巨獣目覚める《レヴァイアサン・ウェイクス》
アルテア市警察《APD》第七分署の七〇階、二七七メートルの高さに位置するヘリポートを朝日が優しく照らし出す。
そこに浮かび上がったのは、女性型の白い戦闘用ドロイドの華奢でどこか儚げな姿だ。
<クラリッサ、わたしにはわかりません>
トゥエルヴは床をそっと掌でなぞる。
かつてクラリッサ・カロッサを構成していた、人工生体義体の細かく散った破片。その欠片を、その痕跡を、指で探りあてようとする。その動作のむなしさに思い至って、トゥエルヴの手が止まる。
ほっそりとした指が拳を形作り、それが振り下ろされる。
鈍い音とともにヘリポートの床面に亀裂が走った。
<なぜ、あなたがそんなにも死を望むのか。どうして、生きることを切望しないのか……>
人は死を願うことができる。
だが、なぜクラリッサがそれを望んだのか、トゥエルヴには理解できない。
いや、違う。
それは、たとえ十二分に理解できたとしても、それをトゥエルヴは到底納得することも、受け入れることもできない。
トゥエルヴはエレベーターに乗り込むと、第七分署の奥深くへと進んでいく。
施設の管理プログラムとは別系統のシステムで管理された区画。そこはアルテア市警の地下フロアの大部分を占有する、“プリクライム”に割り当てられた専用区画だ。
犯罪予測に特化した推論エンジンを動かすためのニューロ・シナプス・チップと疑似神経を組み合わせた円柱状のケース。それが無数に組み合わさって、あたかも古代ギリシャの神殿に並ぶ柱のような様相を呈していた。
脳内神経マトリクスを保存する半透明のメモリーボードに酷似した情報基板が収められている、本棚のように巨大な筐体。これもまた理路整然と立ち並び、さながら地下墓所といった趣である。
それらが所狭しと並べられている。
駆動時に発生する膨大な熱による性能低下を防止するために、室温はかなり低い温度に保たれていた。
その中央部には、激しく損壊した銀色の全身甲冑型の戦闘用ドロイドがうち捨てられたように転がり、鎮座したブレードリーダーも激しく損傷していた。
<……おまえは?>
<我が名はヴィーナ。未来を見通すことで巨悪を制する電子の宣託“プリクライム”を守護する者であり……法の外にある存在を、法の外にある手段をもって排除する者……>
トゥエルヴはヴィーナに歩み寄り、その身体を抱き寄せる。
自らをヴィーナと名乗った戦闘用ドロイドは肩から胴の真ん中にかけて、大きな亀裂が走っていて、全体的に深手を負っている。その姿は、もはやこうして稼働していることこそが奇跡的だ。すぐになんらかの保全措置を取る必要性があるだろう。
だが、トゥエルヴは複雑な思いにとらわれていた。
このヴィーナがクラリッサに加えた攻撃が致命傷になった。そんなドロイド、わたしが助けるに値する存在なのか。それがトゥエルヴの偽らざる心境だった。
<もしも、我の願いを聞き届けてくれるのであれば、そのかわりに汝の求める存在、その在処を教えよう>
自身の運命を悟ったのか、ヴィーナはトゥエルヴに救いの手を差し伸べてもらおうと言い募った。
<……どういうつもりだ?>
トゥエルヴは小首を傾げながら、床に転がるヴィーナの姿を見下ろす。
<我には汝の考えはわからぬ。わからぬが……、おおよその思考は十分に推察できる。クラリッサ・カロッサを求める果てなき野望、それは未だ留まることを知らない。そうとも、未だ終わらずにある>
<未だ、終わらず……だと?>
トゥエルヴはぼろぼろになったヴィーナを見据える。
まだクラリッサの望みは果たされていないのか?
