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ハルシュトラールの夜の果て  作者: 星乃晴香
第一章 木漏れ日の中で
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故郷との別れ

 「帰らずの森」とは名前の通り、入った人間がほとんど戻らないことで有名だった。命名されたのは一昔前だが、今もこの森で行方不明になる者は後を絶たない。

 その理由の一つに、森があまりに広いため、というものがあった。

 事実、この森はいくつもの村や町に渡っており、エレナの住む村コルストと、北西に位置する霜かぶりの山、南西の町ブリュメールという三つの地をまたいでいた。


 きっとダリウスは他の国から来たのだ、とエレナは思った。あの暑そうな外套や、底のある靴はこの国の気候に合うとは思えなかった。

 このまま彼らを追いかけて行けば、国を出ることは(まぬが)れないだろう。

 それでも、エレナの決心は変わらなかった。


 問題は夜が訪れることだ。辺りが暗くなると、車輪の跡が見えなくなってしまう。こうしている間にも、馬車はどんどん遠ざかっているかもしれないのに。

 他にも問題はあった。夜は獣や魔物の活動時間だ。あの庭に遊びに行くときは、いつも暗くなる前に森を出られるようにしていたが、今は違う。

 腹を空かせたオオカミや、いたずら好きな精霊に遭遇してもおかしくはない。これも「帰らずの森」の由来の一つだった。


 それでも諦めずに歩き続け、なんとかダリウス達を見つけたのは、暗くなってからだった。

 今日の追跡を諦めかけた時、木々の間に、何かの光が見えたのだ。

 オレンジ色の(ともしび)に、エレナは用心深く近づいた。

 精霊に騙されているだけかもしれない。そう用心したものの、眩しい光を放つそれは、焚火(たきび)だったのだ。

 こんな森の中で火を燃やせば火事になりそうなものだが、どうやらそこは空地になっているらしく、その心配もなさそうだった。

 闇夜の森に、舐めるような炎がちらちらと揺れている。


 五人の男が焚火を取り囲んでいた。そのうち二人は黒い服を着ていて、すぐにダリウスと、その従者の老人だと分かった。

 反対側の三人は、質素な服を着ている。どうやら雇われた御者のようだ。

 よく見るとダリウスと従者の間に、小さな影がうずくまっているのが分かった。

 エレナは一生懸命目をこらす。


――――クリス。


 間違いない、彼だった。クリスは腕を後ろで縛られ、男たちを睨んでいる。


 今すぐ飛び出そうかと思ったが、すぐに考え直した。

 もっと確実な方法を選ばなくては、彼は助け出せない。

 二人の男は彼を(はさ)んだまま、動く気はないらしい。きっちり見張っているようだった。

 こうなるとチャンスが来るのを待った方がいい。何日かかるか知れないが、そんなことは構わなかった。クリスを助け出すためには、見張りが目を離す瞬間を狙わなければならない。

 

 エレナは遠くから、焚火を中央に見据えたまま、ゆっくりと円を描くように移動する。止めてある馬車に近づき、三台目のクリーム色の陰へと隠れた。

 ほう、と息を吐く。

 ここにいれば、彼らの様子が見えるし、いつ出発しても隠れて飛び乗れば大丈夫だ。

 朝が来ても見つからないように、エレナは馬車と地面の隙間に潜りこんだ。

 そしてそのまま、静かに眠った。



 朝、誰かの怒鳴り声で目が覚めた。

「黙って言う事を聞け!」

 

 エレナは起き上がろうとして、馬車の底板に、思いきり頭をぶつけてしまった。

 うっ、と声をあげてうずくまる。


――――そうだ、わたしは今馬車の下にいるんだ。


 じんじんする頭を押さえ、日差しの差し込む隙間から辺りの様子を伺う。

 そこに見えた光景に、エレナは息を呑んだ。

 頭痛はもう、治まっていた。



「来い! ぐずぐずするな」

「離せ。俺はあんたとは行かない」

 向こうから、ダリウスと、彼に引きずられたクリスが来ていた。少年はいつもの無表情が崩れ、目は怒りに燃えている。

「お前はおとなしくいう事を聞けばいい。傷つけるつもりはない。」

「じゃあこの縄はなんだ!」

 クリスは後ろ手に縛っている縄を、動かしてみせる。

 答えるダリウスの声は、低く冷たい。

「お前が逃げ出そうとするから縛っただけだ。目的地についたらはずしてやる。恐れなくともいい。価値のある奴を、そう簡単に殺したりはしない」

「お前に力なんて貸さない。俺は帰るんだ!」

 ダリウスの目が面白そうに細められた。

「帰るだって? どこに? お前の行く場所なんてどこにもない。お前の体からは魔力がにじみ出ているんだ。それは見たものに恐怖を与える。――村に行ったところで、誰もがお前を恐れ、近づくことさえ避けるだろう」

