電子の宣託
濃紺の自動車がひたすら北を目指し、高速道を制限速度ぎりぎりの速さで駆け抜けていく。
自動運転の車や無人トラックの間を、ジョリオンは巧みな運転ですり抜け、一台また一台と追い越していく。その挙動に無駄はなく、また危な気というものもない。
おそらく、常日頃から自動運転システムには頼らず、自らステアリングを握っているのだろうことが容易に想像がつく。
<ジョリー、わたしにはいくつか疑問があります>
「ほう、言ってみろよ」
<武器を入手するだけならばもっと簡単な手段がいくらでもあることは先ほども述べましたね。ジョリーの指摘する通り、アルテアの治安維持組織や行政府、市民への挑発と考えるのが妥当でしょう>
「ああ、その点に異論はない」
<現在、アメリカの多くの都市ではすでに人工知能による犯罪予測システムが導入されています。そして、アルテア市警《APD》でも“犯罪予防”と呼ばれるシステムが採用されています>
「言われなくても、知ってるよ」
犯罪予測システムはカリフォルニア大学ロサンゼルス校が開発した“プレッドポル”を皮切りに、サンタクルーズ、ロサンゼルスなどの都市で導入が進んでいた。
これらの予測システムは、過去に発生した犯罪情報を元に、人工知能が相関関係を調べ上げ、いつ、どこで犯罪が発生するのか、その種別ごとに犯罪が発生すると思われる地域と時間帯を予測する。
その予測をもとに、警官やドロイドを派遣して、犯行が行われるのを予防する。
<なのに、何故プリクライムは、そもそも事前に犯行を予測できなかったのでしょう?>
「さあな」
ジョリオンはお手上げと言わんばかりに、片手を上げてみせる。
「それに、多くはまだ調査中だ。プリクライムを運用するエンジニアへの聴取はこれから行われるが、今のところ不審な点はない。市警のプリクライムは今も正常に運転中だ」
<ならば、なおさらIRIS社をはじめとする一連の兵装奪取事件を予測できなかったのは納得できませんね。プリクライムが犯罪予測を誤った例は、今までありましたか?>
「さてね」
ジョリオンは肩を竦めた。
彼の飄々とした仕草に、思わずハルートは助手席から身を乗り出す。
<……真面目にやってください>
「真面目にやってるじゃないか? これがおれの仕事だ」
ジョリオンがにやにやと軽薄な笑いを浮かべて、そんなハルートを目で制す。
「だが、そもそも試験運用の“プレッドポル”でさえ、人間の犯罪分析官が行った予測よりも二倍以上の精度があった。まして、ニューロ・シナプス・チップの性能が向上すればするほど、犯罪予測はより正確になった。そして、自己進化――それは自己『深化』と表現してもいいのかもしれんが――プリクライムの犯罪予測は、今じゃ未来を見通す文明の勝利だ」
ジョリオンは鼻で笑うようにして言う。
彼の理屈はハルートとて十二分に理解している。だが、理解しているがゆえに彼の推論エンジンに負荷をかけていた。
アルテア市警のプリクライムが電子的な攻撃を受けていた、といった納得させられるような理由があればまだ受け止められる。
だが、今回の事件は明らかに異質だ。
単なる愉快犯ではないと仮定して行動してしかるべきだろう。仮に、たとえ愉快犯であったとしても、複数の警備用ドロイドを打ち倒す能力のある愉快犯はアルテアを揺るがす脅威と表現しても差し支えない。
<……プリクライムの想定していなかった事態が今、このアルテアで起きているということでしょうか?>
ハルートは車窓から、対岸に広がるサンフランシスコの街並みを凝視する。
「おまえロボットだろ? プリクライムは人工知能で完全な身内じゃないかもだが、親戚みたいなもんだろ? なのに、疑うのか?」
<疑うことは重要ですよ。それに、自我の確立にも役立ちます>
「『我思う。故に我あり』ってか」
<わたしもあと二〇〇年ほど懐疑的な推論を続ければ、自我を獲得できるかもしれません>
