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ヴァニラの薫製

次いで落ちたのは、乳白色の砂時計。




【甘く苦い】


それは姿かたちが余りにも不透明だった。

頭から爪先まで真っ白なそれを、仮に彼女と呼ぶとして。

彼女は黒で塗り潰されたその世界で、酷くはっきりとその色を表していた。

変な所へ来たものだ。

彼女の世界に対する第一印象はそんなものである。

暫く漂ってはみたものの、何の代わり映えもない世界に、いい加減彼女は辟易し始めた。

次の瞬間。

黒ばかりの世界に、初めて彼女以外の色が現れた。

「ようこそ時計屋へ。お客さま」

闇色との対峙は、畏まった一礼で始まった。

「これは驚きだ。確かに君とは『はじめまして』だよ」

感嘆の声を上げた彼女は、相変わらずの不透明さながら、笑みを浮かべていた。

白い彼女の言葉に、僅かに苦笑する素振りをみせた闇色が、問い掛ける。

「驚かれないのですか?この世界に」

「うん?ここは驚くところなのかい?」

「今までのお客さまは何方も驚いておいででしたから」

そう言うと、闇色はくるりと視線を一周させて肩を竦める。

「何分何もない世界で御座いますから、今までのお客さまは何方も、必ず『此処は何処なのか』『わたくしが誰なのか』と問われました」

「ふぅん。でも残念。今までも『自分の意思とは関係無く色々な所に現れて』『色々な所で消えていた』からね。『此処が何処であろうと』然程気にはならないんだ」

あっけらかんと言い放った後、けど、と白い彼女は言葉を続けた。

それは何処となく愉しげな声音。

「けど、君が誰なのか、は気になるかな」

悪戯っぽく問われて、闇色は再度最敬礼の体勢を見せながら、耳に心地よいアルトの声を黒の世界に響かせたのだった。

「わたくしは案内人(ナビゲーター)。この店『時計屋』の主に御座います」

仮に驚いたとしても、彼女は自身で表情を変える事はない。

まぁあくまで、表情だけではあるが。

「それで、案内人(ナビゲーター)さん。どうして君の所へ来たのかは分からないけれど、来たものは仕方ない。どうすればいいか、聞かせてくれるかな」

舞台役者の様な語り口調の彼女に、闇色は苦笑したまま被っていたシルクハットのツバを左手で触りながら答える。

「わたくしには御返答する資格があまり御座いませんが、そうですね……」

闇色がふいに、黒の世界の中へと右手を『突っ込んだ』。

彼女が瞬きするその僅かな時間に、闇色はそこから身の丈半分ほどの何かを取り出していた。

それが、チェロと呼ばれる楽器だと気付いたのは、更にもう一度瞬きをした後の事。

「折角ですから、何か一曲如何でしょう。お客さま?」

「うーん。余り曲を知らない身だから、選曲はお任せするよ」

肩を竦める様に言った彼女に、笑みを浮かべて闇色は恭しく頭を下げる。

そして、何もない世界へと当然の事であるように腰掛けた。

その動作と共に、先刻のチェロと同じ様に現れた椅子。

同時に現れた弓を左手に持ち、体勢を整えた闇色が、朗々と歌い上げる。

「それでは、一曲」

黒の世界に、低音が響き始めた。


重厚な音色が途切れたのを確認して、彼女は不透明な両の手を打ち合わせた。

「ブラボー」

喝采に答える様に深く一礼した闇色の手から、現れたのと同じ様に楽器の姿が掻き消える。

「だけど残念だ。あまり曲を知らない身だから、君の演奏してくれた曲の名を知らないよ」

「ご心配には及びませんお客さま。先程の曲の名を知る方は、もう既に名を語る術をお持ちではないのです」

闇色のその言葉に、彼女は不思議そうに口を開いた。

「さっぱり分からないのだけど、どういう意味なのかな?」

