第153話 抱擁
目的
◆異形の神ナイメリアの顕現を阻止する。
◆ナイメリアに囚われた人々を解放する。
足が重い。体中が痛む。俺たちは牛の歩みで頂上を目指していた。
「セレナとエドウィン皇太子まで敵に回ってたら終わりかもな」
ガロがこぼすのを否定できない。俺とゴッツの傷は深く、一方ファリエドは魔力が残りわずか。治療も惜しんでただ階段を上がる。
幸い追撃は止んでいる、今のうちに頂上へ。
「うっ――」
意識が飛びそうになる。足を踏み外した。
「大丈夫かよ、少し休んだ方が……」
ガロの言葉が途切れる。俺の顔を見て絶句しているのが分かった。
「ウィルお前……老けてんのか?」
自分では分からないがそう見えるのだろう。
「ガロ、彼には時間が残されていない」
そう、ナイメリアの魔力で生かされていた俺は、残された力を食いつぶしながら生きている。ウィルからオズワルドへ、夢から現実へ、その表れだろう体が根本的に衰えていく。節々の痛みなど懐かしさすら感じた。
「その前に上に……あの二人のところへ……」
これまでの階層にセレナとエドウィンはいなかった、もうこの上しかない。
「……オレに掴まれよ」
「ガロ……」
「さっさと済ませちまおうぜ」
少し雑だが腕を引かれて一歩、また一歩と階段を上がる。
「おう、やっと見えてきたかの」
階段が終わり上層へ。乾いた風が吹いている。
「あ――」
外に出た。間違いなく塔の頂上。そのフロアに人が倒れている。
「エドウィン、セレナ!」
思わず駆け寄る。転びそうになりながら二人に触れた。
「……眠ってる」
「ナイメリアに夢を見せられているのだろう」
「オレたちと同じだが……」
冒険者たちはナイメリアに取りこまれ、夢を見せられながら自分の欲望を願うようだ。けどこの二人はまだ変化がない。
「うなされておる、今までずっと抗い続けてきたのか」
「夢に呑まれないようずっと、懸命に……」
間に合った。だがどうすれば二人は目を覚ますのか。
「そのドリームズ・エンドで断ち切ることはできないのか?」
「……他の皆とは違うと思う」
「まだ夢に塗りつぶされていない、睡眠魔法と同じだろう」
八層と同じなら容易に目覚めることはないだろう。二人を連れ出すこともできるが、目が覚めた頃にはもう……。
「俺が夢に潜る」
「できるのか?」
かなり微妙だ。ホセにも言われたが俺の“潜行”は力を失っている。
……それでも試したい。伝えなければならないことがある。ここまで何度も死にかけたが潜り抜けてこれた、もう一度ぐらい奇跡よ起きてくれ。
「やってみる」
「おう、やってやれ」
「任せる」
「しっかり話してこいや」
ドリームズ・エンドを懐に、二人の手を握って心を落ち着ける。潜れ心の奥底へ。
深く……。
もっと深く……。
頼む、届いてくれ……。
***
暗い迷宮の中、必死に走る二人の子供がいた。金髪の女の子が先を行き、黒髪の男の子が涙をこらえながら後を追う。
「あっ――」
男の子の足がもつれた。膝から転び呻きが漏れる。
「エドウィン急いで!」
「待ってよセレナ……」
女の子が男の子を立たせると、今度は手を引いてゆっくり走る。
「父上……」
「願ってはダメ、誰も助けてはくれないの、私たちだけで逃げなきゃいけないの!」
ここはそういう迷宮だと二人は直感していた。願えば夢は叶う、だがそれではいけないとも。
「取りこまれたらお終いよ、あの人はそんなこと望んでいないんだから」
「分かってる、分かってるけど……」
本音を言えば助けてほしい。ずっと、ずっと前からそう思っていた。だがそれでは歪んだ願いが叶ってしまう。あの人はそれを拒絶して戦おうとした、だから受け入れてはならないのだった。
「あっ!?」
背後から迫るものがあった。迷宮の闇に光る眼。追ってきた。正体は分からない。だがアレに呑まれれば終わってしまうと本能が告げている。
「走って!」
「ハァ……ハァ……!」
捕まってしまう。このままでは二人とも。
「セレナ一人で逃げて!」
「何言ってるの、置いてけないでしょ!」
「僕が悪いんだ、あんなことをしなければ……」
そう言う間にも闇が迫る。助けて――その言葉を飲み込みながら走った。
「願っちゃダメ、抗うの、最後まで――」
「ああ……ああっ!」
闇が覆いかぶさる、逃げられない。
「エドウィン!」
「セレナ!」
二人どちらが先ともなく庇い合う、その瞬間であった。
