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狂人理論  作者: 金椎響
第一章 海に浮かんだ理想郷
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黄緑に光る涙

 アルテア市中心街(セントラル)

 高さ一〇〇〇メートルを超えるハイパービルディングであるIRIS本社ビルの内部を、エレベーターが展望フロアを目指して軌道(ガイドレール)を上がっていく。そのスピードは世界随一、時速六〇キロメートルを超えている。

 ノリーンは、エレベーターの管理システムを確認した。

 システムはすでに彼女が完全に掌握している。

 裏口(バック)・チャネル経由で動かしているから、正当なシステム管理者が電子上で確認しても、一切の異常を検知できない。そんな「ステルス」状態のエレベーターのなかで、ノリーンはさらに詳細を調べ上げていく。

 エレベーターホールには、三機のWBDN六――ウォーカー・バトル・ドロイド・ネクストシックスが配置され、待ち伏せていた。

 そして、展望フロアの人感センサーにはいくつか反応がある。詳細を絞り込むと、人がふたり、ロボットが一機だ。配置から、立っている人間がクラリッサ、床に寝転がっているのがツクシだろう。

 気になるのが、展望フロアにいるのはネクストシックスではないことだ。

 WSN一二――ウォーカー・シリーズ・ネクストトゥエルヴ。

 そもそも、ウォーカー・シリーズは正式にはネクストエイトまでしか存在しない。次期主力機にナインとテンの開発が控えているが、イレヴン以降は型番としては使われないことになっている。

 つまり、ハルート――ネクストイレヴンと同様、IRIS社の存在しないモデルということだろう。


「クラリッサ、やはりあなたも持っているってわけね。自分のロボットを」



 展望フロア前のエレベーターホール。

 掲げられた電光掲示パネルに表示がないというのに、電子音が鳴り響く。

 ホールに配置された三機の戦闘用ドロイドたちは、すぐさま反応し、エレベーターの昇降口の前に集まり、ドアが開くのを待つ。

 だが、扉は一向に開かない。

 戦闘用ドロイドたちはすぐに異常を察知し、二機がそれぞれ指を扉に差し入れて、強引にこじ開けていく。乗場側ドアはインターロックと呼ばれる装置で施錠され、専用の器具を用いないと外部からは開錠できないはずだが、戦闘用ドロイドたちは構わず、力技で強引にドアを破ろうとする。

 エレベーター内部の照明は消されていた。

 鋭いラインセンサーの眼光を赤く光らせながら、三機目のドロイドが僅かな隙間目がけて果敢に飛び込んでいく。

 その指先が、エレベーターの壁面をとらえた。

 だが、そこにノリーンの姿はない。

 次の瞬間、エレベーターはドアが開いたまま、一気に階下へ向けて降下した。

 強引に扉を開けようと手をかけていたドロイドの手が腕ごともぎ取られる。一機は状況を確認しようと、軌道(ガイドレール)にそって落下していくエレベーターの上部に着地する。そして、周辺状況を走査する。

 ドロイドが頭部を真上に上げた。

 ホールに残っていたはずの、手首を喪失したドロイドが昇降路(シャフト)へ転落し、上部に着地したドロイドの頭目がけて飛んできた。

 あまりの速さに、ドロイドは回避行動もとれず、二体は正面から衝突し、重なり合うようにしてエレベーターの上部に転がった。

 誰もいなくなったはずのエレベーターホール。無理やりこじ開けられた乗場側のドアから昇降路(シャフト)を覗き込む、ノリーンの素顔がそこにはあった。

 彼女はエレベーターの管理システムを乗っ取り、彼らが囮のエレベーターに組み付いている間、「ステルス」状態にしたエレベーターでまんまとエレベーターホールに降り立っていた。

 そして、囮のエレベーターを急降下させると、ホールの乗場側ドアで待機していた手を損傷したドロイドをあっという間に組み伏せて、昇降路(シャフト)目がけて投げ飛ばした。

