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狂人理論  作者: 金椎響
第一章 海に浮かんだ理想郷
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クラリッサ

 派手な黄色の自動車が南へ向け、凄まじい速度で駆け抜けていく。

 ジョリオンの運転技術は巧みで、自動運転車の挙動に惑わされ、かえって非効率的な運転になりがちな他の運転者とは明らかに異なる。天性の勘と経験に裏打ちされた技量をもって、高速道を驀進していく。


「行き先は工科大学(アルテック)でいいんだな!?」

<はい。もしも、確実な支援を得られる保証のないIRIS社へ行くよりも先に、まずは工科大学(アルテック)ベンチャー棟の研究室にいるツクシの無事を確認するはずです>

「……ツクシは無事だと思うか?」


 ジョリオンの問いに、ハルートは推論エンジンに割くメモリを優先させる。


<それは、非常に難しい質問です。ノリーンに人質戦略が有効かどうかは未知数です>

「連中もそう思って、ツクシには手を出していなければいいんだが……」


 ジョリオンが赤く燃える空に視線を移す。

 太陽がサンフランシスコ湾へ今にも沈もうとしていた。

「だが、妙だぜ。こっちはとばしてるっていうのに、一向にノリーンの背中が見えてこない」

<おそらく、なんらかの手段を用いて、移動時間を短縮しているんでしょう。チェルシーから借りた電動スクーターの速度では、後発ながらもわたしたちが追いついているはずです>

「……無人トラックの貨物輸送シェア・サービスか」

<もしくは、チェルシーからなんらかの電子的なクラッキングツールを受け取っているのかもしれません>


 ジョリオンは話しながらも、慎重に車間距離を見極めながら、ハンドルを切り、アクセルペダルを踏み込む。

 ふたりが選ぶことができる移動手段のなかでは、もっとも早く工科大学(アルテック)へ辿り着ける、賢明な選択だっただろう。


<ジョリー、わたしにはいくつか疑問があります>

「いい機会だ。言ってみろ」

<ジョリーはどういった縁でノリーンと出会ったんですか?>


 ハルートの問いに、ジョリオンは顎を触れる。


「ふむ、話せば長くなる話題なんだが。端的に話せそうにない」

<わたしのストレージに保存されている記憶情報をいくら参照しても、そもそもなぜジョリーがノリーンを頼るようになったのか、わたしにはその当時の記憶が存在しないんです>

「まぁ、それはそうだろうな」


 ジョリオンらしからぬ、大人の余裕が感じられる笑みを浮かべた。


<それに、近接格闘プラグインの開発の経緯。あなたは、米国陸軍(アーミー)の戦闘用ドロイドにインストールされた近接格闘プラグインの実装者がノリーンだと、そう言いましたね?>

「そうだな」

<わたしの知っているノリーンは人の脳内神経マトリクスから、人を闘いに駆り立てる因子がないかを研究する、大学院生です>

「そっちも、話せば長くなるテーマなんだ。話の途中で、工科大学(アルテック)に着いちまう」

<ええ、ジョリーの推論は妥当だとわたしも判断します>


 そこまで発して押し黙り、窓の外に広がる景色を眺め始めたハルートに、ジョリオンはいたたまれなくなって声をかけた。


「……なあ」

<はい?>

「ハルート。おまえ、昔話は好きか? 昔々、あるところにジョリオンという名の若くて魅力的な男がいました、ってやつだ」


 ハルートは身を乗り出す。


<それは、非常に興味深そうな話ですね>



 アルテック――アルテア工科大学《AIT》もまた、夕日に染められて赤々と輝いていた。

 一三〇エーカー(約五二六一〇〇平方メートル)にも及ぶ広大な敷地に立ち並ぶ白亜の校舎の間を、一台の電動スクーターが軽やかに走り去っていく。

 目元を覆う、ゴーグルのようなヘッド・マウント・ディスプレイは鏡面仕上げとなっていて、周囲の風景がそこには映し出され、着用者の目をうかがうことができない。

 傍から見ると、最新鋭のピクセル迷彩柄の丈長のミリタリージャケットにタイツ姿に見えるが、その脚を覆っているのは筋力増強(マッスルアシスト)用のタクティカル・スキンだ。

 ノリーンは工学棟群の端に位置するベンチャー棟の一室を確認する。

 窓からは、室内の明かりが煌々と漏れている。窓辺に人影はない。

 だが、油断はできない。

 チェルシーから譲り受けたヘッド・マウント・ディスプレイで周囲の監視(サーヴィランス)カメラや各種センサーで収集された映像や、タグ付けされた文字情報を一通り検索する。

