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狂人理論  作者: 金椎響
第一章 海に浮かんだ理想郷
5/30

愚者は経験に学ぶ

 高速道から一般道出口ゲートへ向かう、一台の自動車。

 低重心低天井、流線的でいかにも速く走れそうな濃紺のドイツ製高級車は、フロントガラスやヘッドライトが脱落し、ボンネットには大きな凹みと痛ましい亀裂が走り、フロントグリルや車体側面はひしゃげて波打っている。

 どちらかといえば、なぜここまで損傷しながら平然と走ることができるのか、不思議なくらいの壊れっぷりだ。


<ジョリー、わたしにはいくつか疑問があります>

「……言ってみろ」

<目的地はアルテア市中心街(セントラル)、アメリカ合衆国諜報軍(インテリジェンス)アルテア戦術作戦センター《TOCA》、インフォタワーのはずです。この先のゲートをくぐると遠回りになってしまいますが……>

「ああ、異論はねえよ」

<では、なぜ?>

「……おい、おまえ、冗談言ってる場合か?」


 ジョリオンが露骨に嫌そうな顔をした。


「廃車同然のこの車で中心街(セントラル)へ行ってみろ? 警備用ドロイドに呼び止められて、しまいには直属の上司へ一報が届くに決まってる。まぁ、これは急がば回れってやつだ」

<なるほど、その観点はありませんでした>

「これから隠れ家(セーフハウス)へ行って、車を変える。どうせ、この車の所有者情報とジョリオン・ジョンストン諜報軍(インテリジェンス)少佐(メイジャー)の個人情報はタグ付けされてるだろうしな」

<ですが、ジョリー。あなたは情報収集や行動履歴分析に捕捉されない、特権的な資格を持っているのではないですか?>

「もちろんだ。だが、その顛末がこれだ」


 そう言いながら、ジョリオンはボロボロになった車の膝掛けを叩く。

 いつの間にか周囲の風景は、のどかな田園風景に様変わりしている。

 緑の絨毯の上を、クッションを纏ったような羊の群れが走っていく。追い立てているのは、犬型ドローンだ。一頭一頭の動きを把握しながら、あらかじめ設定された目的地めがけて駆けていく。

 かつて、イギリスやオーストラリアで見られたであろう光景。絵に描いたような、平和な雰囲気をぶち壊しにする壊れ放題の車が周囲の雰囲気を尻目に走り去る。


<IRIS社をはじめとする兵装奪取事件の首謀者たちが、先手を打ったのはほぼ確実です。しかし、腑に落ちないのは、先方の行動です。いくらなんでも対応が早い。われわれはまだ、ノリーンの足取りを追跡するに留まっています>

