ホーム
家というものは、何なんだろうか?
良い言い方をするならば、人を包み込んでくれる温かいものである。
しかし、別の、嫌な言い方をするならば、束縛するもの、とも言えよう。
抱き締め、締め付ける。
僕、成田耕康にとっての家とは、子どもの頃から後者に属していた。
農家という家は、何もかもを縛りつける。
休みというものがほとんど無いのだ。母親は家事を終わらせると畑仕事を行い、父親は仕事を定時で帰宅し、畑仕事を行った。
どこか旅行に行った記憶も数少ない。
そして、耕康という名が示す通り、僕もまた継ぐことを期待されている。
畑に縛りつけられるという、決まりきった運命。
ソレがたまらなく嫌だった。
だから……というわけでもないが。
大学卒業後の現在。大学時代の様々な出来事を経て、僕は探偵業を営んでいる。
事務所のある市内から1時間程自転車を走らせた所に、僕の実家がある。
酒が入る度、父は成田家がそこそこの家であった……という話を繰り返す。何でも、父もその父……僕の祖父から聞かされたのだとか。
それを象徴するように広い畑と田をもつ。あながち酒混じりの冗談でもないらしい。
10月となれば、リンゴの収穫がピークとなるのだ。どの家でも親戚総出で手伝われる。今日のために、東京の大学に通う妹も来るというのだからよっぽどだ。
実家から送られてくる野菜や米の恩恵を受けている貧乏探偵としては、わだかまりがあっても行かなくてはならない。
久し振りの家は、あまりにも久し振りすぎてどこか落ち着かない。思えば、先月の半ばも手伝いに来たのだが、その時は畑に直接行ったので実家そのものには帰っていないのだ。
今回もそうしたかったのだが、畑に行っても誰もいなかったのだから仕方がない。
相変わらず鍵のかかっていないドアを勝手に開いて、居間へ。
そこに居たのは、眼光の鋭い老人。だが、これほど老人という言葉が似合わない男もいないだろう。未だにピシリと伸びた背中は、昔と比べて小さくなった気がする。
「よく来たなぁ。クソ探偵さん」
父、成田豊作は不機嫌そうに白髪混じりの頭をかいた。そして、すぐにテレビに視線を戻す。
嫌々ながら、僕も挨拶を返す。
「……歓迎ありがとう。父さん」
「俺の言った『よく来たなぁ』は『よく俺におめおめと顔を見せに来れたな』って意味だが」
……最低だ。だから会いたくないんだよ。
この人は根に持っている。僕が跡を継がないことを。
さっきから、全然こっちを見ないし。
「まあ、取り敢えずさ。仏壇に手を合わせてもいいかな? じいちゃん達に挨拶しなくちゃ」
姿勢はテレビに向けたまま、クイっと首で「行け」と示されたので、居間を抜けて和室へ向かう。襖をスライドした先には畳が敷かれており、仏壇がある。
正座をし、線香を立てようとして宙で手を止める。立てる場所に悩んだのだ。朝に立てたのであろう線香の残骸が右に、中くらいの線香が左に立っている。
「……どうせなら綺麗に整ってる方が良いかな」
迷ったあげく、先に立っていた線香と合わせて、真上から見ると、ちょうど三角形となるように置いた。バランスが気になってしまう性格なのだ。
カンカンカン、と鳴らして来訪を告げ、両手を合わせて目をつむる。
「一応、元気でやってますよ、と……」
ふと、顔を上げ、飾られた写真を眺める。何人も並ぶそれの内、僕は3人までしか知らない。つまり、曾祖父母と祖父母だ。
曾祖父は僕が小さい頃に亡くなっているので、正確には覚えていないのだが、話だけなら何度も聞かされたものだ。
父や母もいずれ、あそこに並ぶのだろう。
大学生で上京中の妹は嫁ぐだろうから無いかな。いや、下手したら婿養子を連れてくるのかも。そうしたら、並ぶことになるのか。
じゃあ、僕はどうなるのだろうか?
家から離れた僕は、どうなるのだろう。
足のしびれが取れるまでの間、僕はそんなことを考えていた。
叩いた鐘は、未だに耳の中に響いている。
憂鬱な気持ちを抑えつつ、居間に戻る。すると、父がしかめ面で立っていた。声をかけようとする前に、先にこちらに気づいたようだ。
父は、ニヤリと嫌な感じに笑い、口を動かした。
「ちょうどいい。耕康、探偵の出番だぞ」
「は? 羊羮がなくなった?」
探偵の出番、なんて言ってくるからどんな凶悪事件が起こったのかと思えば……貰い物の高級な羊羮が無くなったという。
「お前、どうでもいいと思ってるだろ? ……きんつばだぞ? しかも、高級だからか、一口サイズなんだぞ?」
「心底どうでもいいよ」
どうやら今日の畑仕事は午前で終わってしまったようだ。母さんに用事があるのだとか。親戚の皆には連絡したらしいが、僕と妹にはしていないらしい。ハメられた。
ぶっちゃけ、帰ってしまいたいのだが……。
逆転の発想だ。
ここで名推理を披露すれば、認めてもらえるのかもしれない!