「間違っても、人類に牙を剥くようなやつになるなよ」
ジョリオンは苦々しい笑みを浮かべた。
「ハルート、おまえの話は理解できん。いや、どっちかと言うと受け入れがたい。だが、一方で……なんとなく、わかるぜ」
ジョリオンはまるで独り言のようにして言う。
「だが、正確無比な人工知能のプリクライムが見誤った未来をだ、よりにもよっておれたちが掴むだなんて、楽観的にも程があるとおれは思うがね……」
ジョリオンの言葉に、ハルートは何も言えなくなった。
もちろん、ハルートがノリーンの自慢のロボットとはいえ、その情報処理能力はプリクライムの方が上だ。相手はアルテア市警の地下フロアに横たわり、合衆国で随一の高性能なスパコンを繋ぎとめた集合体。
車がゆっくりと減速し始める。
高速道を降りて道幅の狭くなった道路を行く。
工科大学の建てられた落ち着いた郊外の印象は、もはや欠片もない。
ただ、そこに広がっているのは、雑多なアジアの街角をそのまま忠実に再現したような、混沌とした街並み。ただでさえ狭い道幅は、露天や立ち止まった行商たちで埋め尽くされていた。
超薄型情報投影パネルがあちこちに設置され、派手な原色の文字が躍っている。
アルテア随一の中華街、ノース・チャイナ・ペンタゴンの端だ。
「なあ、チャイナ・ペンタゴンって中国人民解放軍のことだろ?」
<はい、その俗称といったところでしょうか。ただ、その俗称とこのノース・チャイナ・ペンタゴンに関係性はありません>
「ねえのかよ」
<車はそのビルの裏手にある駐車場に置いた方がいいでしょう>
ジョリオンは怪訝な表情を浮かべる。
「まだフロントガラスに情報が投影される前だってのに、それがおまえさんの『自らの優秀さ』ってやつか?」
<まあ、そんなところです>
車から降りると、様々な臭いが混じり合った空気がふたりを出迎えた。
はたして動物の肉なのかすら判別できない何かが焦げついた香り、あまりに刺激的な東洋の香辛料の放つ芳香、工作機械にさす潤滑油のような薬品臭。
ありとあらゆる臭いが渾然一体となって、もはや暴力的なまでに強烈な臭気。ジョリオンは思わず鼻を覆う。
「こりゃまた、とんでもねえ場所だ」
<さあ、ジョリー。行きましょう。わたしが『ニホンバシカメラ』まで案内します>
「おい、ハルート」
<……はい?>
「おまえ、なんか嬉しそうだな?」
<そうでしょうか?>
どこか不満げなジョリオンの顔を、しげしげと眺めるハルート。
先導するハルートに、必死に追い縋るジョリオン。
アジアの街ならば、ジョリオンとて日本や韓国の基地を利用した際に立ち寄ったことがある。だが、このノース・チャイナ・ペンタゴンは明らかに本場以上の混雑だ。
朝の東京の満員電車も真っ青の、劣悪な鮨詰め状態にジョリオンは早くもやる気を削がれていた。よもや諜報軍の自分から所持品をすろうなどと思う不届き者はいないだろうが、警戒は怠らない。
ふと、ジョリオンは顔を上げる。
「ここには監視カメラがないのか?」
<まさか、ここノース・チャイナ・ペンタゴンとてアルテアの一部。情報投影パネルには超小型カメラが仕込まれています。そのおかげで、犯罪予測システムの基礎情報が収集されるんですから>
「ふうん、なるほどな」
ジョリオンは携帯端末で、ノリーンの位置情報を確認する。
「ノリーンは『ニホンバシカメラ』に入ったままだ。彼女はよく長居するのか?」
<ええ。わたしのパーツを物色したり、展示機に近接格闘プラグインをインストールして、稽古してます>
「……稽古? おい、嘘だろ? 近接格闘プラグインを入れたロボ相手にか?」
<はい>
ジョリオンの顔から血の気が失せる。
「近接格闘プラグインはそもそも、法執行機関が閉所での近接格闘のために開発された反射的格闘術だ。いくら優秀なノリーンとはいえ、プログラムがロードされたロボの相手になるわけがない」
