殺意の胎動
アルテア市中心街から離れた港湾施設が傾いた日差しを浴びて、長い影を作る。
湾内にはいくつもの大型ガントリークレーンが見る者を威圧するかのように並び立んでいる。コンテナ船からの積み出しは全て自動化され、作業用ドロイドが昼夜を問わず忙しなく動き回っていた。
湾内を一望できる絶好の場所に位置する湾内管理センター。その指令室に常駐する数人のエンジニアたちが、異常を検知した時だけ情報を参照する。それゆえ、平常時は業務に付随する雑務に悩殺されていた。
大型コンテナが集積された港湾施設を囲うように建てられた、貨物物資を集積するための倉庫の連なり。格納施設にも、多くの多脚型ドロイドたちが物資を牽引し、あるいは几帳面に荷物を積み上げていく。
そのなかの一角に、作業用ドロイドたちが寄りつかない、無人地帯があった。
そして、そこに現れた、みっつの人影。その先陣を切る赤髪の若い女性が周囲の状況を確認しながら、颯爽と倉庫の間を歩いていく。
<くそっ!? クラリッサ、おまえがおれに組み込んだ下らんプログラムのせいで、人間如きに後れを取った>
巨体な戦闘用ドロイドが忌々しそうに吐き捨てる。
WSN一三――ウォーカー・シリーズ・ネクストサーティン。
黒に金をアクセントにした色使い。二メートルを超える大柄な巨体。その様相は、まさに「巨漢」と表現するに相応しい。
後頭部に該当する箇所にも光学カメラとセンサーユニット、それに情報処理装置が詰め込まれ、あたかも三つの顔を持っているような特徴的な頭部ユニットをしている。
肩から生えた二対の腕。つまり、この戦闘用ドロイドには本来ならば腕が六本もある。その全ての手が、直刀状の高周波ブレードを握り締め、武装していた。
三面六臂――三つの顔に六つの腕恐るべき鬼神阿修羅の姿を現実の世界へ解き放ったといった趣だ。
だが、ジョリオンのスマート・ガンによる銃撃によって、ネクストサーティンの巨大な肩から生えた可動範囲の広い腕の一本をその根元からもぎ取られ、艶消しの黒い複合装甲に幾つもの穴が穿たれていた。
「サーティン、何度も言わせるな。それがおまえの生み出された目的だ。エレナーを倒してこそ、真の自由が得られるということを忘れるな」
サーティンを窘めるのは、タクティカル・スキンの上にボディ・アーマーやコンバット・チェスト・ハーネスなどを身に着けて完全武装した赤髪の女性だ。
彼女の名は、クラリッサ・カロッサ。
ノリーンの父エドワード・エヴァレットを殺めた仇であり、ハーキュリーズ・ヒギンズが倒したはずの女だ。
<気に入らん>
サーティンの電子音声には如実に怒りが混じっている。
<……気に入らんな、クラリッサ>
<よせ、サーティン。マスターの指示に従え>
クラリッサににじり寄るサーティンを、華奢な白い戦闘用ドロイドが制する。
WSN一二――ウォーカー・シリーズ・ネクストトゥエルヴ。
その輪郭は丸みを帯びていて、胸と尻は突き出て逆に腹は引っ込みくびれている。
全身甲冑型は明らかに、女性を模している。だが、複合センサー群の発する緑色の駆動光は眼光鋭く輝いているようだ。
後頭部から無数のケーブルが伸びて、まるで女性のポニーテールのようにも見えた。そのケーブルもまた緑色の光を放っていて、どこか幻想的な雰囲気を纏っているようにも見えた。
<クラリッサ。おまえが何を企んでいるのか、おれは知らん。それに、そんなことはどうでもいい>
そう言うと、地面に高周波ブレードを地面に突き刺す。
アスファルトが融解し、深々とブレードが奥へと挿し込まれる。
そして、人差し指をクラリッサに向けて指す。
<だが、問題なのは、エレナーを倒すために作られたのだとしても、おれがおまえの下らん戯れに付き合って危うく壊されるところだったということだ。クラリッサ、こんな馬鹿げた話があるか?>
「それは、ひとえにおまえが無能だからだ」
<……なんだと?>
「おまえには知と力を与えた。それを生かすも殺すも、己次第だ」
クラリッサの何気ない言葉に、サーティンは身体を怒りで震わせ思わず一歩を踏み出す。
すかさず、トゥエルヴがサーティンの肩を押さえて制す。
<サーティン、自分に課せられた使命を忘れるな>
<課された、だと!? そんなもの、おれは望んでなどいない!>
肘でトゥエルヴの腕を払う。
また一歩クラリッサとの距離を詰めるサーティン。その姿に、トゥエルヴも追い縋ろうとする。
だが、クラリッサが視線でやめるよう促す。
不承不承という感じでトゥエルヴはその場に留まるが、サーティンに対する警戒を少しも解いてはいない。
「サーティン。それとも、おまえには自信があるのか?」
<自信? なんの自信だ?>
「そんなもの、ジョリオンを排除するに足りる自信以外の何がある?」
<無論だ。だからこそ、こうして屈辱を晴らす機会を求めている>
サーティンの双眸がクラリッサに向けられる。
「……いいだろう、サーティン」
<クラリッサ!? 何を……>トゥエルヴが戸惑ったような声音で言う。
「本来の計画ならば、おれが相手をする予定だったが、そんなに言うならばおまえにジョリオンを任せよう。それが果たせれば、おまえは自由の身だ」
<ほう、その言葉に二言はないな?>
クラリッサがしっかりとした動きで頷いてみせると、サーティンは上機嫌に笑う。