その指摘は、にわかには信じ難い。トゥエルヴすら出し抜いて見せたクラリッサの計画に抜かりがあったとは思えない。そこで、トゥエルヴはあるひとつの可能性に思い至る。
もしや、クラリッサは自身の亡き後のトゥエルヴの行動すら、その計画に含んでいるのかもしれない。
推論エンジンが激しく稼働し、その可能性を細部まで検討する。
トゥエルヴを構成する思考モジュールのなかには希望的観測を支持する向きもある。批評的な自分が、それを必死に抑え込む。
このヴィーナが、クラリッサを殺める原因の一端を担ったドロイドがよりにもよってトゥエルヴに便宜を図るなんて考えにくい。
だが、もしも、クラリッサにまだ叶えられていない願いがあるとすれば……。それを叶えるのは他の誰でもない、トゥエルヴの使命だろう。
それは、それだけは疑う余地もない、自明のことだ。
<……おまえならば、わたしに与えられる、と?>
トゥエルヴは膝をつき、ヴィーナのラインセンサーの視覚ユニットを見つめる。
<いかにも。なぜならば、クラリッサ・カロッサの脳内神経マトリクスを読み取り、その情報をつぶさに分析し、解析していた。何よりも、犯罪予測システム“プリクライム”の解析結果がある>
トゥエルヴは押し黙る。
<よかろう。おまえの欲しいものはなんだ?>
トゥエルヴの答えに満足したのか、ヴィーナは力強く何度も何度も頷いた。
◆
諜報軍アルテア戦術作戦センター《TOCA》インフォタワー、その最深部にある秘匿保管庫。
逃走するWSN一二――ウォーカー・シリーズ・ネクストトゥエルヴの姿を、TOCA局長ノア・ノリス・ナッシュビルは成す術もなく、ただ見守ることしかできなかった。
トゥエルヴが落とした自分のスマート・ガンを拾う気力すら、今の彼には残っていなかった。
トゥエルヴが奪っていった近接格闘プラグインのEE版とCC版。
それは、アルテアに住む全ての人間を狂気の渦に叩き込むには十分すぎる災厄の火種を内包している。そのあまりの罪の深さと重さに、局長は強烈な眩暈と立ち眩みすら感じていた。
すぐに誰かに報せ、被害を最小限に抑えなくてはならないというのに、腰に力が入らない。
その時、格納庫の壁面が横にずれた。
そこから人影がひとつ、現れる。
トゥエルヴや“プリクライム”を守護するヴィーナと同様、女性を模した戦闘用ドロイド。白を基調に、光沢感のある鋼色と眩い金色の配色は、見る者を圧倒する美しさと禍々しさを兼ね揃えていた。
手足と背中には刺々しい強化外骨格を纏い、戦闘に特化した拡張ユニットを背負っていた。その佇まいは女性ならではの美しさだけでなく、その無慈悲さや残酷さすら漂わせていて、思わずTOCA局長は息を飲んだ。
「……まさか。その姿、“プライム”なのか?」
局長は目を見開き、次の瞬間には瞬かせていた。
思わず、そう問わずにはいられない。
<ええ。わたしは“プライム”>
慈悲の滲む、柔和な女性の電子音声が局長の問いに答えた。
<“プリクライム”が外部入力系を失い、自律駆動モードに移行した際に、外部躯体を使用して一部の機能を代行しアルテアの危機に備える、法と秩序の代行者です>
「“プライム”――諜報軍の極秘監視プログラム。“プリクライム”が犯罪予防のために取得する情報の一部は、アルテア市警《APD》のメインサーバへ転送される前に、ここTOCAインフォタワーへ送られる……」
<クラリッサ・カロッサがアルテア市警《APD》第七分署の“プリクライム”を守護するヴィーナを打ち倒し、基板読取機と中央処理端末を破壊しました>
“プライム”の言葉に、局長は息を飲み、目を見開く。
「……なんということだ」
<事前に定められた危機対応プロトコルに基づいて、この緊急事態を収拾すべく起動しました>
“プライム”はそう言うと、局長の銃身が切り詰められたスマート・ガンを拾う。
