表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第一章 木漏れ日の中で
12/85

吹雪の慟哭

 

 雪に足をとられているのは男達も同じで、文句を言いながら、走ってエレナを追いかけた。

 四人もいれば、少女を捕まえるのは時間の問題だ。

 彼女がどこに逃げようとも、足跡がついている。

 獰猛な目つきをした男達は、ゆっくりと確実に距離を詰めていた。


 言い知れぬ恐怖を覚え、エレナは夢中で雪を掻き分けた。

 寒い。寒い。寒い。

 ガチガチになった手足を必死に動かして進む。

 言う事を聞かない体に、背後に迫る影。

 確かに走っているのに、全然前に進んでいる気がしない。

 体力は限界だった。

 


「うっ」

 突然、視界が真っ白になる。

 雪に溺れ、埋もれながら、息を切らして振り返った。

 木の傍を通り過ぎた時、足が引っ掛かり転んでしまったのだ。

 慌てて起き上がったものの、片足が雪に埋もれ、抜けなくなってしまった。どんなに動かそうとしても、びくともしない。

 もう冷たさや痛さを通り越して、手足の感覚はなくなっていた。

 完全に、動けなくなってしまったのだ。

 エレナはただ、男達が近づいて来るのを、見ていることしかできなかった。


 降りしきる雪の中で、黒く浮かび上がる三つの影。

「まったく、てこずらせやがって」

「俺たちはこういうのは専門じゃないんだよ。あの旦那も人使いが荒いよなあ」

「聞こえているぞ。口を慎め」

 二人の御者と従者の老人だ。

 御者が一人足りない。途中で諦めたのだろうか。


「よく見ろ、かわいい顔してるじゃねえか。売れば金になりそうだな」

 御者の一人が言った。エレナは怯えた目で見上げる。

 それを見てもうひとりが言った。

「売られるのは嫌か?俺が相手してやってもいいんだぜ?」

 続いて下品な笑い声が降ってくる。

「やめんか」

 従者の老人が怒鳴った。

「ダリウス様の命令だ。こいつは殺す」

 言うなり、懐から銃を取り出した。

「おお、物騒だな」

 男たちは面白そうに見ている。止める気配はなかった。


 銃口がこちらに向けられる。

 情の欠片もない瞳で、老人がおもむろに言った。

「金貨の意味が分からなかったのかね?」

 エレナは喋ることもできなかった。それが寒さのせいなのか、恐怖のせいなのかも分からない。

 ただ、黙って首を横に振った。

「そうか」

 老人の目がぎらりと光る。

「あれはね、単なるお礼ではない」

 エレナは唾を呑んだ。

「これ以上この件に関わるなと、そういう意味だったのだよ」

 これで終わりだ。ぎゅっと目を閉じた。



 銃声が(とどろ)いた。


 恐ろしい音は辺りにこだまし、染みるようにして雪の中に吸い込まれていく。あたりはすぐに、何事もなかったように静まり返った。


 恐る恐る目を開ける。

 まだ、生きていた。


 どこも痛くはなかったが、あまりの寒さに感覚がなくなっているのかもしれない。そう思ったが、すぐに違うと分かった。

 目の前で、老人がゆっくりと倒れたのだ。

 辺りを見回すと、弾丸が自分の横の木に穴を開けていた。

 何が起こったのか分からない。


 倒れた老人の後ろに、見知らぬ青年が立っていた。

 どこから降ってわいたのだろう。背の高い男で、剣を握っている。

 どうやら、その青年が老人を切ったらしかった。そのお陰で弾丸が外れたのだ。


 死んだ老人を見て、エレナは息を呑んだ。

 その姿が、どんどん変わっていくのだ。

 ぎょろりとした目はさらに剥き出しになり、服からはみ出した手足は黒いカギ爪になった。もはや人間ではなかった。

 老人はまぎれもない、魔物だったのだ。

 


「やっぱりね」

 目の前の青年は動揺もせずに言った。

「君達、これを知ってて雇われたの?」

 青年が顔をあげて御者達を見ると、二人はひいっと声をあげた。

 御者達は死んだ老人の変化と、突然現れた青年の両方に、ひどく怯えているようだった。

 二人は懐からナイフを取り出し、じりじりと後ずさる。

「なんなんだ、お前」

「邪魔するなら、容赦しないぞ」


 青年はため息をつくと、剣を握り直した。

「君達も切られたいわけ?」


 その時、エレナは足元に倒れている魔物が、わずかに動いたのに気付いた。

 血を流しながら腕を持ち上げ、青年に銃を向けている。

 黒いカギ爪は器用にも、引き金にかけられていた。


「だ、だめ」

 叫んだ声は掠れてしまう。けれどその声が聞こえたのか、青年は素早く体をずらした。

 

 再び銃声が轟く。

 