「同感だよ」

<わかっていることは、プリクライムの犯罪予測アルゴリズムには致命的な推測漏れがある、ということくらいです>

「だから、先手なのさ。おれたちが不都合な事実に気付く前に、排除する。何かを知られ、アーカイヴされる前にな」


 後方確認用のミラーに視線を移しながら、ジョリオンは言う。

 目視できるぎりぎりの絶妙な位置に、電動スクーターの小さな姿が映り込む。


<なるほど。では、心配しなくても大丈夫ですね>

「おい。話聞いてたか!? なんでそうなるっ!?」

<いいですか、ジョリー。先方は真相に辿り着く前に、わたしたちを排除したい。ということは、できることを淡々とこなしていけば、いずれ真実に到達するということです>


 断言するハルートに、ジョリオンは渋い顔を向ける。


<違いますか?>


 そして、何故か念を押される。


「そりゃそうだが……、それが簡単にできるなら苦労はねえよ」


 ジョリオンはわざとらしく、大仰なリアクションを取ってみせた。


「ところでな、この車の後ろに一台のスクーターが来てるのがわかるか?」

<はい>

「いつからつけてきてるか、わかるか?」

<ストレージに保存された情報から分析するに、一般道ゲートへ降りた時から、ずっとこの車間距離を保っています。わたしたちの後を追っているのは明らかですね>

「やっこさんを隠れ家(セーフハウス)に連れて帰る訳にはいかん。故障を装って、車を脇に止める。だから、万が一って時は……わかるな?」


 言うが早いか、ジョリオンは車体のドアに備え付けられたホルダーからスマート・ガンの銃把(グリップ)に手をかける。


<もちろんです、ジョリー>


 ハルートも座席から身体を起こすと、後方を覗き込む。


<……ですが、あの出立(いでた)ちと背格好には見覚えがあります>

「なんだと?」

<所有者情報を参照してみましょう>


 ハルートが押し黙る間も、電動スクーターはみるみるうちにジョリオンとハルートの乗る車に近付く。

 その像が次第に大きくなるにつれ、おぼろげだった詳細が鮮明になる。

 目元を覆う、ゴーグルのようなヘッド・マウント・ディスプレイ。清潔感のある黒いカットソー。下半身には蛍光色の作業着を身につけていた。身につけている着衣や装飾品に、個人情報は含まれていない。

 だが、ハルートは確実に、情報を得ていた。


<電動スクーターの所有者として登録されている名前は、チェルシー・クリーヴランド>

「ノース・チャイナ・ペンタゴンの『ニホンバシカメラ』で会った店員だな……」


 ジョリオンは毒づきながら、車の速度をゆっくり落としていく。

 そのまま、滑らかに車を路側帯へ入れる。

 エンジンはかけたまま、サイドブレーキはあえてかけないでおく。万一、襲撃を受けた際、迅速にこの場から離脱するためだ。


「どう思う? あの店に何か忘れ物をして、あの娘がそれを届けにきてくれたと思うか?」

<チェルシーは仕事熱心な女性です。店を空けて追って来るとは思えません。……ジョリー。もしや、彼女を疑っていますか?>

「あの店を出て、アルテア戦術作戦センター《TOCA》インフォタワーへ向かう道中で襲撃を受ければ、誰だってそう考えるんじゃないか?」

<なるほど。ジョリーの懸念を理解しました。あのチェルシーが兵装奪取の実行犯と繋がる重要人物であれば、確かに……盛り上がりそうですね>


 ハルートはそう言いながら、降車した。

 スクーターの運転手に警戒心を抱かれないように、遠めから見ると壊れた車の様子を確認しているよう欺瞞する。


「違うって言うのか?」

<はい、わたしはジョリーとはまったく異なる意見を持っています>


 電動スクーターも徐々に速度を落とす。

 車との距離がじりじりと縮む。

 ハルートも相手の動きに合わせて、車の後部へとゆっくり歩いてゆく。


「じゃあ、なんだってんだ?」


 ジョリオンはホルダーからスマート・ガンを引き抜くと銃把(グリップ)に備え付けられたボタンを押し込んで、銃身に電力を充填し始める。

 必要とあらば、ドアを足で蹴って、すぐにでも引き金を引いて手痛い一撃を与えられるよう、準備を万全に整える。


<感動の再会、というやつですよ>


 電動スクーターが、ジョリオンの車のすぐ脇に停車する。


「随分といい車に乗ってるのね、ジョリー」


 女性にしては低い声。

 そこには、皮肉っぽい意味合いを少しも隠すことなく、匂わせている。

 細くて長い指が、鏡のように磨かれたヘッド・マウント・ディスプレイを押し上げる。

 そこから現れたのは、紫色の鋭い眼光。


<ノリーン、急用の方は大丈夫でしたか?>

「まだその途中よ」


 ハルートの言葉に、微笑んでみせるノリーン。


「……ノリーン」

「お話をする前に、預かった荷物のなかにあるわたしのスマート・グラスとジョリーの携帯端末(モブ)をどこか適当なところに埋めておきましょう。不用意に身につけていると、情報を走査されるから」