<実を言うと、以前はわたしもそう思っていました>
ハルートはなんの案内の出ていない雑居ビルの階段へ、躊躇いもなく一歩を踏み出す。
ジョリオンは周囲の情報を丁寧に収集しながら、ハルートの後に続く。
たったひとつしかないビルの階段は非常に窮屈で、成人男性くらいの肩幅があるだけですれ違いや追い抜きができない。
ただでさえ狭いのに、階段の脇には段ボールやプラスチックのケースが無造作に積み上げられていて、通るだけでも一苦労だ。
「前時代的だな。とてもここがアルテアの一部だとは思えん」
<アルテアの自由はこういうオールド・ファッションなスタイルも許容します>
「それは自由じゃなく無秩序って言うんだよ」
七階にしては、随分と階段を上って来たような気がする。
もっとも、これほどの動きでバテてしまうジョリオンではない。
筋力増強といった身体機能を向上させる技術がどれだけ発展しても、結局のところ、軍人には体力が求められる。
それは、選抜された諜報軍だけではなく、海軍や海兵隊といった特殊な任務を遂行する部隊には大抵求められる素質だった。
それは、たとえ水中で睡魔に負けて眠ったとしても、寝ながら泳ぐような――別次元の体力が求められる。
「……最初に、訊いておこうか」
<何をです?>
「ここにノリーンがいると思うか?」
ジョリオンが真面目くさった顔で言うので、ハルートも調子を合わせてなるべく落ち着いた声で答えた。
<まず、いないでしょうね>
◆
七階のフロアを全て借り上げて営業する電子機器店『ニホンバシカメラ』、その第一印象はノリーンの研究室とどこか趣を同じくしていた。陳列されたロボットの内部構造を露わにした姿などには、既視感があった。
とにかく店内は雑多で、商品で溢れている。
辛うじて、商品が電子端末とタグ付けされていて、キーワードひとつで簡単に検索できるからいいものの、それがなければお目当ての商品を探し当てることすらままならないのではと思ってしまうくらい、「整理整頓」という言葉からは程遠い空間が広がっていた。
次に、ある程度の知識があるジョリオンにすら、ジャンクにしか見えない代物が多い。どれもこれもみな等しく鉄屑に見えてくるから不思議だ。これの一体どこに商品価値があるというのか、ジョリオンにはどれもこれも疑わしく見えた。
そして、わざわざこれを買い求める連中の気が知れない、というのが今のジョリオンの正直な気持ちである。
「いらっしゃいませ」
奥から、金髪の女性が出てくる。
上半身は清潔感のある黒いカットソー、下半身は蛍光色の作業服を着ている。年の頃も身長も身体つきも、ちょうどツクシと同じくらいに見える。だが、少なくとも年齢に関して言えば、ノリーンより年上だろう。
研究室で出会ったツクシもそうだが、このチェルシーもまた平均以上の容姿をしているとジョリオンは思った。仕事さえ絡まなければ、きっと声をかけ話に花を咲かせていたに違いない。
「……彼女が、チェルシー?」
<はい>
ジョリオンの後ろから、ひょっこり顔を出すハルート。
「あら、ハルート。いらっしゃい」
<すいません、ノリーンを探しに来たんですが>
「ついさっき、出てったけど」
チェルシーは目を細めた。
店内の照明を受けて、濃緑の瞳が穏やかな光を発しているようだ。せっかく類稀な美貌を保っているのだから、もっと着飾ればいいのにとジョリオンは心底残念に思う。それとも、彼女には彼氏がいて、彼の前では年相応の格好をしているのだろうか。
<ノリーンの位置情報は、依然としてこの店のなかですが>
「そういえば、服を預かってるよ。手合せで汗かいたから、後でハルートが取りに来るって言ってた」
<どうやら、わたしたちの行動は彼女にとって織り込み済みのようですね>
「わかっちゃいたが、こうなると癪だな」
ジョリオンの顔が自然と強張る。
