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狂人理論  作者: 金椎響
第二章 不都合な事実
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さだめは死《ザ・プラン・イズ・デス》

 犯罪推測予防システム“プリクライム”を署内に置いた、アルテア市警察《APD》第七分署。日付が変わり、周囲が黒一色に染まろうとも、この区画だけは浮かび上がるような光で満ちている。

 その七〇階、高さ二七七メートルに位置するヘリポートからアルテアの夜景を眺める女性の姿があった。真夜中の薄闇でも燃える篝火のような深紅の髪。中性的に整った、美しい相貌。抜群のプロポーションを誇る肢体は極限まで鍛え上げられていながら、女性的な美しさを湛えている。

 だが、タクティカル・スキンの上に身に着けたボディ・アーマーやコンバット・チェスト・ハーネスなどは今、血で汚れ、身体に穿たれた傷穴からは鮮血がとめどなく滴って一向に止まる気配がない。


「……二度生きた人間はいない」


 クラリッサはその場に片膝をつき、激しく咳き込んだ。呼吸も荒く乱れていた。


「おれが手を下さずとも、放っておけばひとりでも勝手に死にそうじゃないか?」


 そこに現れたのは、大柄な銀髪の男。

 清潔感溢れる白いワイシャツ、対比的に映える黒いベストとスーツ、羽織ったロングコートの出立(いでた)ちは諜報畑の人間そのものといった趣だ。“プリクライム”が置かれた地下区画でクラリッサが交戦した戦闘用ドロイド・ヴィーナが保持していた両刃の長剣型の高周波ブレードを片手で軽々と持っている。


「ハーキュリーズ・ヘンリー・ヒギンズ。随分と遅かったじゃないか? 一体、どこで油を売っていたんだか……。すっかり待ちくたびれたぞ」


 クラリッサが手で口元を乱暴に拭う。クラリッサの激闘とその果てに追った傷を思えば、こうして話すことも到底及ばないはずだが、人工生体義体の性能の賜物か、あるいは彼女の気迫の成せる技か。クラリッサはゆっくりと立ち上がると、力強い目線でハーキュリーズを見据える。


「おまえが急ぎすぎなだけさ」


 ハーキュリーズはわざとらしく肩を(すく)めてみせる。


「おまえの成すべきことというやつは、もう終わらせたみたいだな。手足を持たない人工知能ユニット“プリクライム”が唯一動かすことのできる駒――ヴィーナを排し、ブレードリーダーを破壊した。何よりも重要なのは、そこに収められていたはずの、五年前に殺害されたクラリッサ・カロッサの脳内神経マトリクスが保存された情報基板(インフォブレード)を見事破棄してみせた」


 ハーキュリーズはにこりとも笑わずに、真剣な眼差しでクラリッサを見つめる。クラリッサは満足げな笑みを浮かべつつも、首を左右に振る。致命傷を負いながらも、その表情に微笑を浮かべるのを忘れない。


「いいや、まだだ。最後の仕上げが残っている。まだ果たされていない約束が残っているからな。おまえの手でこのおれを殺す、ということ。この無意味な生を終わらせるまでは、おれは悪夢から覚めない」


 クラリッサは人差し指でロングコートを指差す。


「銃でやってくれ。その剣でおれの首を刎ねたところで、この頭には“プリクライム”の使用に耐えるような、上等な脳内神経マトリクスは積んでいないからな」


 クラリッサの言葉に、ハーキュリーズは苦々しく溜息をこぼした。


「まったく。それならそうと最初に言ってくれ。危うく慣れない剣を使うところだった」

「おれを見損なうようなことを考えるからだ。こっちは自分の脳目当てに、一度は殺されてるんだからな。生憎、二度目はない」

「じゃあ、おれが話しているおまえは一体何者なんだ?」

「……亡霊だよ」

「ということは、三年前に諜報軍(インテリジェンス)アルテア戦術作戦センター《TOCA》インフォタワーにて厳重に保管していたはずの、クラリッサ・カロッサの頭部ユニットが紛失した事案も、保管用の情報基板(インフォブレード)が何者かに奪取されたのも……全てはおまえの仕業ということで間違いないんだな?」


 ハーキュリーズの厳しい問いに、クラリッサは笑みを浮かべて答える。


「まぁ、なんせ金目のものではないからな。欲しがる奴はおのずと限られてくるだろう」


 クラリッサは目を細める。

 いつもどこか皮肉げで、嘲笑や冷笑ばかり浮かべていたはずの表情に浮かぶ、不意の微笑にハーキュリーズは狐に摘まれたような気分に陥る。


「ハーキュリーズ、おれはあんたを仕事人間だとばかり思っていた。だから、エレナーのために危険を冒す姿を想像できなかった。だが、なぜだろう。なんでか知らんが、なぜかおれを追い詰め、そして殺すのは、エレナーでもジョリオンでもなく……ハーキュリーズ、おまえだと思っていた」