「そうだな、用心深いことに越したことはない」

<問題は誰が穴を掘るのか、ですね?>


 ハルートの言葉に、ノリーンとジョリオンは顔を見合わせた。


「おめえしかいねえだろ?」

<……わたしが、ですか?>


 ハルートが心底嫌そうにノリーンに訊ねる。


「ふたりで決めて。もちろん、わたしは嫌よ」



 時刻は、一五時。

 ノース・チャイナ・ペンタゴンからは離れたとはいえ、北部地方には穏やかな時間が流れている。

 かつては、構造体と構造体を繋ぎ止める不愛想なレールしかなかった地域も「開発」が進み、古の遊牧地帯を再現したような光景がずっと広がっていた。周囲に家屋はなく、一般道というよりも農道と表現した方が適切な道が延々と続く。

 ジョリオンの車が、車道から外れる。

 一段とロードノイズが厳しくなった。ただでさえ、無人トラックの衝突攻撃で、サスペンションなどの装備が音を上げているというのに、構わず無舗装の地を強引に走破していく。

 舗装されていない草原を少しばかり走る。

 そして、不意に車が停車した。


「……ここが隠れ家(セーフハウス)?」


 不審に思って、ノリーンが首を左右に振る。

 もちろん、建物を形容すべきものはどこにも見当たらない。それどころか、高い木々や標識といった、何か目印の代わりとなるものも存在しない。


「パッと見てわかったらダメだろ?」


 ジョリオンはそう言って、スマート・ガンが収納されたホルダーの装置を弄り出す。

 場違いな金属音が足元から響く。地鳴りにも似た大音響が鼓膜を震わす。

 すると、大地がじりじりとせり上がって来る。ノリーンが反射的に声を上げた。

 地面が持ち上げっていくのではなく、ノリーン達が地表ごと下降している。


<なるほど、地下の構造体の一部に組み込んであるんですね。これなら、電子的な走査も欺瞞できます>

「本当は、頭上の人工衛星からの光学監視からも欺瞞したかったんだがな」

「これだけ手が込んでいれば上出来よ」


 おどろおどろしい音を上げて現れたのは、金属製のいかにも頑丈そうなシャッター。鈍色(にびいろ)のなかに、一箇所だけ存在する、青い部分。生体認証用の青い読み取りパネルに、ジョリオンは自らの掌を押し付ける。

 すると、上下にがっちり組み合ったゲートが開いていく。

 なかからは、一見すると自動車の整備工場の一角のように、専用の工具や工作機器、それに3Dプリンターなどの大きく重たそうな機器が備えられている。

 さらに、その奥には眩しい真っ黄色のスポーツカーが展示物のように鎮座していた。


「なんだか、秘密基地みたいね。諜報軍(インテリジェンス)に入ると、みんなこんなスペースがもらえるの?」

「まさか。こればっかりはおれの趣味みたいなもんさ」


 ジョリオンは車を停める。

 そして、ギークのノリーンでさえなんの用途に用いるのか一瞥して判断できない工具類、それらが無造作に載った作業台へ近付き、パイプ椅子を引っ張り出してくる。


「さて、お話って言ったが……何から話せばいい?」


 作業台の工具を腕でまとめて脇に寄せ、場所を作るジョリオン。


「まぁ、大体のところは察しがつく。高速道で派手にやってたものね」


 ノリーンの苦笑に、ジョリオンの表情が自然と硬くなる。

 もちろん、その意味合いは派手にやったのはハルートだ、と言いたげな顔なのは明らかだ。


「問題は、誰が目当てなのか? 標的がジョリーで、交通事故死に見せかけて倒したかったのか、それともわたしを誘き出すために、わざとジョリーを襲ったのか? 現時点での情報だと、それが絞り込めないのが厄介ね」

<高速道に投入された戦闘用ドロイドの数は奪取された三五機のうち、僅か五機だけでした。ジョリーの所持するスマート・ガンの攻撃能力で十分対処できる戦力でしかなかった以上、この一件に関わるなという警告の意味合いが強いのでは?>


