
エレナは何も答えられなかった。シルヴィアがこんなことを言うのは初めてだ。
そんな思いをずっと秘めてきたのかもしれないと思うと、彼女への悲しみと、気付かなかった自分への苛立ちで、胸が押しつぶされそうになる。
「そんな顔をしないで。もし私を喜ばせたいと思ってくれるなら、行かせてちょうだい。何も知らないでいるのは、もう嫌なの」
その目は、決意に満ちていた。
「……それでは、約束して下さい」
エレナは言った。
「他の人がどうであろうと、わたしはあなたを大事に思っています」
瞳を揺らすシルヴィアを、エレナは真っ直ぐに見つめる。
「傷つくことがあったら、絶対に許しません。その責任が取れるのなら、行くのを許します」
シルヴィアは静かにため息をついたが、その顔はどこか嬉しそうだった。
「分かったわ。絶対に、あなたを悲しませるようなことはしない」
その言葉を聞いて、エレナはやっと、小さく息をついた。
「それで、二人とも行く事になったわけ?あんたら、もしかして、偉い人?」
一部始終を見ていたアンセルモが言った。シルヴィアは冷静に答える。
「気にする必要はないわ。今は、ダイアさんを探さなければ」
彼女の目は真っ直ぐ、トラヴィスの屋敷を見つめていた。
*
コツコツ、と暗闇に響く足音。真っ暗な近道に、灯りが点々とついている。
四人は今、地下通路にいた。
「本当に、中につながっているのかな」
「そのはずだ。これだけ広い屋敷だと、それだけ隙もできるというもんだ。裏道があってもおかしくないさ」
ハルシュトラールは三百年前、唯一「魔」の襲撃に耐えた国だ。当時の建物は城の他にも幾つか残っており、トラヴィスの屋敷もそうだった。
アンセルモはそこに目をつけたのだ。
戦がある時代に建てられたなら、逃亡用として使われた地下通路が残っているだろう、と。
一行はその考えに従い、屋敷の裏側にある古びた地下通路に入ることにしたのだが、なんとも薄気味悪い場所だった。
肩を縮めて歩く王女をよそに、アンセルモはほくそ笑んでいる。
「俺の考えはきっと間違ってない。うまく辿れば屋敷のどこかに出るはずだ」
エレナはふと、彼に聞いた。
「ねえ、もしも出たところが全然違うところだったり、警備兵の目の前だったらどうするの?」
「どうもしないよ。ここは入り組んでるから、間違えたらまた戻って道を探せばいい。危険なところに出たら、力づくで突破する」
シルヴィアが目を見開いた。
「力づく?」
「貴族のお嬢様には、ちょっと見苦しいかもしれないな。」
アンセルモが笑う。
「どうせ捕まったら、もうダイアには会えないんだ。――それならどんな手を使ってでも、彼女を助ける」
エレナはその言葉にはっとした。
――――絶対に助けるから。
幼い頃、少年にかけた言葉が蘇る。
受け取ってもらえず、自分でも果たせなかった約束。
自分は今、同じような状況にいるのだ。同じことは繰り返したくない。
気付かず手を握りしめていた。
*
やがて一行は、地下通路の最奥に行き当たった。
通路を示すように、円形の扉が取り付けてある。押したり引いたりしてみても全く開かない。
考え込んでいるうち、トニーが何かに気づいたように声をあげた。
「そういえばこれ、見たことある。昔、貴族の屋敷の隠し部屋にあったんだ。回転させたら、中にお金が入ってた」
そう言って、慌てて口を噤んだ。エレナは目を丸くする。
「もしかして盗んだの?」
トニーは肩を竦め、真面目な声で言う。
「取り返しただけさ。あの貴族、うちの一座が無断で興行したとか難癖つけて、稼いだお金を根こそぎ奪ったんだ」
「ああ、あれか。懐かしいな」
笑うアンセルモを見て、シルヴィアが目を瞬いた。そんな彼女に、男は優しく声をかける。
「誤解しないでくれよ。俺達はあんたみたいな貴族を狙ってる訳じゃない。不当に盗まれた物を取り返しただけ。今回もそうさ」
そう言うと、不意に目を鋭くさせた。
「ダイアもそう。必ず、取り返してやる」
回転させた扉はゆっくりと開き、丸い穴のような出口が現れた。
穴の先は広い空間のようだ。薄暗かったが、かすかに光が差し込んでいる。
ようやく屋敷の内部に辿り着いたのだ。
それぞれが歓声をあげたくなったが、誰もがそれを押し殺した。
「いいか、この先は小さな声で話すんだ。どこに通じてるか分からないからな」
アンセルモが囁くと、シルヴィアが胸を抑えて頷いた。
トニーを先頭に通路を抜ける。着いたのは、がらんとした大きな広間だった。
四人は暗がりの中に潜み、ゆっくりと辺りを見回す。
左側が明るい。よく見ると、劇場のような舞台があり、幕が張られている。その幕の隙間から、光が漏れているのだった。
光はうっすらと伸びて、部屋の中央の、たった一つの椅子を照らし出している。
そこに座っている、太った男の顔も。
「っ……!」
シルヴィアが息を呑む。
どっかりと腰かけているのは、トラヴィスその人だった。
トニーが声音を低くし、小さく囁く。
「あいつ、何してるんだろう。ねえ、どうするアンセルモ」
「決まってるだろう。捕まえて居場所を吐かせるんだ。今あいつは一人だし、この暗闇ならきっと」
「だめよ」
今にも飛び出しそうな彼を、エレナが引っ張った。
この男は、さっきまで冷静に案内をしていたのに、トラヴィスを見た途端、それも吹っ飛んでしまったようだ。それだけダイアのことを気にかけているのだろうが、これでは彼女を助けられない、とエレナは直感した。
「落ち着いて。今行ったら正面から入った時と同じよ。捕まって放り出されてしまうわ」
幼いあの日、エレナは少年を助けようと、彼のもとへ走った。
そのことを思い出すたび、後悔していたのだ。
あの時、もっときちんと考えて行動していれば。
事前に鍵を盗んで、逃げ道を確保していれば。
「お願い、アンセルモ」
引き留める腕に力がこもる。
「私たちはまだダイアさんの居場所も知らないのよ。ここに来た意味をよく考えて」
アンセルモが、力を抜くのが分かった。
「……そうだったな。ごめん、少し冷静になるよ」
エレナがほっと息をついた時、舞台から音楽が響き始めた。
「わ?何!?」
トニーが驚いて大きな声をあげてしまう。慌てて口元を抑えるが、トラヴィスが気づいた気配はない。大きな音楽にかき消されて、聞こえなかったようだ。
三人も少し声の大きさをあげる。
「びっくりしたわね。この音、舞台から流れてきてるわ」
「シルヴィ様、あまり身を乗り出さないでください」
「この音楽に舞台……劇でもやるつもりなのか?」
アンセルモは一人で首を傾げる。
「なら、なぜ観客がトラヴィスだけなんだ」
そうこうしているうちに、幕が上がった。
暗かった広間に、一気に光が流れ込む。
四人の顔もうっすらと照らされ、トラヴィスが横を向けば気付かれてしまいそうだ。しかし当の本人は舞台に夢中で、振り向く様子もない。
舞台の上には、様々な音楽家や役者がいた。豪華な衣装に身を包み、照明が当たるたびに輝く様は、一つの絵画のようだ。
リュートやハープが奏でられ、役者が口上を述べる。
そうして、劇は始まった。