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狂人理論  作者: 金椎響
第二章 不都合な事実
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力は正義なり《マイト・イズ・ライト》

 アルテア市警察《APD》第七分署の建設時の資材搬入用に作られ、現在では主にドロイドが用いているエレベーター、その昇降機(ゴンドラ)のなか。ハーキュリーズは指示に従い、操作盤にコマンドを打ち込んでいく。

 犯罪予測システム“プリクライム”が設置された地下階への立ち入りは厳しく制限されている。ハーキュリーズは、ノリーンが作成した「情報収集プロトコル」と呼ばれるクラッキング・ツールを駆使し、行先のセキュリティを解除していく。


<クラリッサは偽造された警察署長のパスコードを入力していたわ。ハークが打ち込んだ今のコマンドは、その際のデータを解析して作ったものよ>

「なるほどな。だが、妙な話だとは思わないか?」

<……妙? 何が妙なの?>

「“プリクライム”の犯罪予報システムが正常に稼働しているならば、クラリッサの侵入を事前に予見し、対抗策を講じたり、講じるまでの間の時間稼ぎをすることだってできたはずだ。なのに、何故こうも易々と侵入を許す?」


 ハーキュリーズの問いに、ノリーンは短く息を吐く。


<それは、クラリッサ・カロッサの脳内神経マトリクスと、他のロボットのニューロ・シナプス・チップを適宜切り替えて……>

「だが、その切り替えでは、せいぜいクラリッサの所在を欺瞞するだけで、犯罪を行う意図自体は“プリクライム”が容易に予想してしまうはずだ。重大な犯罪に発展する前に、未遂犯として拘束することこそできないが、犯罪予測に則って第七分署の警備を固めることだってできたはず」

<それは……>

「もっとも、脅威となるクラリッサの排除ではなく、署内の人員の安全確保を優先した結果なのかもしれないが。真夜中とはいえ、緊急時に備えた要員がいるはずなのに、誰ともすれ違わない」

<それはわたしが手を回してるからなんだけど。一応、フロアの警備用ドロイドや人員になるべく見つからないルートを選んでるの。もっとも、このルートは恐らく、クラリッサが通った道だと思うけどね>


 ノリーンの気苦労が混じった声音に、ハーキュリーズもつられて苦笑する。


<でも、確かに、そうね。“プリクライム”にはロボットの犯罪を予見する能力こそ今はないけれど、対人間の犯罪行為に関しては高度な未来予測能力がある。だったら、このあまりに手薄な警備体制は……>

「ノリーン、気をつけろ。どうやらクラリッサだけじゃない、“プリクライム”にも何か考えがあるはずだ」



 アルテア市警察《APD》第七分署は超高層建築として有名だが、その最下層に焦点が当たることは稀だ。

 施設の管理プログラムとは別系統のシステムで管理された区画。アルテア市警の地下フロアの大部分を占有する、合衆国で随一の高性能なスパコンを繋ぎとめた集合体。

 アルテア全域で収集された情報を一元的に受け取り、人工知能ユニットが過去のデータと現実に発生した犯罪情報から独自に相関関係を導き出す。人の手に依らず、自己解析の末生み出されたロジックモデルを磨き上げてきた犯罪予測システム“プリクライム”の本拠がここにはある。

 犯罪予測に特化した推論エンジンを動かすための、ニューロ・シナプス・チップと疑似神経(パラニューロン)を組み合わせた円柱状のケース。それが、いくつも無数に組み合わさって、あたかも古代ギリシャの神殿に並ぶ柱のような様相を呈していた。

 脳内神経マトリクスを保存する半透明のメモリーボードに酷似した情報基板(インフォブレード)が収められている、本棚のように巨大な筐体。これもまた理路整然と立ち並び、さながら地下墓所(カタコンベ)といった趣である。