不透明な顔の上に、確かに疑問の表情を浮かべている彼女へと、黒の世界で唯一、永遠に姿かたちを保ち続ける存在が。

「『詠み人知らず』『不明』。様々な呼ばれ方をしますが、元を辿れば答えはひとつ」

貼り付けていた柔和な笑みを、ごっそりと削ぎ落として。

「曲名は『無題』。……お客さまと同じく、名の定まらぬ、亡霊に御座います」

暗闇をも超えた黒い世界に、ぽっかりと三日月が浮かんだ。




【名の無い砂】


「いやはや、君には驚かされてばかりだ。ブラーヴァブラーヴィ!実にいい!」

誰彼(たそがれ)時の海に響くのは、正しく喝采。

音の主である彼女は、其処で初めて形を明確に現した。

黒に映える、白い彼女の正体は、真に白一色。

形を常に変化させる、その名は『煙』

「恐れ入ったね。君はどうやら目に見えない姿をも間違う事はないらしい。世界の主とは君の事だ」

その言葉に肩を竦めて、闇色は不意に右手を握り込む。

「それこそ恐れ多い。わたくしは唯の案内人(ナビゲーター)。 この誰彼(たそがれ)時の海にお越しくださったお客さまを案内する為にだけ存在するもので御座いますから」

「謙虚で不遜。実に愉快だね。それで?君が見せてくれるその右の手には何があるんだい?」

本質を見抜かれても尚。

正しく直せば尚の事、彼女は楽し気に問い掛けた。

「君の言う通り、真実姿の定まらぬこの身に、姿ある何かが存在するのだろう?」

だから、彼女は此処に来たのだ。

何もが姿を無くし、何もが姿を得る、この黒の世界に。

「お客さまがこの空間にいらっしゃった経緯は存じません。わたくしが知るのは、お客さまが先刻生まれて消えた、その瞬間の夢で御座います」

闇色が握り込んでいたその右手。

刹那其処に現れたのは、真新しい砂時計だった。

一度も使用された形跡のない時計の砂色は、彼女自身に良く似た乳白色。

黒と闇色、そして彼女と砂時計の乳白色。

世界にある色は、その三つ色だけだ。

闇色は正しく闇色であったし、彼女は正しく乳白色であるのだから、それは当然といえば当然なのだが、彼女は不意にそれに気付く。

「君は出逢った時から表情を数回変えているけれど、どうしてかな。その表情には有るべき色が見付からない」

言葉をうけて、闇色は器用に片眉を跳ね上げた。

それは確かな驚きだった。

けれども、やはり其処には色が見付からない。

「ではお客さま。色、と仰られたそれが何なのかご存知ですか?」

「『色』は色だろう?それ以外は分からないな」

砂時計を見つめながら呟いた彼女に、闇色が唇の端を引き上げ答える。

「それは、わたくしやお客さまとは違い、はっきりと名を持っております。その名は…… 『感情』と申します」

引き上げた唇をそのままに、闇色は手にした砂時計を彼女へと差し出した。

「此方はお客さまのもの。お客さまの『夢』を形にした、形の無いお客さまの為故に形どった、唯一無二の砂時計で御座います」

それを手にして、彼女はぴたりと静止する。

先程までの勢いは何処へ行ってしまったのか、彼女自身にも分からない。

だか、何故か動く事が酷く辛い気がしたのだ。

(これは、どうすればいいんだろう)

躊躇いは、瞬時。

戸惑いは、永遠。

「簡単な事で御座います。返すか、否か。必要な動作は唯それだけなのですから」

唯それだけの動作が、今の彼女にどれだけ過酷なものなのか分かっていて、闇色は笑う。

唯、それだけなのだと。




【薫製】


「これを返せば、願いが叶うのだね」

彼女の呟きが、黒の世界に重く響く。

思いの外、想像以上にこの空間は無音だった。

「願う事の何が悪いのでしょう?意思あるものはすべからく夢を、願いを抱くもの。砂時計は夢を『最も分かりやすく』具現化したもの。夢や願いの数だけまた、砂時計も存在致します」