 弾丸を避けた青年は、音もなく振り返った。

 ぎろりとにらむ魔物に、にこりと微笑み返す。

「なんだ、まだ生きていたのか」

 再び剣を持ち上げると、エレナの目の前でとどめをさした。

 黒い身体は貫かれ、したたるような血を流す。

 魔物は悲鳴をあげることもなく、今度こそ息絶えた。

 あまりの恐ろしさに、エレナは見ていることしかできない。


 動けないエレナの前で、魔物はみるみる闇に同化していった。

 絵の具が水に混ざるように、深い夜に溶け、音もなく消えた。



 その時再び、ひっと声があがった。ようやく追いついた三人目の御者だ。

 青年はそれを見て、淡々と続ける。

「もう一人いたんだ。それで、誰から相手をしてくれるの?」

 三人は目配せをし合い、頷くと、一目散に逃げて行った。

 

 後を追おうとした青年は、何かに気付いたように立ち止まった。男達と少女を見比べると、諦めたようにその場に留まる。


 何をしてるの!? エレナはそう叫びたくなった。

 早く追わなければ、クリスが行ってしまうのに。


 木々の向こうに見える灯り。それがゆっくりと、動き始めた。馬車が出発したのだ。

 叫ぼうにも声が出ないエレナは、見ていることしかできない。


 もし青年が馬車を追えば、再びエレナを見つけるのは難しいだろう。辺りは一面雪を被り、同じような景色が続いているのだ。一度見失ったら最後、少女は誰にも見つけられず、眠りにつくに違いなかった。


 それでもエレナは、クリスを追ってほしいと思った。

 自分の事はどうでも良かった。生き延びたところで、彼を見失ったら何も意味はないのだ。

 

 灯りが動くにつれ、木々の長い影も揺れた。御者達が叫び、鞭をふるう音も聞こえてくる。

 追いかけなくちゃ。

 腕に力を込めるが、びくともしない。

 大好きな彼は、自分の事を誤解したままだと言うのに。


 馬のいななきが遠ざかって行く。

 凍った雪道を、車輪が派手な音で砕き続けたかと思うと、辺りはまた、何事もなかったような静けさを取り戻した。

 

 馬車は行ってしまったのだ。

 あまりのことに、エレナはただ、その先を呆然と見つめることしかできなかった。




「大丈夫かい?」

 降りしきる雪の中、青年が初めてこちらを見た。ハッとして見返すと、剣についた血を振り払うところだった。

 くせのある茶髪の男は、枯葉色の外套を(まと)い、行商人のような装いをしている。

 端整な顔には血が飛び散り、エレナは心底恐ろしいと思った。

「ごめん、怖がらせてしまったね。いつもこういう訳ではないんだ」

 優しい笑みは、恐怖と胡散臭(うさんくさ)さを倍増させるだけだ。

「僕はちょっとした仕事でね、『(ノヴル)』を追跡していたんだ」

 青年が足元を眺める。老人だった生き物は、もう影も形もない。

 代わりに、周りの雪は血が染みて赤く染まっていた。エレナは思わず目をそむける。

 それにも構わず、青年は一人でしゃべり続けた。

「『(ノヴル)』には『(ミッド)』に近いものもいるけど、こいつはご覧の通りさ。姿を変えて、悪事を繰り返していたんだ。僕はこういった『(ノヴル)』を捕まえるよう、命令を受けていたんだよ」

 男は剣をしまいながら続ける。

「もちろん、悪事を働くなら『(ミッド)』も同じように罰せられるべきだ。本当はさっきの男達も捕まえて罪に問いたかったんだけど、追いかけていたら、君はここで凍え死んでしまうだろう?」

 エレナは初めて青年を見た。

「『(ノヴル)』はすぐに闇に隠れ、姿を消してしまう。でもあの男達は人間だ。再び情報を集めれば、捕まえることだってできる」

 青年の目は真剣だった。

「さっき、他の奴らの前でこいつにとどめを刺したのは、怖がらせるためだ。彼らと剣を交えたところで良いことは何もない。結果的に逃げられてしまったけれど、君を守ることはできたんだ」

 そう言って、エレナの目を覗き込む。

「このままここにいれば、いずれ凍えて死んでしまうよ」

 優しく手を差し出した。

「僕と一緒に、おいで」



 エレナは黙って、首を横に振った。


 確かにこの男はいい人なのかもしれない。

 どことなく怪しいが、それでも瞳には真剣な光が宿っている。


 しかし、エレナはもう誰も信じられなかったのだ。


 クリスを助けたかった。

 そのためにダリウスに救いを求め、裏切られた。

 必ず助けると決心しておきながら、あの子を救えなかったのだ。


 エレナはもう、自分自身を信じることさえ、できなかった。


「ふう……」

 青年が息を吐いた。


「一方的に助けるっていうから不安なのかい?それじゃあ、こうしよう」

 仕切り直したように、彼は言った。

「僕の名はロレンツォ。行商人であり、情報屋なんだ。つまり、取引を生業(なりわい)としてる。僕と取引をしてくれないかい?」

 慇懃(いんぎん)に振る舞う青年を、エレナはじっと見つめる。どう見ても怪しかった。

 黙ったままの少女に、彼はなおも続ける。

「君を助ける代わりに、ある人に仕えてほしいんだよ。今は素性を教えることはできないが、その人は僕の主人でもあるんだ。――――ただ、僕はいつもあの人の傍にいられるわけじゃないから」