<チェルシー、ノリーンの行先に何か心当たりはありませんか?>
「心当たりって言ってもね」
チェルシーは後頭部に両手をやり、うーんと唸る。
彼女の硬質な金髪が、指の動きに合わせてさらさらと揺れた。
「そういえば、今日はパーツの物色もしないで、展示機と手合せだけしてた。それも結構本気で」
彼女はレジの奥に置いてある紙袋を取り出すと、ハルートに手渡す。
なかには、研究室を出た時にノリーンが来ていた着衣、半透明のケースに収められたスマート・グラス、それに電子端末が入っている。
<なるほど、ノリーンの位置情報が店止まりなのはこういうことだったんですね>
「代わりに、あたしの服貸してあげたの。着替えの作業着だから、なるべく早く返してね」
<わかりました。ありがとうございます、チェルシー>
チェルシーが店内の奥へ奥へと進んでから、ふたりに向かって手招きする。
彼女の手に誘われるようにして、歩みを進めた。
そこに広がっているのは、畳が敷き詰められ辛うじて作られた申し訳程度の稽古場と、大の字で倒れ込む三体の年季の入ったロボットの姿だった。
「ちなみに、代金はジョリオン・ジョンストンって人に請求しろってノリーンに言われたんだけど、知り合い?」
チェルシーは何気ない風を装って、ハルートに訊ねる。
<知り合いも何も、今チェルシーの目の前にいるのが、ジョリオン・ジョンストンですよ>
ハルートの言葉を受けて、ジョリオンはわざとらしく咳払いしてみせた。
チェルシーはそんなジョリオンを見て、面を食らったように慌ててみせる。
「初めまして。おれはジョリオン・ジョンストン。どうぞ、よろしく」
「どっ、どうも」
おずおずと握手するチェルシー。どことなく、その居心地が悪そうに見える。
「だが、これを見る限り、ウォーミング・アップにも見えるがどう思う?」
<てっきりジョリーの依頼を振り切るためにも思えたノリーンの行動ですが、もしかすると彼女には何らかの意図があるのかもしれませんね>
「そりゃそうだろう。なんの考えもなしに逃げられるほど、おれは嫌われちゃいない」
<ジョリー、畳の上に上がるのであれば履物を脱いでください>
ハルートの掌がジョリオンの肩に置かれ、歩を進めるのを制する。
「おっと、失礼。日本で畳の作法については知っていたが、つい身体が……」
革靴を脱ぎ、展示機の様子を窺うジョリオン。
ハルートはその場に留まって、ジョリオンを見守る。
「諜報軍の近接格闘術でも、対ロボットとなると分が悪い。だが、これは……」
<腕力に頼らず、相手の勢いと力を逆に利用した柔軟な攻撃がその真骨頂だと以前、ノリーンはわたしに話していました。アイキドーという武術を元に、彼女なりに試行錯誤を加えていったと聞いています>
「ふむ、なるほどな。確かに、ロボの破損個所は人工関節に集中してる。だが、なんて反応速度だ。人間業じゃない。ノリーンは近接格闘プラグインを自身の脳内にインストールでもしたのか?」
<まさか、彼女は自分の脳を弄るのを嫌っています>
ハルートの背後から、チェルシーがひょっこり姿を現す。
「ジョンストンさん、お勘定……」
「ああ、とりあえずこれで。足りない分があったら別途、払わせてもらう」
ジョリオンは胸元から電子通貨がチャージされた半透明のカードを取り出すと、チェルシーに手渡した。
「あの、明らかに貰いすぎなんですけど」
カードに表示された金額を見て、チェルシーが困惑している。
「それよりも、ノリーンは他に何か言ってなかったか?」
チェルシーはカードとジョリオンの顔の間に向けて、交互に視線を移す。
「これは、ジョンストンさんがお金を支払ったら伝えてとノリーンに言われたんですが……」
「ああ、続けて」
「プリクライムには人の犯罪を予測することができても、ロボットが犯す犯罪を予測することができないって」
