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砂をつかむ

作者: 富岡 蚕

なんねんかまえなのか、とある高校生のおはなし


□風景






 チャイムの音に起こされるのもこれで何回目だろうか。


 まばらに教室から出ていくクラスメイト達は各々に思い思いの表情を浮かべて、放課後の予定だとか2週間後のテストの話だとかをしている。「妹尾、矢田、森山、中原、加藤」先生が何人かの名前を呼んだ。進路についての面談をするのだろう。


 「中原、中原、おい、きこえているのか」


 半分寝ぼけたままの頭で、呼ばれている名前の中に自分の名前があったのに気づく。正確には、何度か呼ばれても気づかなかったので先生は呆れたように「16時半に生徒指導室にきて」と捨て台詞のように言って教室を出て行った。


 深く座り込んだ椅子からゆっくり立ち上がり、机の横にひっかけてあった鞄を持ち、黒板の上にある時計を見る。16時半に生徒指導室か。あと1時間もある。


 立ち上がり時計を見ながらぼうっと突っ立っていると、クラスメイトが「お前今日面談かよ。放課後ゲーセン行こうかと思ってたのに」と話しかけてくる。ほんの数か月前までスポーツ刈りだったくせに、だいぶ髪が伸びてもう耳が隠れているが、肌の色はまだほんのり焦げている。適当に謝ると「またな」と言って、そそくさと帰って行った。


 教室に取り残され、ひとりごちに「暇だな」と呟きもう一度時計を見る。あと57分。気づけば教室には面談までの空き時間をテスト勉強に使うべく居残りで机に向かっている生徒が何人か残っているだけだった。


 図書室にでも行って、適当に時間をつぶそうか。


 そう思い、教室を出ようとすると後ろから声がした。


 「チャイムの音で起きれるのも、あと何回だろうね」


 なんとなくハッとして、振り返る。クラスメイトの森山がいた。赤いチェックのマフラーに半分埋もれた顔が、別にこちらに向けてその言葉を放ったとは限らないのに、なんだよ、と反発してしまった。しかし森山はこちらに向けて、なんでもないよ、とはにかんだ。


 「中原君、今日面談?」


 はにかんだままそう聞いてくる森山の顔は、なんだかどことなくいたずらっぽい笑顔だった。


 その笑顔に「面談。16時半から」と返すと


 「一緒に時間つぶす?」


 と言うのだった。


 長い髪を少し揺らしてそう言う彼女の肩越しに、黒板の上の時計が見えた。あと56分。秒針は今でも動き続けている。


 






□ボーイ・メット・ガール






 吹奏楽部のラッパの音が聞こえる。


 僕は楽器に明るくなく、ラッパの種類はトランペットかサックスくらいしか分からないので、今鳴っているのがなんのラッパの音なのか想像がつかない。


 「中原君って実は文芸部なんだよね?」


 「そうだよ」


 結局僕は、森山の誘いに乗り、購買で紙パックのジュースを買い、僕は茶色いパッケージのコーヒー牛乳、森山は白とピンクのパッケージのイチゴ牛乳をはしたなく飲み歩きをしながら校内を宛てもなく歩いていた。「幽霊部員だけどね」


 「なんで文芸部なの?」


 「とりあえず、したいことないし、だけど内申は良い方がいいかなと思って。3年間適当に在籍できる部活が文芸部だったから」


 購買で買ったコーヒー牛乳をずずず、と音を立てて飲みながらそう言う僕の言葉に、「へえ」と森山は相槌を打つ。


 もともと本は好きだったしね。と付け加えると、森山は「私も本好きだよ」と答えた。 


 相槌を打つ森山はなんだかにやにやとしていた。


 「文芸部って毎年文芸誌って出してるじゃない?」


 「そうだね」


 「あれ実は毎年読んでるの」


 「へえ」


 読んでるやついるんだ、と素直に思った。文芸誌とは毎年文化祭にめがけて、文芸部の各部員が思い思いの作品を持ち寄って冊子にして出版する作品集のことだ。俳句を出すものいれば、短編小説を出す者もいるし、詩を掲載する者もいる。正直に言えば、こんな田舎の高校の弱小文芸部の文芸誌に、まともに読めるような作品を提出する奴なんていない。おままごとのようなものだ。


