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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第二章 小さな冒険と英雄の伝説
17/85

さらわれた女優


 あれから三日後、二人は何とか城を脱出することに成功した。

 王族なら部屋を抜け出すのも難しいことだが、今回は側近たちの無関心が幸を成したと言える。彼らは主人を好んでおらず、必要な時以外はあまり傍についていなかったのだ。

 部屋の見張りが交代する隙をつけば、変装した二人が城を出るのは、難しいことではなかった。



 見たことのないような人の群れ。店主のかけ声に、酒場から漏れる笑い声。

 侍女の服を着て、ローブに身を包んだ二人は、手をつないで城下町を歩いていた。

 エレナは時々ここで買い物をすることはあったが、シルヴィアは全く外に出たことはなかった。エレナの手を握りしめ、こわごわと辺りの様子を伺っている。


「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。この町は優しい人がほとんどですから」

 エレナはそう返しながら、実のところ、不安でいっぱいだった。一人の時は不安も抱かず町を回れるが、今は一国の姫を連れているのだ。

「まあ、あれ見て! かぼちゃって、あんなに大きいものもあるのね」

 その目線の先には、馬車の車輪程のかぼちゃが、とんでもない値段で売られていた。

 シルヴィアが楽しそうに笑う。エレナはその横顔を見るたび、罪悪感とともに連れてきて良かったという気持ちが沸き起こり、何とも言えない気分になるのだった。


「エレナ?どうしたの?」

 黙ったままのエレナに、シルヴィアが顔を曇らせる。

「やっぱり、無理を言ってしまったかしら」

「そんなことはありません!」

 慌ててエレナは答える。

 そうだ、自分はこの人を楽しませたいと思って連れてきたのだ。彼女に心配されては意味がない。

 道行く人に聞き込んで、なんとか音楽一座の居場所をつきとめると、シルヴィアを連れてその場所へ向かった。



 教えられたのは町の広場だった。石畳が円形に敷きつめられ、中央では英雄アシオンの像が、金の弓矢をつがえて立っている。

 その向こうに、確かに劇団の舞台があり、幕が張られていた。

 しかし楽しげな様子はなく、見物人もいなければ音楽が流れる気配もない。

 舞台の脇に三人の男が集まって、沈んだ顔で話し込んでいた。

 

 今日はやっていないのかもしれない。

 エレナはそう思ったが、ここまで来たんだから、とシルヴィアの手を引いて、その人達に近づいた。

「すみません、今日はこの劇団お休みですか?」

 声をかけると、三人が顔をあげた。一番若い男が、不機嫌そうに答える。

「ああそうだ。公演はお休みだよ」

 二人は顔を見合わせてがっかりする。それでもエレナは、諦めずに尋ねた。

「それなら、次の公演はいつですか?」

 シルヴィアに、何としてでも見せてやりたかったのだ。


 ところが、返ってきたのは怒鳴り声だった。

「知るか! ダイアがいない限り、俺たちは公演できないんだから!」

 二人はびっくりして縮こまった。

「よせよアンセルモ。お嬢さん達が怖がってるじゃねえか」

「そうだよ、この子たちに当たり散らすのはよくないぜ」

 彼の両脇にいた太った男とのっぽの男が、それぞれ取り押さえ、なだめ始める。

 少女たちは茫然と、その光景を見ていた。

「悪いね。こいつ今、ちょっと荒れてて」

 太った男が言う。

 エレナは静かに男達を見た。

 何かあったんだろうか。


 と、突然声があがった。

「お察しの通りさ! 問題が発生したんだよ。こんなふざけたこと一体誰が!」

 答えたのはアンセルモと呼ばれた男だった。燃えるような黒髪に、怒りに満ちた目をしている。エレナはそれを見て、ふとクリスを思い出した。

 目の色が違う、と思いながら密かにがっかりする。

 そんなエレナをよそに、アンセルモは怒鳴り続ける。

「ダイアは人気のある女優だった! みんな彼女に憧れて、みんな彼女が好きだった! あの子は誰かに(さら)われたんだ! 彼女がいなければ、舞台は完成しないのに!」

 それだけ言うと、息をついて項垂(うなだ)れた。


「こいつの言う通りだよ」

 隣ののっぽが言った。

「ダイアはいつだって、このエイブル・ホーリエの花形スターだった。身内で言うのもなんだが、あの子の演じるエマニエルは、大陸一だと思うよ。

―――――でも、彼女は二日前に攫われた。その日はここへ来て初めての公演だったんだ。成功を祝って俺たちの酒を買いに行くと言ってね、それっきりさ」

 そう言って、悲しそうに目をふせた。

 エレナの横からシルヴィアが顔を出す。

「どうして(さら)われたって分かるの? もしかしたら、熱を出して倒れているだけかもしれないわ」

「彼女が帰って来なくて、俺たちはあちこちを探し回ったんだよ。酒場のおかみは、確かに酒を売ったと言っていた。そして、少し離れた路地裏で、その瓶が割れていた。あの子は確かに連れ去られたんだよ」

