第155話 セレナ
毛布を整え普段着になるとテントの外へ。朝日の眩しさに目を細めつつ、私は一つ体を伸ばす。
「セレナ様、もうよろしいのですか?」
「うん、もう大丈夫。ありがとうクロエ」
ここは帝都城外に並ぶテントの群れ、その一つオーウェン侯爵家の野営地。
あれから数日経った。異形の神ナイメリアの顕現は阻止され、私たち人類はひとまずの勝利を収めた。でも帝都オルガは今ちょっと混乱してて、こうしてテント暮らしをしているわけ。
「クロエさん、マリアンは屋敷の方に?」
「ええ。建物は無事ですが色々整理しないといけませんので」
「じゃあ私ちょっと用事ができたから。出かけてくるね」
「あの、セレナ様。ご無理はなさらないでくださいね」
気をつかってくれるクロエ、その意味するところは分かっている。
キャンプ地を出るところでガロとすれ違った。こっちも私を見て驚いたような顔をする。
「何だセレナ、もう良いのかよ?」
「御覧の通りよ」
背筋を伸ばしてビシッと決めるけどガロは怪訝な目で見てくる。
「……なんつうか、思ったより早く立ち直ったな」
「まあね。私はエドウィン皇太子を訪ねてくるけど、ガロは?」
「オレも色々用事がある」
「じゃあまたね」
野営地を出るとその足で帝国の本営に向かう。その間に見える景色はどこも慌ただしかった。
報告に走る兵士。怪我人の治療を続ける治癒師。炊き出しに並ぶ避難民。勝利と生還を喜んでる暇なんてないみたい。
……あれからウィル君と父さん、オズワルドの情報はなかった。ホセとアイリーンも。事情は分かってるつもりでも心に空いた穴は大きくて、そりゃあ二、三日はへこんだけども。
おぼろげに考えながら歩くと本営の前。何日か前に呼び出しを受けたのに寝込んでいた私。待ちかねたと言わんばかりに現れたのは宰相の息子ベオルンだった。
「セレナ様、よくお越しくださいました。こちらへどうぞ」
彼の恭しい態度には言いたいこともあるけど、ここは素直に歓迎されておこう。
エドウィンはすでに執務を再開していた。仮の執務室は書類の山でいっぱい。大探索、帝都での戦い、その後の変化について報告がひっきりなしみたい。
それでも彼は仕事を切り上げると、お茶を運ばせ私に応対してくれた。
「セレナ、いやもう姉上とお呼びするべきか」
「今まで通りで構いませんわ。殿下こそ陛下とお呼びすべきでしょうか」
「それはよしてくれ、私は帝位に就くつもりはない」
聞けばエドウィンはエレア王子に戴冠させ、自身は摂政として補佐するつもりみたい。
「父上は後を託すと言ってくれたが、私にその資格はない。つくづくそう思ったよ」
「そう……」
皆がどう思うか分からないけど、彼が自分自身を許せないなら仕方がない。エレア五世か……先のことは分からない、でも彼ならきっと良い皇帝になる。
「セレナは今後どうするつもりだ。私はそなたを家族として皇室に迎えたい」
「私には無理ですね、そういう世界は肌に合いません」
「そうか……そなたは狭い宮廷に収まる女でもないしな」
「でもしばらくは帝都に留まるつもりです」
まだマリアンたちと話すこともあるし、一連の事件の顛末も見届けておきたいから。
ほどなくエドウィンは各国代表たちとの協議に出向いていった。帰ろうとする私、それをベオルンが呼び止める。
「もう一人会っていただきたい御方がおります」
何事だ、と連れられた先はエドウィンのそれに劣らない大型のテント。中で待っていたのはマティルダ皇后だった。
「直接お話しするのは初めてですね」
「は、はい、皇后陛下」
「固くならないで、貴女もあの人のお子なのですから。お会いしたいと思っていましたの」
マティルダ皇后……この人も父を、そしてウィル君のことも見守ってきた人。
この老婦人と様々な会話をする。自分のこと、母のこと。生い立ちと冒険、ウィル君と過ごした日々。
「エドウィンから聞いたと思いますけれど、私も貴女を家族同然と思っています」
「ありがたいお言葉です。いずれは故郷へ帰るつもりですけど、母を一度は帝都に招きたいものです」
「その時は歓迎いたします。お互いあの人について知ることを語り合えますわ」
本当に穏やかで優しい人。ここにも父を知る人がいる、そのことが嬉しく思えた。
本営を退出し用事もない私は近場を散策する。
……エドウィンや皇后の申し出は嬉しかった。でもやっぱりここは私の居場所じゃないと思う。ずっと異端児扱いされてきた私が、いきなり宮殿で皇族なんて堅苦しすぎるもの。
遠く帝都の城壁を眺める。ウィル君が、父さんが守った帝都。今あそこではちょっとした噂が流れていた。
曰く、「皇帝オズワルドの御霊が魔物を打ち払い、帝都を解放した」とか。
それは話に聞く先帝マクベタスの幻が伝わるうちに変化したんだろう。でも噂の虚実はどうでも良かった。私にとって確かな真実は一つだけ。
それは父の愛。彼はずっと前から私の側にいた。ウィルという少年の姿で私を守ってくれていたんだ。
その二人はもういない。でも十分だった。だって二人からは一生分の愛情を受け取ったから。
今はそのことを母に話してあげたい。それで私の旅は終わりを迎えるだろう。