最終話 明日へ続く物語
潮風が香る。波の音が耳をくすぐる。水平線の先は暗く沈んで肌寒い。けど直に太陽が昇るだろう。
「気分はどうだワル坊?」
「……ウィルだよ。まだ頭がフワフワした感じだけど問題はない」
気が付くとここにいた。無人の海岸線、側にいるのはクリフ爺さん――混沌の神アル・グリフのみ。また夢を見てるか頭が変になったかと思ったよ。
「消えて終わると思ってたからカッコつけたのに……」
「フハハ、今になって恥ずかしいか」
「またあんたが何かしたのか?」
「いんや、今回ばかりはワシにもさっぱり分からんのだ」
クリフが言うには、ナイメリアの顕現が失敗に終わった後、次元の狭間とやらで俺を拾ってきたらしい。
「最初はビビったぞ、ワシもお前さんは消滅すると思っていたからな」
「ところでここはどこ?」
「さあてな。どこに出るか確かめる暇もなかったわ」
現在地も不明か。まあ生きているだけ僥倖ではある。
「……ナイメリアは確かに撃退できたのかな?」
「おうとも、そこは保証するぞ。お前さんの仲間たちも多分無事だろう」
「そうか……そうだと良いな」
セレナさん、エドウィン。ガロにアイリーン。マリアンやクロエ、ベッシ、屋敷の皆。ファリエド、ゴッツ、帝都の人々、冒険者、そして各国の代表たち。
多くの人々に背中を押され手を引かれ、切り開いた道を駆け抜けてきた。ウィルとしてオズワルドとして歩んだ人生は、結末だけ見れば幸せだったろうと思う。
「ナイメリアで思いついたんだがな、ワル坊」
「何だい?」
「お前さんの今の状態について一つ仮説がある。奴の顕現は阻止されたがギリギリもいいところだった。その力が地上の理を歪め、夢と現実がごっちゃになっているのかもしれん」
「異形の神でもハッキリしたことは分からないか」
「なにしろ前例がない。いやほぼない。少なくとも一万年以内では記憶にない」
さすが神様、時間のスケールが長命種以上に狂ってる。
「どこまで話したっけか、そうだお前のことだ。つまりこの地上ではまだナイメリアの力が働いている。そしてお前さんのことを覚えている連中が夢に描いたとしたら」
「じゃあこの俺もまた夢が形作った存在ってことか」
「あくまで仮説だがのう」
推論に推論を重ねた仮説だけどまあ良い。結局のところ確かめようがないのだから。
「そうなると謎なのは、お前さんウィルなのかオズワルドなのか。またややこしくなるな」
「そんなに難しくないよ」
俺の中ではハッキリした答えがあった。記憶が戻ってからはウィルとオズワルド、二つの記憶と人格が混ざっていたのは事実だ。でも今は違う。オズワルドのそれは遠い過去の出来事のように整理されたと感じている。
「オズワルドは天命を全うした。ここにいるのは夢から生まれたウィルという一人の小僧さ」
俺にはそれで良い。爺さんも納得したようで小さく笑った。
「ならばここでお別れだなワル坊」
波の音が静かに漂う。
「意味は分かるな?」
「うん。あんたが契約したのはオズワルドであって俺じゃない」
友人になる、その相手はオズワルドであり俺は別、追加のサービスみたいなものだ。
「何十年と付き合わせて悪かったね」
「なあに、これで結構楽しんでたんだぞ」
「ナイメリアや他の連中もそうだったけど、異形の神って奴は物好きだ」
「フハハ、どいつもこいつも暇人なんだよ」
「これからどうするんだい?」
「新しい楽しみを探すわ、人生は壮大な暇つぶしだぞ」
何てことを言いやがると苦笑してしまう、こんな調子で同じ異形神と戦うのに協力してくれたのだから。今頃ナイメリアはかなり不貞腐れているだろうな。
「さて、あまり話すとキリがなくなる。ここらで行くわ」
「そうだ、こいつだけど」
ドリームズ・エンドがまだ俺の腰に差してあった。
「あんたがくれた物だろう、返すよ」
「いいさ持ってけ、餞別だ」
「……何から何まで世話になったな、ありがとう」
「ヒヒッ、じゃあの」
小さく手を振り、瞬きする間にクリフは消えていた。
イタズラ好きで酒のみで、どうしようもない奴だった。それでも寂しい時はしょうもない冗談で笑わせてくれた。悩める時は茶化しながら話を聞いてくれた。危険な時は共にいてくれた。そしてウィルという少年を見守り続けてくれた。
さようなら、オズワルドの最初で最後の友人。
「……さてと」
立ち上がって周囲を見回す。海の向こうでは太陽が顔を出し、辺り一帯を照らし始めた。
海岸と原野があるのみ、ここはどこやら見当もつかない。道はどちらか、そもそも同じ大陸なのかも分からないが、とにかく一歩踏み出すことだ。
かくして、冒険者ウィルの旅はここから始まる。
「エドウィンお金貸して!」
「急に何なのだ?」
「馬車か船か、日数は……ああもう金がかかる!」
「侯爵家もできる限りのことをいたしますわ」
「父さん母さん、あたしちょっと出かけるから!」
「出かけるってどこに?」
冒険に行こう。昨日とは違う明日へ。ありふれてるけど俺たちだけの冒険に。
― 完 ―