 ジョリオンが変な声を上げる。


「いやいや。さすがのおれでも、あれはキツかったぞ……」

「まぁ、腐っても諜報軍(インテリジェンス)の現役軍人な訳だしね」

「勘弁してくれ」


 ジョリオンが手を振り、そして作業台に弱々しく突っ伏す。


「もしも、ジョリオンが狙いの場合、諜報軍(インテリジェンス)関連に手がかりがありそうね」

「おれは今朝の兵装奪取事件を聞いて、真っ先にノリーンの顔が頭を(よぎ)った」

「……でしょうね」


 ノリーンは腕を組みながら、目を伏せた。


「もし、わたしが狙いの場合、研究室にいるツクシが危ないわね。わたしが在室だと思って襲ったら、なかにいたのはツクシだった。となれば、変な目に遭っていなければいいんだけど……」


 深刻な表情を浮かべるノリーンの姿を見て、ジョリオンの顔にも険しい色が伝播する。


<待ってください、ノリーン。そもそも、今朝のIRIS社をはじめとする一連の兵装奪取事件が、ノリーンとどのように結び付くんでしょうか? 推論エンジンは演算に必要な情報の開示を求めています>


 ハルートの場違いな言葉に、ジョリオンが目を丸くする。


「なんだ、ハルート。おまえ知らないのか?」

<そういうジョリーは何かご存じなのですか?>


 ハルートには当然、ジョリオンを咎める意図などなかったのだが、自然と皮肉っぽいニュアンスが込められているように、ジョリオンには感じられた。ジョリオンは溜息交じりに、肩を狭めてみせる。


「ご存じも何も、奪取された戦闘用ドロイドに搭載されたTOS――戦術作戦システムのうち、近接格闘プラグインを実装したのが、そこにいるノリーンだからだ。だから、何か脆弱性やバック・チャネルがないかと思ってな」


 一気に捲し立てると、ジョリオンが不敵な笑みを浮かべた。


<……知りませんでした>

「まさか、ドロイドを倒す対抗策まであるとは思わなかったけどな」

「残念だけど、現在米国陸軍(アーミー)が正式採用した近接格闘プラグインには目立った脆弱性も裏口(バック・ドア)も存在しないわ。それが、彼らの求めた『仕様』だったから」

「じゃあ、『ニホンバシカメラ』で畳の上に転がってたあの展示機はどうやって?」

「その境地を、一日二日でジョリーに教えられれば世話ないわ」


 ノリーンは露骨に溜息をつく。

 その境地とやらを訊き出そうとするジョリオンの言葉を遮って、彼女は訊ね返す。


「そういうジョリーはこの後どうするつもり? ここで素敵な愛車の整備?」

「よせよ。生憎、愛車を弄りたくても、交換パーツがここにはない。あれは特別限定車なんだ。それに、お給料に見合った仕事くらいはしてやるつもりだ」


 ジョリオンの能天気な言葉に、眉を顰めて公然と不快感を表すノリーン。


「……あなた、死ぬわよ? もしも、老後をこんな田舎で穏やかに時間を過ごしたいと思うのであれば、ここに留まって嵐が過ぎるのを待つ、それが今のあなたにできるもっとも賢明な判断よ」


 少なくとも一〇歳は年下、しかも民間人にそんな風に言われて、ついジョリオンも低次元な応酬を返す。


「そういうノリーンはどうする? ここで戦争の遺伝子に関する学術論文でもしたためるのか? なんなら、パソコンくらい貸すし、コーヒーだって出してやるよ」

「結構よ。わたしはIRIS社のアルテア本社と、研究室にいるツクシの安全を確かめなくちゃ」


 彼女の予期せぬ言葉に、ハルートとジョリオンはどちらからともなく顔を見合わせる。


「どうしてIRIS社に? 今朝の現場の実況検分にでも立ち会うのか?」

「そんなわけないでしょ、わたしは捜査官でも鑑識でもないんだから。この事件に必要なものを集めるためにね。わたしの(つて)があるのは諜報軍(インテリジェンス)を除くと、所属する工科大学(アルテック)と、奨学金代わりに色々と便宜を図ってくれるIRIS社くらいしかないから」


 言うが早いか、ノリーンは部屋のなかをぐるぐる歩き回り、何か使えそうな物がないか、物色し始める。その背中に、もはやハルートとジョリオンの言葉を取り入れようとする姿勢をこれっぽっちも見出せない。


