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狂人理論  作者: 金椎響
第二章 不都合な事実
12/30

意外とお似合いなふたり

 アルテア市中心街(セントラル)

 アルテア市立医科大学付属病院から、ひとりの若い女性が出てくる。

 艶やかな黒髪を四つ編みのフィッシュボーンに編み込み、胸元に垂らしている。いかにも可愛いらしい、ファッション雑誌から飛び出して来たかのような頭からつま先まで統一感のある出立(いでた)ち。二〇歳だが、実年齢よりも幼く見える。

 彼女の名前はツクシ・ツクモ。

 アルテック――アルテア工科大学の工学部に通う学部生だ。


<ツクシ、おからだの具合はいかがでしょうか?>


 そして、彼女を出迎える一体のロボットの姿があった。

 全長約二メートルの長身痩躯。赤と黒を基調とし、ふんだんに直線を用いた近未来的な外観はまるでイタリア製の超高級スポーツカーを彷彿とさせた。

 頭部、胸部、両肩、それに四肢には線状の発光体が配置され、橙色の透き通るような光を放っている。

 WSN一一――ウォーカー・シリーズ・ネクストイレヴン。

 だが、「彼」を知る者はみな、ハルートと呼ぶ。


「ハルート」


 ツクシの表情が目に見えてぱっと明るくなる。


<ジョリーから、あなたが今日退院すると聞きました。何か、わたしに手伝えることはありませんか?>


 そう言いながらも、自然な動作でツクシの腕から抱えている鞄をかわりに持つ。


「ひょっとして、わざわざ来てくれたんですか?」


 ツクシが嬉しそうに、上目遣いでハルートの頭部ユニットを見る。


<はい。ノリーンから(いとま)をいただいていますから>


 ハルートの何気ない言葉にも、ツクシは笑みを溢す。


<どこか、行く必要性のある場所などはありますか? もしよろしければ、ご同行します>

「とりあえずは、最初に学生寮へ戻ろうとは思ってます」

<わかりました。では、車を手配しましょう>


 ハルートは街中を走る電気自動車へ配車手続きを行う。

 ツクシが自然な所作でハルートの隣に立つ。

 心なしか、以前よりも彼女との距離が近い。ちょうど、普段ノリーンと接するときの距離感にひどく似ていた。彼女の方へハルートは頭部ユニットを向けると、ツクシははにかんでみせる。それは、魅力に溢れる笑みだった。

 三日前に、九死に一生の危機に瀕していたこともあって、その体調は万全というわけではなさそうだが、それでもハルートが事前に分析していたよりは、健康を取り戻しているように見える。


<安心しました。想像していたよりも、ずっと元気そうですね>

「ええ、おかげさまで。ハルート、助けてくれて本当にありがとうございました」


 そう言うと、彼女は頭を下げる。

 日本人は感謝や謝罪をする時、相手に向かって頭を下げてその気持ちを伝えようとすることをハルートは知っていた。


<いえ、礼には及びません。わたしはただ、自らの有用性を証明したかっただけです。見栄を張るため、あるいは恩義せがましく言うために、あなたを助けたわけではありませんから>

「でも、おかげで大事に至らず、こうして元気な姿でここにいます。ハルート、わたしは何か感謝の印に、お礼をあなたにしたいんですけど……」


 ツクシはそう言って、視線を彷徨(さまよ)わせた。


<その言葉だけで十分ですよ、ツクシ。わたしは今、自分が誇らしいです。他ならぬあなたの役に立つことができたことを本当に嬉しく思います>


 ハルートたちの前に、一台の無人タクシーが停車する。

 ハルートは開いたサイドドアに手を差し入れて、ツクシに車へ乗るように勧めた。目的地を工科大学(アルテック)の工学部学生寮に設定すると、扉が自動的に閉まり、車が滑り出すようにして走り始めた。

 つい、車の細かな動きをジョリオンの運転と比べてしまう。そんな自分にハルートは苦笑したくなった。

 お互い、向かい合うようにして座る。

 ツクシは先ほどから、細くて長い指で自分の髪を弄っている。

 少なくとも今までのツクシには見られなかった動作だと、ハルートの推論エンジンが注意を促す。より注視してみると、ツクシの頬がほんのり赤く染まり、呼吸の際に上下する胸元、何より心拍数が平生(へいぜい)よりも多い。

