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狂人理論  作者: 金椎響
第一章 海に浮かんだ理想郷
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阿修羅《アスラ》

 地上一〇〇〇メートルを超える場所に位置する、IRIS本社ビル一六九階展望フロア。

 全面が強化アクリルパネルで覆われたフロアには照明がつけられていない。空で瞬く星と月の明かりがフロアの姿をぼんやりと浮かび上がらせていた。その光景は、どこか神秘的であり、この世のものとは思えない。

 そこに到着する、一台のエレベーター。

 扉に備え付けられたパネルに表示はなく、到着を知らせる電子音もない。


「……どうだ、ハルート?」

<周囲に敵性ドロイドの存在は確認できません>

「よし、行くぞ。……(ツー)(ワン)(マーク)


 ジョリオンの声とともに、ゆっくりと乗場側ドアが開く。

 ハルートが周辺の情報を一通り走査し、エレベーターホールの安全を確認してからジョリオンが降りて来る。

 ハルートは驚異的な脚力で展望フロアへ脇目も振らずに突っ走っていく。

 敵性ドロイド・ネクストシックスを遥かに凌駕する速度で、フロアに達する。ハルートはそこで、床に寝そべったまま身動ぎ一つしないツクシの姿を捉える。

 すぐに駆け寄ると、ツクシの容体を瞬時に把握する。


「どうだ?」

<多量摂取による、ショック症状が起きています。それに、分泌液に黄緑色の発光体も見られます。すぐに不活性化信号の発信プログラムを開始します>


 黄緑色に光るツクシの涙が、その輝きを失っていく。

 ハルートはツクシの身体を横向きにする。だが、依然としてツクシの状態は目に見えて悪く、一向に改善する余地が見られない。ジョリオンはその姿にいたたまれなくなって、思わずハルートに話しかけてしまう。


「おい、これって……」

<意識消失、全身痙攣、あえぎ呼吸……。非常に危険な状態です。緊急救命措置と並行して、九一一番通報を行っています。ジョリー、乾いたハンカチなどはお持ちではないですか?>

「ああ」


 ジョリオンはポケットからハンカチを取り出すと、ハルートに渡す。

 ハルートは、ツクシの上の下着を引き千切る。

 そして、黄緑色に発光するナノマシンが含まれた涙や涎で濡れた胸元を、ジョリオンのハンカチで拭いていく。

 ハルートは、掌から電極が印字されたシート状のパッドをそっとツクシの胸に貼った。すぐにパッドに織り込まれた微細なナノセンサーがツクシの心臓の心拍数を検知して、心電図を解析する。


<脈拍喪失を確認。どうやら心停止のひとつ、心室細動のようですね>

「心臓マッサージと、それに人工呼吸が必要か?」

<いえ、より重篤です。電気的除細動がすぐに必要と判断しました。ジョリー、ツクシから離れてください。処置の間は、彼女の身体に指一本触れないでください>

「ああ……」


 心臓は電気刺激が順序よく伝わることで規則的に収縮して、血液を送り出す。心室細動はこの電気刺激の伝達不良であり、心筋が無秩序に収縮することで引き起こされる。

 一刻も早く電気的除細動――つまり電気ショックを行い、調律性拍動を回復する必要があった。

 ジョリオンが十分に離れたことを確認すると、ハルートは電極パッドに電流を流す。ツクシの心拍が回復しなければ、最悪の場合は死に至る。カーラーの救命曲線によれば心臓停止後、約三分で五〇パーセントの確率で死亡してしまうだろう。