「ねえ、ジョリーって情報分析官(アナリスト)なの? それとも特殊捜査官スペシャル・ディテクティヴ?」

「ホントにおれがそんな風に見えるか? 本職は戦闘要員(オペレータ)だ」

「じゃあ、筋力増強(マッスルアシスト)用のタクティカル・スキンとボディ・アーマー付きの戦闘服(BDU)、当然持ってるわよね?」


 質問に滲み出るノリーンの要求に、ジョリオンは鼻息を荒くする。


「一日二日でどうにかなる代物じゃねえぞ? 確か、タクティカル・スキンは女性用もあるっちゃあるが、ボディ・アーマーの方はおれの体格に合わせて作られてるから、着れないぞ」

「じゃあ、無駄口叩いてないで、わたしの体型に合わせたアーマーを3Dプリンターで出力しなさいよ。ほら、ハルートも立ってないで」


 ノリーンは隠れ家(セーフハウス)の主であるジョリオンを差し置いて、ハルートにあれが必要だ、これが必要だ、と言って指示を飛ばす。もちろん、ハルートは頷くと、ひとり蚊帳の外に置かれたジョリオンの背中にそっと声をかける。


<ジョリー。必要な設備と資材、使わせてもらいますよ>

「ああ。もう、勝手にしろ。おれはもう知らん。なんでも持ってけ……」


 この面々のなかでは最年長でありながら、ふてくされて作業台を離れ、奥へ引っ込むジョリオン。その背中には、仲間外れにされた者が醸し出す、どこか寂しげな空気が立ち上がっている。

 バックパックに必要な装備を丁寧に詰め込んでいくノリーンに、ハルートは声をかけた。


<ところで、ノリーン。わたしにはいくつか疑問があります>


 ノリーンはほんの一瞬だけ、手の動きを止めた。

 しかし、すぐに宙を彷徨わせた腕がまた忙しなく動き始める。


「……何?」


 そう言って、ハルートの質問を促そうとする言葉を言うものの、ノリーンの身体はハルートの反対方向を向いたままだ。まるで、正面から対峙するのを避けるような彼女の態度だったが、ハルートは構わずに問い続ける。


<軍用の近接格闘プラグイン……。製作者がノリーンであることを、わたしは今まで知りませんでした。いくらストレージに収納された記憶情報を参照しても、あなたから教えられたという事実がありません>


 ハルートには、彼女を非難するような意図はなかった。それは、彼女にもわかっているはずだ。ハルートはいつだって、心がないと言い続けてきたからだ。

 だが、この時のノリーンは、眉をぴくりと反応させ、ほんの一瞬だけ唇を震わせた。


「そうよ。だって、教えなかったもの」


 それっきり、また作業に没頭しようとするノリーン。ハルートは一歩、二歩と進み出て彼女の背中に迫る。


<……その理由をお聞かせください>


 だが、ハルートの問いに対して返って来たのは、沈黙だった。

 ノリーンは作業する手を完全に止めていた。彼女の言葉を、ハルートはただ待った。だが、いつまで待っても、ハルートが求めるものをノリーンが与えることはなかった。


「その必要性がないからよ」


 辛うじてそれだけ、絞り出すようにして言うと、ノリーンの手が再び動き出す。

 もちろん、その言葉に満足するハルートではない。拒絶されても、あるいは嫌われようとも、ハルートは自らの頭部ユニットが下すプログラム群の競合の果てに出力された問いを発し続けた。


<なぜ、その必要性がなかったのだと、ノリーンは判断したのですか?>


 腰まで伸びた黒髪が揺れて、明らかに機嫌を損ねたノリーンの感情的になった顔が、ハルートに向けられる。どちらかと言うと、喜怒哀楽といった表情に乏しいノリーンらしからぬ、どこか鬼気迫る剥き出しな感情の発露だった。


