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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第一章 木漏れ日の中で
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少年の見つけたもの

 

 少年は、ずっと一人ぼっちだった。

 小さなころの記憶ははっきりしない。魔物として他のものとは(たが)わず、闇の中で生まれてきた。異なるものと言えば、たまたま持ち得た、膨大なる魔力だった。


 思い出せるのは、光のない世界で育てられ、外に出るのを禁じられていたことだ。

 あの記憶を覚えていない訳ではない。ただ、誰にも知られたくなかった。


 そばには黒い男がいて、絶えず「お前は私と同じだ」と繰り返していた。人間のような見た目だけではない。その男はクリスと同じ、いや、それ以上に強い魔力を持っていたのだ。


 彼は手下の魔物をたくさん従え、いつも「(ミッド)」を目の仇にして、襲うことに何の戸惑いもなかった。愛するものを殺されたから復讐をするのだ、これは道理だとそう言った。

 彼にとって、クリスが手助けをすることは当然だったのだ。強い魔力に期待し、閉じ込めたまま少年を育て続けた。

 けれど、初めての仕事の日、クリスは頷かなかった。

 憎いのは「(ミッド)」ではなく、自分を閉じ込める黒い男だったのだ。


――――俺はあなたを倒して、ここから出たい。阻むなら、他の魔物だって倒してみせる。


 そういった日から、黒い男は本性を現した。愛情のようなものは消え失せ、今までのことを忘れたかのようにぞんざいに扱った。狂ったように「お前は化け物だ」と繰り返しながら。


 彼の手下たちは人間のようで、どこかおかしい生き物ばかりだった。翼を持ったものや、角を生やしたもの。ぞっとするほど美しいもの。

 同じ「(ノヴル)」のはずなのに、近づこうとすれば、いつも怯えた目で逃げられるか、あるいは罵倒された。

 彼らにとっても、自分は化け物になってしまったのだ。


 醜い生き物はたくさんいた。その中でも、自分は特別に変なのだという。

 だから、誰にも愛されない。

 これはしょうがないことだ。

 小さなクリスに、それは本能のように刻まれ、避けられるのは当然のこととなった。


 けれど、ある時何者かが、自分達の(すみか)に入って来たのだ。

 「(ミッド)」であるが故に「(ミッド)」を裏切り、行き場をなくした魔法使い。


「一緒に来ないか」


 初めて向けられた、真っ直ぐで食い入るような瞳。

 

 その後のことは、はっきり覚えていない。

 ただ、彼に手を握られ、頷いてしまったのは覚えている。あれが正解か間違いかなんて、今でも分からない。

 そうして少年はさらわれ、庭に閉じ込められたのだ。



 魔法使いはどんな時も、クリスに家族のように接した。

 厳しく、それでいて優しく。

 けれど、逃げ出そうとした途端罵倒され、外に出てはいけないのだと怒鳴られた。

 もとより、庭に掛けられた魔法で、門が開くことさえなかったのだ。


「お前に自由などないのだ」


 魔法使いはいつも、そう教えた。


「お前は恐ろしい魔力を持っている。庭ではその力を封じてあるが、外で暴走するようなことがあれば、村や町すら容易く破壊するだろう。

第一、お前は人間に似ているが、魔物なのだ。村人はお前を恐れるだろうし、ダリウスもお前を狙っている。ここに居るのが一番安全だ」


 明るい庭を眺めながら、クリスは思った。

 前と大して変わらない、と。



「外へ行ってくる。探し物だ」


 魔法使いはいつも、昼間はどこかへ出かけていた。


「私にはかつて、愛する家族がいたのだよ。たった一人生き残ったあの子を、私は見つけねばならない。見つけたら、お前と共にここで暮らそう。三人で囲む食卓は、きっと楽しいものだろう。――――待っておいで、夕食までには帰って来るよ」


 少年にはそんなこと、どうでも良かった。


 魔法使いは毎日、あちこちの地を巡り、たった一人の家族を探し続けた。

 時にはがっくり肩を落として、時には血だらけになりながら、必ず夕食までに戻って来た。


 けれどクリスは、自分を閉じ込める男が許せなかったのだ。

 二人で囲む食卓で、少年は一切口を利かなかった。



「クリス、ごめんな」


 魔法使いはいつも、そう繰り返した。


「お前はきっと、いつまでもそんな目で私を見るのだろう。

 ダリウスは、私の大切なものを皆奪っていったのだ。奪われるくらいなら、もう作らないと決めたのに、それなのに私は、またお前を見つけてしまった。

再び失うことを思うと、恐ろしくてたまらないのだ。閉じ込めるしかできない私を、許してくれとは言わない。だからどうか、傍にいてほしい」


 少年はいつだって、無表情で見返すだけだった。


 くだらない。

 返事をする気にもなれなかった。

 こんな男の事情なんか知らない。

 どうして自分がこいつのために、庭で待っていなければならないのだ。



 何も変わらぬまま、またこうして誰にも知られず、淡々と同じ日々を送っていくのだろう。そう思っていた。

 彼女に会うまでは。


 その日、少女は庭にやってきた。

 飴色の髪はきらきらと輝き、太陽のようだった。

 口には出さなかったが、その時は本当に妖精かと思ったのだ。

 クリスを見て驚いた少女は、慌てて後ずさり、足元の草花を枯らしてしまった。あっと声をあげ、零れ落ちそうな瞳でこちらを見つめた。


 この子も「(ノヴル)」だろうか?