 「春先まで居間に残されたストウブはまるで、で始まるあれ、ペンネームで掲載してあったけど、中原君の作ったやつだよね」


 「あ、いや、あれはっ」


 だから僕は、思わぬところに読者がいたことに驚いた。


 平静を装うとするも顔が真っ赤になっていくのが自分でもわかった。飲んでいたコーヒー牛乳が気管に引っかかり咽る。


 散々むせかえっている僕を、森山は笑って見ていて、むせかえった後少し冷静になる。 


 「なんでわかったの?」


 すこしだけ伏目がちに聞いてみる。恥ずかしくて森山の目をまともに見れなかった。


 春先まで居間に残されたストウブはまるで、この一節は、僕が1年生の時に文芸誌用に提出した詩作の冒頭部分だった。 


 本名で掲載されないからどうせ誰にもばれないと思っていたのだが。


 「なんとなく、雰囲気」


 「雰囲気って、なんだよ」


 「ストーブをストウブって書いちゃうあたりの雰囲気」


 「恥ずかしいんだけど」


 まだ顔の赤みが引かない僕を横目に、イチゴ牛乳をちゅうちゅうとすすりながら森山はやっぱり笑っていた。クラスメイトとはいえ、森山とこんなに長らくしゃべるのは初めてで、こんなによく笑うやつだとは知らなかった。


 「わたしはあれ、好きなんだけどなあ?」


 森山はそういうと、それまでのケラケラとした笑いをとめて、歩き続けていた足も止めて、すぅっと一呼吸置き、目を伏せて静かになった。


 何事かと思い顔を覗き込むと、いきなり




 「春先まで居間に残されたストウブはまるで僕たちみたいに置いてきぼり。スニーカーの砂を落とせば夏が終わる。匂いは記憶に焼き付くと君は言うから金木犀を嗅げばまたここに戻ってこれる。木の葉が冬を運んでくると、僕たちはやっと季節に追いつく。だけどあの頃は肩を並べて、こっちを見て手を振るだけ」


 


 そう、堂々と詩を暗唱して見せた。


 いや、これは聞かせたと言った方が正解かもしれない。


 「どう?すごいでしょ、覚えちゃった」


 これ好きなんだ、となぜか誇らしげに語る森山。すごい、すごいけど、恥ずかしい。なんとも言えない気持ちになる。嬉しいけどもなんだか素直に喜べなかった。


 その複雑な気持ちを紛らわすため、止めていた歩みを僕が再び動かしだすと、後を追って森山も隣に並ぶ。


 「・・・・・・どうせ気持ち悪いって思ってるだろ」


 そう素直になれず吐き捨ててしまう僕に森山は


 「思ってないよ」


 そういった。


 長い髪とすっぽりかぶったマフラーのせいで横顔からでは表情がよく見えない。僕は黙ってその様子を眺めていると、ただ、森山はもう一度、「思ってないよ」とぽつり繰り返した。その言葉に、僕は何も言えないまま、言葉を探し、一言「ありがとう」とだけ言った。


 コーヒー牛乳はすでに空になってしまっていた。


 ふと普段の癖で腕時計を見る。あと37分。








□雑踏は遠く彼方








 コーヒー牛乳とイチゴ牛乳の紙パックを捨てるため、僕らは購買へ戻ってきた。


 「さっきの話なんだけどさ」


 森山はそう切り出し、購買の横手にある昇降口から差す西日に照らされた下駄箱に向かって歩いた。


 「スニーカーの砂を落とせば、夏が終わる、って、どんな時に思い浮かんだの?」


 森山は下駄箱に突っ込まれた靴や上履きを眺めながら昇降口に向かって歩く。


 「あれは」


 あれは、中学三年の夏休みのころ、夏の終わりごろ、友達と電車を乗り継いで海へ行ったとき、海に行って帰った後に、ふと思い浮かんだことだ。


 「海に行ったとき、かな」


 「へえ」


 そう相槌を打った森山は縦に並んだ下駄箱の向こうに隠れてしまった。追いかけて下駄箱の向こう側を探すと、森山はいなかった。あたりをきょろきょろ見回す。すると、もう一列向こうの下駄箱から、森山はひょこっと顔を出した。なんだか他愛のないそのやり取りが少し可笑しかった。


 「わたしたち、もうそろそろ、卒業じゃない?」


 「そうだね」


 「時間が止まればいいのにって、思うことない?」


 「そうだね」


 そうだね、とは言ったものの、僕はそんなに、高校生活に執着はしていなかったので、心の底から共感できるわけではなかった。楽しくないわけはないんだけど、何かが足りないような。下駄箱のこっち側とあっち側を行ったり来たりしながら、そんな風に考える。