「なら、これ以外のものをくれないかい?これは、酷く嫌なんだ」

握り締めた砂時計が生温くなっていく。

まるで壊さんとばかりにきつく、固く握ったそれを突き出して彼女は不機嫌そうに吐き捨てた。

その言葉を受けても、闇色は微笑んだまま首を横に振る。

「『お客さま』の砂時計は間違う事なくそちらで御座います。故に『他のもの』は存在致しません」

「さっきまでの言葉と違うじゃないか!」

突然の激昂が走った。

口から出た自分の言葉に、彼女自身が一番驚く。

今までの自分がこれ程に荒い口調で他人を罵った事があっただろうか。

生まれて消えるその瞬間までで、感情が現れた記憶が彼女にはなかったのだから。

彼女の激昂を受けた闇色が、其処で初めて柔らかな笑みを浮かべた。

何も言わず、唯表情だけを変えた闇色を訝しげに睨んで、彼女は続ける。

「どうあっても君は他の砂時計を渡してはくれないのかい?」

闇色は言葉なく頷いた。

どうやらこれ以上何を言っても、闇色が他の砂時計を出す事はない。

それを感じ取って最初に彼女が抱いたものは。

『悲哀』

自身の何処からか溢れてくるその感情に、彼女が流されそうになった、その時。


パチパチ……


突然黒の世界に響いた拍手の音。

それを響かせているのは、優しく微笑んでいる闇色だった。

「何を……」

あまりにも突然な闇色の行動に躊躇う彼女に、何処か嬉しそうに微笑んだ闇色が、漸く口を開いた。

「おめでとう御座います。お客さまは、願いを叶えられていらっしゃいますよ」

彼女の(在る筈もないので、仮に在るとして)瞳が、大きく見開かれた。

彼女の掌の中で、何時の間にか彼女の為にだけ現れた砂時計は、確かに時を刻んでいた。

「何時の間に……」

流れ落ちる砂を呆然と見やって、彼女は呟く。

その様子を、闇色が慈愛に満ちた眼差しで見詰めて。

「先程、お客さまが激昂されたその時からで御座います」

告げられた言葉のその間も、絶え間なく時を刻む砂時計。

ぼんやりとそれを眺めていた彼女が、漸く表情を変えた。

喜びと、悲しみの混ざったマーブル。

それが、白い彼女『煙』と呼ばれた彼女の、たったひとつの真実であり、願いだった。

【煙】


彼女が覚えている最初で最後の記憶は、誰かの溜め息だった。

時に彼女は何かを失ったものの側にあったり、何かを燃やし尽くした場にあったりしたが、それは彼女が『今の』彼女ではない時の話である。

その時によって色も形も生まれすらも異なっている彼女だが、とにかくこの空間に現れるその直前に生まれて消えたのは、見知らぬ買い主の溜め息だった。

「お客さまがこの店にお越しになった時、この誰彼(たそがれ)時の海にひとつの薫りが漂ったのはご存知ですか?」

語りかける闇色が、何処からともなく現れた小さな箱を手にとった。

今の彼女と同じ乳白色の紙箱に綴られた文字に、はと彼女が顔を上げれば。

闇色は反対の手に何時の間に持っていたのだろうオレンジ色のランタンを掲げていた。

「懐かしさを感じられるのも無理は御座いません。これこそお客さまの生まれたその元。人が『煙草』と名付けた、その品なのですから」

言って闇色はランタンのカバーを取り外し、紙箱の中から白い円柱を引き抜いた。

やおらそれを口許に運び、揺らめくオレンジに近付ける。

(あぁ、そうだった)

(それが、生まれ消えた場所)

