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狂人理論  作者: 金椎響
第二章 不都合な事実
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無だ。だが、全てだ《ナッシング。バット、エヴリシング》

 アルテア市中心街(セントラル)から遠く離れた港湾施設は、夜が更けた今も眠ることを知らない。

 湾内にはいくつもの大型ガントリークレーンが見る者を威圧するかのように並んでいるはずだが、今は闇に包まれて存在感が希薄だ。コンテナ船からの積み出し作業は全て自動化され、作業用ドロイドがプログラムに従って忙しなく動き回っていた。

 大型コンテナが集積された港湾施設を囲うように建てられた、貨物物資を集積するための倉庫群。格納施設でも多くの多脚型ドロイドたちが物資を牽引し、あるいは機械ならではの愚直さで荷物を積み上げていく。

 そのなかの一角に、作業用ドロイドたちが寄りつかない、無人地帯がある。そこを猛スピードで駆け抜ける、一台の車の姿。

 随分と低い車高、直線を基調としている灰色のスポーツカーは、野生動物の咆哮(ほうこう)にも似た(おぞ)ましい排気音(エキゾーストノート)を周辺に撒き散らしながら走る。


「……ツクシ、大丈夫か?」


 助手席で縮こまり、タクティカル・スキンの上に羽織ったミリタリー・ジャケットの裾を弄るツクシに、ジョリオンは訊ねた。


「えっ? ええ、大丈夫です……」


 その言葉とは裏腹に、ツクシの声音は擦れて弱々しい。


「ハルートのいない今、きみが頼りだとは言ったが……本当に無理だと言うのならば無理強(むりじ)いはしない。これからおれたちの向かう場所は戦場だ。そこには安全地帯なんて存在しない、冷酷で無慈悲な場所だ」

「わかってます!? わかっています……」


 ツクシは声を荒げると、上体を起こし、運転席のジョリオンに身体を近付けるもシートベルトによって座席に押し付けられてしまう。


「……ツクシ?」


 彼女らしからぬ感情の発露に、(いぶか)しげな視線を向けるジョリオン。その視線を察して、ツクシはふうと息を吐き出してから口を開いた。


「でも、その……怖いんです。(さら)われてIRIS本社ビルに行ったとき、今まで味わったことのない恐怖と死の予感を感じました。あんなに、自分の生命が危険に晒されたことなんて、今までありませんでした」


 話しながら思い出したのか、ツクシは自らの肩を抱く。


「……車に残るか?」


 気を(つか)って提案するジョリオンに、ツクシは首を左右に振って応える。


「怖いのに、何故?」

「でも、ここでこの恐怖に立ち向かわなくちゃ、自分で自分を裏切ってしまうんです」

「自分で、自分を? どういうことだ?」

「わたし、IRIS本社ビルでノリーンに見捨てられたとき、怖くて怖くて堪らなかったんです。誰にも看取られることなく、ひとり寂しく死ぬんだって思ったとき、身体の震えが止まりませんでした」


 ツクシは言いながら、目元を手で拭う。


「心の底から願いました。誰でもいい、誰でもいいから……どうかわたしを助けてって」


 途中涙声になりながらも彼女は話すのをやめない。その姿を見て、ジョリオンはフロントガラスを直視できなくなる。


「ジョンストンさんの仲間はきっと、かつてのわたしの姿なんです。ここで彼女を見捨てて車に残ったら、自分で自分を裏切ってしまう。汚してしまう。そんなのはもっと嫌なんです」


 ツクシは充血して赤くなった目でジョリオンを見据える。ジョリオンは頷きながら、彼女の姿を見つめた。


「……いいな」

「えっ?」

「いや、きっと昔のおれもそんな風に思って戦っていたはずだと思ってな」


 ジョリオンは前を向くも、その視線は道路の先を捉えていた。


「守るものと守らないものに一線を引く――ということは守れないと判断したものを切り捨てることだ。それは兵士としては当然のことだ。現代戦は、いかに戦死者を少なくすることが戦争遂行の際に重要な意味を持つからだ」


