愛はさだめ《ラヴ・イズ・ザ・プラン》
芸術品のような鏡面仕上げのビルの壁面に、赤々と燃える朝日が映り込む。
アルテア市警察《APD》第七分署からひとりの男が堂々とした足取りでやって来る。
片手で軽々と握りしめているのは、“プリクライム”が置かれた地下区画でクラリッサが交戦した戦闘用ドロイド・ヴィーナが保持していた両刃の長剣型の高周波ブレードだ。
「……ハーク」
十字架の意匠を模した柄と鍔を持つ高周波ブレードに、ノリーンは視線をやる。一体、第七分署で何があったのか。“プリクライム”とそれにクラリッサは一体どうなったのか、彼から訊きたいことは山ほどあって尽きない。
「クラリッサなら、おれが無力化した。ノリーン、きみの不毛な復讐劇はもう終わりだ」
極薄の透明特殊フィルムに入れられた赤黒い小さな肉片を、ハーキュリーズは無言でノリーンに向かって差し出す。「信じられないのであればこの遺体の欠片を解析しろ」という意味合いだろう。
だから、彼の言いたいことを察したノリーンは何も言わずに、ただ袋を受け取る。
「幸い、おれにとっても亡き相棒エドワード・エヴァレットの仇にあたる女だ。これで、おれの無益な復讐劇もまた終わりだ」
ハーキュリーズは儚げに笑う。
その瞳に、自分の姿ではなく父エドワードの姿を見ているのだろうか。瞬きの間に、網膜に浮かんだかつての相棒を見出し、自分なりのけじめをつけたのだろうか。
ハーキュリーズの真意を推し測るには到底及ばず、またノリーンには皆目見当もつかなかったけれども、つられて複雑な笑みを浮かべた。
「ノリーン、よく聞いてくれ。すぐにアルテアを離れろ」
「……どういうこと?」
「クラリッサは“プリクライム”から自身の脳内神経マトリクスが保存された情報基板を引き抜いた。“プリクライム”は今、かわりを求めている。近接格闘プラグイン……その原典を持つ脳の持ち主を」
落ち着き払ったハーキュリーズの声音で紡がれる物騒な言葉の数々を、ノリーンは目を瞑り黙って聞く。
「じゃあ、“プリクライム”は?」
「情報基板の読取機を破壊され、沈黙している。基幹部分こそ目立った破壊の痕跡は見られないが、部屋の中心部に配置された端末には損傷があった。これは伝聞推定だが、“プリクライム”はクラッキングを恐れて直接的な指示・命令は全てガードキーでやり取りされているはずだ」
「つまり、基板読取機を破壊されて、今の“プリクライム”は外部からの入力を一切受け入れられないってことよね。“プリクライム”の運用に、悪影響を及ぼさなければいいんだけれど。……で、話はそれだけ?」
あまりに自然な口調で流すように言われてしまい、思わずハーキュリーズは眉を顰めて不服な心情を臆面もなく晒け出す。
「……まさか、諜報軍と戦おうって言うのか? おいおい、勘弁してくれよ」
「ハークこそ、馬鹿なことを言わないで。大体、どこに逃げろって言うの? 逃避行の果てに、わたしの居場所があるの?」
ノリーンのひどく落ち着いた口調に、ハーキュリーズはらしくもなく一瞬言葉に詰まってしまう。
「そうじゃなきゃ、五年前のクラリッサのようになるぞ。諜報軍の非合法作戦を実行する非公式身分や資産の連中が寄ってたかってノリーン、きみを追う」
果たして、ノリーンは軽く溜息をついて、その後微笑を浮かべた。
「じゃあ、訊くけれど、一時の権勢こそ失っているけど、合衆国は今もなお世界唯一の超大国なのよ。ソマリアやシリアといった無政府状態に陥った幻影国家のならず者を無人機で爆殺し、蛇喰らいたちを放って殺して、宇宙空間にまで活動範囲を広げるこのユナイテッド・ステイツを相手に、どこへ逃げ込めっていうの?」
言っていることとは対照的に落ち着き払ったノリーン。
そんな彼女を前にして、ハーキュリーズは後頭部を掻く。