黒の世界に漂う、白い煙と。

味と正反対の、甘いヴァニラの薫り。

「ずっと思っていたんだ。生み出すそれは様々な感情を抱いていたから。なら、生み出されたこの身は、何を抱いているのだろう、と」

昇る白煙を眺めながら、彼女は呟いた。

「時に悲しみを。時に怒りを。それを何度も繰り返しているうちに、羨ましくなったんだ」

自分にはない、その感情が。

「最後に覚えているのは、生み出したそれが、深い溜め息としてこの身を吐き出した、その瞬間だ」

それは、今までの彼女が何度も体験してきただろう状況だった。

恐らく、何よりも多くその状況は彼女が生み消えた場面なのだろう。

しかし、彼女は其処で初めて、ある疑問を抱いたのだ。


感情とは、何なのかと。


だから彼女は此処に来たのだろう。

姿かたちがない彼女であっても姿を得る事が出来る、この空間に。

「願う事、夢を見る事は、何であっても平等に与えられる権利。お客さまが姿をお持ちでなくとも、それに変わりは御座いません」

闇色の言葉遊びは続く。

「終わりのはじまり。はじまりの終わり。行き着く先は同じであっても、過程が違えば終わりは違うもの。感情というお客さまの夢も又同じ」

時々、思い出したかの様に口許へと彼女の故郷であり墓であるそれを燻らせ、甘い薫りと白煙を昇らせる。

「夢を見続けるか否か。決断されるのはお客さま自身で御座います」

煙草を右手に持ったまま、闇色は大袈裟に手を広げ。

空間にアルトを響かせた。

「見るも覚めるも思いのままに。さあ、ご決断を。お客さま」


夢は見るもの。

見る夢は覚めるもの。


……本当に?



【再び無題】


思考は瞬時。

彼女は何処か哀れみを含んだ瞳で砂時計を見つめていた。

「うん、そうだね。確かに魅力的で、永遠に浸っていたい幸福な夢だ」

ちらりと闇色へと視線を移すと、自嘲気味に笑う。

「だけど、これが夢だと言うなら、覚めなければいけないと思うんだ」

「絶対の決まり事では御座いません。夢であっても、見続ければそれはお客さまの真実となりましょう」

「夢は所詮夢だよ」

「ええそうでしょう。けれども覚めればお客さまは消えてしまわれる。それだけは残念ながら真実で御座います」

柔らかく告げる闇色に、彼女は砂が落ち出してから初めて、やんわりと微笑んだ。

不透明だった彼女の、はっきりとした笑み。

「だとしても、覚めなければ」

忌々しそうな視線から一転、愛し気に乳白色の砂時計を両手に抱き、笑う。

「夢は叶えば『夢』ではなくなる。だから叶えば夢から覚めるべきだと、そう…… 僕はそう思う」

この黒の世界にやって来て、彼女は初めて自身を一人称で呼んだ。

闇色の笑みは絶えない。

彼女が差し出した砂時計を見つめて、闇色は頭を下げた。

「承りました。それでは、良い時間(とき)を。お客さま」

被っていたシルクハットを脱ぎ、右手を胸に。

左手を背に回して、闇色は彼女がその空間から消えてゆくその最後の瞬間まで、最敬礼を続けた。



【そして、無題】


その女は、今日も煙草を吸っていた。

乳白色のパッケージに赤い英ローマ字で銘柄が刻印されている。

「全く……今日も苛々させられっぱなしだわ」

ぼやいて新しい煙草を口にくわえる。

ライターで火を着けて、深く吸い込む。

肺に有害物質が入っていくのが、じわりじわりと分かる。

何度か口許へ煙草を運び、時計を見やれば、休憩終了まであと僅かになっていた。

「……しょーがない。もうひと頑張りしますか」

灰皿の中へと持っていたそれを押し込めば、何処からともなく音が聞こえてきた。

「何?誰か携帯の着メロ替えた?これ、弦楽器……よね?」

しかし、とんと聞き覚えのない曲だ。

こんな曲を指定するなんて、どんだけマイナーな選曲だろう。

そんな事を考えていれば、ふと聞こえなくなったその曲に女は首を傾げる。

暫く周囲を見回した後、時計を見て女は小さな悲鳴を上げた。

「やっばい!休憩終わりだ!!」

女が急ぎ足で持ち場へ戻っていく。

ヴァニラの薫りと、聞こえない名も知らぬ弦楽曲を纏わせながら。







―ヴァニラの薫製―

終曲



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