「……おい、どうだ?」

<心拍が回復しませんね>

「おいおい、勘弁してくれよ!? ……どうするんだ?」

<待ってください。再度、電気ショックを与えてみます>


 チャージ音がして、瞬時に電極パッドへ電流が流れていく。

 それでも、ツクシの身体に変化はなく、心拍数も安全域まで達しない。


「だめか」


 思わず床に膝をついて、ぐったりしているツクシの顔を覗き込むジョリオン。


<諦めてはいけません、ジョリー。二次救命処置のうち、気管挿入や高濃度酸素は機材がないためできませんが、薬物的除細動ならば可能です>

「……薬物的除細動、だと?」

<アドレナリンを投与するんです>

「そいつは妙案かもしれんが、アドレナリン!? 生憎そんなもん持ってないぞ!?」


 焦るジョリオンに、ハルートは冷静に言う。


<ご心配なく、アドレナリンを生成し分泌してくれる心強いものが、すでにツクシの体内に多数存在しています>

「……どういうことだ?」

<彼女の身体に投与された、大量増殖しているナノマシンを使います>

「マジかよ!?」


 ハルートは化学物質を生成するナノマシンを、不活性化信号の発信プログラムの対象から外す。そして、ツクシの心臓を動かせるだけのアドレナリンの生成がすぐに行われる。


「……どうだ? おい、どうなんだ?」

<現在、ナノマシンが生み出したアドレナリンが放出されています。もう少々、お待ちください>


 はたして、ツクシの手が微かに動いた。

 思わず、ジョリオンが歓声を上げる。

 薄く開いた唇から弱々しくかすれた吐息が零れ、ゆっくりと身体をくねらせた。


「おい! ハルート、今のは!?」

<調律性拍動が回復しました>

「やったな!」

<ええ、やりました>


 ハルートが頷くと、ジョリオンは安堵の表情を浮かべて彼の肩を叩く。


<ジョリー、ここはわたしに任せて。あなたはノリーンを追ってください>


 その言葉に、真顔になって訊き返してしまうジョリオン。


「おいおい、いいのか?」

<敵性勢力もノリーンの姿もなく、人質であるツクシが放置されている以上、その危険度は極めて低いと推測エンジンは判断しています。大丈夫です、ジョリー。ツクシはわたしが守ります>


 固い決意のハルートに、ジョリオンは強く頷いた。


「わかった。頼むぞ」

<ええ、頼まれました>


 ハルートの力強い頷きを見て、ジョリオンは踵を返した。



 ノリーンは拳を強く握り締めた。

 クラリッサには相応の報いを受けてもらわなくてはならない。ノリーンは厳しい表情を顔に浮かべながら、ヘッド・マウント・ディスプレイ上に情報を表示させていく。

 一階のエントランスホールで、非常階段を駆け降りてくるネクストトゥエルヴとクラリッサを待ち伏せる。戦闘用ドロイドであるネクストトゥエルヴにはすでに逃げられているかもしれないが、クラリッサ相手ならば確実に間に合う。

 だが、HMDが羅列する文字情報に、ノリーンは息を飲んだ。

 七階に差し掛かったエレベーターを緊急停車させ、すぐに降車する。

 一階には一機の戦闘用ドロイドが佇み、エレベーターから降りてくる人間を待ち構えていた。

 まさに、間一髪だ。

 もしも、ノリーンがそうとも知らずに一階でエレベーターを降りていたら、遭遇(エンカウント)は不可避だっただろう。

 すぐに、情報を集約して、HMDに表示する。

 WSN一二――ウォーカー・シリーズ・ネクストサーティン。

 監視(サーヴィランス)カメラの映像を思わず見入る。

 赤と黒を基調としたハルートとは異なり、黒に金をアクセントにした色使い。全身甲冑(フルプレート)型なのはハルートやネクストトゥエルヴと同様だ。

 しかし、二メートルのハルートよりもさらに大柄で横幅が広い。その様相は、巨漢と表現するに相応しい。

 何よりも特徴的なのは、頭部ユニットだ。後頭部に該当する箇所にも光学カメラとセンサーユニット、情報処理装置が詰め込まれており、あたかも三つの顔を持っているように、ノリーンには見えた。

 そして、肩から生えた二対の腕。つまり、この戦闘用ドロイドには腕が六本もある。その全ての手が、直刀状の高周波ブレードを握り締め、武装していた。

 三面六臂――三つの顔に六つの腕を持つ、恐るべき鬼神阿修羅(アスラ)。その姿を現実の世界へ解き放ったといった趣である。

 だが、どうやらこのネクストサーティン、ノリーンがエレベーターの管理システムを掌握しているとは夢にも思っていないようだ。目の前の電光掲示パネルや軌道(ガイドレール)、それにゴンドラを上下させるワイヤーの駆動音にばかりに注意を向けている。

 しかし、これでは当初の予定していたクラリッサを取り逃がしてしまう。

 非常階段の出入り口の扉が強引に破られる。

 そして、なかからはネクストトゥエルヴが姿を現し、一階のエントランスに辿り着く。


<トゥエルヴ、クラリッサはどうした?>


 ネクストサーティンは頭の角度を絶妙に調節して、首だけをトゥエルヴに向けて言った。


<後から非常階段で来る。わたしは先にここから離脱し、逃走経路の安全を確認する>

<いいだろう>


 ネクストサーティンの視線は目の前のエレベーターのドアへ向う。


<おれはここでクラリッサを待つ。……ネクストイレヴンには会ったか?>


 ネクストトゥエルヴは回答をしていないが、監視(サーヴィランス)カメラの映像を見ると、首を左右に振っている。


<それは良かった。やつを倒すのは、このおれだ>

<決めるのはマスターだ。わたしは決定に従うまで>


 そう言って、ネクストトゥエルヴは一箇所だけ割れたガラス――欺瞞情報に誘き寄せられたネクストシックスが開けた穴をくぐってビルから出て行く。


<やれやれ。本当に、頭部ユニットにニューロ・シナプス・チップが詰まってるのか疑わしい生真面目さだな>


 ひとり残されたネクストサーティンは笑う。

 ハルートともネクストトゥエルヴとも異なり、その口元は剥き出しの牙が並んでいて、笑い声と共に上顎と下顎が開閉していた。その口内に設置された丸い穴は、ジョリオンの所有するスマート・ガンのように何かの発射口のように見える。

