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狂人理論  作者: 金椎響
第二章 不都合な事実
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二度死ぬさだめの女

 ハーキュリーズの邸宅の応接室。

 男の断定的な口調に、ノリーンはしばしの間硬直する。ノリーンの想像――いや期待していた言葉ではないせいで、頭が真っ白になってしまう。だが、辛うじて立ち直ると、恐る恐るその真意を確かめようと訊く。


「……その、理由を教えてほしいんだけど」

「それで、きみの納得が得られればいいんだがね」


 そう言われて、ノリーンは言葉を失う。

 ハーキュリーズはあまり乗り気ではなく、その心を変えるのは並大抵の努力では到底かないそうにない。それだけ、この男の気持ちは決まっていると判断したノリーンは、どんな言葉をかければいいのか、判断に迷う。


「今、世間を賑わしているのは三日前に発生したIRIS社をはじめとする兵装奪取事件だ。だが、アルテア市警《APD》の“プリクライム”も諜報軍(インテリジェンス)の“プライム”も、ともに犯罪の予知にも抑止にも失敗した。これは、アルテア市政下では今までなかったことだ」


 ハーキュリーズはボトルからグラスにノンアルコールの模造酒を注ぐ。


「そして、動き回っているのは、近接格闘プラグインの実装者。そして、人間嫌いのくせにチェルシーを巻き込み、肝心のハルートの姿が見えない。大体、ノリーン。こういうとき、きみはいつだって嫌々動いていた。それも、すぐ近くにはジョリオンの姿があった。なのに、今回はジョリオン抜きの単独行動なんだろう?」


 そう言うと、グラスを傾けた。

 その顔には魅力的な笑みを浮かべている。


「なるほど。悪くない推察ね」


 ハーキュリーズの問いに、ノリーンは不承不承頷く。


「そうであれば、なおさらババは引きたくない。それがおれの偽らざる本音というやつだ」


 彼の言葉に、ついノリーンは笑ってしまう。

 そんなことを言い出したら、この男の人生はずっとババを引いて負け続けた人生だっただろう。誰もが嫌がるババ抜きをし続けて、せっかく引退したというのに、それでも関わり続けてきたのがハーキュリーズという男だった。


「この事件の黒幕はクラリッサなのよ」


 その名を聞いたハーキュリーズの眉がぴくりと上がる。


「ほう、随分と懐かしい名前だ」


 そして、ハーキュリーズはノリーンの目に視線を合わす。


「彼女は父の仇。だから、わたしが動き回ってる」


 ハーキュリーズは思わずグラスを机の上に置くと、目頭に手をやる。

 そして、やれやれと言わんばかりに溜息をついた。指と指の間から覗くハーキュリーズの目から厳しさが消えて、どこか優しげな視線がノリーンに向けて発せられていた。


「……敵討ちというわけか? 随分とオールドファッションなことを言うんだな。ノリーン、きみはそういう概念に執着しない人間だと、おれは思っていたが?」

「馬鹿言わないで。頭のなかに……この脳に近接格闘プラグインの原型が先天的に宿っている時点で、理性で割り切れるような人間にできちゃいないわ」


 ノリーンはそう言うと、コーヒーを啜る。

 口のなかに苦味がじわりと広がっていく。


「なのに、人を戦争に駆り立てる因子を研究しているのか?」

「そうよ。それとも、何か矛盾があるっていうの? わたしが凶行に走るのは、わたしの脳の状態から言えば『普通』なのよ。だって、そのための近接格闘プラグインの技術を詰め込んだ部位があるんだから」

「だが、きみは大量殺人鬼(シリアルキラー)にはなっていない。それに、闘争に走る他の人間の脳内神経マトリクスから、そいつが見つからないところが何よりも気に入らん」


 ハーキュリーズは言いながら、強い眼差しをノリーン向ける。


「きみはおのれの身体を武器として、誰よりも強く、巧みに扱えるかもしれんが、決して狂戦士(バーサーカー)ではない」


 ハーキュリーズはそこまで言うと目を瞑る。

 確かに、その通りだ。ノリーンの脳のなかにある、オリジナルの近接格闘プラグインは彼女に戦う技術を、己の肉体を武器として扱う術として存在しているに過ぎない。

 決して、彼女を虐殺に駆り立てないという意味で、ハーキュリーズの指摘は至極真っ当で、正しい。

 だが、そうだからといって、ノリーンの身体の奥底を駆け巡るクラリッサに対する殺意。それは微塵も弱まったりはしない。そして今もなお、クラリッサのことを思うと煮え繰り返る憤怒は、確実にノリーンのなかに存在している。

