第60話 出会いと別れ、遠き日に
目的
◆帝都地下迷宮の謎を解き明かす。
◆異形の神々の顕現を阻止する。
◆皇帝オズワルド1世の手掛かりを探す。
◆迷宮内でメアを見つける。
◆第五層を攻略する。
「獣人族との戦争はそれはもう激しい戦でしたな……」
「お爺ちゃん朝ご飯だよ」
「これは王子もったいのうございます」
ギルバートはギルドハウスに滞在している。意識が曖昧な老人だけど、俺を王子と思い込んで反応するから相手をすることが増えた。
「次の戦場には私もお供させてくださいませ。若い者には遅れを取りませぬ」
「はいはい、頑張ろうねお爺ちゃん」
こんな老人だけど剣を握れば顔つきが変わる。今日も屋敷の庭で訓練が始まろうとしていた。
第五層攻略の時が近づいている。そんな空気が日に日に増していた。
同時に喧噪も増してきた。屋敷を様々な冒険者が訪れるようになったのだ。
それは近衛騎士の剣術を使うという番人、そして元近衛のギルバートの噂が広まり、訓練に加わる人が増えた訳だ。
「ぎゃひぃ!」
「温い、そんなことでドワーフに勝てるか、獣人に勝てるか!?」
ギルバートは相変わらず訳の分からないことを言いながら剣を振り回す。挑戦する者、遠巻きに観察する者、野次馬。そんな連中で屋敷は騒がしくなっていた。
「次は俺だ!」
「いや俺だ、もう半時は待ってるぞ!」
「おい、酒でも出したらどうだ?」
参加者同士のいさかい、無理な要求、使用人に絡む奴まで出てきた辺りでメイド長キャサリンが登場した。
「あんたら、ここじゃ大人しくしな。訓練にだけ集中するんだね」
「な、なんだこのデカいババア」
「指図すんじゃねえぞ!」
何人かがキャサリンに突っかかるが、これを片手で摘まみ上げ右に左にぶん投げる。四、五人伸びた辺りでマリアンの待てが掛かった。
「キャサリン、それくらいで結構です」
「承知しました」
「キャサリン……まさか“熊殺しのキャサリン”なのか?」
一人ベテランの冒険者が恐れおののいた。どうやら知る人ぞ知る大物だったみたいだな。その辺りベッシに少し尋ねてみた。
「キャサリンは北方に住むハイランダー系部族の戦士だった。ワシは若い頃に武者修行の旅をして、その中でキャサリンに出会ったのだ」
ハイランダーはアルテニアンやウッドメンと共に大陸の人間種を構成する。彼らは特徴として体格に優れ戦いや肉体労働に力を発揮する。一方ウッドメンは小柄だが敏捷で狩猟や斥候を得意とし、木材加工や細工に優れることからその名が付いたという。
アルテニアンは……あまり特徴がない。他種族からは口が達者とか理屈っぽいなんて言われるな。
「ワシは北方を荒らし回る怪物の噂を聞くと、キャサリンの協力を得てこれを打ち取った」
「へえ、戦いで芽生えた恋ってわけで」
「ま、まあな」
「それが結構大変な話だったみたいですよ」
「マリアン様!?」
何時の間にいたんだマリアン。
「キャサリンには部族の掟があり、ベッシは騎士の家ですから釣り合いがどうのと言われ、色々な壁を乗り越えた末に二人は結ばれたのです」
「なるほどなるほど」
「お、お嬢様、そんな古い話などよいではありませんか」
マリアンはこういう話好きなのかな。しかしベッシとキャサリン想像以上に大恋愛っぽいじゃないの。
「ウィル様」
そこに姿を見せたのはクロエ。ベッシたちの孫でオーウェン家のメイド。
「ギルバート様は忙しそうですし、体術訓練の方を先にいたしますか?」
「そうだね」
もう馴染んだ日課のようなものだ。長いこと転がされ続けてきたけど最近は少し違う。
場所を変えて対峙。クロエはキャサリンと違って速とさバネを併せ持つタイプ。間合いに入ると即座に掌打が飛んでくる。
ガードを固めてこれを捌く。初めのうちは打たれっぱなしだったけど俺も経験を積んできたと実感できる。
加えてこいつを試す時。――“潜行”。