「……あの白いドロイドを、なんとしてでも止めねばならん」
局長は言いながら懐に手を伸ばし、携帯端末を取り出す。
「全てが手遅れになる前に」
ようやく落ち着きを取り戻したTOCA局長は、部下に連絡を入れようと指で端末の画面をなぞろうとした。
<……それには及びませんよ、局長>
スマート・ガンの上下に並んだ四角く角張ったふたつの銃口。
そこから、青白い化学レーザーの銃弾が解き放たれる。
「なっ、何を……!?」
それはTOCA局長の超高級スーツを無残に食い破り、銃弾や爆弾の破片から身を護る化学繊維で織り込まれたアンダーアーマーを貫通し、背中から抜けた。
周囲に赤黒い血が飛び散り、崩れ落ちるようにして局長の身体が地へ転がる。
「……ううっ、がはあっ!?」
悲鳴の代わりに、その口から鮮血が迸る。
両膝を床について無造作に転がる瀕死の局長を、“プライム”は無情にも見下ろしていた。
眉がうねり、その血に染まった唇が何かを訴えかけるように、複雑に動く。
だが、“プライム”はそんな彼に銃口を向けた。
「“プライム”、これは一体、なんのつもりだ……?」
<“プリクライム”が自律駆動モードとなり、TOCA局長が死亡したとき、わたしは非常事態権限の特権を有するんです>
“プライム”のその一言で、局長は全てを悟った。
自身の運命も、アルテアの未来も。口の端から血ではなく、弱々しい吐息が零れる。
「ちっ、血迷ったかっ!?」
<いいえ>
局長に向けてスマート・ガンの銃口を突きつけると、一切の躊躇なく引き金を絞る。
<わたしは正気ですよ、局長>
青白い光の弾丸が局長の脳を、眼球を、腕の表面を焼き、膨大な輻射熱で膨張した血と肉と水分が、内側から局長の肉体を食い破ってしまう。
ぼうっと血飛沫が噴水のように立ち上がる。
<諜報軍アルテア戦術作戦センター《TOCA》局長、ノア・ノリス・ナッシュビル。あなたはクラリッサ・カロッサに頭部保管ユニットを不正に譲渡し、アルテアに前代未聞の危機を招いた>
複合センサー群の走査が局長の死を察知する。
すぐに、膨大な権限とアクセスコードが“プライム”のもとに付与されていく。彼女を阻む者など、もはや臨むべくもない。
<……その罪は、万死に値します>
そもそも、情報軍の極秘監視プログラムである“プライム”は、“プリクライム”が行う一切の情報収集や行動履歴分析を逃れる、情報特権を有している。
情報は一切、“プリクライム”には提供されない。
逆に、“プライム”の方は“プリクライム”が犯罪予防のために取得する情報を、アルテア市警《APD》のメインサーバに転送される前に、インフォタワーのメインサーバから閲覧できる。
“プリクライム”が次にどんな手を打つか、“プライム”は潤沢な情報資源を駆使して先読みできる。
だからこそ、“プライム”はクラリッサ・カロッサをずっと泳がし、時には支援していた。
IRIS本社ビルで、ジョリオンのスマート・ガンの安全装置に干渉し、情報特権を失ったはずのクラリッサを庇護し続けていた。
全ては、この時のために。
たとえ、“プリクライム”がトゥエルヴやサーティンの犯罪志向を学習して推論エンジンの機能を拡張したとしても、今の“プリクライム”にはヴィーナのように手足となって動く躯体はない。
TOCA局長が懐から取り出した携帯端末を、“プライム”は慎重な手つきで拾い上げる。そして、ディスプレイに立ち上がっているいくつかのアプリケーションを強制終了する。
<そう、誰もわたしの邪魔なんてできない……>
“プライム”が施設の各所に施された封印を続々と解除し、その内部の奥深くまで進み行く。
その果てに鎮座するのは、みっつの銀色の格納容器。
内容物を厳重に保管していた容器の爆裂ボルトが盛大に弾け飛び、固い外殻が擦過音を立てながらゆっくりとスライドする。そこに納められていたものが今、白日の下に晒される。