 闘争へと駆り立てる激情に身を委ねるようというノリーンの意識もまた、この剥き出しの野性の方向性を決して疑わず、むしろそれこそが真実なのだと強く、直感的に感じていた。


「ノリーン、よく聞いてくれ」

「嫌よ。誰がなんて言っても、わたしがクラリッサを殺す。他の人間に手出しはさせない」

「違う、そうじゃない」


 ハーキュリーズは肩を竦めた。

 ちらりと横目にどこか遠くの方を見据えてから、彼は衝撃的なことを言った。


「クラリッサは亡霊だ。やつはもう死んでる」


 ハーキュリーズの喋った内容に、ノリーンは度胆を抜かれて、一瞬息が詰まりそうになる。


「……何言ってるの? ハーク」

「クラリッサは死んだ。それも、四年か五年も前にな。諜報軍(インテリジェンス)が依頼した、極秘任務だった。それで、おまえの父エドワード・エヴァレットとおれのふたりで殺した」

「父さんが? 嘘でしょ?」


 ノリーンは頭を抱えると、机に突っ伏す。


「クラリッサは父さんの仇。なのに、その前に、父さんがクラリッサを殺していた? そんな馬鹿な話があるわけないじゃない……」

「まぁ、そういう反応なのも無理はない。だが、噂のクラリッサをスマート・ガンで追い立ててぶち殺したのがおれたちだ、って言えばこの話、信じてもらえるんじゃないか?」

「ねえ、本当に死んだのを確認したの? 確かに、IRISアルテア本社ビルで彼女に会った時、右腕一本でわたしの攻撃を受け止めたわ。自分の遺伝子情報を元に設計され、人工的に生成された生体部品で組み上げられた人工生体義手だって……」

「当たり前だ。その時回収された頭部を、ニューロスキャンして脳内神経マトリクスを分析することで発見され、体系化されて生まれたのが試作型近接格闘プラグインだ」


 聞き捨てならないハーキュリーズの物言いに、ノリーンは机から身を剥すとハーキュリーズに噛みつくように言う。


「何言ってるの? 近接格闘プラグインはわたしの脳内神経マトリクスを解析して作ったはず……」

「そうだな。表向きはそういう話になってる」


 ハーキュリーズは一瞬だけ躊躇いの色を顔に表したが、すぐにそれを引っ込める。


「だが、米国陸軍(アーミー)の戦闘用ドロイドに実装される際に問題が起きた。ノリーンの構築したモデルでは、機体を壊してしまうことがわかった。次に、試されたのはクラリッサ。だが、これでもだめだった。最終的に、ふたりのマトリクスの解析結果を元に、独自に編み出されたモデルがダウンロードされたことで、問題を解決した」

「そんなことが……」

「それゆえ、その原典(オリジナル)であるノリーンとクラリッサは、プラグインがダウンロードされた戦闘用ドロイドを圧倒できるわけだ」


 戸惑うノリーンの両肩を、ハーキュリーズの大きな掌が掴む。


「それに、クラリッサはもう死に体だ。諜報軍(インテリジェンス)の庇護を失い、“プリクライム”の犯罪予測に補足されるようになれば、そう遠くない将来に捕まるか、諜報軍(インテリジェンス)の刺客によって処理される。ノリーン、きみの出る幕はない」


 ノリーンは身体を捩って、ハーキュリーズの手から逃れる。

 ハーキュリーズのノリーンを憐れむような目に、ノリーンは逆らって声を上げた。


「それが嫌だって言ってるの! それよりも、どういうことなのよ、ハーク。じゃあ、わたしがIRISアルテア本社ビルで会った彼女はなんだったの?」


 だが、ハーキュリーズは答えない。

 かわりに、なんとも言えない微妙な表情を浮かべて、ノリーンを見つめてくる。

 ふたりの間に、奇妙な沈黙が流れる。


「クラリッサ・カロッサの身分を都合よく使ってる偽物だ。少なくとも、クラリッサ・カロッサはかつて、おまえの親父とこのおれが一度殺してる。そして、やつはもう一度死ぬだろう」


 そういうと、ハーキュリーズは背を向けてテーブルから離れていった。


「だから、ノリーン。きみはさっさとそのコーヒーを飲んだら、うちに帰れ」

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