――キンッ。
闇に光が差す。迷宮に裂け目ができて、そこに初老の男が立っていた。
「無事だったか!」
どこから来たのか分からない、だが二人には闇を晴らしたのが彼だとすぐ分かった。
「……父上!?」
男の子が叫ぶ。男は皇帝オズワルド、二人の父。一方女の子は当惑したまま動けなかった。
「ダメ、そんな、願っちゃいけないのに……」
これが夢だと分かっているから。自分にとって都合の良い願いを叶えてしまったと、そう恐れていた。
「違うよセレナ、私は夢じゃない。待たせてすまなかった」
「え……」
男は子供たちを助け起こすと肩に優しく手を置いた。
「……本当に、本物の父上なのですか?」
「そうだともエドウィン。セレナには初めてだったろうか」
「う、うん……」
話したいことは山ほどある。だが男はまず伝えるべきことを決めていた。
「エドウィン、良くぞ帝国を守ってくれた。お前になら後を託せる」
「父上……」
「本当はもっと多くを語るべきだったのに、私にはそれができなかった。許してほしい」
男の子の目から涙が零れた。彼が父の前で涙するのはいつ以来だったか。
親子であるのにお互い弱みを見せようとしなかった。見せられなかった、感情を殺し己を守ることに必死だった。
「……私は、ずっと父上が恐ろしかった……心の内を理解できないと思って……」
「そうさせたのは私だ。誰にも理解されないと思い、語り合うことを恐れていた」
男は女の子にも優しい目を向ける。
「セレナ、私を探しに来てくれてありがとう。そなたには父親らしいことを何もできなくてすまない」
「……お、おと……」
それは初めて呼ぶ言葉で口から上手く出せなかった。ずっと会いたくて、助けに来てほしいと願った父親。その父が危機に陥ったと知った時、いてもたってもいられなくて旅に出た。
「お父さん……」
「そなたたちが生きていてくれた、それだけで私には望外の喜びだった。もう望むことはない、母上によろしく伝えてくれ」
悔いがないとは言えない。セレナの母ルカルカ、エドウィンの母マティルダ、もう会えない人たち。だが男は十分に満たされていた。
「皆に巡り会えて私は幸せだったよ」
両手で抱きしめると子供たちも男に縋った。空白の時間を埋めるよう力いっぱいに。
それが切っ掛けだったのか、彼らを取り巻く迷宮が消えていく。
「セレナ!?」
「エドウィン殿下!」
全てが元に戻っていた。エドウィンは皇太子でセレナは冒険者。駆けつけたガロ、ファリエド、ゴッツたち。
そしてオズワルドがいる。夢でなく確かに彼は存在していた。
「ガロ、皆……」
「やっと目を覚ましやがったか」
「殿下、体に問題はないかね?」
「ああ、心配をかけたようだ」
ゴッツはオズワルドの隣に立つ。
「仲直りできたようだな」
「ああ……」
その時だった、“夢幻の塔”が今までにない鳴動を始めた。
「何だ!?」
見回すと塔が崩れ始めていた。夢を積み上げた塔が瓦礫の山に戻っていく。
その様を見てファリエドが口を開いた。
「恐らくエドウィンとセレナが塔の礎石となっていたのだ」
「迷宮がオズワルドを基にしていたようにか」
「それを失って塔が不安定になっている」
オズワルドにはやるべきことが見えていた。
「ファリエド、転移するだけの魔力は残っているか?」
「うむ、何とかな」
「では皆を頼む」
「オズワルド……」
その皆に含まれない人物を知っていた。ファリエドは敢えて問わず他の者を集める。
「待ってお父さんは!?」
「……セレナ、父上は天命を全うされたのだ」
「エドウィン、でも……!」
エドウィンがセレナの手を引く。そしてオズワルドはガロに声をかけると何か耳打ちした。
「……分かった、任せとけ」
「これでお別れだな」
「ああ……達者でな、変な言い方だけどよ」
転移魔法の構築が済み今にも発動しようとする。オズワルドが一人残る中、振り返ったエドウィンは。
「父上、ありがとうございました……」
「姉弟仲良くな」
「待って!」
セレナが最後までもがく。だが彼らを光が包み込んだ。
「お父さん……!」
「セレナ、もうここは危険なのだ」
「いや、こんな、やっと会えたのに……」
時は止められない。別れが訪れる。
「さらばだ陛下」
「すぐに後を追ってやるわい」
ファリエドとゴッツも手を振る。転移、一際強い光が彼らを連れて行った。
「ウィル――!」