 「思ってないでしょ」


 見透かしたように。下駄箱の向こう側にいる森山はそういった。この子には嘘はつけないんだな。


 「でも、中原君が、あの詩を書いたときは違ったでしょ?」


 僕は少し考え、そうだね、と言った。


 あの夏の終わりのある日、海から帰り、家の玄関で一人スニーカーの砂を払い落としたときに、僕にはその砂が砂時計の砂に見えたんだ。確かにそうだった。ふと瞼を閉じると、その時の自分の寂しげな後姿が浮かんだ。


 森山は、またひょこっと下駄箱の陰から顔を出し、僕を見てやはり少し微笑んだ。


 「今は?どうなの?」森山は片手に自分のものであろう靴を持っていた。


 かくれんぼまがいのこのやり取りをしている間に、自分の宛がわれた靴箱から取り出したのだろう。それを茶目っ気を含ませ軽く振り回している。ロウファーの靴底からぱらぱらと落ちる砂の粒が、宝石のように、はたまた星屑のように、一粒一粒が西日に照らされ光っていた。


 彼女の顔を見ていると、なんだかそんな風に、時間が止まればいいのにと、思える気がしてしまう。


 「どうかな」と答えた後、ふと昇降口の時計が目に留まった。あと22分。


 そうかも、と、森山に聞こえないように呟いた。








□ほんの少し、しかしそれらは大層に








 森山は靴を靴箱へと戻し、このまま生徒指導室へ向かおうという話になり、僕らは今階段を上っている。


 「階段とかさ」


 森山はそう階段を一つ飛ばしに駆けたり、止まったり、普通に登ったりと忙しなくしながらそう言う。


 「昇降口とか、下駄箱とか、グランドとか。購買とか、教室とか、廊下とか・・・あと・・・」そう指折りを数えている。「体育館とか、図書室とか、吹奏楽の音とか、友達とか、制服とか?」指が足りなくなったのか、森山はあっさりと指で数えるのをやめてしまった。


 「いまだから、こうやって当たり前なんだけど、あともう半年くらいで、当たり前じゃなくなるってことじゃん?それってすごく寂しくない?もう戻れないって、すごい悲しくない?」


 そんな風に楽しげに歩いている彼女だが、言葉の端々からどことなく寂しさを感じてしまう。しかしやはり表情は見えないままだ。僕はその雰囲気に気圧され、少したじろいでしまう。官能的、とまではいかなくても、彼女の今の雰囲気には影があった。


 「卒業してから、ここに戻ってこれることはあっても、今ここに流れている時間は戻ってこないじゃない?今こうやって中原君と喋っている放課後はもう戻ってこない。砂時計の砂は、戻ってこないんだよね」


 「僕の詩の話?」


 「それもだし、今の話」


 砂時計。


 じゃあ、流れている砂は、この一瞬一秒の、今この時間のことかもしれない。


 「最後の節に、だけどあの頃は肩を並べて、こっちを見て手を振るだけ。ってあるじゃない?」ヘッセ好きでしょ、と、森山は階段の踊り場まで駆け上がり、その時ばかりははっきりと微笑み、こちらに向き直り言った。


 やはりどことなく見透かされている気がする。ヘッセ好きだよ。やっぱりわかった?ちなみにポーも好きだ。僕はそう相槌を打った。


 「ポーもかあ。気づかなかったな。」


森山は「へへへ」と照れている。後を追って、僕も階段の踊り場に追いつく。森山は僕が追いつくの横目で見た後、大仰に、手をふわっ、と広げて言う。


 「ああ神よ、這い落ちる砂を、もっとしっかり掴むことはできませぬか!」


 「そう、それ!」 


 森山はまるで劇団員のようにそう宣い、僕は便乗して森山のその仕草に指を指す。


 ワールドカップ放送の次の日のサッカー部員のように、あのプレーはしびれた、あのシュートはどうであったか、そんなことを語り合う感覚に、おそらく近い。好きな物事について語り合う感覚だ。森山が放った台詞は、僕の好きな作家の詩の一節であった。僕らは自分たちの好きな物事について語り合っていた。


 楽しい時間だ。


 ふと、森山と、もう少し早く出会っていれば、と思った。そしてはっとした。僕は今、この楽しい時間がずっと続けばいいと思っている。


 森山は話を戻すけどさ、と前置きをして言った。


 「あの詩を初めて読んだときね、この詩を書いた人と、お話してみたいと思ったの。なんだかその時の感情とすごく共感ができて、、その感情を共有したいと思ったの」


 「僕と・・・?」


 「中原君と」


 ということは、森山は同じクラスになった半年前よりずっと前から、僕と話す機会をうかがっていたということだろうか。僕のことを同じクラスになる前から、知っていたということだろうか。