 そこで、ハルートはあることに思い至る。


<そういえば、ツクシ。あなたの身体には、過剰繁殖したナノマシンが今現在も体内には残っています>


 ハルートの言葉に、ツクシは微笑みを消す。


<もちろん、今は不活性化されていて、人体には無害な状態です>


 ツクシの体内に打ち込まれた緊急治療用ナノマシン。

 それを製造したアルテア・ミリタリー・インダストリーズ社のデータベースから、ハルートは誤注射した際などに用いる不活性化信号プログラムを、救出の際にインストールしていた。

 そして、ツクシが心室細動に陥った際、彼女に打ち込まれたナノマシンを逆手に取った。化学物質が生成可能なナノマシンでアドレナリンを作り出して、彼女を救い出した。


<本来ならば、すぐにでも体外へナノマシンを排出したいところだと思います。ですが、体調が万全でない時に行うと身体にかかる負荷も甚大で大変危険です>


 ハルートの言葉に、ツクシは黙って頷く。


<それに、ナノマシンはもともと治療用で、クラリッサのテロの危険性が今後も高いなかでは、逆にナノマシンを体内に保持していた方が好ましい状況も想起されます>


 ツクシは自分で自分を抱き締める。


「……あの」

<はい>

「好ましい状況って言いましたけど、このナノマシンは具体的に何ができるんですか?」

<基本的には、様々な用途に応用が可能です。怪我の治癒や病気の予防はもちろん、ホルモンバランスの調節や化学物質の過剰反応の抑制など、挙げればキリがありません>


 問われて、要領良く答えようとハルートは思考回路を巡らせる。


<特に、ツクシの場合はショック症状を引き起こすほどたくさんのナノマシンがありますから、広く深く対応できますよ>

「なるほど、そういう意味で『好ましい』ってことですね」


 そう言うと、ツクシは笑いかけてくる。


「ナノマシンの排出って、やっぱり苦しかったり痛いんでしょうか?」

<いえ、不活性化したものを排出する分には、特に痛みや苦痛などはありません>

「そうですか。よかった」


 心の底から安堵してみせるツクシ。


<ただ、肉体的な負荷はかかります。一時的な脱水症状なども懸念されますから、体調が整ってからにしましょう>


 ハルートの言葉に、ツクシは素直に従う。


<あと、ナノマシンの制御プログラムの管理者権限は今もなお、わたしが保持しているんですが……どうしましょうか? 管理者権限のセキュリティをわたしの方で強化してから、ツクシに委譲することも可能です>


 ナノマシンの不活性化信号を制御するプログラムをハルートが保持している以上、濫用や悪用することもできる。ツクシの命運をハルートが握っていると言っても過言ではない。

 それ故、ハルートはわざわざそれを言葉にしてツクシに伝えた。


「わたしの思考能力では、そもそもナノマシンをうまく管理できないと思います。それに、セキュリティもハルートの方が高いと思いますし……」


 ツクシはそう言うと、顔色を窺うような視線をハルートに向ける。


「だから、今後もハルート……あなたにお任せしたいと、わたしは思っています」

<……いいんですか?>


 ツクシの理論は十分理解しているが、それでもハルートはつい訊き返してしまう。


<発せられる信号によっては、命の危険に晒されるだけでなく、喜怒哀楽といった情緒や欲求、感情すらも影響を受けます。わたしは不誠実な運用をする意義が見つけられません。ですが、それでも機械に自分の肉体だけでなく精神すらも委ねる恐れがあるという決断には、慎重になった方がいいのではないでしょうか?>