 のっぽの男はそれっきり、黙ってしまった。


「さあ、もう今日は帰った帰った」

 ぱんぱん、と太った男が手を叩く。

「公演はしばらく中止だ」

 二人は何か言いたかったが、結局口を(つぐ)み、しょんぼりと家路へ戻った。



 劇場のあった広間を抜け、とぼとぼと通りを歩く。

 シルヴィアは何も言わないものの、肩を落としていた。

 その姿を見て、エレナは申し訳なくなる。

――――どうにか元気づけて差し上げなくちゃ。


 何か食べ物でも買おうか、と辺りを見回すと、その拍子に強い視線を感じた。はっとして振り返れば、何かが素早く物陰に隠れた。心臓が早鐘を打ち始める。

 

 エレナは平静を装い、シルヴィアにそっと告げた。

「姫様、もう少し急ぎましょう」

 王女を怖がらせないよう、それだけ言って歩みを早める。

「どうかしたの?」

 なんでもありません、と言いたかったが、立ち並ぶ屋台の陰を縫って、黒い影が見えた。

 明らかに自分達を追っている。

 焦りと恐怖がじわじわと這い上がって来る。エレナはもう、笑いかける余裕もなかった。

「姫様、私達誰かに追いかけられています」

「えっ」

「……走ってください!」

 言うなり、シルヴィアの手を引いて駈け出した。

 エレナは走りには自信があったが、シルヴィアは慣れてすらいない。全速力という訳には行かなかった。

 人々の合間を縫って、二人は走る。

 それを追うように、露店の後ろで動く影。


 怖い。

 エレナは歯を食いしばった。

 怖いけれど、絶対にこの手だけは離せない。


 二人は息を切らし、左の通路に逃げこもうとした。

 ところがその時、行き交う人の間からにゅっと腕が伸びてきて、シルヴィアの手首をつかんだのだ。

「きゃあっ」

 シルヴィアが悲鳴をあげる。

「姫様!」

 エレナは思わず、空いた方の手でかばんを掴むと、腕の主をひっぱたいた。


「いってえ!」

 捕まれた手首が、離される。

 シルヴィアは慌ててエレナの後ろに隠れ、エレナは彼女をかばって立ちふさがった。


 現れたのは、一人の少年だった。

 少年と言っても、エレナと同じ年頃だ。日に焼けた肌に、そばかすを散りばめている。

 その明るい色の瞳を、エレナは睨みつけた。

「あなた誰? この人に何するつもりだったの!?」

「そう睨まないでよ。驚かせたみたいで、ごめん」

 少年はおずおずと言った。

「怖がらせるつもりはなかったんだ」


 二人は顔を見合わせた。

 エレナの後ろで、シルヴィアがこわごわと尋ねる。

「あなたは誰なの?」

「僕はトニー。音楽一座で裏方をやってるんだ」

「音楽一座ってさっきの?」

 身を乗り出したシルヴィアを、エレナが制した。

「それで、どうしてこそこそ追いかけてたの?」

「ええっと、君達、さっきうちの劇団に来てただろう? 団長に追い返されてたけど力になってくれそうな気がして、ついこっそり後をつけたんだ。そしたらこんなことに……」

「そうだったのね」

 エレナはほっとした。

「ごめん、きちんと最初から話しかければ良かった」

 へらっと笑うトニーを見て、緊張がとけていくのが分かる。

 シルヴィアも後ろからひょいと顔を出した。

「でも、力になるってどういうこと?」

 その言葉を聞いて、トニーは突然真顔になった。

「実は僕、犯人を見たんだ」



 トニーはあの夜、なかなか帰らないダイアを心配して、探しに出かけたのだそうだ。その途中、薄暗い通りで、馬車の近くで話す二人の男を見たという。

「間に合ったな。待ち合わせまであと少しだ」

「ああ。トラヴィス様も礼金ははずむって言ってたし、終わったら毎日酒場びたりだ。」