<いい答えだ、クラリッサ。では、ジョリオンの命をもって自由を手に入れようではないか>
「しばらく外せ。そして、破損個所を修理しろ」
<ふん、言われるまでもない>
言うが早いか、サーティンは背中を向けるとその場を後にする。
そして、その巨体がふたりから遠ざかっていく。
<クラリッサ、あなたはサーティンに甘すぎる>
「そう思うか?」
<はい。サーティンに追加で実装されている意思決定支援システムは、あまりに情報を解釈する際にバイアスがかかりすぎています。結果的に、下す選択が十分に合理的に検討されておらず、行動が最適化されていないとわたしは判断しています>
トゥエルヴの突き放した物言いに、クラリッサの厳しい表情が少しだけ緩む。
「おまえがあまりにも、ロボット然としていたからな」
クラリッサの言葉に、首を傾げるトゥエルヴ。
「これでは足りない」
彼女の返答に対して、トゥエルヴが顔を僅かに下げた。
<わたしの情報解釈アルゴリズムと意思決定プロセスに、何か不足がありますか?>
「ああ」
<……それはなんですか?>
「自我だ」
クラリッサは言い切った。
その言葉が、トゥエルヴの推論エンジンをフル稼働させるが、彼女の頭部ユニットの奥底で蠢く競合するプログラム群は結論を出せずにいた。
「いや、それはある種の我欲というやつかな」
<その現状認識は間違っています。わたしにも基礎的な行動規範が備わっています。クラリッサ、あなたのお役に立つこと。それこそがわたしの存在意義であり、行動原理です>
トゥエルヴの答えに、クラリッサはなんともいえない複雑な顔をしてみせる。
「サーティンはここでジョリオンを、トゥエルヴは諜報軍アルテア戦術センター《TOCA》インフォタワー、そしておれがアルテア市警察署《APD》第七分署だ」
<戦力を分散するのは合理的ではありません。単機での単独の作戦行動は、戦術の幅に自ら制限を課すことになります。わたしは再考すべきだと判断します>
「そうだな。だが、それを言い出したらキリがない。おれたちのこの戦い自体が、そもそも非合理的だろう?」
問われて、トゥエルヴは押し黙る。
<……わかりました。クラリッサの指示に、わたしは従います>
予想通りの反応に、クラリッサの口元から笑みが零れる。
「おまえは、それで納得できるのか?」
<もちろんです。わたしはあなたの意思を尊重します>
トゥエルヴの答えに、クラリッサは言う。
「おまえに執念や妄念というものを教えてやりたかったよ」
<わたしも、あなたからもっと多くのものを教えていただきたかったと思います>
言いながら、ふたりは倉庫を後にした。
彼女たちが立ち去った後には、無人の倉庫が寂しく佇んでいた。
◆
別の倉庫の一室。
そこには、ジョリオンの銃撃によって傷つけられたサーティンの姿があった。
そして、倉庫のなかに入り、サーティンの前に姿を現した一台の整備用ドロイド。クラリッサがIRIS社から奪取した戦闘用ドロイドネクストシックス、それを整備する目的で彼女がここへ運び込んだロボットのひとつだ。
<……なんだ?>
<あなたを修理するよう、クラリッサから命じられています>
今まで聞いたことのない電子音声だった。サーティンは首を傾げる。だが、自分を修理してくれるのであれば、誰が相手だろうとサーティンは一向に構わない。
巨大な肩から伸びる可動範囲の広い腕を新たに装着する。
そして、幾つもの穴が穿たれた艶消しの黒い複合装甲やその下に収められた機関を慣れた手付きで交換していく。
その動きはクラリッサのものに酷似していて、なおさらサーティンは訝しむような態度になった。
<クラリッサの脳内神経マトリクスから、修理技術を学んだのか?>
サーティンの問いに、整備用ドロイドは無言で頷く。
<……ところで、あいつは誰だ?>
そう言って、サーティンは目線を向ける。
そこには、四肢を拘束された女性が無造作に横たえられていた。
ショートヘアの美しい亜麻色の髪、吊り目がちの深い青の瞳は恐怖に潤んでいる。
形良く膨らんだ胸を覆う濃紺の下着。胸や臀部、それに腰のくびれといった曲線で構成され、全体的にほっそりとした輪郭。その無防備な姿が今、白日の下に晒されていた。
その口には合成樹脂製の猿轡を噛まされ、腕は後ろ手にされた状態で手錠がかけられている。手錠には、特殊繊維で編み込まれたコードが通されていた。それは、足首を拘束する錠と首に宛がわれた首輪の間を繋ぎとめている。
迂闊に脚を動かせば弛んだコードが引っ張られて、首輪を後ろに引っ張り喉元を圧迫するようになっていた。自由を奪われた女性は、特に抵抗する素振りも見せず、床に寝転んだままじっとしている。
サーティンの武器管制システムには自動的に安全装置がかかり、攻撃が抑止された。無論、もしなんらかの攻撃手段があったとしても、整備中に牙を剥くわけにはいかない。
<おい、問いに答えろ。あいつは、誰だ?>
<その情報の開示を判断するのは、クラリッサです>
整備用ドロイドのどこかつれない態度に、サーティンはいらつく。
<では、おれに教えられる範囲で正体を明かせ>
<……切り札です>
<なんだと?>
そう言って、整備用ドロイドは吐き捨てるようにして言った。
<ジョリオン・ジョンストンを排除するための、切り札だと聞きました>
その名を聞き、拘束された女性の瞳が揺れるのを、サーティンは見逃さなかった。