 ハルートの疑念を、ツクシは真正面から受け止める。


「わかっています。それは、あの時死にかけたわたしが一番よく理解しています。その時の痛みも苦しみも、この身で感じましたから」


 そう言うと、ツクシはハルートに微笑みかける。


「でも、だからこそ、わたしを助けてくれたハルート、あなたに委ねたいんです。他の誰でもない、あなたに。わたしは、あなたを信じています」

<……信じて?>

「ええ。ハルート、わたしはあなたを信じてますから」


 ツクシは笑い、そして恥ずかしそうにして両肩を狭めた。


<わかりました。そういうことでしたら、引き続きわたしが管理します>


 ハルートの言葉に、ツクシはどことなく嬉しそうにして頷く。

 今までのツクシよりも、ずっと笑うようになったのは決してハルートの気のせいではない。そのことは、ハルートの頭部ユニットに収められたストレージが指し示している。

 ようやく退院することができて、嬉しくてはしゃいでいるのだろうか。

 推論エンジンに割くメモリの割合を増やす。ストレージに記憶されたツクシの視覚情報から、現在との差異を検出する。今までの微笑とは、有意に異なっていることがわかった。


「……あの?」

<はい?>


 声をかけられて、分析を一時中断する。


「嫌なら無理にとは言わないんですけど。……あの、もしよろしければ隣に座っても、いいですか?」

<ええ、構いませんよ>


 そっと席を立つツクシに、ハルートは手を差し出す。

 すると、ツクシはどこかぎこちなく差し出された手を取る。ツクシの掌は少しだけ熱く、潤いを感じた。やはり、まだ体調が万全ではないのだろうか。しかし、簡易的な医療診断アプリケーションが懸念するような異常ではない。

 浅く腰掛けたツクシの手が、ハルートの芸術品のように精巧な腕に触れる。


<……ツクシ?>


 その行為に一体どのような意味があるのか、ハルートは疑問に思って訊く。


「ごめんなさい。……嫌でしたか?」


 問われて、ツクシもはじめて自分が無意識にハルートの腕に触っていることに気付く。一瞬だけ手を引っ込めようとするも、思い直してまた腕を握り返す。


<いえ、そういうわけではありません。他に、わたしにできることがあれば、なんなりと仰ってください>

「……はい」


 ツクシは何故か頬を染めて、俯いてしまう。

 ハルートの推論エンジンが動作を再開する。

 現在のツクシの状態は、ストレージされたツクシの過去とは明らかに異なった態度だ。クラリッサにさらわれたことが少なからず、ツクシの情緒を不安定にしていると想定することができる。

 反面、窮地を救い出したハルートといれば安全だと、無意識下のレベルで思っているのかもしれない。そう捉えれば、ツクシの態度もうまく説明できると推論エンジンは結論付けた。

 ハルートは穏やかな合成音声でツクシに向かって語りかける。


<……ツクシ>

「はい?」

<現在のアルテアは、未だに危険な状態です。クラリッサの目的は依然として判明せず、単身で戦闘用ドロイドを破壊する技術を持つだけでなく、あまつさえ兵装や戦闘用ドロイド奪取し、わたしと類似する極めて高度な知性を持つロボットを使役することで、アルテアの法と秩序を脅かしています>


 ツクシの身体が自然と強張っていくのが、わかる。

 だから、ハルートはツクシの両肩に手をやりながら、なるべく優しい声音を用いて言う。


<ですが、ご安心ください。わたしがツクシをお守りしてみせます>

「……ハルート」

<不安も恐怖もあるとは思いますが、大丈夫ですよ。あなたには、わたしがついていますから>


 もちろん、ハルートには下心など欠片もなくて、ツクシの心境を察して安心させようと思っての発言だった。

 ごつん。

 ツクシの額がハルートの胸部の複合装甲にぶつかる。ハルートがその意図を図りかねて頭部ユニットを下げた。すると、ツクシがハルートに密着するようにして抱き着いてきて、ハルートの固い胸にその柔らかな顔をうずめていた。

 ハルートの推論エンジンがまた疑問に溢れて、処理速度を上げていく。


「ありがとう。ありがとう、ハルート……」


 ツクシの声は自然と涙声になり、ところどころが擦れていた。

 大粒の鳶色の瞳は、宝石のように光輝く涙で満ちている。そのうち、溢れ出した涙は、形の良い頬に沿って転がり落ちていく。いつしか、彼女は静かに泣き出していた。

 一瞬だけ、推論エンジンが凍りつく。

 だが、すぐに自己診断を行っていたプログラムが別の推論フレームに動作を割り振って、対応策を検討する。

 医療診断アプリケーションが瞬時に、検証結果をハルートに伝える。

 どうやら、どこかが痛むわけではないらしい。クラリッサの凶行がフラッシュバックしたという簡易的な診断結果は十分検討に値するも、深刻なショック症状に陥っているとは現時点では断定できない。