一旦ノリーンがこういう態度を取り始めると、誰が何を言おうともこれっぽっちも聞く耳を持ってくれない。そのあまりに頑なな態度は彼女の父親であるエドワード譲りで、ハーキュリーズは手詰まりを感じてしまう。
「この地球上に、避難所はないわ」
「いいや、何か……何か手があるはずだ。エレナー・エヴァレットの名を捨て、別のIDを手に入れれば……」
「残念だけど、願い下げよ」
ノリーンは意地を張るわけでも、自暴自棄になるでもなく、ただ淡々と自身の素直な心境を口にする。
「エレナー・エヴァレットという名とこの顔と身体は、父と母がくれたかけがえのない財産だもの」
ノリーンは静かに宣言した。
その堂々たる態度と気配に、ハーキュリーズは飲まれ、何も言い返すことができないでいた。
「……絶対に、妥協しない。絶対によ」
◆
穏やかな牧草地帯の地下に隠されたジョリオンの隠れ家。
その一見すると自動車の整備工場の一角のように、専用の工具や工作機器、それに3Dプリンターなどの大きく重たい機器が備えられている。
ハルートがサーティン対策のために作成しながらも教授救出時には時間的制約から追加拡張ユニットに搭載できなかった各種兵装を、ジョリオンは物色していた。何か使えそうな武器があれば、自分が代わりに使おうと思っていたからだ。
「……あの、少佐」
おずおずと部屋に現れた教授は、しかし普段の凛としたファッションではなく、ふんわりとした優しげで上品なお嬢様系で、ジョリオンは度胆を抜かれた。
その反応を目の当たりにして、教授の表情が微かに曇る。
「着る服がなくて。ツクバさんの私服をお借りしたんですけど……」
そう言いながら、自身の胸元に手を置いて押し黙る教授。色白の頬が普段よりもずっと赤い。もしかしたら亜麻色の髪に隠れた耳も赤いのかもしれない。
「いや。とてもよく……似合ってるよ」
いつも通り、冗談でも言ってやろうと思ったジョリオンだったが、不意に下着姿の教授のあられもない光景が脳裏を過ってしまい、それだけしか言えなかった。
あの時は彼女を救い出すことしか眼中になかったため、まったく気にならなかったが、いざこうして対面すると意識せずにはいられない。
冷静に考えてみれば、何も下着姿であれば不可抗力であるがツクシのものだって見たことはある。だが、だからといって意識するわけもない。
そう思ってあらためて教授の姿を見ると、意外と彼女の方も強く意識してしまっているようだ。とはいえ、「気にするな」とも言えず、なんだか気まずい沈黙がふたりの間に転がる。
「ええっとですね、少佐。先ほどから発生している通信途絶の件なんですが、どうやらこちら側の通信機器に異常はみられません。明らかに、作戦本部やアルテア戦術作戦センター《TOCA》側に問題がありそうです」
教授は美しい亜麻色の髪をそわそわと弄りながら話す。
「“プリクライム”と並ぶ機能を持った“プライム”を有する諜報軍と通信が繋がらないだなんて、前代未聞だな。それも、これといった通信妨害がないというのに」
そこで嫌な予感がして、ジョリオンはノリーンの携帯端末に連絡を入れてみる。
<……はい?>
「よう、ノリーン。おはよう。そっちはどうだ?」
<ええ、本当にいい朝ね。今、ちょうどアルテア市警《APD》前よ。ちょうど、ハークと合流したところ。彼がクラリッサを排除したわ>
「おいおい、嘘だろ。ちょっと、彼に代わってくれ」
音声が急に遠くなるが、ノリーンとハーキュリーズの声がかなり鮮明に聞こえてくる。
<ジョリーがあなたに代われ、って>
<うむ、よかろう。おれもジョリオンとは話がしたかった。……もしもし>
「どうも、ハーキュリーズ。あなたにも色々とおれに言いたいことがあるとは思いますが、ここは先に。おれは局長と直談判して、いくつかの諜報特権を得ていました。クラリッサを排除するという名目で」
ハーキュリーズに向かって、ジョリオンは何か言われる前に捲し立てる。
<……つまり?>