 ああ、だからか、とエレナは思った。

 確かに初めて会った時、彼から気迫のようなものを感じた。


 けれど、それがなんだというのだろう。

 あんな些細なもの、クリスを恐れる理由になんてならないはずだ。


 エレナは気付かなかった。

 クリスの魔力が、見た人に確かな恐怖を与えることを。

 初めて彼に会ったとき、エレナ自身が化け物と呼ばれ、普通の人とは異なる状況にいたことを。


 あの時、彼女は孤独の絶頂にいた。

 誰でもいいから、友達が欲しかった。そんな時にクリスに出会ったのだ。

 他人と異なる魔力は、花を枯らせる少女にとって、恐怖にはなり得なかった。

 むしろ、親近感さえ沸かせるものだったのだ。



「お前に行くところなどないのだ」

 ダリウスの声が、冷たく繰り返す。

「お前は私と同じ、膨大な魔力を持っている――いわば化け物だ。助けを求めたところで、無視されるか、殺されるか、そのどちらかだ」

 それでも、クリスは言い返した。

「そうではない人も、いるはずだ」

 馬車の下で、エレナは息を呑んだ。

 間違いない。彼はエレナのことを言っているのだ。


 頭上から、馬鹿にしたような笑い声が降ってくる。

「ほう? ずいぶんと自身ありげだな。あの危機感のかけらもない村人どもなら、一人や二人、受け入れてくれるとでも思っているのか?」

 だがそれは間違いだ、とダリウスは続ける。

「あの村では、子どもさえお前のことを恐れているようだったぞ。現にわたしにお前のことを知らせたのも、ちっぽけな少女だった」


 その言葉を聞きながら、エレナは全身が冷めていくのが分かった。


「それって、どんな子?」

 少年の声がおずおずと尋ねる。


 違う。

 エレナは心の中で叫んだ。


「オレンジの髪をした、孤児院の子どもだった。森に迷い込んで、たまたまあの庭を見つけたとか。金貨と引き換えに居場所を教えてくれたよ」


 違う。そんなつもりじゃなかった。


「それって」


 やめて、誤解しないで。


「お前は、その子に売られたのさ」


 ダリウスの乾いた笑い声。

 クリスは何も言い返さなかった。



 その沈黙に、エレナは言い知れぬ恐怖を覚える。

 馬車の下で叫ぶことも出来ず、自分の肩を抱いて、ぐっと息を呑んだ。

 苦しかった。

 けれど、クリスの方がもっと苦しいのだろうと思った。



 本当に、そんなつもりではなかったのだ。

 ただ、彼を助けたかった。

 それでも騙されたのは自分だ。こんなの言い訳でしかない。

 エレナは唇を噛みしめた。

 

 どうあっても、この誤解を解かなければ。




 黙りこくったクリスを、ダリウスは二つ目の鉄の馬車に放り込む。

 それは囚人の護送に使われるような、鉄格子付きのものだった。

 続いて、従者の老人が一つ目の黒い馬車の扉を開ける。ダリウスが中へ入ると、自分もその後に乗り込んだ。

 最後に三人の御者が、三つの馬車に乗り込む。

 馬のいななきが聞こえ、エレナの頭上で馬車が揺れた。

「出発!」

 その声と共に、ガラガラと馬車が動き始める。


 エレナは一度、荷馬車が頭上を通り過ぎるのを待ってから、立ち上がった。

 だんだん速度を上げる馬車を、急いで追いかける。

 荷台の後ろは積み荷の他に、まだ広い部分が余っていた。手を掛け、なんとかよじ登ると中へ転がり込む。荷物の陰に隠れて息をついた。

「ふう……」

 多少の音は、馬車の揺れる音でかき消される。これなら、当分見つかる心配もなかった。


 朝の木立の中、道なき道を、カタカタと馬車は進む。

 通り過ぎる木立は金の光に包まれていた。優しい美しさは、胸の苦しみを和らげる。

 膝を抱えて、エレナはそっと木々を見上げた。

 風が吹くたび揺れる葉は、なぜか「さよなら」と(ささや)いているように見えた。





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