 そう言って、大きな荷物を、馬車に運びこんでいたのだ。

――――でかいなあ。まるで人間みたいだ。


 薄気味悪くなって、別の道を探そうかと考え始め時、

「そこにいるのは誰だ!」

 男達が怒鳴った。

 びっくりして見上げると、彼らはこちらに走ってくるところだった。

 トニーは怖くなって逃げてしまったのだという。


「あれはきっとダイアだったんだ。僕がちゃんと気付いてやれば……」

 トニーは苦しそうに言った。


「でも、トラヴィスって名前を聞いたんでしょ? さっきの団員の人たちなら、きっとすぐに連れ戻せるわ」

 体格の良い三人を思い出し、エレナが元気づける。

「それが駄目なんだ。団長やニール…あの背の高い人に伝えたんだけど、『アンセルモには黙ってろ』って言われちゃった」

「どういうこと?」

 トニーは目を伏せて続けた。

「トラヴィスは一度うちの劇団にも来たんだよ。ダイアを専属の歌姫にしたいから、引き取らせてくれってね。

高い礼金を差し出されたけど、もちろんウチは断った。だから無理やり、奪いに来たんだろう。団長達もそれは分かってるんだ」

 思い出すように遠くを見ながら、トニーは続ける。

「だけど団長もニールも黙認するつもりだ。トラヴィスって、この国の有名な貴族らしいんだよ。この町の権力も彼が握ってるし、反抗したら目の敵にされて、公演の停止命令も出さるだろうって。

そんなことになるくらいなら、ダイアは諦めて、新しい女優を探すべきだって言うんだ」

「そんなのおかしいわ!」

 シルヴィアが叫んだ。

「この国はお兄様が治め…」

 最後まで言う事はできなかった。エレナが慌ててその口をふさいだからだ。

「駄目ですよ。黙って城を抜け出してきてるんですから」

 シルヴィアだけに聞こえるよう、小声で話す。

「わたしはともかく、姫様は正体がばれちゃまずいんです」

 こくこくとシルヴィアが頷く。エレナはほっとして手を離した。


「そういえば、君たち、名前は?」

 やりとりを見ていたトニーが、不思議そうに聞いた。二人は固まる。

 なんとかエレナが口を開いた。

「私はエレナ。こちらは、シルヴィ……シルヴィって言うの!」

「ふーん」

 まじまじと二人を見る。

「さっき、敬語使ってなかった?」

「え、ええと」

 エレナは目を泳がせた。

 敬語をやめるのは難しい。だとすると、どう嘘をつけばいいのだろうか。

「ひめさ…シルヴィ様は、私の主人で、貴族のご令嬢なの。それで、今日は町に見物に来ていたの」

 混乱して嘘と本当が混じってしまった。こんなので誤魔化せただろうか、とエレナは心配になる。

「へえ……貴族のご令嬢かあ。道理で走るのが遅いと思ったよ」

 どうやら納得してくれたようだ。ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、今度はシルヴィアが食って掛かった。

「走るのが遅いですって? 私、あなたみたいに口が悪い人は初めて見たわ!」

 トニーは面倒くさそうにシルヴィアを見返す。

「何だよ、ずいぶん偉いところの奴みたいだな。僕は貴族が嫌いなんだ。お前だって、どうせトラヴィスの味方なんだろ。」

 彼は貴族と知った途端、目つきを変えて言った。

「手伝ってくれなくて結構だよ。貴族と知ってたら頼んだりしなかったさ」

 怒っているというよりも、寂しそうな目だ。

 じゃあね、と彼は立ち去ろうとした。


「待って」

 凛とした声が響く。シルヴィアだった。

「言い過ぎたわ、ごめんなさい。……でも、私はそんな人と同じじゃないわ。貴族だけど、誰かを動かすこともできないし、お兄様 だってきっと助けてくれない。だけど、あなたを手伝いたいの」