 それらが所狭しと並べられている。

 駆動時に発生する膨大な熱による性能低下を防止するために、室温はかなり低い温度に保たれていた。ふうと息を吐けば、白くなりそうだ。

 そんな凍てつく空気のなか、寒さを感じさせずに闊歩するひとりの女性。

 薄闇で燃える篝火(かがりび)のような深紅の髪。中性的に整った、凛々しい横顔。抜群のプロポーションを誇る肢体は極限まで鍛え上げられていながら、女性的な美しさを損なっていない。

 クラリッサ・カロッサは地下フロア中央まで歩いていくと、立ち止まる。

 そこで直立不動の姿のまま佇む人影を見て、満足そうな笑みを浮かべた。


「期待はしちゃいなかったが……。これもまた、(いき)な計らいというやつかな?」


 クラリッサを待っていたのは、銀色の全身甲冑(フルプレート)型の戦闘用ドロイドだ。

 だが、屈強な体躯を持つネクストシックスの系譜ではない。トゥエルヴのような長身ではあるが痩躯(そうく)、華奢な女性を模した外観をしていて、強固な複合装甲コンポジット・アーマーで全身を覆いながらも、どこか柔らかそうな印象を受ける。

 その目は双眸ではなく、ラインセンサーであたかも目隠しをした正義の女神(レディ・ジャスティス)のよう。右手に保持した両刃の長剣の高周波ブレード。その柄と鍔は細長く、十字架をモチーフにしているのは明らかだ。


「……確か、ヴィーナといったか?」

<いかにも。我が名はヴィーナ。未来を見通すことで巨悪を制する電子の宣託“プリクライム”を守護する者であり……法の外にある存在を、法の外にある手段をもって排除する者だ>

「左手に天秤をもっていれば、完璧だったんだが。正邪を測る、『正義』の象徴の天秤はどこへ行った? 『剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力』に過ぎない。正義と力こそが法の両輪だろう?」


 クラリッサの質問に、目の前のドロイド――ヴィーナは答えた。


「『正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。力のない正義は無力であり、正義のない力は圧政的である。力のない正義は反対される。なぜなら、悪人がいつもいるからである。正義のない力は非難される。したがって、正義と力とを一緒におかなければならない。そのためには、正しいものが強いか、強いものが正しくなければならない。正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。そのために、人は正義に力を与えることができなかった』」

<『なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だと言ったからである。このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである』……ブレーズ・パスカルの『パンセ』、第五章『正義と現象の理由』二九八>

「ほう、そういう教養もあるのか。そうとも、おれが正義に力を与えよう。……いいや、力こそが正義だ、とでも言おうか。何事も、力で解決するのが一番だ」


 ヴィーナの左手が不意に虚空を指差す。

 その先にあるのは、中心部のブレードリーダー。そこに収まった、脳内神経マトリクスの脳構造情報を記憶する半透明の情報基板(インフォブレード)。その姿に、クラリッサは思わず表情を綻ばせる。


<汝が求める魂の在処(ありか)だ>

「ほう、わざわざ用意しておいてくれたのか。それは手間が省ける」

<万が一、我が敗れた時、この神聖な場所を荒らされるのは本意ではない>


 ヴィーナの左手が背後に回ると、そこから現れたのは天秤状の器具。すると、計量皿状の部分が一八〇度展開し、頭上を向く。半球状の電極部分から火花が発生し、薄暗い室内を眩く照らす。


「……随分と痛そうだ」

<祈れ。自らの魂の安寧を。そして、眠れ>

「そうとも。安らかに眠るために、ここに来た!」


 ヴィーナの左手に保持した器具から雷撃がクラリッサ目がけて走る。

 空気中を漂う微細な物質を一瞬で焼き払い、燃やしながらも進む指向性の電撃。クラリッサは間一髪のところで避けた。そのまま足を踏ん張り、一歩二歩と着実にヴィーナとの距離を詰めていく。

 第二射、第三射と繰り出される強力な稲妻を、クラリッサは必要最小限度の動きで回避する。野太い電撃の奔流が、彼女が今まさに移動しようとしていた場所へと迸り、薙いでいく。