 ノース・チャイナ・ペンタゴンの『ニホンバシカメラ』で事前に予行練習をしていたノリーンにとって手負いのドロイド一機など、もはや彼女の敵ではなかった。



 IRIS社のエントランスは、ガラス張りの壁面の一部が破られ、警備用ドロイドの姿がいないこと以外は、特段異常は見られなかった。もっとも、このご時世、警備用ドロイドが警備員として立っていないというのは、異常事態以外の何物でもない。


「さあ、ハルート。どうする?」

<エレベーターで展望フロアまで一直線に行きたいところですが、管理システムを掌握されているようで、どのエレベーターもこちら側からは動かすことができません>


 ジョリオンの顔から血の気が引いていく。


「……マジかよ。このビル、何階あるんだよ?」

<目的地の展望フロアまでは一六九階ですよ、ジョリー>

「おいおい、クラリッサに会う前にバテちまうじゃねえか……」

<その発言は虚偽ですね。特殊部隊の戦闘要員(オペレータ)であるあなたは、脚力には相当自信があるはずです。特殊部隊の選抜訓練でも忍耐力は極限まで高められているでしょう?>

「そりゃそうだが……いかんせん時間かかるぞ?」


 その時、エレベーターの乗場側ドアの向こうで、轟音が鳴り響いた。

 激しい金属音に、ジョリオンがスマート・ガンの銃口を向ける。


<ジョリオン、あのエレベーターだけは管理システムの掌握から外れました。わたしに内蔵された情報収集プロトコルで動かすことが可能です。もちろん、これは罠かもしれません>

「だったら、乗る乗らないは別にして、まず最初にやっつけておこうぜ」

<あなたの意見に同意します>


 言うが早いか、ジョリオンはスマート・ガンの引き金を引き、銃身にチャージされていたエネルギーの奔流を解き放つ。

 スマート・ガンの上部に装着された光学照準器(オプティカル・サイト)。そこに重ね合わされたエレベーター内の映像から、ジョリオンは瞬時に敵性ドロイドの姿を見極める。その頭部ユニットに三発のフッ化重水素レーザーを正確に叩き込んでいた。

 ハルートは「情報収集プロトコル」と命名されたクラッキング・ツールを用いて、管理システムに干渉する。乗場側とゴンドラ側のドアを電子的に制御して、開かせる。


<ジョリオン、エレベーターの上部に二機、潜んでいますよ>

「ハルート。おまえはやっぱ、凄え便利だな」


 ジョリオンは爪先からゴンドラ内へと滑り込むと、天井にスマート・ガンを掲げ、引き金を絞る。波長三・八マイクロメートルの中赤外線域化学レーザーの青白い閃光が立て続けに、天井部分に六つの穴を穿(うが)っていく。


<上部に潜んだ二機の敵性ドロイドの機能停止を確認しました>

「おれの方が三機多く倒した」


 ジョリオンが冗談めかして言うと、ハルートは即座に応じる。


<何を言っているんですか、ジョリー。ジョリーの戦果は、相棒のわたしの支援があってはじめて得ることのできた、共通の戦果です>

「じゃあ、おれの失態はおまえの失態にもなるのか?」

<いえ、それはジョリー個人の問題です。わたしはわたしなりに、自分の優秀さと有用性をしっかりと証明しています。ジョリー、むしろあなたがわたしの足を引っ張らないか、心配でなりません>

「ったく、嫌な奴だよ……」


 ジョリオンは、呆れてものも言えない。

 穴が開いたドアが閉まり、ふたりを乗せたエレベーターは展望フロアのある一六九階を目指し、凄まじい速度で天へ昇っていく。



 ノリーンが堂々と真正面から展望フロアへ乗り込んで行く。

 エレベーターホールに配置された三機のネクストシックスを排除した時点で、自分の存在を相手に知らせてしまっている。ということは、どんなに手を尽くしても奇襲ではなく強襲になる。ノリーンは単身なのだから、強襲にしたって限度がある。

 だったら、下手な小細工は無用だとノリーンは判断した。

 どうせ、ツクシを人質にとられている以上、彼女を盾にされたらノリーンの行動は制約されてしまう。もちろん、ノリーンとてただ黙ってクラリッサに殺されるために、ここに来たわけじゃない。そういう意味では、見極めが肝心だ。