 格闘戦に特化した戦闘用ドロイドであれば、ノリーンの敵ではない。

 近接格闘プラグインを零から作り上げたのはノリーンであり、その対抗策はすでに自らのうちに備わっている。

 だが、このネクストサーティンは、近距離戦も中距離戦もこなせる、万能機だろう。少なくとも、ネクストトゥエルヴがハルートと同じように活動する場所を選ばない汎用機であるならば、このネクストサーティンにはトゥエルヴとは異なる役割が与えられているはずだ。

 ノリーンは吹き抜けから様子を窺う。

 そして、階段を降り始めた。

 ネクストサーティンを排除しなければ、クラリッサを打ち倒すことはできない。

 理性が、このままサーティンを見逃した方がいいと警告する。少なくとも、サーティンを走査したことで今後の対策を練ることができる。だから、それでよしとすべきだった。

 だが、本当にそれでいいのか? ノリーンは自分で自分に問うた。

 ツクシを見捨てる決断を下しておきながら、クラリッサをみすみす見逃すのか。

 ツクシを犠牲にしておいて、クラリッサを取り逃がす自分を甘んじて受け入れることなんてできない。

 ノリーンは音もなく階段を下りていく。

 冷たい自分が、熱い自分をたしなめているのが、わかる。だが、内なる声に耳を傾けることはない。

 ようやく一階に到達する時、異変に気付く。

 ノリーンはヘッド・マウント・ディスプレイの動きを注視した。

 展望フロアに隣接するエレベーターホールで待ち伏せていた戦闘用ドロイド三機を倒すために、管理システムから切り離したエレベーター。それが動いていた。

 しまった、その手があったか。ノリーンは心のなかで毒づく。

 きっと、クラリッサは途中で非常階段からエレベーターに乗り換えたに違いない。

 ノリーンのなかに迷いが生じていた。

 ネクストサーティンだけでなく、合流したクラリッサを相手に、二対一で戦うのか?

 一対一でも、腕を人工生体義手に換えたクラリッサに苦戦した。それに、近接格闘プラグインという弱点を持たないと思われるネクストサーティンも相手にしなければならない。

 ノリーンが唇を噛んだその時、轟音が吹き抜けを駆けて行った。



 ネクストサーティンは顎を大きく開く。

 その口内には、CHFWHG――集束高周波加熱砲《コンバージェンス・ハイフリクェンシーウェイブヒーティング・ガン》が内蔵されていた。

 誘電損失によって、高周波が物質に吸収されてエネルギーが熱になる「高周波加熱」の原理を応用した兵器だ。

 外部熱源による加熱と異なり、熱伝導や対流の影響がほとんど無視でき、特定の物質のみを選択的かつ急速・均一に加熱できる。

 生体組織に高周波を照射すると、発熱でタンパク質などが変性し、凝固する。マイクロ波凝固と呼ばれ止血にも応用される。だが、こちらは兵器であり、その出力に応じて高熱による火傷や内臓損傷を引き起こす。当然、撃たれた方はただでは済まない。

 水分を多く含む物質には特に有効で、高出力で対象に照射すれば、ものの三秒で肉体の水分が急激に加熱され発生した水蒸気が外皮を突き破って無力化される。

 ゴムなど熱伝導性の悪い絶縁体であっても、加熱が可能だ。金属だろうと、高周波を照射されればたちまち出火してしまう。まさに、対象物を選ばない、万能兵器だった。

 ネクストサーティンはくつくつと笑う。

 本当は、相手が恐れ戦く姿を思う存分楽しみたかったが、この絶好の好機を逃すネクストサーティンではない。

 チャージが完了し、高周波の奔流を今まさに解き放とうとした、その刹那――。

 左右から閉じられた鋼鉄の扉が、青白い光によって押し退けられた。

 そして、ネクストサーティンの集束高周波加熱砲の砲口を滅茶苦茶にした。

 思わず、ネクストサーティンが仰け反る。

 電光掲示パネルに表示されず、電子音も鳴らないまま、乗場側ドアがぎこちなく開く。

 そして、そこから現れたのは、上等なスーツに身を包んだ若い男の姿があった。


「よう、元気か? クソったれ。どうだ、フッ化重水素レーザーの味は?」


 男はそう言うと、両手で保持したスマート・ガンをネクストサーティンに向けて掲げた。


「さあ、こっちのターンだ。もちろん、手加減なんてしてやんねえぞ」


 そして、躊躇いもなく引き金を引く。

 青白い閃光が迸った。

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