 主人のことを教えてくれないのは、後ろ暗いところがあるからかもしれない。

 いくら優しい言葉を投げかけてくる相手でも、人買いの可能性もあるのだ。

 しかし、それでもエレナは希望が見えた気がした。

 彼は剣の腕が立つ。現に、魔物を倒してしまったのだ。この人のいう事を聞けば、こちらの望みをきいてくれるかもしれない。

 クリスを助けてもらえるかもしれないのだ。

 それは自分の命よりも、重要なことのような気がした。



 雪に埋もれた体は冷たく、言葉を発するのさえやっとだった。

 エレナは寒さで凍りそうな(のど)から、なんとか声を(しぼ)り出す。

「分かった。取引、受けるわ」

「良かった。それじゃあ君をここから……」

 しかし、彼が言い終わるよりも早く、エレナは青年の服にしがみついた。

「なんでも、いう事を、聞く。なんでも、する。だから」

 青年の目が見開かれる。エレナは叫ぶように言った。

「だから、あの子を、助けて……っ」


 雪が降り続いている。

 青年は白い吐息を漏らしながら言った。

「あの子? 友達が残っているのか?」

「捕まってるの。わたしは、いいから、あの子を」

 青年はこちらを見た。

「それはできない」

「な、ぜ?」

 服を握りしめる手に力が入る。青年の服は、しわだらけだ。

「僕はある人の命令で動いているけれど、僕自身は平民だ。貴族に手を出したところで、君と一緒に牢獄行きだ。そもそも、相手が人間じゃない可能性だってある」

 エレナはそれでも諦めきれなかった。

「なんでも、する。嘘じゃないわ。どんな仕打ちでも、受ける」

 請うように、青年にすがった。

「お願い、お願いよ。なんでも、するから……っ」


 がしっと、小さな肩が捕まれる。

 青年はかがみこんで、まっすぐにエレナの目を見た。

「君の友達は、今無理やり奪い返すことは不可能だ。貴族ならまだいい。だけどきっと、相手は――――『(ノヴル)』だ」

 エレナは息もできずに聞いていた。

「この従者は魔物だった。きっと主人もそうだろう。彼らの住処(すみか)は闇の中だ。僕はあらゆる情報を持っているけど、『(ノヴル)』が相手なら、再び見つけるのに何年かかるか分からない」


 青年は冷静を(よそお)っていたが、その顔は今にも泣き出しそうだった。

「分かってくれるね? 今はだめなんだ。でもいつか、僕が必ず見つける。だからそれまで待っていてほしい」

 エレナは(うなず)くことができなかった。青年の腕に力がこもる。

「君はまだ小さい。一人で動くには危険すぎる。友達は僕が探すから、一緒に来るんだ。これ以上この件に関わらないと約束してくれ」

 それは説得というよりは、懇願しているかのようだった。

 エレナはまっすぐに、彼の目を見つめた。

「約束を、守れば……あなたと行けば……彼を、助けてくれるの?」

「そうだ」

 青年は再び、手を差し出した。

「一緒に、おいで」

 

 

 雪はどんどん降り積もっていた。

 

 この申し出を断ったところで、のたれ死ぬだけだ。

 何年かかるか知れないが、彼は少年を助けてくれると言っているのだ。

 クリスに会うためには、取引を受けるしかない。

 それだけが、エレナを動かした。

 寒さで痛みすら感じる手を、なんとか伸ばす。彼女は黙って、青年の手を取った。


 安堵したように息をつく男を、エレナは食い入るように見上げる。

「騙して、ないよね」

「僕はそんなことはしない」

 エレナは青年にすがりつく。

「約束だからね」

 叫ぶように言うと、突然涙がこぼれた。

「わたし、なんだってするから」

 熱い涙は、ぽろぽろと頬を転がり落ちる。

「絶対に、絶対にあの子を助けてね」


 青年は歯を食いしばるように、エレナを抱きしめた。

 凍えた体に、人の(ぬく)もりが染みる。

 それは体だけでなく、心まで、じわりじわりと広がっていった。


――――ああ。温かい。


 恐怖や悲しみ、すべてが溶けていくようだ。

 あまりの温かさに、視界が滲む。





 しんしんと雪が降っている。

 その真っ白な世界に、少女の泣き声が響き渡った。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