「ここはひとつ、おれとの共闘でクラリッサを倒した、ってことにしてもらいたい。当然、タダでだなんてケチなことは言いませんよ」
ジョリオンの一方的な言葉に、ハーキュリーズは鼻で笑ってみせる。
<なるほどな。だが、ジョリオン。こっちは自分の相棒だった男の娘を事件に引きずり込んで、復讐劇を止めるどころか背中を押すような真似をした野郎の尻拭いで、かつて殺したことのある娘を二度も殺す羽目になった>
ハーキュリーズの容赦のない物言いに、さすがのジョリオンも気圧されそうになる。
<そんなおれが今更、おまえにわざわざ恩を売ってやる義理もないと……そう思わないか?>
その口調こそいつもと変わらぬ冷静沈着さではあるのだが、いかんせんその言葉の端々からはジョリオンに対する静かな憤りがひしひしと伝わってきて、ジョリオンは堪らず息を吐き出した。
「それは誤解ですよ、ハーキュリーズ。言って聞かせても、彼女は止まらなかった。変に対立して彼女の機嫌を損ね、怒りに任せて暴走してしまうよりも、いっそ協力した振りをして彼女の手綱をしっかり握ったほうが、ノリーンのためになると思ってのことです」
もちろん、ジョリオンもまた策士で、彼女を炊きつけるような言動や行動をして自分に協力するよう仕向けてはいた。
だが、それはノリーンだって承知の上で協力していたわけだから、それを今更ハーキュリーズにどうこう言われる筋合いはない。
無論、そんなことを面と向かってこの男に言えば、全てが終わりだ。
<ノリーンのため、と言ったか?>
「はい」
<じゃあ、誓ってもらおうか。ノリーンのためならば、諜報軍とだって戦う、と。それが、おれがきみに求める唯一の条件だ>
「……ノリーンのやつ、ひょっとして何かやらかしましたか?」
ジョリオンは頭を抱えた。
もっとも、そうであるのならば、こういう後始末をやることこそが、ジョリオンの仕事だし、そのための共同体制だ。
<いいや、違う。これから、諜報軍はノリーンを狙う。クラリッサが殺されたときのようにな。逃げるよう勧めたんだが、彼女は戦うことを選んだ>
ハーキュリーズの予想だにしない言葉に、ジョリオンは驚き、そして目を瞑って考え込む。
「……なるほど。それは実に、彼女らしい決断ですね」
脳裏にはありありといつものノリーンの厳しい表情が浮かぶ。あの面を想像して、ジョリオンはつい苦笑してしまう。
<きみが国の命に従い、忠を尽くす兵士であるならば、おれと戦う運命にある>
「生憎、おれは兵士ではなく戦士ですよ。守るべき人と戦う相手、それを間違えたりはしない」
<……その証拠は?>
「ハルートと、教授がきっと証明してくれますよ。守るためなら、どんな汚い手だって使いますが、守るべき存在を汚すような真似は……絶対にしません」
ジョリオンはきっぱりと断言してみせる。
<よかろう。とにかく、今は合流して戦力をひとつに集めよう。今のままでは貴重な力を分散したままだ>
「ええ。ハークもどうか、お気をつけて」
<言われるまでもない。きみもあまり無理はするなよ>
通話が終了したのを確認し、懐に携帯端末をしまう。
「まったく、とっくの昔に引退した人に心配されるなんて」
「少佐、港湾施設の倉庫でサーティンの捜索にあたっていたネクストシックスとのリンクが途絶しました。現時点では原因は不明です。なんらかの通信障害なのか、通信妨害なのか、あるいはクラッキングなのか……判断に苦しみますね」
ハーキュリーズと通信している間に、コンピュータでドロイドの最新状態を確認していた教授が律儀に報告してくる。
「まったく、一体何がどうなっているんだか……」
困惑に眉を顰める教授と向き合いながら、ジョリオンは心のなかに沸いた疑念を膨らませていた。サーティンとの戦いには決着がついた。クラリッサはハーキュリーズが息の根を止めた。
だが、何かが蠢いている。