 「本当に、雰囲気だけで分かったの?」


 「ペンネーム、ちゅうや、でしょ」


 森山は手で口元を隠し笑って言った。「すぐわかったよ」


 「なんだか恥ずかしいなあ、もう・・・話しかけてくれればよかったのに」


 「うん、そうだよね。わたしも話しかければよかった」


 「ストーカーみたいじゃん」


 「もう、そんなんじゃないから!引かないで!」


 「分かったって。引かない引かない」


 僕らはそうケタケタと笑いあって、いつの間にか生徒指導室の階の廊下まで歩いてきていた。


 時間というものはとても不思議で、大事に思えば思うほど、早く過ぎてしまうもので、雑に扱えば扱うほど、だらだらだと惰性を貪るように過ぎていくものだ。そしてその大事さというものは、長さとは関係なく密度に強く癒着している。そして、当たり前のように、砂時計の砂がそうであるように、同じ時間など二度と流れず、砂は二度と同じ流れ方をしない。


 「なあ、森山」


 僕は今、あの時の気持ちを思い出している。あの夏の終わりの海を。


 何かが終わったまま、ずっと止まってしまっていた感情が、揺れ動いている気がした。


 「僕は、今の今まで、あの時の〝感じ〟を忘れていたけど、森山のおかげで、少し思い出せた気がするよ」


 「そう」森山は静かに相槌を打つ。


 「僕はきっとひどくひねくれていて、それでそのまま、ずるずる時間を過ごしてた。なんか悔しいなあ。今は今しかないのにな。なんか、寂しいなあ」


 数分前に森山が言っていたのと同じように、西日が差す校舎の外を見ながら、僕はそう、呟くように森山に語り掛けた。吹奏楽部のラッパだけだった音が、いつの間にか合奏の音になっていた。グラウンドからは運動部の声が聞こえる。


 森山はそっか、とだけ呟いて、僕と同じように校舎の外を眺めていた。


 「中原君、進路どうするの?」


 森山は唐突にそう言った。


 「進路?」


 「今から進路相談の面談でしょ?」


 「ああ・・・僕はS大志望だよ」


 「そうなんだ」


 「森山は?」


 「私はT短大」


 そっか、とお互いがお互い、顔を見合わせて、「一応、どっちも地元だね」と言った。


 そのまま二人で廊下を歩いて、気づけば生徒指導室の前についていた。森山は「ついちゃったね」と小さくこぼした。


 腕時計を確認する。腕時計の短い短い針が差していた時間は16時28分だった。


 「森山、面談僕の後だよね?」


 「そうだよ」


 僕は、その言葉を待たず生徒指導室の扉を2回ノックした。中から担任の先生の間の抜けた声で「中原か、入っていいぞ」と声がするのを合図にして扉に手をかけながら、森山の方は見ずに、森山に言う。


 「面談、終わるの待ってていいかな?」


 自意識過剰だとは思うけど。森山はいいと言ってくれると思った。森山の顔は見なかったけれど多分少し微笑んで「いいよ」と言った。そう思えるくらいには、その言葉は柔らかかった。








□夕凪の海浜公園、僕らは夕日が海に溶けるのを見た。








 時間は16時45分。


 これまでの行いだとか、これからの進路だとか、現在の成績だとか、そんなどうでもいいことをつらつらと先生に話し話され、気づけば15分経っていた。ありがとうございました。失礼します。そういって一礼し、僕は生徒指導室を出る。


 がらがらがら、と音を立て扉を開けると、廊下には森山がいた。お互い目が合い、そのまま自然と目をそらし、特に言葉も交わさずすれ違い、森山はそのまま生徒指導室の扉を2回ノックし、その扉の向こうへ消えていった。