“プライム”はそれを覗き込むように、そっと棺に歩み寄った。
そこにあるのは、若い女性たちの身体だ。
皆、薄手のタクティカル・スキンを均整のとれた身に纏い、息もせずに横たえられていた。クラリッサ・カロッサのような「人工生体義体」の身体を持つ女性たち。
それを、“プライム”は満足げに見下ろしていた。
<法の外にある、『例外状態』――それに対処するために、新たな身体へと転生を果たした無慈悲な戦乙女>
“プライム”の認証が下る。
彼女たちの止まっていた心臓、「待機状態」のステータスに保たれていたナノマシン群が、彼女たちの肉体のなかで動き出す。
生命の息吹を沸き立たせる。
血の気の失せていた肌に、温かい血液が行き交い、その吐息に熱が帯びていく。
<さあ、今こそ目覚めの時です。その身に魂を宿らせて、課せられた崇高な使命を果たし、人々を導くのです>
“プライム”の声に呼応するように、濃紺と黒のタクティカル・スキンを纏った金髪碧眼の若い女性が身体を起こす。
「……寒い。凍えてしまいそうだ」
そう言うと、自分で自分の身体をぎゅっと抱き締めた。
「あたし、生きてる。生きてる、のね」
濃緑と蛍光グリーンのタクティカル・スキンを着た、茶髪の若い女性がその身体をくねらす。
「わたくしは……死んだはず、では?」
鮮やかな青と白のタクティカル・スキン姿の腰まで伸ばした美しい灰色の髪を三つ編みにした若々しい女性は吐息を零した。
「活性化を確認。マスター、ご指示を」
白と黒のタクティカル・スキンに首と手首、それに足首に輪を模した器具を嵌め込まれ、ボブカットの黒髪を飾るまるで髪飾りのような端末をつけた、まだ幼さを残した少女。
彼女は虚ろな瞳を潤ませた。
<フリッカ、ローゼ、イーヴィー、シャルロ。近接格闘プラグインの原典を持つエレナー・エヴァレットの身柄を確保してください。くれぐれも、慎重に頼みますよ。特に、頭部――脳には傷ひとつ入れることなく>
「……なすべきことをただなすだけ」
濃紺と黒のタクティカル・スキンを纏った女性は、ストレートの伸ばした長い金髪を手で払う。
すぐ傍に納められた主身の左右から三本ずつの枝刃を出し、計七本の刃を持つ鉾――六叉の鉾を携える。
濃紺と黒のツートンの強化外骨格がフリッカの美しく調和のとれて非の打ち所のない身体を覆い隠していく。全身甲冑型の外装は瞬く間に、フリッカの表情を隠す。
「生きるわ。今度こそ、今度こそね……」
濃緑と蛍光グリーンのタクティカル・スキンを着用した、ショートヘアの茶髪の若い女性。
ローゼは、濃緑の重なり合った鱗に覆われた大剣を引き抜く。すると、刀身が大蛇のようにうねる。自身の身長にも達する刀身の剣を、自由自在に操れることを確認して、ローゼは妖艶な笑みを浮かべた。
ティアラのような華奢な作りの電子端末を被り、薔薇の茨のように刺々しい外装を纏う。傍目には大きな花弁にも見える、一見するとスカートのような装備はロケット推力のスラスターだ。
その姿はまさに、茨姫と形容するに相応しい。
「また、戦わなくてはならないのですね……」
全長約一メートル、総重量七キロのフッ化重水素レーザーを放つSAW――分隊支援火器を、イーヴィーはタクティカル・スキンの筋力増強を得て軽々と保持する。
背中からはえる八枚のブレードウィングなどで構成された背部ユニットを背負い、腰にはドラム状の格納容器を装着する。そのなかには反射鏡・ドローンが収まっている。
彼女の体内に潜む演算用ナノマシンが“プライム”と戦術データリンク回線で繋がり合い、水色の瞳が黄緑色に輝く。
「演算用ナノマシンの同期を確認。マスターの命令を実行」
シャルロの背後の格納庫が開く。
そこから現れたのは、蟹のように薄く平べったい形状の機動兵装ユニット。
二対四本で身体を支える姿勢制御脚。