 ストレージからは、豊富な情報を蓄えたノリーンの対人情報収集グラフが推論エンジンに重要な示唆を与える。

 過去にもハルートの何気ない言葉が、ノリーンの喜怒哀楽を激しく誘発したことがあった。だから、今回もハルートの言葉がツクシの「心」に触れたのではないか、という仮説が即座に浮かび上がってくる。

 そして、対応策を講じる。

 ノリーンが激しく感情を昂らせた時は、そのひとつに物理的な距離を取る、ふたつに理屈はどうあれ謝る、みっつに何も言わずに髪を撫でる、という三種類の行動が特に有効であることがグラフの分析結果に付随していた。

 この狭い車内で、物理的な距離を取る選択は却下。そもそも、ツクシはハルートの隣に座ることを望んだわけだから、ハルートの方から彼女のもとを離れるという選択肢は論外だ。

 次の選択肢にある、「理屈はどうあれ謝る」であるが、「ありがとう」と言われて謝るのは対話アプリケーションが推奨する用法にそぐわないのではないか、という疑念がハルートの頭部ユニットの内部で湧き上がる。

 ということで、ハルートは黙ってツクシの髪を撫でた。

 この三つの選択肢のなかでは一番現実的であり、たとえツクシの心境を正しく分析できていなくとも、ノリーンとの経験から裏打ちされた対応策であるのだから、ある程度は彼女にも有効かもしれないからだ。

 加えて、もう三日もノリーンの髪に触れていない。

 もっとも、ノリーンの髪に触れたいというわけではない。

 そもそも、ハルートにはそんな欲求も情動も、感情もない。

 だが、どういう訳か、習慣的な動作を繰り返せないことに、演算モジュールには形容しがたい「負荷」にも似た何かがかかり、メモリは人間の「退屈」に相当する、ある種の不満めいたものが横たわっていた。

 手入れの行き届いたツクシの美しい髪に触れて、ノリーンとの差異が瞬時に頭のなかで浮かび上がってしまう自分の思考回路、現実を認識する認知フレームに、ハルートはなぜか困惑してしまう。

 だが、どうしてだろう。

 こんなにもノリーンとは違うのに、なぜかその外部情報はノリーンを想起させるには、あまりにも十分すぎて……。

 ハルートは戸惑いにも似た反応を示す。

 はあ、とツクモの薄紅色の唇から暖かい吐息が漏れる。

 そして、ハルートの身体に回ったか細い腕に力が入っていく。

 表面塗装とともに織り交ぜられた微細なセンサー群が、ツクシとの接地面から体温や感触などといった情報が収集される。推論エンジンはどうやら、ツクシが興奮状態にあると示唆する。

 ハルートは首を傾げたかった。

 いったい、ツクシが何に興奮しているのか、何がツクシを興奮させているのか、ハルートにはわからない。


<ツクシ、大丈夫ですか?>


 恐る恐る訪ねてから、ハルートは後悔した。


「うん、平気……」


 案の定、ツクシは言うのだった。

 (たず)ねて真なる回答が得られれば苦労なんてないのだ、とハルートは強く感じた。

 そこで、ハルートは思い至る。

 ツクシの身体のなかに留まった大量のナノマシンを用いれば、より彼女の正確な状況を的確に「診断」できる。適切な医療処置のために、ナノマシンは高度な医療情報を収集できる。

 だが、ハルートは思い止まった。

 というのも、ハルートはナノマシンの制御プログラムの管理者権限を委ねられただけで、必要に応じてナノマシンを使用してもいいとは言われていない。

 これが濫用に値する行為なのか、ハルートは推論エンジンをフル稼働させる。

 やはり、推論エンジンもハルートと同じ危惧に突き当たった。ナノマシンから得られる情報を分析することは、脳内神経マトリクスと同じくらい豊富な情報源である一方、プライヴァシーという意味では相手を丸裸にするよりも性質(たち)が悪い。

 ノリーンの研究室で脳内神経マトリクスを取り扱う際は、プライヴァシーポリシーを遵守し、相手の意志を常に尊重してきた。そんなハルートは、やはりナノマシンによる情報収集・分析に躊躇してしまう。

 なんせ、ツクシはハルートを信じると言った。

 そんなツクシを裏切るような真似はハルートにはできない。

 そこで、遅ればせながらツクシの状態が変化していることに気付く。


 いつしか、ツクシは寝息を立てていた。


 この時ばかりは、人間のように溜息を盛大につきたいとハルートは衝動的に願ってしまっていた。

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