アルテアの街のどこかで胎動するそれは、今も自分たちの知らないところで確実に息づいて、鋭く尖った歯を研ぎ、きっとそう遠くない未来にジョリオンたちへ向かって牙を剥き、仇をなすはずだ。
◆
時刻は遡る。
ちょうど、港湾施設の倉庫群でハルートたちがサーティンと死闘を演じ、クラリッサとハーキュリーズがアルテア市警察《APD》第七分署のヘリポートで対峙していたころの出来事だ。
WSN一二――ウォーカー・シリーズ・ネクストトゥエルヴは、合衆国随一の厳戒態勢にある諜報軍アルテア戦術作戦センター《TOCA》インフォタワーの警備をまんまとすり抜け、最深部へ潜り込んでいた。
IRIS社で戦闘用ドロイドを奪取した際も、その突破口はトゥエルヴが開いていた。
クラリッサがトゥエルヴに望んだ特性は、戦場を選ばない高度な汎用性だった。サーティンのように戦闘だけに、高度に特化するのではなく、どんな場面でも戦えること。それがクラリッサがトゥエルヴに期待した役割だ。
だから、トゥエルヴは彼女の期待に応えるように、クラッキング・ツールを駆使してある時は姿を消し、ある時は存在を欺瞞することで、人感センサーや侵入者迎撃システム網を潜り抜けていく。
誰も、トゥエルヴを阻むことができない。
それは、アルテアならではの死角だった。
犯罪予測システム“プリクライム”によって、全ての犯罪は未遂で検挙される現在、誰も強盗が押し入るなどと思っていない。それは諜報軍とて例外ではない。
だから、IRIS社のドロイド強奪事件が衝撃的であり、ジョリオンに諜報特権が与えられた。
TOCAの地下区画に設けられた、秘匿保管庫。
トゥエルヴはエレベーターホールを囲むように並ぶ支柱の陰に潜み、目当ての人物が現れるのを待った。電光板を見るまでもない。局長執務室から昇降機に乗った三ツ星の軍服を着た中将の男――TOCA局長の姿を、施設管理システムを通じて捉えていた。
ただ、保管庫の扉を開くだけならば、電子的な手段でも十分可能だ。だが、クラリッサが喉から手が出るほど欲する物を開くためには、この男の生体認証がどうしても不可欠だった。
昇降機の到着を告げる電子音が、誰もいないエレベーターホールに響き渡る。左右に扉が開いて、そのなかからTOCA局長が気難しい表情を浮かべながら降りて来る。そこに、同伴する職員や警備要員の姿はない。
何も知らない局長はホールを横切り、壁面に設置されたぼんやりと青色に光る掌紋読取機に手を押し付ける。彼の虹彩と網膜の情報を読み取ると、最後にニューロマティック・スキャンが行われる。
システムが個人識別用に保存されていた脳内神経マトリクスを参照する。
本人確認が済むと、多脚戦車の主砲でも貫くことができない装甲が施された扉がゆっくりと開いていく。
待ちに待った瞬間だった。
支柱の陰で息をひそめていたトゥエルヴは、弾かれたように飛び出すと頑丈な扉が閉まるよりも前に、ホールを疾風のように走破して滑り込む。まさに、電光石火の早業だった。
TOCA局長は異常を察知しても精々できることは、懐のホルスターから自動拳銃ほどの大きさの縮小版スマート・ガンを引き抜いて保持することだけだった。到底、標的を補足し、引き金を引くまでの動作を求めるのは酷だった。
トゥエルヴの右手がTOCA局長の腕を鷲掴みにすると、そのまま握力にものを言わせて捻り上げた。
現役時代は前線に立ち、戦闘要員を率いていた局長といえども、トゥエルヴの力に抗うことはできず、そのまま組み伏せられてしまう。
皺だらけの手から、銃がこぼれ落ちていく。
<TOCA局長、ノア・ノリス・ナッシュビルだな?>
「ぐっ!? きさま、何者だ?」
<……クラリッサ・カロッサの代理人、と言えばわかるだろう? どうしても欲しい物がある。それさえ譲り渡してくれれば、命までは奪うつもりはない。大人しくこちらの指示に従ってもらおうか>
