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狂人理論  作者: 金椎響
第二章 不都合な事実
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燃える男《マン・オン・ファイア》

 金属同士が擦れ合う音が周囲に鳴り響き、重々しい門が自動で内側に開いていく。

 アルテア中心街(セントラル)から離れた郊外の、閑静な住宅地。保守的な富裕層に好んで購入される、柵と塀と監視(サーヴィランス)カメラ、それに警備用ドロイドで固く守られた城砦共同体ゲーテッド・コミュニティの一角。

 そここそが、ノリーンとチェルシーの目的地であった。

 もしも、警備用ドロイドではなく、一昔前のように警備員が出入り口に立っていたならば、古ぼけたピックアップ・トラックに乗るノリーンたちは追い返されていただろう。

 だが、警備用ドロイドはノリーンの相貌を認識すると、ゲートを開く。

 万一、警備用ドロイドに追い返されたら、クラッキングも辞さない心構えだった。それゆえ、ノリーンの思惑通りに事が進んで、つい心のなかで安堵してしまう。

 周囲を高い塀で囲まれた邸宅、そこにチェルシーのピックアップ・トラックがゆっくりと入っていく。なかには手入れの行き届いた庭があり、そしてその背後には巨大な邸宅が横たわっている。

 その悠然とした佇まいに、思わずチェルシーが声を上げた。


「広っ!?」


 チェルシーは言いながら、周囲をきょろきょろと見渡す。

 そして、ノース・チャイナ・ペンタゴンからジョリオンの隠れ家(セーフハウス)までの道中に見た、牧草地帯のミニチュア版のような風景がそこには広がっている。

 羊こそいないが、狩猟用のFH――猟犬規格フォーミュラ・ハウンドと呼ばれる狩猟用四足歩行ドロイドが二頭、走り回っていた。この館の主が飼う「愛犬」だ。

 フロントガラスに投影される走行指示に従って、ノリーンは車を動かす。

 館の入口には、メイド姿の若くて美しい女性型の自動人形(オートマトン)が立っていて、ふたりを出迎えようと佇んでいる。


「チェルシー、一緒に来て」

「マジで? あたしは車にいようかと思ったんだけど」

「ひとりだと危ないわ」


 ノリーンの言葉には独特の凄みがあった。

 それゆえ、渋々チェルシーはシートベルトに手をかけた。


「じゃあ、ちゃんと守ってよね?」

「ええ」


 チェルシーの意味深な視線に、ノリーンは力強く頷いてみせる。

 IRISアルテア本社ビル、クラリッサとの対決で切り捨てようとしたツクシの弱々しい顔が脳裏に浮かぶ。もちろん、あの時の決断に、迷いも後悔もノリーンは感じてはいない。

 それを冷たいと批難されても、甘んじて受け入れるつもりだ。

 自分の成すべきことは明らかで、その心のなかにある優先順位(プライオリティ)に一切の揺らぎはない。だが、それをいいことに何もかも失ってしまってもいいと思えるほど、冷酷な人間だとはさすがのノリーンも思わない。

 まして、自分が切り捨てた人をハルートが救ってみせた以上、自分の態度と行動にはなんらかの修正を行う余地があるのは、火を見るよりも明らかだった。

 指示通り、駐車スペースに車を停め、旧型のピックアップ・トラックを降りた。

 メイド姿の若くて美しい女性型の自動人形(オートマトン)がふたりを出迎える。傍目には、金髪碧眼の女性にしか見えない。事情を知っているノリーンや、ロボットに詳しいチェルシーでなければ、人間と誤認してもおかしくはない次元の仕上がりだった。

 目の前の自動人形(オートマトン)の姿に、チェルシーの目が輝く。


「凄い! あの子、ぱっと見じゃ人と区別がつかないよ」


 あの肌は医療用人工表皮だ、あの瞳は生体器官だと、チェルシーは喜びながら指摘してははしゃぐ。


「……そうね」

「あれっ? ノリーン、あの子見てテンション上がらない?」

「わたし、そもそも人間が嫌いだから。わざわざ、人に似せる意味が見出せない」


 それは、ハルートに並々ならぬ情熱を注いできたのを間近で見続けてきたチェルシーはよく知っているだろう。


「気難しいなぁ……」


 自動人形(オートマトン)の後に続きながら、ふたりは話す。

 そして、彼女たちを出迎えたのは館と自動人形(オートマトン)の主。

 ジョリオンに負けず劣らずの高級品を身に着けた、大柄な男がその姿を現した。

 視線を合わせようとすると、顔を上げなくてはならない。ジョリオンのようにただ単に背が高いだけではない。長身だからパッと見では気付かないが腕や足が太い。皮の下にあるはずの筋組織が、ぼんやり眺めているだけでもわかる。

