コオリ・レイドオーラ
「とッても」
退屈すぎる。ここは雪山もとんがりの頂き。ヒトはおろか生ある何がしかがまったく存在しない極寒の世界である。人工的に設えられた大規模な冷房装置が、あらゆるモノの侵入を拒み、時間の経過をも凍らせてしまう至極退屈なトコだ。
氷塊によって築かれた施設にはテレビが備えつけられているがチャネルは一つ。児童向けのアニメが繰り返し流されるだけで、もはや飽きてつけるのも辟易する。冷蔵庫はなく、エアコンもなし。洗濯機はあるけどトンデモナイ寒気で干すことなんかできっこない。もちろん室内乾燥機が用意されてはあるが、この世界で白ワンピに染みが付いたことなんて一度もない。
――衰退した人類進化の勃興、その研究開発のために。
名目は科学者の提唱する高尚な理念だった。幼い頃に強化人間の被験者となり、よって体は超常を手にしたが能力は不安定。経過観察のために標高六千を超える山へ移送されたのだが、実際を言えばただの牢獄だった。
何もすることはない。一人、少女が白ワンピで鼻歌を趣味に過ごすのだ。毎日毎日。
白雪積もる山頂へ連れてこられてより、もう十二年が経つ。最初の二年間は研究員が何十人もいて賑わっていたのに費用削減が相次ぎ、五年目で独りにされた。本部の研究所から日に一回よこされる連絡は、いつぞやから週に一度となり、そのうち月一に、やがては来なくなった。最後に話をした担当員との会話は「本当に申し訳ない……プツ!」である。
朝も昼も夜も、昨日も今日も明日だって、誰にも会うことはない。生活への刺激は絶無。凍えるのは大好きだが、けれど、寂しいのは上回って大嫌いだ。誰かとおしゃべりがしたい。取りとめもない話題で、いつまでも、時間を忘れるほどにヒトと接したいのである。
「やっぱり行く。ムリよ限界だもの」
返事のない静かな部屋の中、氷のイスからすっと立ち上がる。
☆§§§☆
都会の風はなんとも温かい。見上げた空は青く澄み、ヒト気に包まれて気温は高い。マイナスでない時点でうだる体が恨めしいけれど、へこたれてなどいられない。望むこの景色こそ、求めていた都会の姿なのだ。群れる人海をくぐり抜け、ぐんぐんと進んでいく。
世界中央政府が本部を置く天空都市「リードアイランド」では祝賀一色、お祭り騒ぎも真っ盛りだった。背の高いビル群が背を競ってならび建ち、その合間を色鮮やかなバルーンたちが昇ってゆく。街灯には提げられた旗が街の歓喜にあい連なってバタバタ揺れ、風は肌に気持ちよかった。世府生誕から三十周年。世議会議院最高議長の登壇を皮切りに、央都リードアイランドを端から中心へ貫くメインストリートでは踊れ騒げやの一大パレードが催されている。人群れは溢れんばかりのMAX状態だ。
ごった返す露店の通りを進むと、ふといい匂いが鼻をよぎった。雪山では決して感ぜられることのない誘惑的な刺激に、誘われるようにして足先がそっちへ向かう。
「こりゃあ可愛いねーちゃんだ! 一つどうだい!」
顔に(左デコから右アゴにかけて)深い傷跡を走らせる剃髪のおじちゃんが差し出してきたのは、湯気の立つ、おいしそうなフランクフルトだった。気持ちがそそられる見目素晴らきフランクフルトだけれど、目をさらうのはむしろおじちゃんのコワい顔の方だ。いろいろ残念なのだが。
「わたしお金もってないわ」
鮮やかな都会の風景を眺めているだけで、実は気持ちが満腹だった。おじちゃんにわずかばかりか妙な顔をされる。
「ええい、一つもってけや! サービスだい!」
「わあ、うれしい」
唇についたケチャップを舐め終える頃には、リードアイランドの中央広場へ着いた。伸びをして、空を見上げる。燦々と注がれる日光がまぶしい。上昇してきた気温に汗がこってりして、頬から顎へ一筋おちた。腕で一拭きしてから、ふうっと広場を見渡した。
ほんのすこし前には、世界最高権力のトップが演説していたのだろう舞台が、どどん! まず目に付く。二十メートルはあろう高さの円柱ステージに花飾りが色とりどりである。スポットライトを照り返す自然と人工幾何学を調和させたアートは、見る者を不思議とした心地にさせ美に吸いこむ。
ぽっかりと口を開け、見とれてしまっていた。だから気付かなかった。
大声を掛けられて初めて振り向いた。
「君、あぶないよ!」
叫ばれ、& 腕を引っ張られて驚き、目の前をニグノ・ヴィークルがびゅーん! 猛速で通り過ぎれば重ねてドキッとする。しばらくワケが解らず目をぱちぱちすれば、けれどすぐに自分が滑車の道上にあって、それを引き避けてくれたのが目の前に立っている青年だと気付く。
「無事でよかった。ケガはない?」
歯が白くて、顔立ちのよい好印象なヒトだ。上は黒地に数本のブルーラインを走らせるジャケット、下は白のスラックス。……世府関係者が着用する正装ではないか。あまり関わり合いたくない所属だ。
「ありません。おかげさまだわ」
「この辺、設営で機材の搬入が多いんだ。足もとのアオ線が目印だから気をつけて」
見るとほんとに青い線が二つ、ヴィークルのレイルを作っていた。ニグノとは世府が独占している技術の一つで、流動する物質内のベクトルに作用する粒子だ。熱や物理的エネルギーなどを定量数値化して予めニグノ粒子に記憶させておき、波状でピンポイント放射すれば遠隔で動く物質を操作することができる。一般市場では未だに開拓されえぬ次世代のスーパーテクノロジーである。研究所で受けた人体実験の傍ら、所長のおじさんが教えてくれた。
「気をつけます」
愛想よくニッコリ返し、はてさて次はどこへいこうかしらと思考したらばすぐに閃いた。関係者なら、この街のことをよく知っているのではないか。当たり障りのないよう話かける。
「わたし、央都へ来たのは初めてなの」
「観光だね? いろいろと観ていくといいよ」
言われつつ、じろじろ見られると恥ずかしい。都会人に囲まれれば薄手の白ワンピ一枚の小娘など田舎者にしか見えないだろう。実際そうなのだ。氷でこしらえたヒールも明らかに形状が素人くさい。それでいて文無しの手ぶらである。フォローのしどころがない。
「楽しいものが見たいのですが、とても広くって。めぼしいものってあります?」
恥ずかしさの紛らわしで、にっこりと聞く。
「ここは世界の中央だよ、いっぱいあるさ。もう展望台は見たのかい? あそこはいい。央都が一望できるんだ。ほら今、ちょうど向こう側でパレードをやっているでしょう。その中央通りを少し戻って道沿いにB‐3区と掲げられた標識のところを向かって右側に曲がりしばらく歩いてゆくと大きな時計塔が見えてくるはずだからそれを西の目印にして南西の方角にある比較的大きな看板の左側の道へ……」
ぜんぜんわからないって顔でぶんぶん首をふる。
「あはは、構わない。案内してあげるよ」
「でも私、チップは払えないわ」
「それも構わない。こっちも息抜きの理由ができて良かった」