局長の銃をトゥエルヴは丁寧な手つきで拾い上げると、四角く角張った銃口をその背中に向けて押しつけた。
「それでわたしを撃てば、欲しい物は手に入らなくなるぞ?」
TOCA局長は険しい顔つきで、装甲に覆われてなんの表情もないトゥエルヴを睨む。
だが、その程度の態度で揺さ振られるトゥエルヴではない。
<撃つ場所は心得ている。ニューロマティック・スキャンで走査される脳、虹彩と網膜の眼球、そして掌紋の右手の掌。そこさえ避ければ、あとはわたしの撃ち放題だ>
「ちっ、そこまで知られているのか……」
憎々しげに舌打ちをする局長を尻目に、トゥエルヴは迫る。
<エレナー・エヴァレットが開発した近接格闘プラグインのプロトタイプ、クラリッサ版プラグイン、そしてクラリッサ・カロッサの首を納めた頭部保管ユニット。この三つがどうしても欲しい。だから、わたしに譲ってほしい>
トゥエルヴの若い女性を模した電子音声に、TOCA局長は深く目を瞑り、しばしの間逡巡する。
「さて、なんのことやら……。局長と言えど、ここに納められているものを全て頭のなかに叩き込んでいるわけではないからな」
<とぼけるのも大概にしてもらおうか。保管目録はすでに解析が終了している>
その言葉に、局長は息を飲む。
局長の背中から、押し付けられた銃口の感触が不意に消える。
次の瞬間には、局長の視線の先にある床面に青白い化学レーザーの弾丸が打ち込まれ、生々しい弾痕がいくつも刻まれていた。
「……まっ、待てっ!?」
<こちらは待つつもりは毛頭ない>
TOCA局長を引きずるようにして、トゥエルヴは迷いなく歩き出す。
解析した補完目録を頼りに、銀色に輝く金属製の保管庫の間を闊歩する。“プリクライム”が鎮座する地下区画に勝るとも劣らない、広大な空間をひたすら歩き、目的の場所へと辿り着く。
局長の生体兆候をスキャナが走査すると、銀色の壁面が展開して、なかからメモリーセルが飛び出す。
乱暴に局長を収納庫へぶつけるようにして放り出すと、トゥエルヴは左手にスマート・ガンを保持したまま、メモリーセルを引き抜き、自身の掌に置く。
そのまま、内蔵データを走査し、自身のストレージに書き込んでいく。
メモリーセルごと強奪する手もあるが、記憶媒体自体が破損するようできているかもしれない以上、この場で確認しながら複写する他ない。
幸い、TOCA局長という人質にするにはこれ以上の存在はないであろう人物がこちらにはいる。
「それは、人を闘争に駆り立てる狂気の記憶……。ここから持ち出すことは何人たりとも許されんぞ」
TOCA局長は忌々しそうにトゥエルヴを睨みつけていた。
<その様子だと、これが一体どんな効果を人類にもたらすか、よく知っているようだな?>
「無論だ。だからこそ、最終的にネクストシックスへ書き込まれることなく、ここに封印されていたのだ。それをきさまらは……」
局長の鼻の先に、四角い銃口を突きつけるトゥエルヴ。
<今のおまえに、一体何ができる?>
「……くっ」
トゥエルヴの無慈悲な問いに、TOCA局長は唇を噛んだ。
トゥエルヴのストレージに全ての情報の書き込みが終わると、メモリーセルをホルダーに収納する。
<あとは、頭部保管ユニットだ。クラリッサ・カロッサの脳内神経マトリクスを手に入れるために、彼女の頭部が回収されてニューロスキャンされたことはわかっている>
「保管目録をよく確認してみろ。頭部保管ユニットはここにはない」
<……なんだと?>
トゥエルヴは補完目録の解析結果を改めて参照する。
局長の言葉通り、確かにこの保管区画に納められていたはずの頭部保管ユニットはすでに持ち出されていた。
だが、日時も、誰の許可を経て、誰が実際に運びだしたのか、その詳細な情報は全て欠落していた。
ただ、欄内にあるのは空白ばかり。