「おれだって、こんな役回りはごめん(こうむ)りたいさ。だが、そうでもしないとノリーンはおまえを殺すだろう。あの子はきっと躊躇わない。そして、後悔しない。一度決めたらいつだって、誰が相手でも止まらない……そんな娘だ」


 ハーキュリーズの揺らぎない言葉を聞いて、クラリッサはほんの一瞬の間、目を瞑る。


「……それは、親心のつもりか?」

「いいや、ただの独りよがりだ」


 静寂がふたりを包み込む。

 ヘリポートを駆け抜ける突風にも、ふたりは動じることはない。ともにしっかりと足を踏ん張って耐えた。

 その静寂を、通信の呼び出し音が破った。


<……クラリッサ。よろしいですか?>


 若い女性を模した電子音声。WSN一二――ウォーカー・シリーズ・ネクストトゥエルヴの声だ。


「今、最高に盛り上がっているところなんだが……。どうした?」

<サーティンとクラリッサの陽動の隙に、無事諜報軍(インテリジェンス)アルテア戦術作戦センター《TOCA》インフォタワーへ侵入を果たし、TOCA局長の身柄を確保したうえで、保管庫を開けることに成功しました。ですが……>


 そこまで言うと、トゥエルヴは言葉を切って、一瞬逡巡したような素振りをみせる。


<ただ、目的の頭部保管ユニットはここにありませんでした。いかがしますか? 保管目録はすでに解析が終了し、エレナー・エヴァレットが開発した近接格闘プラグインやその作成過程で記録されたと思われる、クラリッサ版の格闘プラグインのデータも入手済みです。ここは一度、TOCA局長の身柄とともに離脱するのが現実的かと>

「いいや。その必要はないよ、トゥエルヴ。おまえの任務は無事、果たされた」

<……クラリッサ? 何を言って……>


 珍しく困惑するトゥエルヴの声音に、クラリッサが思わず浮かべた表情。

 それを見て、ハーキュリーズは息を飲む。年齢以上に大人びていた顔が、そのときばかりは少女のように無邪気だったからだ。その場違いな感情の発露に、ハーキュリーズはどう反応すればいいのか、迷う。


「そこに、わたしの首はない」

<そんなっ!? では、どこにクラリッサの頭部が?>

「そんなもの、とっくのとうにおれが処分したに決まっているだろう。局長に訊けばわかるさ。おれが諜報軍(インテリジェンス)の軍人になったのは、その見返りに自分の頭部を取り戻すという密約があったからだ」


 飾らない言葉の羅列に、ハーキュリーズは小さく頭を振る。敵ながらトゥエルブに同情してしまいそうになる。彼女に痛む心がなければいいが、それを期待するのは(はばか)られた。


<……でも、どうして? なぜ、わたしを騙すようなことを?>


 平生の抑揚に欠ける電子音声だったはずのトゥエルヴの声は、どこか擦れひび割れているように聞こえた。敵と味方という陣営の違いさえなければ、ハーキュリーズがトゥエルヴを慰めてやりたいくらいだ。


「おまえに、騙されて傷付く心があってよかったよ。ほんの少し、安心した」


 クラリッサ得意のいつもの皮肉かと思ったが、その顔に浮かべる微かな笑みからも、それが彼女の本心であることは火を見るよりも明らかだ。だが、それでもクラリッサはトゥエルヴが傷付くような物言いを少しも改めない。


<はぐらかさないでください、クラリッサ。どうして、わたしに本当の作戦を教えてくれなかったんです? わたしは、あなたのためのドロイド。あなたの役に立つのが、わたしの存在理由なのに……>

「トゥエルヴに邪魔立てされると計画に支障をきたすからな。おれはおまえが望むような、現世への復活なんて求めちゃいない。おれはもうとっくの昔に死んだ。二度目の人生なんてごめんだ。それに、いくらおまえの頼みとはいえ、飯事(ままごと)みたいな真似をして、未来永劫生きるつもりは毛頭ない」


 クラリッサの瞳が一瞬だけ、憂鬱そうに曇る。そして、ハーキュリーズに目配せしてみせる。

 おれを薄情だと思うか? そうハーキュリーズに問いかけているように見えた。だから、ハーキュリーズは首を微かに左右へ振ることで、彼女に応えてみせた。その仕草に、クラリッサはどこか満足げに笑う。