チェルシー自身も、自ら発した言葉に混乱しているみたいだった。
ジョリオンとハルートは互いに、チェルシーの言葉にうまく反応することができなかった。
◆
日もすっかり昇り、時刻は正午まであと僅かといったところ、ハルートとジョリオンは車に戻っていた。
運転席に収まったジョリオンは、後部座席に置いた鞄からエナジージェルとチョコバー、それにペットボトル容器に限界まで入れられた大豆系飲料を取り出して、空腹を満たそうとしていた。
「おれの聞き間違いじゃなけりゃあの娘、ロボットが犯す犯罪って言ったよな?」
<ええ、チェルシーの発言はわたしも克明にストレージへ書き込んでいます。『プリクライムは人の犯罪を予測することができても、ロボットが犯す犯罪を予測することができない』と>
ジョリオンは答えるかわりに、ボトルの蓋を乱暴に外して一気に飲み干そうとする。容器を満たす白い液体を、ジョリオンの喉が音を立てて飲み下していく。
<今朝、ノリーンと話していました。人間とロボットの違いを。これではっきりしました。ノリーンは恐らく研究室でツクシと話した時から、この事件の大筋をすでに把握していたようですね>
「悪いな。難しい話はできん。もしも、おれに何か話したいんだったら、噛み砕いて話せ」
空になった容器を車のホルダーに差し込む。
その仕草はただただ乱暴で、その細かい動きからもジョリオンが心の底から苛立っていることは明らかだ。
<ニューロ・シナプス・チップを導入したロボットは独力で、自分自身を最適化していきます。あるいは、人の脳と同じように、部分的に破損することもあるでしょう。進化なのか、欠陥なのかはともかく、プリクライムの予測を超える不測の事態が発生した、と解釈する他ありません>
「馬鹿言え。ロボットが犯罪に走っただなんて、今まで聞いたことがない。仮に、百歩譲って犯罪を犯すとしても、だったら犯罪予測システムの事前予測で、未然に防がれたはずだろ」
<……今までの犯罪の類型に当てはまらない挙動だとしたら?>
「どういうことだ?」
<アルテア市が建設されて以降、IRIS社をはじめとする最上級の警備体制を有した私企業に強盗が押し入り、ドロイドを打ち倒して兵装を奪取した事例はありません。それ故、精度の高い予測ができていないのかもしれません>
銀色のパックに入ったエナジージェルを、ジョリオンは不満そうな顔をしながら黙って啜る。
<わたしたちが行っている紛争予測アルゴリズムの生成過程と同じです。アルゴリズムの生成の際に、偏りのあるサンプルを採用してしまえば、当然出力される未来も偏りのある未来予測になります。あるいは、プリクライムが未来予測アルゴリズムを生成するにあたって、収集する犯罪情報になんらかの洩れがあったとも過程できます>
「だが、どうにも納得できん。おまえ、“レコーデッド・フューチャー”を知ってるか?」
<“レコーデッド・フューチャー”、グーグルと中央情報局の投資部門であるイン・キュー・テルが出資して開発された人工知能ですね。戦争やテロなど国際情勢に重大な影響を及ぼす危機さえも“レコーデッド・フューチャー”は正確に予測することが可能です>
「“レコーデッド・フューチャー”はまさに、こんな時のために存在する。それは、プリクライムだって同じだろ」
ジョリオンはそう言うと、自らの拳をハンドルに叩きつけた。
一見すると過剰な反応にも見えるが、ハルートは理解している。現在のアルテアに住む人間は程度の差こそあれ、ロボットがいる生活に適応している。
悪く表現すれば、ロボットが人間に牙を剥くだなんてこれっぽっちも考えていない。
「『R.U.R.』、『二〇〇一年宇宙の旅』、『われはロボット』、『ターミネーター』……これはあれか? ロボットによる、人類への反逆か?」
<フランケンシュタイン・コンプレックスですか? まさか。プリクライムも警備用ドロイドも、自らの務めを果たしています。当然、このわたしも>