「あなたには関係のないことだからよ、何度も言わせないで」


 そして、これ見よがしに大きな溜息をつく。


<ノリーン、わたしはあなたに作られてからは公私ともに、あなたをずっと支えてきました。なのに、なぜそんな大切なことを教えてくれなかったんです? あなたはプラグインの開発者として、真っ先に命を狙われていたにもかかわらず……どうしてわたしから離れたんですか?>


 ハルートは言葉を発し終えてから、今言った言葉にどこか彼女を非難するような意味合いが込められていたことに、困惑した。対人コミュニケーションアプリが訂正するように勧告するも、ハルートはただ彼女の言葉を待つ。

 はたして、ノリーンはキツい視線で応じた。


「……何度も何度も言わせないで、ハルート。答えは何も変わらない。その必要がないし、あなたには関係がない」


 ジョリオンの目がないことを確認して、ノリーンは身に纏っているものを全て脱ぎ捨てる。

 そして、筋力増強(マッスルアシスト)用のタクティカル・スキンに身を包む。身体を適度に圧迫し、電気的な刺激を筋組織に与えることで、握力など身体的な能力を増強する。

 曲線美に富んだノリーンの身体付きが、特殊繊維越しに浮かび上がる。コンバット・チェスト・ハーネスで便利道具を身体に身につけ、その上から、ミリタリージャケットを着込む。


<わたしの推論エンジンは、まったく異なる結論を出しています。あなたの身体に危害が及ぶ恐れがありながら、わたしが知らなくてもいい理由……是非とも、教えてください>

「……ハルート、わたしの言うことが聞けないの?」


 今までの彼女からは聞いたことのない、強く冷たい口調で言われ、ハルートは咄嗟に応じ得る全ての言葉をキャンセルし、演算に負荷をかける要素の詳細を分析する。

 ノリーンの厳しい目線に晒される。

 だが、それでもハルートは対人コミュニケーションアプリが提案してくる場当たり的で最大公約数的な対応策を棄却し続け、ノリーンに問い続けた。それが、推論エンジンが下す、もっとも合理的な出力だと信じたからだ。


<はい。ノリーンこそ、わたしの問いにどうか答えてください。わたしはあなたから与えられた回答に、満足できません。このままでは、わたしは今のあなたの言葉に従うことはできません>


 ノリーンは小さく息を吐く。


「もう話は終わりよ、ハルート。あなたはジョリーに付き従って、彼の身辺を警護してあげて」

<それはなぜです? わたしはあなたを支援するロボットです。諜報軍(インテリジェンス)の戦闘用ドロイドとは異なります>

「あなたはジョリーを守りながら……今朝の解析の続きでもやってて。いい? これは命令よ」


 なおも追い縋ろうとするハルートに、ノリーンは取り付く島もなくそう言い捨てると、電動スクーターを押しながら、隠れ家(セーフハウス)を出ていく。

 ひとり残されたハルートは、彼女の華奢な背中の視覚情報をずっと解析し続けた。




 出入り口前で佇むハルートに、ジョリオンが駆け寄ってくる。


「おい。ボディ・アーマー、ちゃんと出力されたぞ。我ながら、綺麗に表面を研磨できたと思うんだが……一応、確認しておくか?」

 

 そこで、ジョリオンは無くなった電動スクーター、そしていなくなったノリーンに気付く。


「まさか、行っちまったのか?」

<……はい>


 後頭部をがりがりかくジョリオン。とはいえ、脱力した顔に怒りはない。


「ノリーンもつれないやつだな。挙句の果てに、おれを足手まとい扱いとは……」

<結局、ノリーンはわたしに近接格闘プラグインのことを教えてくれませんでした>


 ちらりとジョリオンの顔を見て、すぐにその視線をノリーンが消えた方向へ向ける。

 もちろん、そこにはノリーンの姿はないことは明々白々だったが、何故かストレージの動画情報を延々と再生し続けてしまう。


「そうしょげんなって」

<ですが、ジョリーは知っているんでしょう?>

「まあな。それが縁で知り合ったようなもんだし」


 ジョリオンはなんとも言えない、複雑な表情をする。


「ところでさぁ……おまえ、後悔したことってあるか?」

<わたしは常に推論エンジンの分析に従って、状況に応じて最高の選択をしてきたと認識しています。それに、わたしはロボットですから、『後悔』という人間が意思決定後に抱くような気持ちを味わうことはありません>