 そんな疑問がよぎったが、走り出しそうな彼女を見て、いつもの諦めに掻き消された。


 どうせまた、逃げられるんだろう。


 それなのに。

「お前、誰?」

 少年は、話しかけずにはいられなかった。


「……わたしはエレナ。あなたは?」

 答えた少女に戸惑ったが、なんとか言葉を紡ぐ。

「クリス」

「あの、わたしが、怖くないの?」

 少女が怯えたように聞く。その意味が分からなかった。

「怖い? なぜ」

「さっき見たでしょ……わたし、花を枯らせてしまうの」

 なぜ怖がる必要があるのだろう。そんな「(ノヴル)」はいくらでもいる。

 小さな魔力しか持たず、それすら使えない弱い「(ノヴル)」。

 この少女も、人間に似たなりをしているが、魔物か妖精か、それとも別の何かだろう。


「お前こそ、俺が怖くないのか」

 そう問えば、今度は少女が疑問を返した。

「怖いって、どうして?」

 残酷な子だ、と思った。

 分かり切ったことを聞く少女に、少年はきちんと教えてやる。

「俺は化け物なんだ」


 少女が笑う。

 むっとしたものの、それが馬鹿にしたものではないと分かった時、少年は初めて動揺した。

 ちっぽけな少女を前にして、どうしたらいいか全く分からなくなってしまったのだ。

 それには気づかず、彼女は優しくこちらを見た。

 そう、優しくという言い方が一番正しかった。

「そんな風に見えないよ。全然怖くない」

 そうして、無邪気にも手を差し出したのだ。


 分からなかった。本当に、この手を取っていいのか分からない。


 半ば恐れるようにして見ていると、彼女が小さく微笑んだ。


 それだけで理解できた。

 答えなど、最初から一つしかなかったのだ。



 その時、今まで知らなかった気持ちが、心にあふれていくのが分かった。

 その気持ちの名前は知らない。どう伝えたらいいのかも、誰も教えてくれなかったのだ。

 ただ、しっかりと少女の手を握り返した。


 クリスは、いつになく幸せだった。




 だから、黒い男に少女の話を聞いた時、信じられなかったのだ。

 彼の言葉は残酷に、胸をえぐるように響いた。

「オレンジの髪をした、孤児院の子どもだった。森に迷い込んで、たまたまあの庭を見つけたとか。金貨と引き換えに居場所を教えてくれたよ」

「それって」

 声が震えた。

「お前は、その子に売られたのさ」

 信じていたものが、崩れ落ちていく気がした。

 大切な思い出はすべて闇に消えた。

 