 手入れの行き届いた銀色の口髭と顎髭。髭と微かに混じった皺。だが、それがまったく気にならないくらい周囲に発散されている、年齢を感じさせない若々しい雰囲気。

 それでいて、年相応の落ち着きや冷静さはまったく曇らない。

 鍛えに鍛え上げられた厚い胸板が白いワイシャツに黒いベスト、そして背広をこれでもかと押し上げて、武骨さと屈強さを見る者全てに抱かせる。そして、何よりも年を重ねた今でも端整に整った顔は、異性を惹きつける不思議な魅力に溢れていた。

 彼の名は、ハーキュリーズ・ヘンリー・ヒギンズ。

 諜報軍(インテリジェンス)の前身である旧情報軍(インフォメーションズ)時代から、合衆国(ステイツ)星条旗スターズ・アンド・ストライプスに忠誠を誓い続けてきた男だ。

 引退した現在もなお、古巣の依頼に応じて秘匿作戦(ブラック・オプス)に参加していると噂されている。なるほど、道理で年老いないわけだとノリーンは心のなかで思う。


「よう、ノリーン。元気だったか?」


 低音の声が、優しく囁く。


「ええ、おかげさまでね。ハークも元気そうね」

「まあな。……ハルートはどうした?」


 ハーキュリーズの問いに、一瞬だけノリーンが黙る。


「……ちょっと、いろいろあってね」

「喧嘩だったら、早く仲直りした方がいいぞ。長引けば長引くほど、強い意志が必要になる」


 出会い頭にまざまざと言い当てられて、ノリーンは咄嗟の返答に詰まってしまう。そして、そんな様子のノリーンを見て、ハーキュリーズは満足そうな笑みを浮かべてみせた。


「で、そちらの可愛いお嬢さんは?」

「彼女はチェルシー。チェルシー・クリーヴランド、わたしの友達」


 紹介を受けて、チェルシーとハーキュリーズは握手を交わす。


「確か、友達はいないんじゃなかったか?」

「じゃあ、親友かしらね」

「まぁ、立ち話も難だ。入ってくれ」


 だが、この邸宅は入ってからが長い。

 個人の家にも関わらず、やけに広いエントランスホールや広間を通り抜けて、ようやく応接室が姿を現す。

 もちろん、部屋にはいかにも高そうな調度品の数々が並び、目を楽しませる一方で、この男が持っているものの凄さを知らしめていた。

 特に、様々な動物の剥製が多い。

 猛禽類をはじめとする鳥、立派な角をはやしたシカやムース、随分と巨大なオオカミ、そして仁王立ちした熊が応接室に集合している様は、かなり迫力があった。

 また、暖炉の上には、外装に彫刻(エングレープ)や金色に輝く装飾を施された二丁の美しい猟銃が、誇らしげに飾られていた。

 ふたりに席を勧めながら、ハーキュリーズ自身もまた自らの椅子に腰掛ける。


「あの、ヒギンズさん」


 席に座りながらも、どこか落ち着きのないチェルシーはそう切り出す。

 すると、ハーキュリーズは肩を竦める。


「そんな他人行儀な。おれのことはハークって呼んでくれよ。そうでなきゃ、反応できん」

「じゃあ、ハーク。あの子、自動人形(オートマトン)ですよね? もしよかったら、ちょっと触らせてくれませんか?」


 真剣な表情で頼むチェルシーに、ハーキュリーズは笑いながら快諾する。


「いいとも。だが、あの子はおれの大切な娘だ。くれぐれも、手荒な真似はしないでくれよ」


 チェルシーは頷く。

 言うが早いか席を離れて、自動人形(オートマトン)の周囲に纏わりついて眺めている。その仕草はまるで子どもみたいで、ハーキュリーズもノリーンもどこか微笑ましいチェルシーの動きをぼんやり眺めていた。