クロエの動きがハッキリ見える。掌打を弾き、続く蹴りもステップで回避。“潜行”の精度は確実に上がってきている。
打たれるだけでなく俺も反撃の掌打。クロエの頬をかすめることができた。
今日は初めて一本取れるかもしれない。気を強く保ちクロエの動きを追う。
左右にステップ、フェイント、引っ掛かるものか。動きを先読みし捕えようと手を伸ばす。
ふにっ。
「あっ――」
しまっっっっ。柔らかい感触に“潜行”が吹き飛ぶ。俺の手がクロエのm
――視界が回る。
ダンッ、バキボキ。
「げごっ」
情けない呻きは俺のものか。一瞬で地面に組み伏せられ、そして腕が変な角度に曲がっている。
「――ウィル様?」
はいウィルです。
「思わず投げてしまい……すぐアイリーン様を呼んできます」
冷静で的確な判断力だ。あっ、そろそろ麻痺していた痛覚が目覚め始める。
***
腕、肩、胸骨の三か所骨折。それがクロエの極め投げの威力だった。
「いくらアンタでも困るぜ、大事な探索の前に怪我させちまって」
「誠に申し訳ありません」
憤然とするガロにクロエが頭を下げる。
「ガロ落ち着きなさいよ。アイリーンが治療してくれたし、訓練に怪我は付き物でしょ」
「セレナ、治るからいいってもんじゃねえだろ」
「ガロ様の仰る通りです。私の不注意でした」
不注意というか不可抗力というか。
「俺も油断してたなー」
殊更明るく言って場を和ませようとするけど上手くいったかどうか。隣ではアイリーンが包帯を巻き終える。
「ウィル、骨は繋がったと思うけどしばらく固定しててね。治癒には体力使うから休んだら?」
「そうするよ、ありがとう」
立ち上がり部屋に向かうとクロエが音もなくついて来てくれた。
「クロエさん」
「はい」
「気にしてないというか、こっちも悪いというか」
「お気になさらず」
更には着替えまで手伝おうとするのでちょっと焦った。
「私がやりましょう」
「ちょ、いいってば」
「まだ腕は動かさない方がいいです」
結局なすがままに服をはがされる。そのクロエだが俺の体を見て手を止めた。
「……大きな傷跡ですね」
俺の体にはハッキリと分かる傷跡がある。特に一つ、どこかでバッサリ切った大きな傷跡が目を引いてしまう。
「この若さでどれだけ無茶を重ねてきたのですか?」
「う、うん。昔から放浪してたから……」
「……」
黙ってしまったクロエ、それでも俺を着替えさせ布団に押し込む。そうなるとにわかに眠気が襲ってきた。
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彼が行ってしまう。ジョン・オーウェンが侯爵家から出ていってしまう。
彼とは歳も近く、幼い頃は兄妹のように過ごした。彼は庭で棒切れを振り回しながら、よく冒険者になると言っていたものだ。
政治より世界のことを学んだ。礼儀作法より剣術を好んだ。父とは反目し兄たちと比較されながら、それでも夢を見続けた。その背中を知っている。
だがジョンの兄二人が相次いで亡くなった。侯爵様はジョンに跡を継がせようとしたが長年の軋轢は埋めがたかった。
「マリアンを……皆を頼む」
それがジョンの残した言葉だった。止めることもできず何の言葉も伝えられず、遠くなる背中を見つめるのみ。ただ彼の願いに従い涙を流すマリアンを慰めた。
今思えば、あの時に追いかけていれば間に合ったかもしれない。やがてジョンは物言わぬ遺体となって屋敷に帰ってきた。
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……目を覚ますとベッドに寄りかかって眠るクロエの姿があった。俺が体を起こすと彼女もうっすらと目を開ける。
「……ウィル様?」
状況に気付いたクロエが珍しく慌てた様子を見せる。ずっとここにいてくれたんだな。
「これは粗相をしました」
「いや、ありがと。お腹も空いたしご飯にしない?」