第112話 凍える指
目的
◆帝都地下迷宮の謎を解き明かす。
◆異形の神々の顕現を阻止する。
◆皇帝オズワルド1世の手掛かりを探す。
◆迷宮内でメアを見つける。
◆異形神の信奉者を探す。
◆夢から覚める方法を探す。
小さな手を引きながら廊下を歩く。窓の外は景色など見えず、不気味な空からかすかな光が刺し込む。あれは月光だろうか、それすらも奇妙な色を帯びて現実味がない。
「ウィル、状況はどうなっているか?」
「ひっ!?」
不意なホセの声。セレナさんの手にきゅっと力がこもるのを優しく握り返した。
「ホセか、セレナさんを見つけたよ」
「本当かね、他人の夢と互いにつながっているというのか」
「よく分からないけどそうみたいだ、他の人たちも探してみる」
「時にセレナの様子はどうだね?」
言われて視線をちらりと動かす。セレナさんは体も記憶も子供の頃に戻ったようで、俺やホセのことも分からない感じだ。
「子供の姿になってるよ」
「それは良くない兆候だ。精神的に弱っていることの表れかもしれない」
弱っている、か。俺が見た夢も嫌な内容だった、悪夢を見せて精神を弱らせるタイプの罠か?
「この声は誰なの?」
「外にいる仲間さ、君の仲間でもあるんだよ」
「仲間……私に仲間?」
不思議そうにしているな。そう、俺たちは一人じゃない、だから安心してくれ。ホセが何とかしてくれる。多分、きっと。
「む……」
しばらくして足が止まる。廊下の奥に誰かの気配、暗闇の中で眼光が光った。
「ひっ」
「大丈夫、離れないで」
魔物か。八層でついに出会わなかった敵。そういえば夢の中で戦いになったらどうなる。現実の肉体は無事なのか、命を落としたら……。
「だだ、だいじょうb」
今は俺がセレナさんを守るしかない。こういう時はいつもやってるアレで行こう。
――潜行、闇に潜む敵の正体を掴め。
「……」
「お兄ちゃん?」
「……」
あ、ダメだ。集中しても効果がない。夢の中じゃできないのか?
「何か来る!」
「俺の後ろにいて!」
暗闇から姿を現したのは……大型の獣。見覚えがあるけど何の魔物だ、戦って勝てるようには見えないヤバい。
「……」
来る、いや来ない。こっちに背を向けた。そしてチラッと振り返る。まるで付いて来いと言うように。
後に付いて歩くとほどなく人影が見えた。座り込んで動かないその人に、獣は鼻を近づける。
「アイリーン?」
「知ってる人?」
「彼女も仲間だよ」
少し幼いがアイリーンに違いない。じゃあこの獣は俺たちを案内してくれたんだな。
「もしかしてガロか?」
獣は答える代わりに尻尾をブンブンと振った。ガロが五層で見せた姿を思い出す、元は魔獣だったと言っていたけどこれが……。
「お兄ちゃん噛まれない?」
「大丈夫さ優しい奴だもの」
小さな手を促して毛皮をわしゃわしゃ触らせてあげる。ガロは不服そうだけどサービスしてくれい。
……それより気掛かりなのはアイリーンだ。衣服は粗末で汚れているし、目に力は力がない。明るかった彼女とは別人のようにぼうっと座り込んでいる。
「立てるかアイリーン?」
「……うん」
返事も弱々しい。かなり良くないな、ホセの言う通りの流れか。
「ガロはセレナさんの側に。俺はアイリーンを引っ張ってくから」
「ワウッ」
四人連れだって再び夢の中を歩く。依然苦しい状況だが最悪でもない、仲間と合流できたのだから。
無音の廊下に四人分の足音。大小さまざま、その音がふと止まった。
セレナさんが廊下の絵画を見ている。
「この廊下、絵が多いよね――」
今度は俺の目が止まる。そこに描かれていたのは吹雪に見舞われる母子。
「……これ私だ」
セレナさんの絵だって? じゃあその子を抱きしめる母親は――。
「ルカルカ――」
思わず口をついて出た名前、誰だ?
「お母さんのことも知ってるの?」
「え、ああうん」
セレナさんの母親、どこかで名前を聞いていたかな。
しかし二人は辛そうだ。実際にあった出来事だろうか、見ていると雪の冷たさまで感じられる気がする。
……絵に見入っていると俺の視界が徐々に白くなり、そして誰かの声が聞こえた気がした。
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「お母さん、寒いよ……」
折からの吹雪に耐えながら道なき道を行く。安息の地などない。ハーフエルフに生まれた私に行き着く場所はない。
「待ってて、風をしのげる場所を見つけたら……」
母さんが私の手を引いて懸命に進む。やがて岩陰に身を寄せると、母さんは枯れ木をいくつかぶち割りへし折り叩き割って薪にして、魔法で火を起こしてくれた。
「ねえお母さん、どうしてお父さんは迎えに来てくれないの?」
「……お父さんはね、遠いところで大事な仕事をしてるの」
「仕事が終わったら来てくれるの?」
「それは……できないのよ」
「どうして?」
寒さに震える。ひもじさに苦しむ。寂しさに涙する。
「私がハーフの子だから?」
思わず涙があふれ止まらなくなった。そんな私を母さんは抱きしめてくれるが、母さんも涙をこらえているのに気付いた。
「違うのよ……でも会えない、会ってはいけないの」
分からない、母さんの言う意味が分からない。父さんは私たちを愛していないの?
問いかけることに疲れると私は眠りについた。
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「――ッ」
意識が絵に同調していた。あれはセレナさんの記憶の一部、辛く寂しい少女時代。一部変なシーンがあった気もするけど辛く寂しい少女時代。
「見えたの、お兄ちゃん?」
「……ごめん見えちゃった」
それは皆同じようだ。ガロもアイリーンも絵に見入っていた、絵画を通して俺たちは夢を共有したんだ。今にも指先が凍えそうなほど鮮明な記憶だった……。
「私、お父さんを探してるって言ったよね」
「うん……」
「でもね、本当は怖いの。もし見つけても、お父さんが会ってくれなかったらと思うと……」
「そんなこと……」
「お父さん、私たちと暮らしたくなくて遠くへ行っちゃったんだとしたら、そう思うと怖い、怖いの……」
震えるセレナさん、その小さな肩を俺は優しく掴む。
「違う、君のお父さんは二人を愛している」
「でも……」
「捨てたんじゃない、忘れたんじゃない……」
俺が垣間見てきたオズワルドの記憶は間違っていないはず。それがこの人に伝わってほしいと心底思う……。