 まだ実際に雷撃を受けていないにもかかわらず、周囲はすでに焦げ臭い空気が漂う。


<現世を彷徨う魂なき身体に宿る亡者(もうじゃ)よ、今こそ帰るべき場所へ>

「ちっ、高度な演算システムが弾き出す未来予測を攻撃に転用したかっ!?」


 ヴィーナもまたクラリッサを凌駕する電光石火の早業で動く。大きく振りかぶると右手の長剣を、先読みしたクラリッサの進路へ向けて振り下ろす。

 詰めた距離を、今度は取る。

 反す刀で刃先が真横を薙ぐ。

 クラリッサの鼻先を高周波ブレードの切っ先が通過していく。高機能人工義体の発揮する段違いの身体能力とそれを完全に制御する能力がなければ、絶対に避け切ることなどできなかっただろう。


<我は過去を知りて、未来を見通し、最善の今を統べる者。過去に息絶え、刹那を流離(さすら)い、未来なき汝に後れは取らぬ>

「……黙っていれば、勝手なことを言うッ!?」


 クラリッサは口角を上げた。

 そして、右手で握り拳を作ると、ヴィーナの顔面の右半分へ叩き込んだ。絶妙な体重移動と腕の動き、鉄板をもぶち抜く驚異的な義手の生み出す力の発露に、ヴィーナの身体が少しだけ後退する。

 クラリッサはその僅かな隙すら見逃さない。

 続け様に回し蹴りを胴へ繰り出すと、渾身の力を込めた一撃を腹部におみまいする。クラリッサの拳もまた常人ならば到底耐えがたい激痛が走るのも構わずに、炸裂した一発。

 ヴィーナはその場に踏ん張るも、その足元が床を擦りながら後ろへ押し出される。ヴィーナの足底にそった痕が、まるで車のブレーキ痕のように床へ浮かび上がっていた。


「どうした? 本気で来いよ」


 そう言うと、クラリッサは大胆不敵な笑みを浮かべる。


「今夜こそが本番だ。ちょっとはおれを楽しませてくれ」


 命のやり取りをしているというのに、心の底からこの戦いを楽しんでいるようにも見えた。それは、断じて虚勢ではない。

 ヴィーナは人間には真似できない足運びで、押し出された分を瞬時に走破すると、力強さと素早さを両立させた斬撃を繰り出す。クラリッサの顔から笑みが消えた。


「ふんっ!? どんなに情報資源(インフォリソース)を潤沢に注ぎ込み、未来をエミュレートしたところでっ!? 理性的な制約を受けず、反射的な攻撃が可能な近接格闘プラグインの原典(オリジナル)を内包するこのおれに……勝てるものかっ!!」


 ヴィーナはさらに後ろへ大きく跳躍しながら、左手に保持した器具から高電圧の電流を虚空へ向って放電した。雷撃の動きを目視してから回避行動に移るのでは遅すぎる。

 だから、クラリッサは経験と天性の感覚に従って、身体を振った。


「近接格闘プラグインの真骨頂、それは攻撃者すら意図しない完全にブラックボックスの……予測不能な攻撃を機械の反応速度を超える尋常ならざる速さで行うことにある。反応と反射の融合、理性にも野性にも左右されない、純粋無垢な暴力の発露だ」


 電極へチャージしている間に、至近距離まで潜り込むと、クラリッサは拳を大きく後退させ、次の瞬間には自らの筋肉をバネに見立てて、解き放つ。さらに一撃、ヴィーナの頭部ユニットに手がめり込むと、ラインセンサーにひびが入る。

 クラリッサは勝利を確証したまさにその時、ヴィーナは右手に持っていた高周波ブレードを凄まじい力で投擲した。

 反射的に身を翻したことで、辛うじて即死することだけは避けた。

 だが、コマのように回る長剣の刃先がクラリッサの胸を捉え、次の瞬間にはその体躯を易々と突き破る。クラリッサの身体の奥底から血液が迸り、逆流した。開いた口から行き場を失った鮮血が吐き出される。