 普段の様子とは異なるジョリオンの顔と声音に、ツクシは黙って耳を傾ける。


「だから、どうかノリーンを責めないでやってくれ。彼女もまた、たったひとりの兵士なんだ。『世界』という名の怪物を前に立つ、ひとりのちっぽけな女の子さ。怖れを前にした今のきみならば、きっとわかってくれるだろうが」

「……ジョンストンさん?」

「そして、ツクシ。きみもノリーンも、ひとりじゃない。ハルートだっている。だから……」


 ジョリオンは柄ではない、どこか品すら感じさせる穏やかな微笑を浮かべながら言う。


「万が一というときには、頼む」



 倉庫群の片隅に、灰色のスポーツカーが停車する。

 そこから降りてきたのは、ジョリオンとツクシだ。ふたりとも、事前に走査した情報を確認するように、周囲を目視で改めて検分する。ジョリオンはホルスターに収められたスマート・ガンの銃把(グリップ)に手をかけ、すぐに撃つことができる状態だ。

 ちょうどその時、ふたりの頭上に飛来したのは最新鋭のステルス無人ヘリだ。ステルスペンキを塗るだけでなく、ステルス戦闘機のように装甲が直線的で、レーダー波を巧みに反射させる独特な傾斜がある。

 そこから諜報軍(インテリジェンス)仕様の艶消しの黒で塗装され、両手に特殊戦に特化したスマート・アサルトカービンを保持した戦闘用ドロイドWBDN六――ウォーカー・バトル・ドロイド・ネクストシックスが次々とワイヤーを伝って地面に向かって着地する。


「戦力の最小単位は二機一組(ツーマンセル)。四機でひとつのユニットだ。モービル・ワン率いるユニットAと、モービル・ファイヴ率いるユニットB、モービル・ナイン率いるユニットCは出入り口付近で待機し、突入に備えろ。突入は扉ではなく、壁を粘着テープ型プラスティック爆弾で破壊して侵入する」


 ジョリオンは戦闘用ドロイドに指示を与えながら、自身も背中に背負ったスマート・ショットガンやもともとはサーティンの装備だった高周波ブレードの動作を改めて確認する。

 無事に駆動することを点検すると、背中に収めた。


「モービル・サーティン率いるユニットDの要員は、この場に残り不測の事態に備えろ。ステルス無人ヘリのホーネット・ワンは頭上から支援し、敵の注意を逸らせ」


 ジョリオンの指示に従い、ネクストシックスはすぐに行動に移る。

 ネクストシックスたちは、周辺の情報を走査したり、アサルトカービンやアサルトカービンの下部に装着された擲弾発射器(グレネードランチャー)を確認したりしていた。

 ユニットDのネクストシックスはステルス無人ヘリに指令を出すことで放出された武装コンテナから、散弾が装弾されたショットガンや対物ライフル、分隊支援火器(SAW)を取り出して装備している。


「……これが、ジョンストンさんの援軍ですか?」

「ああ。だが、本来なら強化外骨格(エクソスケルトン)を装備した、対ドロイド戦の経験豊富な人間で構成された戦闘要員オペレータが良かったんだが……この期に及んで贅沢は言えんね」