<クラリッサ、待って。たとえ、今は二度目の人生を歩むつもりはなくても、生きてさえいれば……きっといつか、自分の生に満足する日が来るはずです。だから……>

「トゥエルヴ、二度生きた人間はいない」

<いいえ。かつて水の上を歩いた男がいて、彼は蘇りました>

「悪いな。生憎、信仰心は欠片もないんだ」

<クラリッサ!? ああっ、嫌だ……>

「サーティンも、トゥエルヴも、あとは自分の好き勝手にしていい」

<考え直してください。わたしは……>


 だが、トゥエルヴがまだ言い終わらないうちにクラリッサは通信を切ってしまう。

 首元に張り付けた音声読み取りデヴァイスを剥すと、その場に放り投げる。そこに躊躇(ためら)いは欠片も見出せない。トゥエルヴとの別れを惜しむような仕草を見出せず、なぜかハーキュリーズはトゥエルヴを憐れに思い、そしてむなしい気持ちになる。


「……いいのか?」

「いいも何もないだろう。これは五年前の焼き回しみたいなものだ。とっくの昔に片が付いた問題だったはずなのに」


 クラリッサは唐突に口元を押さえると、激しく咳き込む。

 その仕草はか弱い女性そのもので、ハーキュリーズの決意が微かに揺らぎかけた。

 銃を向ける脅威ではなく、手を差し伸べるべき弱者のように思えた。現に、クラリッサに抵抗の意思は見られない。むしろ、すぐにでもドクターヘリの救護要請の必要性があるくらいだ。


「もっと、別の解決策があったはずだ。違うか?」

「いいや、違わないね。おれの命がおれのものであるように、おれの死もまたおれのものだ。他の誰かがしゃしゃり出てくる場面じゃない」


 クラリッサは口元を雑に拭うと、激情を宿した双眸をハーキュリーズに向けた。それはすでに覚悟をし終え、自らの死と対峙する決意を感じさせるに十分すぎる態度だった。

 ノリーンと同じ年頃の女性が持つには、あまりにも重すぎる覚悟と決意の発露。それは、ハーキュリーズにもまた、重い決断を下すよう強いられているように感じた。


「それに、ハーキュリーズ。あんたにだってこんな悠長にしてる余裕はないはずだ。“プリクライム”からおれの脳内神経マトリクスの情報基板(インフォブレード)が抜かれた以上、“プリクライム”は代わりの情報基板(インフォブレード)を求める」


 その言葉に、ハーキュリーズは唇を噛んだ。


「その頭部、頭蓋骨のなかに収まる灰色の脳に近接格闘プラグインの原典(オリジナル)を内包する、生まれついての殺しナチュラルボーンキラー……愛しのエレナーの首が刎ねられ、脳を弄られる前に、このおれを殺しな」


 言い終わると、やれやれと言わんばかりに溜息をつくクラリッサ。

 ハーキュリーズは保持した両刃の長剣状の高周波ブレードを捨てると、ロングコートから旧式スマート・ガンを抜き取る。そして、流れるような手つきで保持してみせた。その所作は無駄がなく、洗練されていて、どこか美しさすら感じさせた。

 クラリッサに言われるまでもない。自分がすべきことを、ハーキュリーズはよくわかっているつもりだ。全てはノリーンのため。それが自分のためになる。そのためならば、クラリッサを二度殺めることすら躊躇(ためら)いはない。


「さっき、信仰心はないと言ったが……」


 ハーキュリーズの太い指が引き金(トリガー)にかかる。

 上下に並んだふたつの四角い銃口から、大気圏内で減衰が少ないフッ化重水素レーザーが吐き出され、満身創痍のクラリッサの傷付いた身体を捉える。波長三・八マイクロメートルの中赤外線域化学レーザーが、瞬時に体表面を焼き、内部に含む水分を一気に沸騰させる。


「おれはその青白い閃光の先に、天国を見出していたんだよ」


 その言葉は、もしかしたらハーキュリーズの幻聴だったかもしれない。

 クラリッサの身体は外部は熱で焼かれ、内部は輻射熱で内側から裂かれ、最後には微細な肉片だけを残して、あとはアルテアの街に吹く強風とともに宙を舞う。そこにはもう、クラリッサの面影を残すものは欠片も残されていない。


「……さだめはザ・プラン・イズ・デス、か」


 ハーキュリーズはそう独り言を呟くと、その場を後にした。

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