 あれはあったことで、なかったことだ。

 少女は元からこちらのことなど、なんとも思っていなかったのだ。

 すべてが絶望に包まれていく気がした。




 けれど、彼女はやってきた。

「クリス」

 馬車の外から声をかけられた時は、聞き間違いじゃないかと思った。

 そこには確かに、少女がいた。

 飴色の髪は乱れ、顔は土に汚れ、服はボロボロだった。

 ここまで追いかけてきたのだろうか。

 それこそ、信じられなかった。

「エレナ」

 思わず名前を呼んだ。

「ごめんなさい、全部わたしのせいなの」

 少女は口を開くなり、言葉が止まらないようだった。

「あの男があなたのお父さんだと思って、居場所を教えてしまった。こんなの言い訳だって分かってる。でも」

 お願だから、そう少女は続ける。

「信じて。わたしはあなたを裏切ったりしてない」


――――ああそうだ。

 胸に光が灯っていくのが分かった。

 ずっと求めていた、この光。


――――エレナが裏切る訳ない。


 これがうぬぼれだとしても、かまわない。

 彼女を信じられること、それだけが希望(ひかり)だった。


 クリスは思い出していた。

 再び灯った希望が、どんなに大切なものか。

 どんなに辛いことがあっても、それさえあれば、生きていける気がした。

 彼女はここまで来てくれた。この光を与えてくれた。

 それだけで十分だ。

「クリス」

 少女が鉄格子を握りしめた。


 彼女だけは守りたい。そう思った。


 縄は魔力を封じ込め、力を発揮することも出来なかった。

 ならば、逃げてもらうしかない。

 こんな無力な男は置いて、さっさと逃げればいいのだ。

 それなのに。

「絶対に助けるから」

 少女の言葉はとても優しい。

「そしたら二人で遠くへ――――」

「帰れよ」

 なんとか、その言葉をさえ切った。

 彼女のやさしさに触れると、離れられなくなりそうだった。一緒に行きたいと願ってしまいそうだった。

 そんなことは許されない。

 自分と関わりさえしなければ、彼女は安全なのだ。


 クリスは精一杯、声を絞り出す。

「今さら、謝ってすむと思ってるのか?」

 もう関わらないでほしい。

 幸せでいてほしいから。

「どうせ助けたあと、また別の貴族に売るんだろう」

 遠くへ逃げてほしい。

 どうしても、失いたくないから。

「お前なんか、信じない」


 なぜ動かない。

 憎しみのこもった目で少女を見た。

 どうして逃げないんだ。

 こんなにひどいことを言っているのに。

 こんなにお前を、愛しているのに。



「誰だ!」

 男たちの声に、恐怖が襲う。

 カンテラが、少女の顔を照らし出した。

「殺せ!」


 ダリウスの声に血の気が引いていく。

 少女が駈け出した。

 逃げて。とクリスは声にならない声をあげた。

 逃げて。逃げて。逃げて。

 心の中で叫ぶことしかできないまま、長い時間が過ぎた。



 帰ってきた御者たちは、口々に知らない男が現れた、と言った。

 ダリウスが怒鳴り、御者達と口論を始める。

 それを聞きながら、老人が殺されたこと、少女が逃げ延びたことを知った。

――――助かったんだ。

――――ああ、良かった。

 クリスは心から思った。


 馬車がまた、ガラガラと道を動き出す。

 クリスはぼうっと、流れる景色を見ていた。

 彼女は誰かに助けられたようだった。これで安全なところへ連れて行ってもらえるだろう。

 ここへはきっと、二度と戻って来ない。

 もう誰かに狙われることもなく、幸せに暮らすはずだ。


 クリスは嬉しくて嬉しくて、なぜだか涙が止まらなかった。





 三日後、馬車が着いた。山々の奥深く、霧がかった闇の中。

 御者達は違和感に気づいて逃げようとしたが、悲鳴をあげる間もなく、殺された。

 クリスは『(ノヴル)』達に囲まれ、再び外に出ることを禁じられた。

 前と同じ日々が始まったのだ。


「お前は化け物なのだ」

 暗示のようにダリウスは繰り返した。

「お前のことを、誰も愛さない。けれど、私は必要としてやろう」

 クリスは元の無表情に戻り、虚ろな目で黒い男を見上げた。

 けれどその心には、情熱が燃えていた。

 彼女を守ろう。そう思った。


 自分が愛していることを知れば、この男はそれを利用するだろう。

 少女を捕まえ、盾にして、こちらに命令するに違いない。

 だから隠し通すのだ。彼女には、今後二度と近づかない。

 あの子が誰を愛し、結婚することになっても、心の中で祝福しよう。


「よおクリス、お前ご主人と仲直りしたんだって?」

「仲直りじゃない。仕えさせてもらってるんだ」

「ひゃはは、今度は寝返ったってことか? 『(ミッド)』と暮らしてたってのに呆れるぜ」


 魔物たちは毎日、不気味な笑い声をあげ、からかいながら去って行く。

 どんな相手でも、クリスは決して本心を見せなかった。


 自分は誰にも愛されず、愛していない振りをしよう。

 言葉にも、顔にも出さず、その素振りすら見せないで、ひたすら忠誠を誓うのだ。

 反抗すれば、心に灯る光に気付かれてしまう。

 ならばどんな命令でも、きちんとこなしてみせよう。


 そうすればきっと、あの子を守れるから。





「お前は今日も、無表情だな」

 黒い男が冷たく笑った。

 闇の中に放り込まれ、三か月がたっていた。

 クリスはその間、完璧に演技をこなしていた。


「何か御用でしょうか」

 いつもと同じように、静かに尋ねる。

「ああ、お前の力が必要になった」

 黒い男はそう言うと、指で円を描く。円は鏡のように輝き出し、一人の人間の姿を映した。

 クリスは、この人間の名前も知らなかった。たった一つ分かることは、この人間が黒い男にとって、不利益な相手らしいということだけだ。男は飲み物を頼むような口調で言った。

「こいつを、殺して来い」

 クリスの瞳が、わずかに揺れる。殺しを命じられたのは初めてだった。

「どうした? いつものように、『はい』と答えればいいのだ」

 黒い男が面倒臭そうに言う。

 クリスは無表情に戻り、いつものように答えた。

「はい」


 その顔は、少し、歪んでいた。




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