 ヴィーナの右手の器具から、半球状の電極が外れると三本ずつ、計六本の細い針の先が姿を現した。ヴィーナはそれを突き出し、攻撃を察知しながらも初動の反応がほんのわずかに鈍ったクラリッサの身体に容赦なく突き立てた。

 クラリッサの身体から力が抜け、床に崩れ落ちそうになったまさにその刹那、クラリッサは胸から生えた長剣の柄を握ると躊躇いもなく一瞬で引き抜く。

 間髪入れずに腕の動きを利用してドロイドの胴へ刃先を向け、渾身の力で押し込んだ。

 ヴィーナが不可解な動きをして仰け反る。

 クラリッサは鼻を鳴らすと、目にも止まらぬ速さでその剣先を何度も何度も執拗にドロイドの身体を突いて回った。フェンシングのような動きと打突は、マシンガンから打ち出される無数の銃弾にも似た、絶え間のない連続攻撃だ。


「おまえの導き出した未来とやらは、単なる部分最適でしかない。おれはずっと以前に、すでに死んだ。そして、魂の宿らぬ仮初めの肉体に舞い戻った」


 クラリッサは、床に転がるヴィーナの頭を乱暴に蹴り上げた。

 その身体に馬乗りになると、両刃の長剣を頭上に高らかに掲げる。


「……そんなおれが、急所を外した攻撃がもとで行動不能になると思ったら大間違いだ」


 そして、質量を活かすようにして振り下ろす。

 その刃が肩から胴の真ん中へ滑るようにして走る。

 いつしか、ヴィーナは動きを止めていた。

 クラリッサは機能を停止したヴィーナから離れようとして、よろめいてしまう。反射的に手を地につく。その場に(うずくま)ると、血の塊を吐き出す。

 胸を激しく上下させると、ふうと息をつく。キツく目を瞑ってから、炯々(けいけい)とした眼光を宿すとようやく立ち上がった。


「……将来などないこのおれが未来を見通すきさまを打ち倒すとは、これほどまでの皮肉はないな」


 部屋の中心部に鎮座したブレードリーダー。

 そこに収められている脳内神経マトリクスの脳構造情報を記憶する半透明の情報基板(インフォブレード)。それを自らの血で汚れた手で抜き取ると薄暗い照明に掲げた。


「我が魂の欠片よ。感動の再会だな」


 最後まで言い終わらないうちに、クラリッサは激しく咳き込む。いつの間にか口元は血で濡れ、まるで口紅をさしているかのように見える。その場で片膝をついて、発作にも似た激しく暴れる身体をどうにかして抑え込む。

 ヴィーナがクラリッサに与えた攻撃は、確実に彼女を死へと(いざな)っていた。

 クラリッサはヴィーナの動かぬ身体から高周波ブレードを引き抜くと、最大出力に設定した。


「天国にも地獄にも行けず、現世を彷徨(さまよ)う魂よ。安心しろよ、永遠の眠りは近い」


 言うが早いか、クラリッサは剣を振るう。

 宙を舞った情報基板(インフォブレード)は細切れにされ、焼き切られ、周囲へ落涙(らくるい)のように降り注ぐ。冷やされた空気に包まれて粒状に凝固した。

 もはや、この残骸からクラリッサの脳内神経マトリクスを復元することは叶うまい。


「犯罪予測システム“プリクライム”……。おれはきさまの弱点を見事暴いてみせたぞ。そして、その敗北の代償はしっかりと償ってもらう」


 クラリッサは中央に鎮座した端末に、剣を鞘に納めるように深々と突き刺した。情報処理にエラーが発生し、ファンの回転数が上昇する。クラリッサはその手応えに満足すると、乱暴に柄の部分を拳で殴りつける。

 いくつか火花が散って、端末は機能を停止した。

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