 どこで、ツクシの命と自分の命の釣り合いを取るのか。


 展望フロアの開けた場所に立つ、ふたりの姿。

 ひとりはノリーンと同じように、身体能力を増強するタクティカル・スキンの上に戦闘服(BDU)を着込み、さらにボディ・アーマーやコンバット・チェスト・ハーネスなどを身に着け完全武装したクラリッサ。

 もうひとりは、真っ白いロボットの姿だ。

 ハルートと同様の、全身甲冑(フルプレート)型。その輪郭は丸みを帯びていて、胸と尻は突き出て逆に腹は引っ込みくびれている。女性を模しているのは明らかだ。

 WSN一二――ウォーカー・シリーズ・ネクストトゥエルヴ。

 だが、このネクストトゥエルヴ、今朝ノリーンが見た夢のように、直刀のカタナ型の高周波ブレードを装備していない。ハルートと同じように、徒手空拳で戦うのだろうか。

 そして、クラリッサの足元に力なく横たわっている、下着姿のツクシ。

 その首元にはいくつもの、赤くて丸い注射痕が生々しく残っている。たとえ、四肢を拘束されていなかったとしても、なんらかの投与された物質のせいでこの場から動けなかっただろう。

 ツクシの端整な顔からは血の気が失せ、青ざめている。胸が大きく上下して、苦しげに息をしている。

 何より異質なのは、ツクシの鳶色の瞳から、黄緑色に光る涙を流していた。一体、ツクシの体内で何が起こっているのか、ノリーンには想像もつかないが、確実にツクシが死に迫りつつあることだけはこれっぽっちも疑いがなかった。


「感動の再会だな、エレナー。彼女もどことなく嬉しそうじゃないか? ほら、涙が光ってるぞ?」


 クラリッサの人を小馬鹿にしたような言葉に、ノリーンは殺気立った視線を向ける。


「久しぶりね、クラリッサ。元気そうで何よりだわ。そして、これから元気じゃなくなるのが、本当に残念だわ」


 ノリーンの言葉に、クラリッサがその口角を吊り上げて笑った。


「ほう、ひょっとして自信があるのか?」

「……あんたに後れを取るわたしじゃないわ」


 ノリーンはクラリッサを睨みつける。


「せっかく、久しぶりに会ったというのに相変わらずつれないやつだな、エレナー。どうだ? いい機会だ、おれと『人を戦いに駆り立てる因子』について熱く語り明かそうじゃないか?」

「わたしは、信頼できる人にしか、その手の話はしないの。それに、時間もないしね」

「まぁ、そうだろうな」


 クラリッサはコンバット・チェスト・ハーネスから電子端末を抜き取る。


「この子に投与したのは、緊急治療用ナノマシンだ。健康な人間の体内に、一気に多量投与すると、ナノマシンが大量に増殖して呼吸困難や心肺停止の恐れがある」


 クラリッサはしゃがみ込むと、ツクシの顎を鷲掴みにし、青ざめた頬に頬擦りする。弱り切ったツクシは抵抗もできずに、クラリッサのされるがままになっていた。その光景に、思わずノリーンが強く唇を噛んだ。


「この端末には、彼女に投与したナノマシンを不活性化する信号を発信するプログラムがインストールされている」


 そう言うと、棒状の端末をネクストトゥエルヴに向かって投げつける。

 ネクストトゥエルヴは一歩も動かないどころか、身動ぎもせず掌だけで正確に電子端末を受け止めた。


「さあ、選択の時間だ、エレナー。かけがえのない友人の命を救うか、それとも今後脅かされる無数の命を救うか。そのどちらの未来を選び取るかは、エレナー……きみの決断にかかってる。さあ、よく考えろ。そして、決断しろ」


