第57話 星も見えない夜に
目的
◆帝都地下迷宮の謎を解き明かす。
◆異形の神々の顕現を阻止する。
◆皇帝オズワルド1世の手掛かりを探す。
屋敷に戻って一人また一人と眠りにつく(特にセレナさんは到着時点で寝てた)。俺はというと何だか眼が冴えて眠れそうにない、部屋を出ると屋敷の外に向かう。
屋外では歩哨の剣士が夜通し見張りをしている。今の帝都は治安が悪いことと、マリアンのような年若い当主がいることを思えばやむを得ないことか。彼らと会釈を交わすと俺は庭園で一人になる。
“潜行”の精度は確実に上がっていた。近頃は時間を見つけては練習を重ね、短剣『ドリームズ・エンド』が手に馴染むほどに実感が強まっていく。
今も酒で火照った体を静め精神を集中していく。……今ならもっと広く、深く潜れる気がした。なんならここから迷宮を覗けるんじゃないかというぐらい。
――“潜行”。
地面を透かし地下の岩盤を穿つ。地下第一層に達した、夜も歩き回る小人たちが見える。よいか■■■■■、悪い子にしているとエルフやドワーフに連れて行かれるぞ。奴らは人間を憎む悪魔だ。獣人も小人も魔物のようなもの、お前を捕まえて食べてしまうのだ。
誰かの記憶がノイズになるが構わず続ける。
第二層、与太者たちと人を騙す魔物が潜む不穏な階層。ここにいる者たちは皆、笑顔を作りながら腹の底で何か企む者ばかり。けして心を開いてはいけない。
第三層、罠が待つ地下水路は秘密の抜け道だったという。
『こっちだ■■■■■』
友人に手を引かれ刺客から逃れる。向かう先は闇ばかり、敵の刃がいつ襲ってくるか分からない。父上と母上は無事だろうか……。
ノイズもあって頭がヒリヒリしてきた。深い集中力を持続させるのは骨が折れる。このまま第四層まで行けるだろうか、もっと深く、深く……。
***
途端に感覚が開けた。第四層の黄昏空ではない、テーブルに椅子が並ぶこじんまりとした部屋にいる。
「無理しちゃダメよ、お兄ちゃん」
「君は確か、メア……」
謎の少女メア、謎しかない女の子が目の前にいる。紅茶をいれながら席に着くよう促してきた。
「俺は夢を見てる?」
「今日は違うの。夢で会うのは私が会いたい時の扉。でもお兄ちゃんと話す方法は他にもあるよ」
「最初は鏡の中、その次が夢の中だったか」
「お兄ちゃんの意識が迷宮の壁を無理やり超えてきたから、思わず引き止めちゃった。そんなことしてると深みにはまっちゃうよ」
三度目の遭遇。元より敵意を見せない女の子だ、今回は落ち着いて向き合うことができた。
メアは紫色のワンピースを着て優雅な所作を見せる。見た目は10歳ぐらいだと思うが妙に大人びて、上品だけど妖しい雰囲気があった。
「相変わらず迷宮に潜ってるのね」
「俺の身を案じてくれてるの?」
「うん、心配よ。お兄ちゃんが怪我しないか、悪い人たちに騙されたりしないか」
「ありがたいけど君の正体が一番怪しいかな」
怪しい。謎の。正体不明の。だが今の俺はこの子に対して一定の推論があった。
「君は“夢幻の柱ナイメリア”と関係あるんじゃないか?」
間合いを図るように言葉を投じ、受けたメアは一瞬驚きの表情を見せた。だがそれも束の間、子供とは思えない妖艶な笑みで俺を見る。
「色々と吹き込まれたみたいね。でも否定しないわ、私は貴方たちが忌避する存在よ」
「やはり異形の神々が迷宮の背後にいるのか」
「でも勘違いしないでほしいの。私はお兄ちゃんの味方だから」
「味方は間に合ってるよ」
「そう? でも私にしかできない大事なことってあるのよ?」
甘言という奴だな。見た目とは裏腹に長い時を生きた魔性のようだ。
「警戒してしまうな」
「私は人の手助けや相談に乗るのが大好きなのよ。例えばお兄ちゃんの悩みも知ってる」
「それは?」
「自分は何者なのか」
……心を見透かされている。こちらの欲や不安を的確に刺激してくる。
「取引に持ち込むつもりか」
「探り合いをしたいわけじゃないの。ただちょっとお願いがあるだけ」
「お願いだって?」
「私を見つけて。そしたらお兄ちゃんの疑問に答えてあげる」
それも一つの取引だと思うが、メアの言葉を無視できないのが悔しい。
「何でも答えてくれるの?」
「うん、何でも」
「何個でも?」
「欲張りさんね。でもいいわ、可能な限り答えてあげる」
「メアは迷宮の中にいるのか? どこに行けば会える?」
「詳しくは教えられないわ。でも深く、深く、もっと深層に来てちょうだい。お兄ちゃんに見つけてもらえるのを楽しみにしてるから」
***
……気付けば屋敷の庭に立ち尽くしていた。メアという少女、関わると危ない予感がするけど、その言葉は棘となって俺の心に残っている。
あの子を見つける……。いずれにしろ迷宮深層には挑むことになる。俺のことと異形神に関する手掛かり、近づくことができるか。
背後で草を踏む音がした。咄嗟に振り返ると、かすかな明かりの中に覚えのある顔が。
「ワル坊、何をぼーっとしておる」
「クリフ爺さん……。見張りがいるのにどこから入ってくるんだよ?」
「こう見えて多才なジジイでな。お茶の子さいさい、多才なだけに」
「……」
気が抜けたところで少し休むか。
改装したとはいえ屋敷の庭はまだ雑然としている。座れそうな場所を探して二人で腰かけた。
「爺さん、あんたはここの迷宮に入ったことあるの?」
「おうさ、暇な時に散歩がてら歩き回っとる」
「散歩って……。その迷宮だけど、変わった女の子を見たことはない?」
「女の子ぉ?」
まあそこらの人が知ってるとも思えないが、念のため。
「お前ぇ、悪い女に引っかかってるのかぁ? 詐欺には気を付けろと言っとるだろう。お前のオヤジが嘆いてしまうわ」
「そーいう話じゃねえっての」
ダメだこのジジイ役に立たない。
「ウィル様?」
ビクッとしたけどこの声はクロエか。窓からこちらを覗く彼女の姿が見える。
「誰かそこにいるのですか?」
「スミマセン怪しい奴じゃなくて、ちょっとした知り合いなんです」
「……誰もいませんが?」
「え」
振り向くとクリフ爺さんがいない。逃げたな。
「あまり夜更かししてはいけませんよ」
「すぐ戻るから」
この屋敷で強いて不満を挙げるなら就寝時間も管理されていることか。それも多くのメリットに比べればごく小さなこと。ああして夜中まで働いてるクロエや見張りの人たちに感謝しないと。
一息ついたところで爺さんがひょっこり顔を出す。
「ふう見つかるところだったわい」
「ジジイ、俺が変な人みたいになったじゃねえか」
「変なジジイを紹介することになるよりええじゃろ」
「そうだな、すごく面倒になるとこだった」
へっ、と笑いながら今夜はお開き。俺は怒られないうちに部屋に戻る。月も星も見えないさみしい夜だった。