<わたしを愚弄しているのか? クラリッサは確かに、ここに頭部保管ユニットがあると言ってわたしを差し向けたのだぞ。それともきさま、死にたいのか?>
「馬鹿を言え! 近接格闘プラグインのEE版とCC版を奪われたというのに、今更出し惜しみする必要なんてあるものかっ!!」
生命の危機を悟ったTOCA局長は、物凄い剣幕で訴える。
<言え。いつ、誰が持ち出した? 誰が許可を下した?>
トゥエルヴの問いに、露骨に目を逸らして沈黙する局長。
そんなTOCA局長へ向けて、トゥエルヴはにじり寄ると固く握りしめた銃を押しつけた。
局長が思わず息を飲み、ごくりと喉を鳴らすのも構わず、トゥエルヴは引き金にほっそりとした指を這わせる。
「ぬうっ、正気かっ!?」
<出せ、頭部保管ユニットを!>
「ないものは出せんだろうがっ!!」
しかし、TOCA局長の焦りと不安の色を見ると、どうも虚言ではなさそうだ。
不審に思ったトゥエルヴは通信回線を通じて、陽動作戦に従事するクラリッサに連絡を取る。
<……クラリッサ。よろしいですか?>
「今、最高に盛り上がっているところなんだが……。どうした?」
<サーティンとクラリッサの陽動の隙に、無事諜報軍アルテア戦術作戦センター《TOCA》インフォタワーへ侵入を果たし、TOCA局長の身柄を確保したうえで、保管庫を開けることに成功しました。ですが……>
そこまで言うとトゥエルヴは言葉を切って、一瞬逡巡したような素振りをみせる。
<ただ、目的の頭部保管ユニットはここにありませんでした。いかがしますか? 保管目録はすでに解析が終了し、エレナー・エヴァレットが開発した近接格闘プラグインやその作成過程で記録されたと思われる、クラリッサ版の格闘プラグインのデータも入手済みです。ここは一度、TOCA局長の身柄とともに離脱するのが現実的かと>
だが、トゥエルヴを待っていたのは、クラリッサの到底信じ難い言葉だった。
「いいや。その必要はないよ、トゥエルヴ。おまえの任務は無事、果たされた」
<……クラリッサ? 何を言って……>
珍しく困惑するトゥエルヴ。だが、クラリッサの声音はひどく落ち着き払っていた。
「そこに、わたしの首はない」
<そんなっ!? では、どこにクラリッサの頭部が?>
「そんなもの、とっくのとうにおれが処分したに決まっているだろう。局長に訊けばわかるさ。おれが諜報軍の軍人になったのは、その見返りに自分の頭部を取り戻すという密約があったからだ」
トゥエルヴが銃を押し付けると、局長は目を固く瞑りながら頷いてみせる。
「あの女は、こちら側に寝返った振りをしていたんだよ。ジョンストン少佐と組んで秘匿作戦に従事する傍ら、情報特権を利用してこちらをゆするネタを仕入れ、脅迫してきた」
そう吐き出した局長はがくりと弱々しくうなだれてしまう。
<……でも、どうして? なぜ、わたしを騙すようなことを?>
平生の抑揚に欠ける電子音声だったはずのトゥエルヴの声は、どこか擦れひび割れているように響いた。
「おまえに、騙されて傷付く心があってよかったよ。ほんの少し、安心した」
<はぐらかさないでください、クラリッサ。どうして、わたしに本当の作戦を教えてくれなかったんです? わたしは、あなたのためのドロイド。あなたの役に立つのが、わたしの存在理由なのに……>
「トゥエルヴに邪魔立てされると計画に支障をきたすからな。おれはおまえが望むような、現世への復活なんて求めちゃいない。おれはもうとっくの昔に死んだ。二度目の人生なんてごめんだ。それに、いくらおまえの頼みとはいえ、飯事みたいな真似をして、未来永劫生きるつもりは毛頭ない」
いつもと変わらないクラリッサの声音。
もしもトゥエルヴに凍る背筋というものがあったならば、きっと今頃凍り付いてしまっただろう。
彼女になんて言葉をかけてあげればいいのかわからず、だがどうにかしてクラリッサの心を引き留めようと、トゥエルヴは縋るように言う。