 ジョリオンは冗談めかした笑みを消し、戦闘ドロイドに指示を出す。


「脅威の排除ではなく、人質を安全に確保することこそが最優先事項だ。作戦目標の達成を第一に、戦術プランを立案しろ」


 そこで、ジョリオンの携帯端末(モブ)の着信音が鳴る。

 懐から端末を取り出すことなく、通信情報を左手に埋め込まれた超小型コンピュータ端末で受信する。


<ジョリオン。おれはポンコツとではなく、おまえと戦いたい>


 サーティンが教授(プロフェッサー)携帯端末(モブ)から発信していた。


「寝言は寝て言え、ガラクタ野郎」

<まあ待て、ジョリオン。そう悪い取引じゃないぞ。おまえの返答と行動次第で、この女とおまえの無事を保障してやってもいい>


 左手の小さな長方形の情報パネルには、直刀の高周波ブレードを掲げたサーティンの姿が映し出される。


「よっ、よせ!?」


 ジョリオンの静止を振り切り、サーティンはカタナを振り下ろす。

 映像が切り替わり、教授(プロフェッサー)の手錠から伸びる特殊繊維で編み込まれたコードが溶断されていた。

 首輪と足首を圧迫していたコードが切られ、映し出される教授(プロフェッサー)の表情がいくばくか緩む。


<これは、おれなりの誠意というやつだ。そして、おれが期待するのは『誠意には誠意をもって応じる』ということだ>


 ジョリオンは一瞬だけ躊躇(ちゅうちょ)するも、すぐに答えた。


「わかった。そちらには、おれひとりで向かおう」


 その言葉に、ツクシが顔を歪めてジョリオンに追い縋る。


「だが、それはおまえが言ったふたりの『無事を保障してやってもいい』という言葉によってのみ担保される。その約束が破られた際は、それ相応の報いを受けてもらう」

<よかろう。ジョリオン、おれは薄汚く狡猾な人間とは違う。約束してもいい。おれはきさまの期待を裏切るような真似はしない>


 そこでサーティンからの通信は途絶えた。


「どうして!? どうしてです、ジョンストンさん!?」


 通話終了とともに、ツクシが抗議の声を上げる。


「すまない、ツクシ。だが、これは絶好のチャンスなんだ。彼女を無傷で救出する機会をおれは見逃したくはない。頼む、わかってくれ」


 緊迫した状況には相応(ふさわ)しくない微笑に、ツクシの険しい表情が少しだけ揺らぐ。

 ジョリオンはそんなツクシの両肩をそっと掴むと、抱き寄せる。


「大丈夫だ。大丈夫……」


 言い終わらぬうちに、腕を伸ばしてツクシの身体から離れると、ジョリオンは出入り口へと向かう。

 ジョリオンの気配を関知した扉が開く。

 固い意志を感じさせる無言の背中を前に、ツクシはかける言葉もなく黙って後姿を見送った。



<……ジョリオン・ジョンストン、誇り高き男よ。勝算はなくとも、戦闘用ドロイドという木偶(でく)(ぼう)を動かし、自らは高みの見物と洒落込むこともできたと言うのに。だが、こうでなくては興醒めというやつだ>


 薄闇の先で巨像が揺らぐ。

 覚束ない照明に照らされて、姿を現すサーティン。IRIS社のドロイドでは大型の身体。鋭く光る複合センサー類を詰め込んだ頭部ユニットの眼光。六本の腕からはえる手には高周波ブレードは保持しておらず、地面に突き立てられている。

 その手には、手錠と足枷で四肢を拘束された教授(プロフェッサー)の身体を軽々と抱きかかえていた。教授(プロフェッサー)の吊り目がちの深い青の瞳は涙で濡れていて、ジョリオンの姿を真っ直ぐに見つめて離さない。


<だが、ジョリオン。おまえは自らの命が惜しくはないか? IRIS本社ビルでの戦闘の時、おまえは感じたはずだ。おれやクラリッサの気紛(きまぐ)れがなければ、死んでいたことを>


 サーティンの電子音声を、ジョリオンは黙って聞いていた。その言葉に揺らぐジョリオンではない。


<もしも今、あの時感じた恐怖が再びおまえの身体を震わせるのであれば……おまえを殺さないという約束をしてもいい>

「ほう、てっきり一対一の真剣勝負を申し込まれると思って来てみれば……。この期に及んで、おれが命乞いだなんてするとでも思ったのか? だったら、おまえは本当にどうしようもないガラクタ野郎だ。鉄屑の方がよっぽど価値がある」


 嘲笑ではなく、真剣な表情を浮かべながらジョリオンは言う。

 果たして、ジョリオンの挑発をサーティンは上下する口を開き、文字通り笑い飛ばす。倉庫に場違いな、電子音声で作られたどこか不気味な笑い声が木霊する。その姿は、夜の支配に沈む街に現れた妖怪そのものだ。


<いまさら虚勢を張らなくてもいいんだぞ、ジョリオン。そう、例えばだ。この女をおれが飼うことを認めるのならば、おまえを見逃してやってもいい。高度な知性というのは、単に頭のいい生物を指すのではない。力を振るわずとも、権力で他の生物を支配すること、それこそが『知』であり……『力』なのだ>