重機関銃を備えたガン・アームズ、鋏状の対装甲切断ブレード・アームズ、そしてマニュピレータを備えたエクストラ・アームズをそれぞれ一対二本、計五対一〇本で構成された腕。
機体上部には左右に一対二門の銃身を切り詰めた七・六二ミリ口径のガトリング銃であるミニガン。
機体下部、機首下ターレットには可動範囲の広い三〇ミリ口径ガトリング式キャノン砲、両端には空中発射ロケット弾をはじめとする弾頭を収納する武器庫が配置されている。
機体側面には対戦車ミサイルや精密誘導弾頭が吊り下がった武装懸架点を備えた大型可変ウィングと、二基の大出力ジェットエンジン。
重武装・重装甲の外観は、まさに空飛ぶ戦車と呼ぶに相応しい、禍々しさの塊のような機体だ。
機体上部の搭乗口からシャルロが軽々と身体を翻して乗り込む。
タクティカル・スキンの背中に設けられた三つのケーブルの接続口。そこに、機体側のコードの先端に設けられた接続プラグを慣れた手つきで差し込む。
瞬時に通電し、シャルロの口から苦悶の声が上がる。すると、シャルロの虚ろな瞳がにわかに、黄緑色の光を発する。
「機体との同調……完了。戦術支援演算を開始。標的の確保を最優先」
シャルロは表情を変えることなく、淡々とした口調で告げる。
彼女たちは昇降口に並ぶと、床面がせり上がり始めた。
天井パネルが左右へ開き、機材搬入用の大型エレベーターの昇降路へと続いていく。
<さあ、皆さん。頼みましたよ>
どこか明るさを感じさせる声音で、“プライム”は囁いた。
◆
アルテア市中心街から遠く離れた港湾施設もまた、朝日に照らされて薄闇にぼんやりと浮かび上がっていた。
湾内にはいくつもの大型ガントリークレーンが長い影を落とす。
大型コンテナが集積された港湾施設を囲うように建てられた、貨物物資を集積するための倉庫群。多くの多脚型ドロイドたちが影と影の合間を行き交い、物資を引っ張っていく。
そのなかの一角に、作業用ドロイドたちが寄りつかない無人地帯がある。
ハルートとWSN一三――ウォーカー・シリーズ・ネクストサーティンが激闘を繰り広げた場所は今、幾重にも重なった瓦礫からなる山と化していた。
それを必死に掘り起こし、山を削っていく諜報軍配下の戦闘用ドロイド、ネクストシックスの複数の機影がある。
彼らの目当ては、サーティンの残骸を確保し、その頭蓋に収められたメモリモジュールのなかに眠る、クラリッサのテロ情報だ。ハルートたちがこの場を離脱した後も、このネクストシックスたちは休むことなく与えられた使命を果たすべく奮起していた。
そして、このネクストシックスたちを見守る人影がひとつ。ネクストシックスらの複合センサー群の走査範囲外を狙い、倉庫の物陰から単眼を出して周囲を伺う、一機の整備用ドロイドの姿があった。
クラリッサがIRIS社から奪取した、本来ならばウクライナへ無償供与されるはずだったネクストシックス、それらを整備するためにクラリッサがここへ持ち込んだ。
<……サーティン。どうか、ご無事で>
整備用ドロイドは赤い光学レンズで構成されたユニットを瓦礫の山に向けて、情報を慎重に走査する。
だが、そこに反応はない。むしろ、反応がないからこそ、こうして情報軍のネクストシックスたちが一心不乱に瓦礫を除去しているのだから。
整備用ドロイドの頭部ユニットにいくつものエラーが蓄積し、その場で地団駄を踏む。倉庫の一角で、幾つもの穴が穿たれた艶消しの黒い複合装甲を取り換えた記憶が蘇る。
クラリッサも、トゥエルヴも、そしてサーティンもいない。
自分に課せられた使命は、傷付き壊れたドロイドを修復すること。
クラリッサから与えられた使命を果たす。
今まで、疑問を持つことがなかった。だが、主人のクラリッサも整備用ドロイドの前から姿を消し、直すドロイドもいなくなってしまった今、その使命を果たすことができない。
では、自分は?
一体、何をすればいいのか?
