第42話 アイリーン
目的
◆帝都地下迷宮の謎を解き明かす。
◆皇帝オズワルド1世の手掛かりを探す。
アイリーンの死。その現実に俺たちは強い衝撃を受けていた。
「傷は塞いだのに、私の魔法で……」
セレナさんも動揺して顔を覆ってしまった。
「心臓を貫かれたと見えます、恐らく即死に近かったでしょう。そうなると傷を回復しても意識が戻らないことが多いのです」
熟練の治療師が諦めるという事実に打ちのめされる。俺があの時しっかりしていれば……。
「聖女とまで呼ばれた方の死は悲しいものです。お悔やみ申し上げます」
治療師はマリアンから診療代だけ受け取り帰っていった。後には打ちひしがれる<ナイトシーカー>の関係者だけが残される。
「大バカだぜ、仲間庇って自分が死にやがって」
「ガロ!」
吐き捨てるガロ。憤慨するセレナさん。
「そんな言い方することないじゃないの!」
「迷惑なんだよ、こういう死に方されると」
色々と言い合っているがもう頭に入ってこない。俺は立ち上がるとアイリーンの部屋に向かう。
「あ、ウィル様……」
部屋にはクロエもいた。アイリーンをベッドに寝かせ色々と整えてくれたようだ。彼女の遺体は手配が済んだら安置所に運ばれるだろう。
「クロエさん、少し席を外してもらえませんか?」
「……分かりました」
クロエが部屋を出た後、枕元に椅子を置いて座った。アイリーンは白くなって、息もせず目も開かない。
不思議、というより何が何だか分からない女性だった。“奇跡の聖女”などと呼ばれていたが会ってみると、ゆるくて軽くて、そして底抜けに明るい人だった。
そんな人が俺と共に迷宮へ行くと言ってくれた。驚きと共に嬉しさもあったけど、彼女の言っていたことは何だったのか。
――帝都でウィルに会え。そういう“お告げ”だったと本人は言った。
手を伸ばしかけた。アイリーンに触れれば彼女の記憶に触れられるかもしれない。遅きに失したが謎だけは解けるのでは。……でもそれは恥ずべき行為だ。俺のせいで死なせた人の内面を覗こうなんて、許されることじゃない。
「アンタはいったい何者で……」
俺自身も何者なんだ。アイリーンは何のため俺に会いに来たんだ。それは迷宮と関係があることなのか。俺が持っていたアーティファクトの意味とは。分からないことが増えていくばかりだ。
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その日、帝都オルガは普段と変わらない穏やかな朝を迎えた。眩しい朝日が街を照らすと人々が仕事に家事に動き出す。
「アイリーン、ちょっと市場に行ってくれる?」
娘は用事を頼まれ家を出る。そこまではいたって平凡な日常の光景だった。
何か不穏な気配がした。うろたえ走る人々の姿があった。それは徐々に数を増し、さざ波のように街へ波及していった。
「魔物が出た!」
そんな叫びが聞こえた。娘は恐ろしくなって家に走る。だが混乱はすでに帝都の各地を侵していた。
街路に逃げ惑う人々が溢れる。そしてその後ろには恐ろしい魔物の姿。人の波に押されて逃げた。人混みに紛れて逃げた。
気付けば娘は聖堂に逃げ込んでいた。同様に助けを求めた人々が息を切らし、うずくまっている。怪我を負っている人もいたが何もできない。扉は固く閉じられているが外の狂騒は勢いを増していく。
家族は無事だろうか。分かるはずもない。自分の身すらどうなるか危ういのだ。
煙の臭いが聖堂内でも感じられた。町が燃えている。逃げる術は、助かる道はないのか。
扉を強く叩く音が聖堂に響いた。弱った人々は身を縮ませるが隠れられる場所などない。
神々よ……。祈り縋る言葉があちこちで漏れた。それをあざ笑うように扉が悲鳴を上げ、やがて打ち砕かれる。
見たこともないような醜悪な魔物たちが侵入してくる。人々は恐れて逃げることもできず、悲鳴と鳴き声だけが響いた。
魔物が腕を振るうと最初の一人が転がった。神聖なはずの聖堂に赤い血が流れる。
一方的な殺戮だった。魔物が次々となだれ込み、人々を殺し、嬲り、踏みにじる。
やがて悲鳴は聞こえなくなった。もう動ける人間はそこになく、魔物は次の獲物を求めて立ち去るか、死体を弄ぶかしている。
娘はまだ息があった。魔物に慈悲があったわけでなく神々の救いがあったわけでもない。ただの偶然だ。その命も流れ出る血と共に消えていく。
(神様……)
娘は念じた。言葉はもうひねり出せないが心の中で神々に祈った。
(どうか神様、家族を救ってください。私はどうなっても構いませんから、父と母を……)
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「……」
夢を見た。アイリーンの側で寝落ちてしまっていた。ドワーフの迷路からずっと休んでいなかったせいか。図らずも他人の記憶に触れてしまった、馬鹿野郎が。
あれはアイリーンの過去、帝都が侵食された事件の記憶だ。彼女はあの混乱を奇跡的に生き延びて“奇跡の聖女”と呼ばれるようになった。でもそれは生易しい過去ではない、分かり切っていたことだ。
「え……」
目を疑った。腰を浮かしかけた。アイリーンの体がぼんやりと光に包まれている。優しい光だ。
きれいだ。出会って以来聖女の呼び名を裏切ってきたアイリーンだけど、初めて神々しいと思った。やがて光は弱まっていったが、収まると同時にアイリーンの目が開いた。
「あ……」
「……」
「……」
「おはよウィル。怪我しなかった?」
生きている。息を吹き返した。
「ビックリしたでしょ。あたしってこういう体質なの、七年前からずっとそう」
「……それは死んでも生き返るってこと? これも神様のおかげ?」
「うーん、そうなんじゃない、多分?」
適当だな、それがアイリーンらしいけど。
「でも良かった……本当に」
「あれーウィル、泣いてくれてるの?」
「心配したんだよ!」
俺のせいだと思っていたから。大事な仲間が死んでしまったと思っていたから。
「……ごめん、俺を庇ったせいで」
「いいよ気にしないで。あたしってしぶといから、ウィルのこと守ってあげるよ」
「そんなこと……」
ケロっとして言うけど痛いはずだ、苦しいはずだ。さっき見た夢のことが脳裏をよぎる。
「俺、強くなるよ」
「……ウィル?」
「これからはアイリーンに無理させないように強くなる。皆にも迷惑かけないように」
体も心も。まだ少年だからと言っていられない。仲間がいる。強くて頼れる仲間が。俺一人弱いままでいられない。
「アイリーンも皆も守れるようになってみせる」
「……」
ちょっと格好つけすぎたかな、沈黙が痛い。
「このぉ、うれしーこと言ってくれて!」
「わわっ!」
急にアイリーンが両腕でぎゅっと抱きしめてくるから頭が真っ白になってしまった。
……良かった。無事でいてくれて本当に良かったと思う。
「ウィルさん、今後のことですけど……」
「あ」
ドアを開けたマリアンが部屋の様子を見て固まる。
「ヒャアァァァァァ!?」
「どうした、何があった!?」
その後、屋敷に色々な意味で驚愕の叫びが響き渡ることになった。