 クラリッサの笑い声と共に、ネクストトゥエルヴは大きく跳躍する。

 あっという間に、展望フロアからエレベーターホールまで駆け抜けると、固く閉じられた隔壁を片手でこじ開けて、その姿は非常階段へと消えていく。

 はたして、ノリーンはクラリッサに飛びかかっていた。

 米国陸軍(アーミー)が制式採用する戦闘用ドロイドすら生身で倒してしまう、ノリーンの鉄拳がクラリッサに向けて放たれる。人間業とは思えない一撃を、クラリッサは間一髪のところで必要最小限の挙動だけを取ってかわし、脚の力だけでその場から後退する。


「冷たいやつだな。巻き添えになったご学友の命よりも、おれの命を選ぶのか。何が信頼できる人としか話さない、だ」


 クラリッサは毒づく。


「どうだ、エレナー。『人を戦いに駆り立てる因子』なんてなくとも、おまえはおれを殺そうとした。これが真実だとは思わないか?」

「あんたとこの話はしないって、言ったでしょ!?」


 クラリッサの首筋目がけて、ノリーンの強烈な蹴りが飛んでくる。人間を超えた反応速度、リミッターを解除したロボットのように破壊的な脚力、そして機械に勝るとも劣らない正確性。

 しかし、クラリッサは避けず、右腕一本でノリーンの脚を受け止める。

 タクティカル・スキンで筋組織が締め上げられているとはいえ、腕の骨が圧し折れていてもおかしくはない一撃だった。だが、クラリッサの顔には余裕の笑みすら浮かんでいる。


「その顔、いいな。どうして、おれの腕が折れちゃいないのか、疑問だろう?」


 ノリーンはすぐさま背後へ飛んで、ツクシの傍に着地する。


「馬鹿言わないで。どうせ、高機能義手の類でしょう」

「さすがだよ、エレナー。おれの遺伝子情報を元に設計され、人工的に生成された生体部品で組み上げられた人工生体義手。金属は一切使われていないおかげで、金属探知機に感知されずに厚さ五センチの鉄板を貫ける、最高の指と手と腕があるってわけだ」


 ノリーンは笑う。


「あんた、馬鹿でしょ? 自分から情報を暴露するなんて。それとも、それがあんたの余裕ってやつ?」

「そうだよ、エレナー。きみじゃおれに勝てない。それに、勘違いしているようだけど、これは挨拶みたいなもんだ。本番を前にした、前座と言っても過言じゃない」


 そう言うと、クラリッサは構えを解いた。


「考えてもみなよ、エレナー。もしも、おれが本気できみを殺そうとしたら、わざわざネクストトゥエルヴをここから離脱させたりはしなかったはずだ。たとえ、近接格闘プラグインの開発者だろうと、おれのネクストトゥエルヴが相手ならば、いい勝負になったはず」


 だが、ノリーンは一向に警戒を解かない。


「まぁ、本当は積もる話もいろいろとあるんだが、今はそれよりも、見捨てた可哀想な友人を相手にエレナーが一体どんな言葉で自らの選択を正当化するかに興味がある。せいぜい、楽しませてくれよ、エレナー」


 そう言うが早いか、クラリッサは背を向けてその場を離れる。


「ただ、ひとつだけ言わせてくれよ。エレナー、きみの決断は本当に合理的だったのか? あれが最善の解決策だったのか? これが、エレナーの求めた、合理的な結果だったと言うのか?」


 クラリッサは特段急ぐ様子も見せず、ネクストトゥエルヴが開けた扉をくぐると非常階段へと消えていった。

 展望フロアに残された、ノリーンとツクシのふたり。


「……ツクシ」


 ノリーンはしゃがみ込むと、そっとツクシの顔を自分の膝に上に置いた。彼女の涙も、口の端から垂れる涎も黄緑色に輝き、薄暗い空間のなかで存在感を振り撒いていた。

 ノリーンは優しい手付きで、ツクシの頭を撫でる。ツクシが思わず安堵の息を吐き出して、目を細めた。


「わたしは行くわ。……許して、だなんて言わない。恨んでくれても、呪ってくれても構わない。これがわたしの選択。この決断に、迷いも悔いもないわ」


 ノリーンはツクシの身体を床に預けると、身を翻してその場を離れる。

 ツクシの瞳。そこから黄緑に輝く涙が零れて落ち、その頬を薄ら照らし出していた。

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