第150話 笑顔の意味
目的
◆異形の神ナイメリアの顕現を阻止する。
◆ナイメリアに囚われた人々を解放する。
◆アイリーンを倒す。
「ハァ……ハァ……」
息が上がる、階段が辛い。
「大丈夫かウィル?」
「あまり良くはない……」
誰かにやられたおかげで、とは言わない。
「アイリーンと合流できれば怪我なんて」
「そこが難しいところだけど」
上から響く音が徐々に大きくなる。階段を抜けた先で待っていたのはある種の幻想的な光景だった。
「ファリエド……!」
強風が顔を打つ。ファリエドとアイリーン、二人の魔力が景色を彩りながら鍔迫り合いをする。その余波でこの階層は壁も柱もズタボロになっていた。
ホセと戦っていた時を彷彿とさせるが様相は異なる。アイリーンに攻撃魔法の心得は少ないが、神々より与えられた膨大な魔力を放射して攻撃を展開している。
対するファリエドは障壁や高速移動の魔法で凌ぐ形だ。パワーと技の激突が塔を激しく揺らしている。
その攻防がピタリと止んだ。アイリーンが攻撃を止めこちらを見る。
「ガロ……やめちゃったんだ」
「……ああ。お前もここらで諦めろ」
静かだが緊迫した空気。そこでファリエドも中断して側に降り立つ。
「上手くやったようだなオズワルド」
「ああ」
「ゴッツは……」
「下で休んでる」
ファリエドの顔に安堵の色が浮かぶ。そして疲労の色も。あのホセと戦いアイリーンの足止めまでやったのだから。
「裏切った」
「アイリーン……?」
天使のように浮かぶ彼女を見上げた。そこには初めて見る顔があった。怒りと悲しみがない交ぜになって苦しむアイリーンの顔が。
「仲間だって言ったのに……」
「オレは今だって仲間のつもりだぜ」
「でも皆いなくなるでしょ。ウィルはもうすぐ消えちゃうし、迷宮がなくなればギルドも意味がなくなる。マリアンは侯爵に収まって、ガロは商売を始めて、セレナは故郷に帰るんでしょ」
「それは……」
「あたしは帰る場所がないよ、ずっと前になくなった。大聖堂なんてもう戻りたくない。皆のいるところが居場所だったのに……」
泣いている。いつも太陽のようだったアイリーンが。……本当にそうか? もう何度も彼女の心の傷に触れただろう、何を見てきたんだ。
「前はね、一人でも平気だった。何も考えないでいれば傷つくことなんてないもの。でも皆といると楽しかった、誰かといると安心できることを思い出したら、もう我慢できないよ。ホセが言ったとおり、あたしって心が欠けてるんだ」
それがアイリーンという女の子か。ある日突然に平穏を奪われ、大聖堂では異端を疑われ、そして聖女として祭り上げられる。望んでもいないのに大きな名を背負わされ、徐々に心を閉ざしていったんだろう。
「……俺、なんだか分かった気がする。アイリーンは優しすぎるから、誰を恨むことも憎むこともできなくて、それで仕方ないって笑うんだな」
「……」
「でも俺はアイリーンが本当に笑う顔が見たい」
「……無理だよ。もう笑い方なんて忘れちゃったよ……」
本当に、本当に悲しそうな表情を浮かべるアイリーン。そんな顔をさせたくないのに、それにはもう時間が……。
「オレだって帰る場所なんかねえさ」
ガロが言った。
「元からの根無し草だ。今は仮宿があるけどまた旅に出る。だけどもう一人じゃない、心で繋がる仲間がいればどこにいても孤独じゃねえ」
「ガロ……」
「アイリーン、一緒に来いよ。オレと商売しながら旅しようぜ」
「そんな、良いの?」
「構わねえさ。なんだったらセレナも道連れにしてよ、世界を旅して土産話作って、マリアンたちの所に戻って来ようぜ」
アイリーンが動揺している。ガロの言葉が届いている。旅か、それは良いな、俺だって行きたいさ。
皆には未来がある。俺には過去しかない……。
――それに未来がどうなるかは誰にも分からないでしょう。
……いやマリアンの言うとおりだ。いつだって可能性はある。
「アイリーン、これはまだ確かな話じゃないんだけど、取り戻せるものがあるかもしれないんだ」
「え?」
「何から話したらいいんだ、俺は帝都に行った。ここじゃなくて本来の帝都だ」
クリフたちと行った異次元空間、ナイメリアの支配下に落ちた街。俺が犠牲にしてしまった帝都の人々……。
「俺さ、そこで会ったんだよ」
苦難に耐える人々から希望を託された。そして眠り続けるもう一人のアイリーン……。
「アイリーンと、君の両親と」
――ズズン。
大きな震動が言葉を遮る。
「……何だ?」
――ズズン。
また震動、より大きい、そして近い。
「おいアレ!」
ガロが指さす。下層から奇怪な怪物が首をもたげ……いや、それは勘違いだった。
あれは手だ。人のような手、だが大きすぎる。そんなものが下からフロアに手をかけ、徐々に上ってくる。
「何が……」
足が動かない。魅入られるようにそれを見ていた。右手をかけ、左手で取り、もう一本手が伸びると体を持ち上げた。
姿を見せた怪物。異形異質、蜘蛛のように多すぎる手足を備えた人モドキ。
「……皆逃げて!」
アイリーンの叫び、体が動く。すでに異形の手がこちらへ伸びていた。
「うおおっ!?」
体を投げうって避ける。あんなのに捕まったら握りつぶされちまう。
「ガロ、ファリエド、大丈夫か!?」
「何とかな!」
「いったい何者だ?」
異形の顔、苦悶に歪んだままこちらを見つめてくる。よく見ると顔には傷跡があって、俺の頭に閃くものがあった。
「ああ……主よ……御許しください」
「な、何だよありゃあ?」
「ナイメリア様、貴女の敵を滅ぼします、どうかお救いください」
……知っている、俺はこいつと会っている。
「まさかジェイコブなのか?」
大聖堂から来た<白の部隊>のリーダー。だがその裏の顔はナイメリアの信奉者だった。地下でどうなったかと思っていたらここに来て……。
「あの聖堂騎士かよ、どんな夢を叶えてやがるんだ!?」
「恐らく悪夢を見せられているのではないか。それだけに厄介だぞ」
あと少しなのに、アイリーンに伝えたいことがあったのに……。
「もう一山越えろってことか……」