 自分の言葉に満足したのか、サーティンは(しゃく)(さわ)る独特な笑い声を発した。そして、サーティンの腕のなかで怯えて縮こまっている教授(プロフェッサー)の血の気の失せた頬に、頬擦りしてみせる。

 猿轡(さるぐつわ)を噛まされた教授(プロフェッサー)のくぐもった悲鳴が零れる。ジョリオンは電光石火の早業でホルスターからスマート・ガンを引き抜くと、両手で保持し、引き金(トリガー)に人差し指をかけた。


「サーティン、てめえっ!! ふたりの『無事を保障してやってもいい』というのは、そういうことか!?」


 ジョリオンの怒声ががらんどうの倉庫に響き渡る。サーティンは笑みを消す。改めてジョリオンの視線に正面から対峙すると、上下に稼働する口が開いた。


<ジョリオン。おれはおまえが思っている以上に、優しく慈悲深い性分だ。この女を躾け、心の底から幸せだと実感させる自信すらある。どうせ、人は何か別の存在に仕えているのだろう? おれはこれから、自由を手にする。他の誰よりもずっと、自由で……強い存在となる>


 サーティンの肩から伸びる手が、教授(プロフェッサー)のショートヘアの美しい亜麻色の髪を、陶器のように白い頬を、美しいくびれをなぞる。外見とは異なる繊細な指遣いは意外ではあるが、それでも教授(プロフェッサー)の身体の震えは止まらない。


「サーティン、彼女を解放しろ。教授(プロフェッサー)はなんの関係もない」

<そうだ。おれときさまとの関係に、この女は関係がない。だが、そこに関係性を見出したのはジョリオン、きさまに他ならない。それに、クラリッサからこの女を譲り受けた手前、このままきさまにくれてやるのは惜しい>


 サーティンの言葉に、ジョリオンの眉根がキツく寄る。


<ほう。(いか)っているな、ジョリオン>


 対して、サーティンは驚くほど穏やかな電子音声で問う。


<おれは戦いのなかで生きることこそが……本当の、偽りなき生の姿だと思う。自らの存在を否定し、その根底を突き崩す死と破壊。だが、そこに自身の命と存在を賭ける。この決断が何よりも尊く、価値があることだと思う>

「……何が言いたい?」

<おまえは……いや、これはエレナーもまたそうだが、おまえたちは勝ち目や勝算を度外視して、自らの死と向き合い、戦場へと上がった。おれは、そんなおまえたちを認めている。敬意を表したい。同時に、この手で殺めてしまうには惜しいとすら思っている>


 サーティンが紡ぐ言葉に、ジョリオンは怪訝(けげん)な表情を浮かべる。


<クラリッサの与えた使命などクソ食らえだ>

「それで? おれらと仲良くしたいが、一方で人を飼いたいと? 馬鹿を言え、クソったれ。おれは祖国と同胞を守るために悪魔に魂を売った首狩り人だ。おれの戦いは来世を約束された宗教戦争でも聖戦でもない。ただの命と誇りの奪い合いだ」

<ジョリオン、闘いを侮辱するな!>


 サーティンの咆哮(ほうこう)にも似た大声に、教授(プロフェッサー)は堪らず目を強く瞑る。


「いいや、ただの暴力の発露だ。大体、きさまの戦いには目的がない。手段の目的化だ。目的なき、単なる手段としての戦闘には秩序も矜持もありゃしない」


 ひとり熱くなるサーティンを前に、ジョリオンは冷たく吐き捨てると、光学照準器(オプティカルサイト)越しにサーティンの頭部ユニットを睨みつける。


<それがきさまの答えか、ジョリオン。よかろう。きさまが戦いを選択するのならば、望み通りだ。敗者は全てを失い、勝者が全てを得る。無だ。だが、全てだ《ナッシング。バット、エヴリシング》>


 サーティンは教授(プロフェッサー)の身体をそっと床に置くと、脚力だけでその場から跳躍してみせる。通常の建物よりも随分と高い天井だというのに、頭部ユニットが天井のパネルを擦るぎりぎりの距離まで巨体が舞い上がった。


<……その決断に、後悔はないな?>

「もちろんだ」

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