第17話 サンブリッジ
「ウィル君、見えてきたよ」
俺はセレナと一緒に六時間ほど馬車に揺られた。サンブリッジの町は帝都からほど近く玄関口の一つである。元々宿場としてそれなりに栄えていた町だが、今は臨時政府が置かれた特需で急成長し新たな都になりつつある。
門をくぐると真新しい商家が軒を連ね、各地から流通した豊富な商品が色を添える。移住してきた人々はいずれも素性の明るい者ばかりで健全な活気があった。帝都で一発当てようという連中とは真逆だな。
俺は昔から養父に連れられ各地を旅して来た。それでもこの町を通ったのは何年も前のこと、その変わりぶりには驚かされた。
やがて馬車は町の中心地に進み趣が変わる。
「この辺りは貴族の仮邸宅が多いの」
セレナが言う仮とは帝都が解放されるまでの仮住まいという意味か。帰還が叶わぬままはや七年。本当にかつての帝都を取り戻す日が来ると良いけど。
仮というにはいささか豪勢な屋敷群を通り過ぎ、いよいよオーウェン侯爵の邸宅に到着。マリアンは元気か、彼女の父はどうなったか、ベッシの怪我は。頭の中がグルグル回るけどセレナの後に続いて歩く。
「ウィルさん!」
いきなりマリアンに出迎えられた。周りには執事っぽい人やメイドというのか、侍女従者などが揃って待ち構えていた。
「あ、あの、お招きに預かりまして」
「よく来てくれました、また会いたいと思ってたんです」
「ああ、はい、どうも」
「マリアン様、ウィル君驚いちゃってますよ」
セレナに笑われてしまった。マリアンの方は軽く咳払いして居住まいを正す。
「帝都ではジョン兄様を連れ帰ってくださり、本当にありがとうございました。それに貴方が見つけてくれた兄の形見」
俺が無理を言って回収させてもらった物だ。
「あの中に手記がありました。兄の冒険者として過ごす日々が綴られていて、最後のページには……亡くなる直前に書いたと思われる言葉が」
それはジョンが家族や家人たちに当てた言葉である。
「あの言葉を父に伝えてあげることができました。おかげで父は……幾ばくか安らかに旅立つことができたと思います」
そこでマリアンが涙をにじませた。そうか、オーウェン侯爵は亡くなったか。だけど息子の言葉は確かに届いた……それだけでも良かったよ。
マリアンが涙をこらえきれなくなったので一旦引き取り、執事さんが俺を案内してくれることになった。
「ウィル様にお会いしたいという方がおります」
誰だろと考えつつ奥に通されると、そこで俺の心臓が止まりそうになる。
「来てくれたか」
老騎士のベッシ、杖を突いている……。
「この脚はあれだ、傷が治りきらず動きにくくなってしまった」
俺を守って受けた傷だ、そこまで重かったのか。
「何だその顔は。お主が気にするな、元々この老体だから無理もない」
「だけど……」
「それにな、実のところワシは死ぬ覚悟だった。若様をお止めできず、侯爵閣下への罪滅ぼしとして迷宮を墓場にするぐらいのつもりだった。それが生き永らえて若様のお言葉を伝えることができた。お主や共に戦ってくれた者たちのおかげよ、感謝しておる」
「ベッシさん……」
そう言ってもらえて胸のつかえが取れた気がした。
そこらでマリアンが落ち着き戻って来る。今度は俺が涙ぐみそうで恥ずかしいが、ここに来て良かったと思っている。
「さてウィルさん。明日は大事な日になりますけど、その恰好では少々良くありませんね」
「明日? 大事な日?」
「ええ。皇太子殿下に会うんですから我が家で準備しましょう」
「こうたいし?」
何言ってるのこの子。
「セレナさん話してないんですか?」
「うん。聞いたら逃げるかもと思って」
「ちょっと待って、二人とも何言ってるの?」
待ってくれ、皇太子って帝国の?
「今回のこと、皇太子殿下にお話ししましたの。そうしたら殿下がウィルさんに興味を持たれたようですから、お引き合わせしようと思い招待したのですよ」
マズイことになった。皇太子といえば皇帝が行方不明な今は帝国の実質的トップだ。そんな人とどんな顔して会えばいい、どんな場所に連れて行かれる?
だいたいいつも泥や煤を被って服はヨレヨレ穴も開いている。こんな様で会えるわけないでしょ。
「まずお風呂に入って徹底的にきれいにしましょうか」
「しまった用事があるんだった、帰るね」
踵を返して戦略的撤退。しようとしたが目の前に壁があった。否、それは壁でなく巨大な人間だった。
「メイド長、お願いしますね」
「承りました、お嬢様」
メイド長と呼ばれた大きなお婆ちゃん。北方ハイランダー系の人種だろうか、遥か上から俺を見下ろしている。一緒に地下へ潜ったライドも同じ人種らしかったけどさらに大きいぞ。
「汚れた子犬だねえ、まともに風呂に入ったのはいつだい?」
「水浴びぐらいなら……」
「こりゃ手間がかかるよ。ホレ皆来なさい」
犬でも運ぶように連行された俺、メイドたちによって身ぐるみはがされると大浴場に放り込まれる。この時点で死にたいぐらい恥ずかしかったが抵抗の余地なく上から下まで洗われてしまった。何なのさその手慣れた感じは。
「おやおや、この歳であちこち傷跡残して。見かけ以上にベテランかね?」
「ま、まあそこそこ」
恥ずかしいからあんまり見ないで。
洗った後はボサボサにしていた黒髪をきれいに切りそろえ、香油なんかでテカテカにのし付けられる。
「あれ?」
「んん?」
さっぱりした俺の顔を見てマリアンとセレナが顔を見合わせる。笑うなよ。俺自身も鏡を見て別人かと思ったぐらいだ。今までよく泥だらけでいたものだな。
次は服選び。肌ざわりの良いピシッとした服がいくつも運ばれてきた。
「兄様たちのお下がりがあって良かったわ」
ああ、そういう大事な衣服たちなんだね。それを俺のために貸してくれるとは、ありがとう帰りたい。
「これが可愛くて良いと思います」
「ウィル君ならもっと活発な感じも合うんじゃない?」
楽しんでるな?
「でもこの顔を見てると……」
まじまじと見ないで。
「ここはエレガントなもので行きましょう」
マジかよ。侯爵令嬢とんでもないな。
「ささ、夕食も用意させています。今は楽な服でいいですから」
「おお、ごちそうになります」
その日の夕食は質、量どちらも人生最良のものだった。豆と鶏肉をじっくり煮込んだスープ、ふっくら焼いた甘いパン、鹿肉のローストやミートパイなど。ワインなどは善し悪しが分からなかったけれど出されたものは全て胃に収めた。
……側で目を光らせるメイド長がいなければ、もうちょっと楽しい晩餐になったかもしれないけど。
「ウィル様、ナイフの持ち方はこうです。敵を刺し殺すのとは違います」
「ひぃ、すいません」
「皇太子殿下との面会は公式の場ではないとはいえ、最低限のマナーは身に着けられませ」
「メイド長、あまり厳しくしすぎないでね」
一夜漬けで何とかなるもんでもないでしょ。これで皇太子が怖い人だったらどうしよう。