第147話 越えるべき壁
目的
◆異形の神ナイメリアの顕現を阻止する。
◆ナイメリアに囚われた人々を解放する。
「ウィル、やっぱり来たんだ」
アイリーンが微笑む。何でもないようにそこに佇んでいる。それが俺たちには不安だった。
「雰囲気変わったねー」
「……アイリーンは無事みたいで良かった」
「まあねー」
普段通り。それはこの空間にあって異質でしかない。
「ねえウィル、お願いがあるの。一緒にナイメリアの力で夢を叶えようよ」
「それはできない。俺たちは奴の野望を阻止するために戦ってきたはずだろう」
ウィルとして、オズワルドとして受けることはできない。分かってるはずだ。
「そっかー、ダメかー」
「オズワルド、そやつと話しても無駄だ」
「オジサン引っ込んでて」
笑顔のままのアイリーン、片手をひょいと動かすと魔力の塊が放射された。
「ぐっ!?」
「ファリエド!?」
弾き飛ばされたファリエドが落下する、止めることすらできなかった。
「あ、そっか。見た目よりお爺ちゃんだったね、加減したら良かった」
「そういう問題じゃ……」
「それでね、話の続きだけど。全部やり直さない?」
やり直す。何度も聞いた言葉だ。
「帝都侵食なんて無かった平和な世界でやり直すの。あたしはただの町娘、ウィルは皇帝でも冒険者でも好きな方にしたらいいわ」
「……それがアイリーンの望みなんだね」
「間違っちゃったものを正すだけだよ、マズいの?」
アイリーンの無邪気さが苦しい。まるでコインの表と裏、本質はそう変わっていないのに。
……落ち着け、ファリエドとゴッツは死んでない。時間を稼げ、油断を誘え。チャンスを待ってドリームズ・エンドを突き立てろ。二人の、皆の、多くの夢を踏み越えていくしかないんだ。
「俺はアイリーンとも出会えた自分を否定したくない」
「そう言ってくれるの嬉しい。でもさ、あたしって嘘の塊でしかないんだよ?」
少し寂し気に言うアイリーン。
「最初に言ったよね、神様からウィルに会うようお告げがあったって。あれも嘘、本当はウィルを殺すように言われて近づいたの」
「ウィルを殺せ」……いつか夢で聞いた言葉、あれは真実だったわけだ。つまり神々の刺客、迷宮と俺の関係を思えば納得もいく。
「……でも君は実行しなかった」
「何でそうしなかったか言葉にしにくいんだけどね。ウィルが良い人だったからかな、どうでもよかったからかな」
「どうでもって……」
「もう全部どうでもいいの」
正直愕然としている。いつもニコニコ笑顔だったアイリーンからそんな言葉を聞くとは。それともあの笑顔も嘘だったのだろうか。
分からない、アイリーンという人間が分からない。俺はこの娘のことを何一つ理解していなかったんだ。
「あたしの人生は帝都が壊されたあの日に全部失って、その後は流されるまま聖女だなんて祭り上げられた。作り笑いで誤魔化す空っぽの毎日」
「……」
その原因を作ったのは俺だ、何も言うことができない。
「ただ家族と友人に囲まれて平和な日々を送りたかったのに、それを取り戻したいと思うのは悪いこと?」
「悪いなんて言えないさ、俺だって本音じゃ全てやり直したい。だけど……」
「そうなんだ」
声のトーンが変わった。アイリーンの中で何かが変わった。
「じゃあ任せて」
眩い光。強烈な魔力の渦。それらが去った後に現れたのは……。
「天使……?」
思わず漏れた言葉。アイリーンの背中からは翼が生え、神々しいローブに身を包み、そして不安しか感じない笑みを浮かべている。
「あたしがやり直させてあげる」
「待ってくれ、帝都の皆は――!」
言葉は届かない。アイリーンの手から強烈な光が溢れ俺を一掃する……。
衝撃、轟音、熱、あらゆる情報が体を駆け巡ったが、不思議と苦痛はなかった。
「生きてる?」
目を開くと場所が変わっている。アイリーンの姿はない、ここは下層か?