 廊下に一人とり残される。


 一人が寂しいと思った。


 さっきまで暖かかった西日も声も音も、全て遠くに聞こえた。


 左腕につけた安物の腕時計を見る。


 あと14分。


 14分をこんなに長く感じたのは、たぶん、生まれて初めてだった。










□3歩先の未来が笑って手を振っているから、少し駆け足で駆け寄る。










 「わたしにとって、〝肩を並べているあの頃゛っていうのは、いつだったんだろうか、実はそんなに覚えていないんだよね」


 僕らは校舎を背にし、校門をくぐり、並んで歩いていた。


 「あの頃は楽しかった気がする、っていうすごくアバウトな幻想が、きっとそう見せてるだけなんだよね。それって実は今を楽しめない自分のせいなの、分かってるから余計に」


 「身も蓋もないな」


 「元も子もないね」


 そんな阿呆みたいなやり取りをして、笑いあう。あはは、とひとしきり笑い「ただね」とまた森山が切り出す。


 西日もすっかり沈んで、あたりはだんだんと薄暗くなり始める手前、といった薄暮。


 とくに示し合わせるわけでもなく、同じペースと歩幅で僕らは歩き、とくに示し合わせるわけでもなく、止まる。


 「〝今〟が〝あの頃〟になったとき、未来の自分が嫉妬してくれるように、精一杯生きていたいな、と思う」


 今日この頃なのです、と、森山は少し照れくさそうに付け加える。少し照れくさそうな笑顔だった。


 「そうなりたいな」


 「ね」


 森山はどことなく憑き物が落ちたみたいな清々しい顔で、前を向いてた。おそらく僕も同じような顔をしていたに違いない。僕も前を向いた。


 分かれ道に差し掛かる。


 僕は右。


 「わたしこっち」


 反対側を指さす。森山は左らしい。


 「じゃあ僕こっちだから」


 僕もその反対側を指さす。


 「また明日ね」


 森山は少し目をそらして言った。


 「うん、また明日」


 僕も、目をそらして言った。


 森山は小さく手を振る。


 僕も、森山よりは少し大きめに手を振り、歩き出す。


 明日の僕は、今日の僕に嫉妬してくれるだろうか。何より、明後日の僕は明日の僕に嫉妬しているだろうか。


 十年後の僕は。二十年後の僕は。


 腕時計を見る。


 秒針は、早いでも遅いでもなく、今でも時間を刻み続けている。










春先まで居間に残されたストウブはまるで僕たちみたいに置いてきぼり。




スニーカーの砂を落とせば夏が終わる。




匂いは記憶に焼き付くと君は言うから金木犀を嗅げばまたここに戻ってこれる。




木の葉が冬を運んでくると、僕たちはやっと季節に追いつく。




だけどあの頃は肩を並べて、こっちを見て手を振るだけ
















□遠くない過去か未来の話。














「砂っていうテーマでショートショート書いてきて!以上!解散!」


 何だかんだ付き合いの長い友人の妙な提案だった。大学のころのサークル仲間だ。数年ぶりにいきなり「飲みに行こうや!」と連絡が来、久しぶりに会うな否や、やはり盛り上がるもので、最終的にはお互いの共通項である本の話になったわけだけども。


 「俺もたまに小説書くんだよね、趣味だけど」


 「ああ、僕も前は書いてたかな、ネットにアップしたり」


 みたいな話をしていたら、自然とそうなってしまった、今日はその翌日である。


 ショートショートか。


 短編苦手なんだよなあ。


 と思いつつも、少し心躍っている自分がいる。


 休日、久しぶりにワクワクと、しかしだらだらとパソコンで文字を打っていた。


 「僕、どんなふうに小説書いてたっけな」


 と思い、律儀に保管していた、高校のころ在籍していた文芸部の文芸誌を引っ張り出し、ぱらぱらとめくっていた。


 小説も短編も、以前趣味で書いていたとはいえ作るのは数年ぶりである。


 「あら、懐かしいもの読んでるのね」


 リビングの方から、遠巻きにそんな声が聞こえた。どうやら洗濯物を取り込んでいる最中のようだ。今日は随分と天気が良かったから、洗濯日和だったことだろう。気分がいいのか鼻歌も聞こえてくる。顔は見えないがおそらくいつもと変わらない柔らかい微笑みで今から洗濯物を畳みだすに違いない。


 「あ、そうだ」


 こんなのはどうだろう。


 一つ向こうの部屋で今頃洗濯物を畳んでいる彼女の顔を思い浮かべ、思慮する。


 あの頃の高校の教室。


 できるだけ鮮明に思い出して。


 グランド、下駄箱、教室、廊下。


 そこにいる僕らのある日の物語だ。


 少し甘酸っぱいような、それでいて静かで。


 特に何かが起こるわけでもなく、時間はゆっくり、それでいて早く過ぎる、緩急の乏しい暖かい物語。


 砂時計の砂の一粒を拾い上げるような。


 「ふむ」


 僕はパソコンに向かい文字を打ち出す。


 金木犀を嗅げばまたここに戻ってこれると、あの頃の僕は言っていたっけ。


 思い出は、戻れなくとも何度でもよみがえる。


 砂時計の砂は戻せないが、何度もひっくり返すことはできるから。







たまにはいいですね、こういうのも

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