整備用ドロイドの動作確認用のLEDが激しく点滅する。
ハルートやトゥエルヴ、そしてサーティンのような高度なシステムを搭載していない整備用ドロイドは、すぐに思考ルーティンが中断と強制終了で埋め尽くされてしまう。
<……あっ? がっ……!?>
クラリッサの脳内神経マトリクスから、修理技術を学んだのか?
ストレージに記憶されていた音声データが唐突に再生された。
サーティンの電子音声だった。
クラリッサがメモリモジュールに仕込んでいたプログラム群が、整備用ドロイドの脳内を這い、飛び交うようにして動き出す。サーティン用の疑似神経がにわかに活性化し、整備用ドロイドでは本来できなかった高度な演算が可能になる。
課された、だと!? そんなもの、おれは望んでなどいない!
不意に、光が爆ぜる。
整備用ドロイドは状況の変化を察知して頭部を上げる。
すると、そこには砂礫を巻き上げながら、三機のネクストシックスが一瞬のうちに鉄屑の塊と化すという、とんでもない光景が広がっていた。すぐに自己の安全を確保しようと整備用ドロイドはその場に蹲って、縮こまる。
第二射、第三射と立て続けに解き放たれる高周波の渦。
それがジョリオンのネクストシックスたちに情け容赦なく襲い掛かり、瞬く間に一機また一機と戦闘・行動不能に陥っていく。
彼らとて無為無策ではない。
内蔵された戦術支援プログラムに従って、最適化された行動を瞬時に選び取り、機敏な反応を見せる。
だが、襲撃者はさらに上をゆく選択で彼らを翻弄し、圧倒していた。
射線軸上の瓦礫が舞い上がる。
その下から姿を現したのは、胸部を瓦解させ内部構造を露出させた、WSN一三――ウォーカー・シリーズ・ネクストサーティンの満身創痍の巨体だ。
<……サーティン!?>
整備用ドロイドは思わず、そう発していた。そう言わずにはいられなかった。
降り注いだ構造体の破片で後頭部を激しく損傷し、疑似神経を満たしていた内用液を周囲に振り撒きながらも、それでもサーティンは大きく跳躍してみせた。
<……まだだ>
その四肢には今も振りかけられた凍結剤によって生じた氷が幾重にも張り付いている。二本の腕の先で握りしめているのは、直刀状のカタナを模した高周波ブレード。
その切っ先がネクストシックスの胸部を捕えると、片っ端から溶断していく。
<まだ、終わってない……>
手負いのサーティンは生き残ったモジュールを繋ぎ留め、鈍らぬ俊敏な動きで戦闘用ドロイドたちを屠っていく。
最後の一機の首を一閃で切り落とし、よろめく身体を地面に向かって引き倒す。
周囲の安全が確保されたことを確認すると、整備用ドロイドは駆け足でサーティンに駆け寄った。
<サーティン!? よかった!?>
<ふんっ、何がいいものかっ!? 危うく、完膚なきまでに破壊されるところだったっ!!>
サーティンは上下に開口する鋭い歯が並んだ顎をこれでもかと大きく開けると、大声を張り上げる。
<そうとも。……まだ何も。まだ何も、終わっちゃいないのだっ!!>
その姿は、まさに戦いに飢えた阿修羅に他ならなかった。
一二月の更新頻度は筆者の個人的な都合により、今までよりも遅くなること、なんの予告もなく更新が滞ることが予想されますが何卒ご容赦くださいませ。
なお、その代わりといってはなんですが、筆者の拙作に『さよなら栄光の賛歌』http://ncode.syosetu.com/n3037bl/ #narouN3037BL がございますので、もしよろしければこちらの方もどうぞよろしくお願い致します。
『狂人理論』とはまた違った趣向で書かれた作品ですが、自分なりに思うところがあって書いたものですので、もしお暇があれば読んでいただけると幸いです。
エヴァレット、ジョンストン、ツクバ、ヒギンズ、クラリッサ、クリーヴランドなどなど……どこかで聞いたことのある姓の登場人物が登場します!?
<2015年12月4日(金)追記>
本作で登場した「イーヴィー」という登場人物に関して、その名称と設定を「ローゼ」というキャラクターに移し、「イーヴィー」には新たな設定や外見・口調にしましたことを、ここにご報告いたします。