「シールド魔法……?」
俺の体を薄い光が包んでいる。ファリエドの魔法だろうか。
「オズワルド!」
と思っていたらファリエドが飛んで来た。彼ではない、何が起きたんだ?
「あれ……?」
服の下が温かい。触れてみて気付く、こいつは墓守爺さんにもらった護符だ。
「そんな魔道具を持っていたのか」
「あの人がそんなつもりで渡しただろうか……」
『ウィル』
――声がした。見回すがファリエドの他に誰もいない。
『ウィルよ、私の声を聞きなさい』
「……護符から声が?」
「その声はまさか!?」
分かるのか、ファリエドが珍しく驚いてる。
「七柱の神々が一人、ゾーイ様では?」
『いかにも。久しいですねファリエド』
「神……だって?」
『敬虔な者の護符を通して話しかけています』
ゾーイ、七柱の紅一点たる女神か。この差し迫った状況でいよいよ本物の神まで介入してきた。
『そなたがウィル、そしてオズワルドですね?』
「……そうだけど」
『お願いがあります、アイリーンを救ってあげてください。彼女は敬虔な信徒でしたが異形神の誘惑に心を囚われています』
「その言い方だと、貴女がアイリーンを不死身にして俺を殺そうとしたんだな?」
「オズワルド?」
声に棘があるのは自覚するが言わずにいられない。
『……事実です。私は帝都が破壊されたあの日、アイリーンの祈りを聞きました。死に瀕した彼女に力を与え、異形神に対抗させることとしたのです』
「中途半端なことをしやがって! 俺を殺そうとしたことはまだいい、それでナイメリアの計画は止められたかもしれないからな。だけどアイリーンはそういうことをする人じゃない、ただの女の子だったんだ……」
そう、ただの女の子。死ぬ間際まで家族のことを心配していた、本当に良い娘だったんだ。
「それに大聖堂でアイリーンがどんな辛い目に遭ったことか……。あんたは見てなかったのかよ。目的さえ果たせればいいのかよ。俺たちはあんたの道具じゃないぞ!」
「オズワルド、言葉が過ぎるぞ」
ファリエドに止められて息を吸い込む。分かってる、俺の怒りだけぶちまけても仕方がない。
それにさっきのシールドは女神ゾーイが助けてくれたんだ。それだけじゃない、地下要塞でも俺たちに道を示してくれた。
『ウィルよ、心至らなかったことは謝罪しなければなりません。結果的にアイリーンには苦しい想いをさせてしまいました。そして今や立場は変わり、そなたに命運を託すしかありません』
「やってみせるよ、俺たちのためにも」
俺の返事を聞くと護符は光を失いボロボロと崩れ落ちた。役割を果たしてくれたのか。
七柱のゾーイ、俺たちをアイリーンと出会わせてくれた女神……。
「ここが正念場だなオズワルド」
「ああ……」
頭上にアイリーンの姿が降りてきた。俺に残された時間とナイメリアに必要な時間、どちらが長いか短いかは分からない。その間に彼女をどうにかしなければ。
――ベキベキィ!
何かが砕ける音。地面が揺れている。
「こんガキャァ!」
ゴッツの怒声と共に風が突き上げる。災厄が戻ってきた、壁を足場に下層からここまで。乗り越えねばならない修羅場はもう一つ、高く険しい壁。
「ガロ!」
黒い魔獣に立ち返ったガロ。その体にゴッツがしがみついている。
「しぶといジジイだ!」
「若造が生意気じゃい!」
激しい動きにゴッツが振り落とされ落着。それを追ってガロも舞い降りる。
「ウィル……!」
目の前にガロ、空中にアイリーン。再びの対峙、もう避けては通れない。