ハルートの落ち着いた電子音に、自然と押し黙るジョリオン。
<もしも、プリクライムが人類に対して宣戦布告をするならば、その時はわたしが人類側に立って、彼のメインサーバをこの拳で叩き壊してやりますから>
ハルートの言葉に、ジョリオンが鼻で笑う。
とはいえ、今朝ノリーンが夢で見たという、真夜中に現れたカタナを持って戦う羽目になる白いロボットの話。
それが、ハルートの頭部ユニットのストレージにはあって、まるで警告を発するかのように存在感を放っていたが、ジョリオンにはあえて話さなかった。
<そういえば、“レコーデッド・フューチャー”はネット上で公開されている情報を自動的に収集し、企業や組織、国家が危険に晒されている恐れを予測できますよね?>
「ああ、それがどうした?」
“レコーデッド・フューチャー”はこれまで、ロシアの天然ガスに関する要人の発言動向から、二〇一四年のウクライナにロシアが介入するクリミア危機を数週間前に予測し、同年マレーシア航空機がウクライナ国内で撃墜された事故も、この地で航空機事故の危険性が高いと予測していた。
<予測、アルゴリズム……>
そこで、ハルートはジョリオンの顔を覗き込む。
「……なんだよ?」
<“レコーデッド・フューチャー”は予測の論拠をオープンソースに依存しています。もしも、今回の奪取事件が、なんの兆候もなく、完全な秘匿性のなかで進められていたとしたら、プリクライムが犯罪予測を行えなかったのにも納得できませんか?>
「マジで言ってるのか?」
ハルートの意外な一言に、ジョリオンは目を瞬かせた。
口が忙しなく動くものの、肝心の声が喉から出てこない。
「まさか。プリクライムがアクセスできない情報資源なんてあるのか?」
<あるでしょう? たとえば、諜報軍の極秘軍事プログラムなどは、プリクライムの情報収集から外されているはずです>
反射的に、ジョリオンは顔を逸らす。
その動作を見て、ハルートの推論エンジンは確信を深める。
<件のネクストシックスは、ウクライナへ軍事供与される予定だったとジョリオンは仰いましたね。おそらく、それはかつてCIAが行っていたような、武器供与プログラムだとわたしは推論します。他の兵装も、合衆国の友好国へ供与されるために用意されたものだったはず>
ジョリオンは一瞬だけ憤怒の形相をしたが、すぐに平生の態度を繕う。
「だったらだ、何故今なんだ? 軍事情報が秘匿されていたのは昨日今日に始まったことじゃない」
<いいえ、諜報活動が諜報軍に集約されたのは、近年の出来事です。フェッド(FBI)とカンパニー(CIA)の能力不足と、他機関の連携不足。改革が断行される前までは、あまりに多くの組織が割拠主義でやっていたことを、わたしは知っています。中央情報局 、国防情報局、国家偵察局、国家安全保障局、国家地球空間情報局……>
「わかった、わかったから黙ってくれ。その通り、その通りだ。今まで各機関に貯め込まれた情報は米国諜報機関群の専用データリンク回線で繋がれ、ようやくほとんどの情報が各機関で共有され始めた」
観念したジョリオンはそう言い切ると脱力し、シートに身体を沈める。
生気の抜けた顔でハルートを睨む。
「だが、そうだとして、それはもはや防諜の範疇だ。どこかにいる不届き者の身柄を拘束するのは、おれたちじゃないだろう?」
ジョリオンは大きなため息をついて、顔を両手で覆う。
ハルートに心というものは存在しないが、傍から見てもジョリオンの姿は痛々しかった。
<ですが、ノリーンは動いています。わたしたちの活躍する機会はありますよ、確実にね>
ジョリオンはとうとう観念して、車を走らせる。
<ジョリー、行先は?>
「決まってんだろ、アルテア市中心街、アメリカ合衆国諜報軍アルテア戦術作戦センター《TOCA》、インフォタワーだよ」