 シルヴィアがじっと、エレナを見た。

――――お願い、このまま連れて帰らないで。

 その目はそう言っていた。


 エレナがすべきことは、この王女を連れて帰ることだ。危険なことには巻き込むべきではない。

 しかし、それとは裏腹に、彼女の望みをかなえてあげたいと思った。自分でも、この人が誤解されたままなのは嫌だったのだ。


 何より、エレナの心で、遠い記憶が蘇っていた。

 鉄格子の中、燃えるような目をしていた少年。

「お前なんか、信じない」

 彼の言葉は深く心に突き刺さり、消えることはなかった。

 自分は彼を助けられなかった。あの言葉の通りになってしまったのだ。

 今になっても、自分で探すことは許されていない。


 エレナは、シルヴィアの目を見つめた。

 昼食までに帰れば間に合うだろう。少し手伝うことに、何も問題はない。

「……分かりました。探すのを、手伝いましょう」

 身勝手だと思いながら、そう答えずにはいられなかった。

 シルヴィアが嬉しそうに頷く。

 後ろでトニーが、そっと微笑むのが見えた。



 三人はまず、事件に関わりのある場所を調べてみることにした。はっきりした証拠もなしに、トラヴィスの屋敷へ乗り込むのは賢明ではない。

 とりあえず、トニーが馬車を見た通りで手がかりを探すことになった。


 

 通りに向かう途中、エレナはふと声をあげた。

「あれって一座の人じゃない?」

 路地裏に、一人の男が力なく座っている。項垂(うなだ)れた姿は、遠くから見ると石像のようだ。

「アンセルモ!」

 トニーが叫んで、駈け出した。

 石像が、ちらりとこちらを見る。その目は絶望に沈んでいた。

「トニー」

「こんなところで、何してるの?」

「決まってるだろう。手がかりを探してるんだ」

 その声は驚くほど低く、憎しみと悲しみに染まっている。

「残念だけど、ここには何もない」

 言いながら、アンセルモの口調は鋭くなっていく。

「だけど俺は諦めないぞ。エイブル・ホーリエにはダイアが必要なんだ。団長は別の人間を雇うって言ってるけど、冗談じゃねえ。俺は認めない」

「僕もだよ」

 トニーは、追いついた二人に目配せした。

 二人は頷いて見守る。

「アンセルモ。実は僕、犯人を知ってるんだ」

 男の目が、刃のように光った。



「そうか、ここに馬車が止まっていたんだな? そこに彼女がいたと」

 ダイアを探す仲間は、今や四人になっていた。

 トニーが頷いて、目を伏せる。

「ごめんねアンセルモ。僕があの時気付いていたら、助けられたかもしれないのに」

「いいんだよ。お前は団長に止められたのに、その話を教えてくれた」

 アンセルモはトニーの頭を撫でた。その瞳は(かげ)るどころか、光が宿っていた。

「団長達が止める気持ちは分かる。でも相手が誰であろうと、彼女を見過ごすのは納得できないんだ。手がかりが見つかっただけで、十分だよ」

 エレナは二人のやりとりを見ていた。アンセルモは初めて会った時よりも、ずっと表情が柔らいでいる。あの時は怖い人だと思っていたが、普段はきっと、優しい人なのだ。

 この人をあんなに変えてしまうなんて、ダイアはよほど大きな存在なのだな、と密かに思った。


「ちょっと! これを見て!」

 不意に高い声が聞こえた。後ろで地面を見ていたシルヴィアだ。

「ひめ、シルヴィ様、何か見つけたのですか?」

「手袋があったの。あの柱の陰に落ちていたんだけど、ここを見て」

 シルヴィアは絹で出来た茶色い手袋を差し出した。アンセルモとトニーもやってきて、後ろから覗き込む。

 手袋には、小さい文字でトラヴィスと書いてあった。

「これは……」

 アンセルモが声をあげる。

 トニーも嬉々として叫んだ。

「言ったでしょ? やっぱりあの人が犯人だったんだ!」

 それは紛れもなく、トラヴィスを問い詰められる証拠だった。

 

 三人が騒ぎ立てる横で、エレナはそっとシルヴィアを見た。

 シルヴィアは今までと違う種類の笑顔を見せていた。きっと誰かの役に立てたのが嬉しいのだろう。

 これで彼女も満足できただろうか。

 そろそろ昼食の時間だ。もうすぐ侍女が食事を持ってくるだろう。それまでに帰らなければ。

 

 そう考えていた時、ふいにぽんぽんと頭を叩かれた。

 見上げれば、アンセルモが不敵に笑っている。

「俺達はトラヴィスの屋敷に行くけど、おたくらもついて来るか?」

 さすがに駄目だ。これ以上遅れては――――

 そう答える前に、シルヴィアが威勢よく返事をする。

「もちろんよ!」

 

 エレナは頭を抱えたくなった。



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