<クラリッサ、待って。たとえ、今は二度目の人生を歩むつもりはなくても、生きてさえいれば……きっといつか、自分の生に満足する日が来るはずです。だから……>
「トゥエルヴ、二度生きた人間はいない」
<いいえ。かつて水の上を歩いた男がいて、彼は蘇りました>
「悪いな。生憎、信仰心は欠片もないんだ」
<クラリッサ!? ああっ、嫌だ……>
「サーティンも、トゥエルヴも、あとは自分の好き勝手にしていい」
<考え直してください。わたしは……>
だが、トゥエルヴがまだ言い終わらないうちにクラリッサは通信を切ってしまう。
トゥエルヴはすぐに、今クラリッサがいるはずのアルテア市警察《APD》第七分署に関する情報を走査する。
その七〇階、高さ二七七メートルに位置するヘリポートに立つ、ふたりの人影。
首元に張り付けた音声読み取りデヴァイスを剥すと、その場に放り投げたのはクラリッサだ。そして、そんな彼女に対峙しているのはスマート・ガンを保持した大柄の男の姿だ。
「……いいのか?」
「いいも何もないだろう。これは五年前の焼き回しみたいなものだ。とっくの昔に片が付いた問題だったはずなのに」
クラリッサは唐突に口元を押さえると、激しく咳き込む。
「もっと、別の解決策があったはずだ。違うか?」
「いいや、違わないね。おれの命がおれのものであるように、おれの死もまたおれのものだ。他の誰かがしゃしゃり出てくる場面じゃない」
クラリッサは口元を雑に拭うと、激情を宿した双眸を男に向けた。
「それに、ハーキュリーズ。あんたにだってこんな悠長にしてる余裕はないはずだ。“プリクライム”からおれの脳内神経マトリクスの情報基板が抜かれた以上、“プリクライム”は代わりの情報基板を求める」
クラリッサの言葉に、男は唇を噛んだ。
「その頭部、頭蓋骨のなかに収まる灰色の脳に近接格闘プラグインの原典を内包する、生まれついての殺し屋……愛しのエレナーの首が刎ねられ、脳を弄られる前に、このおれを殺しな」
言い終わると、やれやれと言わんばかりに溜息をつく。
男は保持した両刃の長剣状の高周波ブレードを捨てると、ロングコートから旧式スマート・ガンを抜き取る。
「さっき、信仰心はないと言ったが……」
男の太い指が引き金にかかる。
上下に並んだふたつの四角い銃口から、大気圏内で減衰が少ないフッ化重水素レーザーが吐き出され、満身創痍のクラリッサの傷付いた身体を捉える。波長三・八マイクロメートルの中赤外線域化学レーザーが、瞬時に体表面を焼き、内部に含む水分を一気に沸騰させる。
「おれはその青白い閃光の先に、天国を見出していたんだよ」
次の瞬間にはクラリッサの身体は外部は熱で焼かれ、内部は輻射熱で内側から裂かれていた。
「……さだめは死、か」
男はそう独り呟くと、その場を後にする。
トゥエルヴは、しばしの間茫然と佇んでいた。
その掌から、スマート・ガンを落としてしまう。
推論エンジンが下した結論を根拠もなく棄却し続けていた。嘘だ、とトゥエルヴの奥底が声高に叫ぶ。こんな結末を、認められるはずがなかった。二度もクラリッサを喪うだなんて、信じられるわけがない。
<……嘘だと言って、クラリッサ?>
次の瞬間にはその場を駆け出していた。
TOCA局長の動向なんて、もはやトゥエルヴの眼中にはない。並列駆動するニューロ・シナプス・チップがトゥエルヴに最適な逃走経路を指示してくれた。
だから、トゥエルヴはそれに従って身体を動かす。
思い出されるのは、いつも初起動の時の映像だ。
クラリッサの灰色の双眸が視界を占める。そして、いつも皮肉げで冷たくて、でもどこか親しげを感じる声。
「おまえは、本当に執着ということを知らないな」
違いますよ、クラリッサ。わたしはあなたに固執しているんです。
もしも、トゥエルヴに涙腺があったならば、きっと大粒の涙を流していただろう。
それが凄く、悔しい。