「……って言っても容疑者なんて、いくらでも考えられるよ? だって、密室ならぬ、開放室。鍵のかかっていない家なんだからさ」
玄関を入ると、短い廊下があり、その突き当たりに居間があるのだ。
楽に入り込めてしまう。
「バカ言え。居間にはずっと俺が居たんだぞ。不審者が来たら流石に気づくに決まってるだろ」
成る程。確かに、いくら父がテレビに夢中でも、流石に不審者には気づくか。
と、なると……。
「容疑者は父さんしかいないじゃないか」
「おい。何を叙述トリックで逃げようとしてるんだ? ……お前も容疑者じゃねぇか」
「実の息子に推理させておいて、実の息子を疑ってたの!?」
くそぉ。だが、確かにありがちだ。探偵が犯人、なんて良い具合に盛り上がる。語り手が自分の不都合になる情報を語らない、とか。
父さんは乱読派だからミステリーとかも読んでるんだっけ。
だったら、理論によって正確に説明しなければ、納得なんてしないだろう。……身内だからって適当に切り抜けようとしていたのに。
「父さん。いつまで羊羮があったか覚えてる?」
「あー、そうだな。朝に線香を立てたときに仏壇に上げておいたのを居間に持って来たんだよ」
そういえば、父は、毎朝必ず線香を1本立てるのだ。それをやってから朝食を食べる。どんなに急いでいるときでも欠かさずに。
「その時は当然にあったし、昼飯を食った後もあった。3時頃にでも食おうと思って残しておいたんでな」
現在、2時47分。そろそろと思って、探してみたら無かったというワケか。
「おいおい。どうした? ギブアップか?」
ドヤ顔でこちらを覗きこむ。無茶苦茶楽しそうだ。
……やっぱり父さんがわざと隠したんじゃないのか?
依頼人を疑うというのも、推理モノでは良いトリックじゃないだろうか?
しかし、まあ、何というか。
久し振りに遊べて楽しい……なんて、思っている自分もいる。
本人には絶対に言えないのだけれど。
それでは、今回の解決編。久し振りの自力での解決が、実家の、それも父さんの前で出来て本当に良かった、と心から思う。
これで、探偵としてのメンツは保たれただろう。
用事を済ませた母も帰ってきての夕食時。結局仕事をせずに、夕食だけご馳走になってしまった。そこで僕は容疑者を問い詰めた。
「羊羮? あー、それアタシ食べたよ。美味しかったー!」
容疑者こと妹はあっさりと自白し、事件は幕を下ろした。
結論。犯人は妹の成田恵実でしたー。
なんて、言うのはズルいかもしれないが……。
冷静に、理論立てて、考えてみればそうとしか考えられない。
『もう一人の家族』という選択肢しか考えられない。そして、母が居なかったのなら、答えは妹だ。
不審者が入ったら気づく。
けど、家族だったら……?
僕の帰宅に対し、父は何ともないようにテレビに目を向け直した。
恐らく、妹に対してもそうだったのだろう。
そして、妹は仏壇に手を合わせに行く。
線香が先に2つあったのは……父の他にもう1つあったのは、そのためだ。
その後、妹は羊羮を食べてしまった、というオチ。
父がテレビを見ている間に。父が妹を見ていない間に。
そうして、妹が地元の友人に会いに外出した際、僕が帰ってきて、無くなっていることに気づいたというわけだ。
僕はこの推理に対し、かなり不安があった。
だって、探偵を開業して家を出た息子と大学進学で家を出た娘が、久し振りに実家に帰ってきたのだから。
普通は、いろいろ話を聞くものだ。テレビに夢中になって、来ていたことすら忘れかけてしまうなんて、あり得るのだろうか?
……そんな風に、自分の推理を疑った。
しかし、実際はその通りだった。
こう言ってしまうと、父が子どもたちに関心の無い、ダメな親だと思われるかもしれない。
実際、そんなに良い親ではなかった、と思う。
だが、ダメな親ではなかった、とも思う。
では、父が何故、無反応だったのか……。
答えは簡単だ。
だって、父にとって、子どもが帰ってくることは「当たり前」なのだから。
繰り返す日常の中で、人は慣れていく。「ある」ことを当然だと思う。
だから、父からしてみれば、子どもが帰ってくることは日常でしかなく、珍しいことでも、目新しいことでもなかったのだろう。
家を出ても、父は家族だと認めていた。
僕を日常の一部だと、認めていた。
家というものは、何なんだろうか?
その質問に対して、僕は今ならこう答えるのだろう。
僕にとっての家は、帰るべき日常、と。
今日は泊まり、明日は1日中手伝ってはどうだ、と言われた。夜も遅く、冷え込む中、自転車で風を切るのは厳しいと思っていたのでかなり助かる。
「でも、安心したわよ耕康。アンタ、大学二年の『あの事件』から立ち直って頑張ってるのね……」
そんな風に母は言う。それに対して、僕は苦笑いしか出来なかった。
僕は、立ち直ってなどいない。
ともすれば、また折れてしまいそうな程の事件。
最初であり、最後にしたい、殺人事件。
最悪であり、災厄であった、苦い思い出。
アレを引きずっているからこそ、僕はこうして探偵をやっているのかもしれない。
僕はいつか語れるのだろうか?
その夜、父と共に酒を飲んでみた。あまり酒は好きじゃないのだが、何となくそういう気分だった。
相変わらず同じ話ばかりを繰り返す。下手すれば、諳じることも出来るようになってしまうかもしれない。
けれど、まあ、悪くはないかな、と思ってしまう僕はもう酔ってしまっているのだろう。
酔い潰れて寝転がった父の背中は、僕の子どもの頃に比べたら、小さく見える。
だけど、まだまだ勝てないな、としみじみ思う。