「チェルシーはそんなことしないわ。好きが高じてロボットの改造の仕事をしてるから。わたしだって、ハルートを預けられるのは彼女くらいよ」

「それはいい。是非、ロボ弄りについて語り明かしたいな」


 ハーキュリーズは席を離れたチェルシーの場所に座り直し、机にノリーンと並んで座った。


「しかし、うちにハルート以外の……それも人を連れてくるとは思わなかった」

「まぁ、ちょっと訳ありでね。彼女を巻き込んでしまったの」

「ふうん」


 ハーキュリーズはなぜか微笑む。

 その笑みに心当たりがなくて、ノリーンはつい警戒してしまう。

 自動人形(オートマトン)がふたりに飲み物を勧めてくる。

 ノリーンはコーヒーを、チェルシーは紅茶を選ぶ。だが、チェルシーは席には戻らずに、自動人形(オートマトン)の一挙手一投足を興味深そうに眺め続けている。

 ハーキュリーズは右手に握り締めたグラスを傾けると、上機嫌で訊く。


「……昼から飲んでるの?」


 つい咎めるような口調になってしまうノリーンに、ハーキュリーズは苦笑する。


「もちろんノンアルコールさ。酩酊感こそないが、最近のは合成香辛料が入ってて風味はもう本物そっくりだぞ。……飲んでみるか?」

「別にいいわ。そういうの、趣味じゃないの」


 ノリーンが嫌々とばかりに手を振る。


「そういえば、人間を戦いに駆り立てる因子についてはどうだ?」

「芳しくないわ」


 ノリーンは思わず自嘲的な笑みを浮かべた。

 だが、そんな彼女にハーキュリーズはどこか優しさを感じさせる目を向けてそっと微笑む。


「諦めるなよ。『戦争の遺伝子』はおそらく探しても見つからないだろう。だが、逆に戦争はまっさらな心の石板に刻み込まれる完全に文化な産物だ、という独断的な主張も同じ程度で馬鹿げている」

「人間の心は、過去の遺伝子に作用していた自然選択によって植えつけられた心理的なメカニズムが存在し、多くの人がある状況に対して『戦争』という形で反応しやすくなっている、とも十分考えられるしね」

「トゥービーとコズミデスのふたりのような捉え方を『進化心理学』と呼んだ。それは多くの人には、自然選択によってデザインされたスイッチがあり、押されると『戦争』という反応を引き起こす」


 ハーキュリーズはわざとらしく咳払いをしてみせる。


「だが、ここで問題となるのは、この『スイッチを押す』という作業が極めて困難なことだ。進化するのは個体発生のプログラム――つまり、目や足、腎臓、脳内の言語器官といったものを作り出すプログラムだが、どのプログラムも何百、あるいは何千もの遺伝子を統合し、しかるべき環境をきっかけに作動しなければならない」


 ハーキュリーズの落ち着いた声音に、ノリーンはゆっくりと頷く。

 それはどこか、ノリーンの父やハルートにも似ていて、ノリーンの心が不思議とざわめいた。


「そうね。何より重要なのは、環境は決して独立変数ではない、ということ。個体発生過程のデザインは、特定の環境だけを利用する。ロイヤルゼリーはハチの幼虫を女王蜂にする。けれど、人の赤ん坊を女王陛下オン・ハー・マジェスティにはしない」

「ああ」

「遺伝子はある環境を想定して、その環境を最大限利用できるようにデザインされている。マーティン・デイリーとマーゴ・ウィルソンは殺人者の多くが若い成人男性だという事実に対し、性選択が重要な役割を果たしていると主張するわ。でも、実際に殺人を起こすうえで、それと同じくらい環境もまた大きな役割を演じているとも指摘してる。性選択に関してはデイヴィッド・イーグルマンも同様の主張をしてるわね」


 ハーキュリーズはグラスを傾けて、口を湿らせる。


「異論はないな」

「だけど、やっぱり厄介なのはこの環境ね。そもそも、この戦争のスイッチを押し、関連する遺伝子を発現させる環境というのは、一体なんなのか? 奇襲攻撃なんて典型的ね。もしも、攻め込まれようとしていたとき、奇襲攻撃を受けるよりも前に、先制攻撃を加えるようとするという形で身体に刻み込まれるのが普通なんじゃないかしら」

「確かに、人間の生存に有利な能力を授けるはずの人を戦いへ駆り立てる因子が、国際法を遵守し宣戦布告を受けるまで惰眠を貪っているようじゃ、到底役目を果たせそうもない。まぁ、免れがたい人間の野生の発露ではあるな」


 何気ないハーキュリーズの言葉に、ノリーンはついつい過剰に反応してしまう。


「それは違うと思うわ。トゥービーとコズミデスは人間の本性が無慈悲に決定するのではなく、世界から経験を得るべく祖先たちが選択を繰り返したことで形作られた、巧みな装置として遺伝子を捉えようとしたのよ」

「そうか? ふたりの主張はともかく、問題解決の手段として戦争を決断してきたおじいさんのおじいさんたちが脈々と作って来た『装置』なんざ、ロクなもんじゃなさそうだがな」


 そう言って、ハーキュリーズはグラスの中身を飲み干す。

 グラスを机の上に戻すと、ノリーンに笑いかける。


「……ところで、ノリーン。何しに来た?」


 ようやく、本題を切り出せそうだ。

 ノリーンの口元に思わず笑みが零れそうになるのを、堪える。


「まさか、おれと楽しく雑談をしに来たわけじゃなかろう?」

「ええ。あなたの手助けがどうしても必要なの」


 ハーキュリーズはボトルから酒をグラスに注ぐと、それを勢いよく呷る。

 そして、ノリーンに向かって堂々と言い放った。


「断る」


 もちろん、それはノリーンにとっては予想外な言葉だったから、ノリーンの身体はしばしの間硬直した。

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