 少なくとも、ここにIRIS社から奪取された戦闘用ドロイドが待ち伏せていて、不意打ちを食らうは避けられそうだ。

 わざと駐輪場ではなく、棟内空調の室外機が置かれた場所に電動スクーターを駐車する。

 すぐに、身を翻し、物陰を伝ってベンチャー棟の脇にある非常階段へと続くドアに組みつく。

 警報システムへのリンクがないことを確認してから、プラスチックパネルの封印を叩き割った。

 そして、階段を駆け足で上がっていく。

 適度に締め上げられて増強された脚力で、一気に走破する。

 棟内へ入る前に、研究室内の情報を照会しておく。

 ドアの入室管理ログを確認する。ツクシの退室記録はない。そして、「情報なし」という個人情報が壊れた人物の入・退室の記録がある。

 次に、人感センサーの情報をモニターした。

 室内に、熱を発し、動く存在は確認できない。

 セキュリティ・レポートにある以前の室内情報との差分も検証してみる。室内に待ち伏せ(アンブッシュ)やブービートラップの類はない。

 最後に、部屋にある物に付与された「タグ付け」情報を見た。

 前回のセキュリティ・レポートで記録された情報を表示内容から排除すると、浮かび上がってくる名前は「ツクシ・ツクモ」ばかり。

 今朝、彼女がこの部屋に持ち込んだサラダの瓶だけではない。ツクシがその身に纏っているはずの、フェミニンな服から履いていた靴の情報まであった。

 人のいる気配はセンサーでは確認できないのに、ツクシの手荷物どころか着衣の反応が研究室のなかにある。

 ノリーンの心のなかに、不快感が波紋のように広がっていく。

 嫌な予感がする。

 音もなくドアを開け、自分の研究室へ駆け足で向かう。

 扉に掲げられた電子端末を見て、ノリーンは一瞬だけ、たじろいだ。

「エヴァレット.E研究室。関係者以外立ち入り禁止、要ノック」という表示の上に、赤い蛍光塗料で書き込みがあった。


 ノックはしたか?


 ノリーンは覚悟を決めて、部屋へ入る。

 人間の背丈まである情報処理端末が所狭しと並び、冷却用ファンの駆動音が室内に鳴り響いている。

 外装が外され、内部が剥き出しに晒されたロボット。それが以前と変わらず、彫像のように陳列されている。

 だが、そのうちの一体だけは明らかに異なる姿をしていた。

 服を着ていた。

 それは、先程タグ付け情報で確認したツクシの装い、それがまるで店頭に並べられたマネキン人形のように着飾ってノリーンの前に立っているようだった。

 連邦航空宇宙局(NASA)の管制室のように、壁一面を埋め尽くす無数の超薄型ディスプレイ。

 そこには、今朝の朝食の風景がエンドレスで表示されている。

 そして、動画に覆いかぶせるようにして、画面の上に赤い蛍光塗料で書かれた、赤い文字列。


「ゲーム理論の土台は、フォン・ノイマンとオスカー・モルゲンシュテルンの共著『ゲームの理論と経済行動』だ。この仮説は、あらゆるゲームにおいてプレーヤーは合理的で、どんな状況下であっても解決策が存在し、合理的な結果が得られる、という前提条件のもとに成り立つ」


 ノリーンは朝食の際、片づけた机の上にも赤い蛍光塗料で文字が書かれていることに気付いた。


「だが、このアルテアという都市も、合衆国という社会も、この世界も、複雑怪奇だ。おれたちは合理的か? この状況に解決策があるのか? その果てに合理的で説明可能な結果なんてあるのか? おれは、それが知りたい」


 文末に添えるピリオドの代わりに置かれた、ツクシの携帯端末(モブ)

 テレビ電話の映像だった。

 そこに表示されていたのは、四肢を拘束されたツクシの下着姿。

 血の気が失せ、青ざめた顔。胸が大きく上下して、苦しげに息をしている。その首筋には、皮下注射器(スキニー・ホッパー)でも打たれたのか、赤く丸い痕が発疹のように浮き出ていた。


「不用意だな、エレナー。おまえの姿が、彼女の携帯端末(モブ)を通してこちらに表示されてるぞ。それとも、この子の姿に焦ったか?」


 ノリーンと同じ年齢くらいの、女性の声。それが、スピーカーから出力されている。


「位置情報はそちらの画面にも出ているはずだ。早く来い。みんな待ちくたびれている」


 それだけ言うと、テレビ電話が切られ、携帯端末(モブ)の表示がホーム画面に戻った。



 アルテア市中心街(セントラル)、高層のビル群が立ち並ぶ第一級の商業区画は、まるで石英の尖塔が競うように天に向かって伸び、さながら鉄とガラスの山脈が脈々と連なっているようだ。

 そのなかに、アルテアの技術界と経済界を代表する企業のひとつ、アーバイン・ロボティクス・インフォメーション・システム――IRIS社の本社が置かれていた。

 無数の高層ビルが立ち並ぶアルテアと言えど、一六七階建て以上で高さが一〇〇〇メートルを超える「ハイパービルディング」は、このIRIS社と諜報軍(インテリジェンス)の戦術作戦センター《TOCA》インフォタワー、それに犯罪推測予防システム“プリクライム”を署内に置いたアルテア市警察《APD》第七分署の三カ所しかない。


 そのビルへ向かって歩いていく、ひとりの女性の姿があった。


「……クラリッサ。やはり、あなたなのね」


 彼女はそうひとり呟くと、ビルのなかへと消えていった。

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