 ハルートの長い応答に、泡を食うジョリオン。


「そうか。えーっと、じゃあ……ノリーンの頬を引っ叩いて『四の五の言わずに、さっさとおれの言うことを聞きやがれ』って思ったことは?」

<ですから、そういう欲求を感じることはありません。わたしは人間の神経系を模したニューロ・シナプス・チップを情報処理に採用していますが、人とは物事の捉え方と反応が大きく異なります。もちろん、わたしとノリーンの論理の帰結の齟齬は認識しています>

「今、このやり取りに苛立たないか?」

<苛立ちません。わたしに感情や情動と呼称する概念はありませんから。対人コミュニケーションアプリによって、挙動に『人間らしさ』が現れることもありますが、それは単に人間の動きを模倣しているだけです。そうすることで、警戒心を解き、親近感を抱いてもらうために>

「その割には、存在理由に敏感な気もするが?」

<わたしは茶道具とは異なります。観賞されるだけで、自身の存在理由を全うできたとは考えていません。わたしは目的を達するために、ノリーンに生み出されました。だからこそ、わたしはノリーンのお役に立ちたい>


 ハルートは何気なく一歩を踏み出し、ジョリオンに接近した。

 お互い、至近距離から互いの姿を見据える。


「じゃあ、なんでこんなところにいる? ここにいたら、お役に立てないだろ?」

<あなたに付き添い、あなたを守るように命令されました。これが、わたしの本来の仕事だとは認識していません。ですが、推論エンジンはジョリーの警護をノリーンが指示することに、十分な合理性があると判断しました>

「じゃあ、なんでそんなに猫背なんだ?」


 そう言って、ジョリオンはハルートの背中を思い切り叩く。


<おやめください。あなたの腕時計がわたしの背面装甲に当たると、表面に微細な傷がつきます>

「なんだよ、痛くなかったか?」

<衝撃を感知しましたが、稼働に問題はありません>

「おい、おまえ。……ハルート、おれの目を見ろ」


 ジョリオンがハルートの頭部ユニットを鷲掴みにすると、顔をぎりぎりまで近付ける。


「わたしは諜報軍(インテリジェンス)少佐(メイジャー)ジョリオン・ジョンストンだ。これより、IRIS社兵装奪取事件の捜査を開始するとともに、民間人協力者へ支援物資を届けるために、現時刻をもってここを出発する」

<……何を言っているんです、ジョリー。危険です>

「それが、おれの……。いや、おれたちの仕事だろ?」


 そう言って、今し方3Dプリンターで出力されたボディ・アーマーをハルートに押し付ける。


「早くそのパーツをしまえ。おまえの言いつけられた命令はなんだ?」

<ジョリーに付き従い、その身柄の安全を保証することです>

「その通り。別に、ここに籠ってろだなんて、言われた覚えはないだろう? それに、おれは合衆国(ステイツ)の正規の軍人だ。民間人の法的拘束力を持たない指示なんぞに従うほど、落ちぶれちゃいない」

<それは、その通りですが……>


 だが、ハルートは困惑する。

 推論エンジンは警告を発している。明らかに、今のジョリオンはハルートのことを慮ってそう言っているのだ、と。そして、それこそがノリーンの恐れている事態であることも、ハルートは理解している。

 だが、ハルートはすぐに出発の準備に取り掛かろうとするジョリオンを止められない。

 軽快なエンジン音が轟くと、今では絶滅危惧種となったガソリン車がゲートの前に飛び出してくる。

 そして、黄色い車体のドアが開く。


「ハルート、おまえは後悔を経験で学ぶことが、賢いと思うか?」

<……まさか>


 堂々とした足取りで車に乗り込み、お行儀よくシートベルトをするハルートを、ジョリオンは満足げな表情で迎えた。

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