名もなき花に愛を・・・
目が覚めたとき、最初に私の視界に飛び込んできたのは“赤”だった。
多分記憶違いでなければ、ここは大きな教会の中だろうか。
多くのシスターらしき存在が行き来していく。
床には騎士や兵士だと思われる人たちが何人も寝転んでいる。
「アステル!なにをしてる!!癒しを止めるな!」
「・・・え」
ただでさえ状況を把握できない最中、激しい叱咤がアステルに向かって飛んできた。
癒し。
癒しとは何のことだ。
そもそもさっきまでバスに乗っていたはずだ、なのに一体どうなっているのか。
「アステル!聞いているのか!!」
待って、アステル?
どうして私の前世の名前を知っている。
「くそ!どきなさい!!シスターアベマ!」
「はい!」
硬直して動かない私に業を煮やしたのか、目の前の男は誰かを呼ぶと同時に私を突き飛ばした。
無防備であった体は簡単に後ろへと倒れ込む。
同時に周囲の光景がようやく私の目に飛び込んできた。
多くの怪我人が教会内いっぱいにひしめき合い、痛み苦しさから唸っている。
破損された武具、三本の剣と王冠のエンブレムが刻まれた剣、そしてこちらを無機質な目で見降ろす大きな女神像、名を地母神アレンティフィスの女神の姿。
私の記憶違いでなければ、ここは首都アレーリアの大聖堂内。
前世の、私が生まれ育った国だ。
あの後、使い物にならない私は突き飛ばした男、司教ゴーゴンの命により部屋へと連れ戻された。
正直混乱していた私からすれば有難かった。
さて、ここで軽く整理しておこう。
名前は望月 明日奈
日本生まれの大学2年生。
そして一つ他の子と変わったことがあるとすれば、前世の記憶があること。
問題がこの前世だ。
前世の名は「アステル・アルフィーナ・ロンゴット」
ロンゴット公爵家の長女であり、記憶違いでなければ彼女は16歳の日に階段から落ちて死んだはずだ。
何故死んだのか。
割とありふれた話だ。
実母が幼き頃天へと召されると同時に、父親は義母と一つ下の義妹と二つ下の義弟を連れてきた。
なんでも母との結婚は政略であり真実の愛は、義母にあったという。
真実の愛を引き裂いた悪女と悪女の娘として家では冷遇される日々。そして何でも奪い続ける義妹に傍観する義弟。
義妹は者だけでは飽き足らず友人や婚約者を根こそぎ奪い、私を悪女だと周囲に知らしめた。
そして、あの日。
私が死んだ日。
婚約者であった男から義妹への虐待を叱咤され、反省の色を見せない私を突き飛ばしたのだ。
きっと彼の中では軽く突き飛ばしただけなのだろう。
だが、家でも折檻をされ食事も奪われ体力も体重も落ちていた私は、あっさりと階段下へ転げ落ちた。
それがのアステル・アルフィーナ・ロンゴットの最期。
そして目が覚めれば、私は望月 明日奈という新たな生に目覚めた。
「なのに、どうして私はここに?」
鏡に映るのは、確かに前世の自分。
死んだと思っていたのに、どうして生きている。
思い出そうとしても、浮かぶのは昨日家で家族とご飯を食べていた光景しか思い出せない。
どうしよう、と頭を抱えていた時控えめのノック音が聞こえ「失礼します」と見たこともないメイドが部屋に入ってくる。
手には水らしきものが入ったグラスを乗せたお盆を持っていた。
「アステル様、お水をお持ちしました」
「・・・・貴方、名前なんだったかしら」
「え!?わ、わたくしです!アステル様の専属、エーシャです!」
アステルの言葉に半泣きになりながら名を告げるメイドもといエーシャ。
だが名前を聞いてもアステルはエーシャを思い出すことは出来なかった。
「エーシャ・・ちょっと記憶が混乱してるみたい」
「まぁ!?すぐに神官をお呼びして!」
「待って、神官を呼ぶ前にお願いがあるの」
「は、はい!わたくしで良ければなんでもおっしゃってください!」
正直、前世の自分のままであればエーシャは即クビだ。
部屋の入り方は勿論、言葉遣い、態度すべてが公爵家のメイドとして全てがなっていない。
だが専用メイドという事は、空白の時間の自分と親しかった人物だ。
「私が16歳のとき学園の階段から突き落とされたはず。それは確かかしら?」
「は、はい。アステル様は・・」
エーシャの言葉にアステルは質問を繰り返して空白の時間の私の行動を知った。
なんとアステルが死んだ日からすでに10年の月日が流れていたらしい。
死んだと思っていたがアステルだが、この体に別の人格が入り込んでいたようだ。
その人格、聖女でいいだろう。聖女は目が覚めてから自身を虐げていた親を告発し、突き飛ばした婚約者を殺人未遂として訴えた。
入り婿である父と義母は捕まり、婚約者は領地に幽閉。義兄妹も別々の修道院へ預けられたそうだ。
聖女は父に代わり爵位を継ぎ、ロンゴット公爵となり己の知識と目覚めた治癒の力を大いに振るい、数々の功績を残した。
その功績を讃え聖女と認定され、第二王子の婚約者となった。
つまりは入れ替わった先で大成功を収めていたところを本来のアステルが目を覚ましたという訳だ。
納得できない。
既にアステル、明日奈は望月明日奈として新たな人生を歩んでいたのだ。
母を裏切り見捨てる父親も虐待してくる義母もいない、入学式のたびに感涙する父と厳しいけど愛を一身に注いでくれる母がいる世界で人生を満喫していたのに。
戻りたいなど一度も思ったことはない。
寧ろ帰してほしい。
明日奈の世界に、帰してほしい。
普段と違うアステルに流石のエーシャもなにかを察したのか、いま何が起きてアステルがなにをしていたのか教えてくれた。
最近隣国の動きが怪しく、下手をすれば戦争が始まる手前だという。
そんな殺伐した空気の中、国境付近で視察に訪れていた第三王子は盗賊からの襲撃にあい、重傷を負い急いでここに運ばれてきた。
聖女アステルの治癒を求めて。
そしてあのとき明日奈が目を覚ました時こそ、第三王子の治療中であったのだ。
「治癒、ね」
試しにと自身の指先を傷つけて、治癒を試してみる。
だけど念じても言葉にしても、傷は全く治りを見せることはなかった。
それが異世界転移したものへの特典だったのだろうか、元の住人であったアステルにはそんなもの使えないということか。
心配げ気に見つめてくるエーシャを退出させ、アステルは自身のベッドへ横になる。
途中何度かノックをされたがすべて無視をしてアステルは眠りについた。
目覚めたら明日奈に戻っていることを願いながら。
だが無情にも目が覚めてもアステルはアステルのままだった。
翌日部屋を訪ねてきたゴーゴンから第三王子は未だ生死を彷徨っているそうだ。
今度こそ聖女の力で呼び戻してほしい。
そう訴えてくるゴーゴンにアステルは正直に告げた。
「できません」
「なっ!アステル!君は何を言ってるのか」
「いえ使えない、というのが正しいのでしょう。私の記憶が10年分抜けてしまい、治癒も使えなくなってしまったのです」
「ッ!」
声にならないことはこのことか。
ハクハクと口を開けては閉ざすゴーゴンをアステルは静かに見つめていた。
そこからは上も下も大騒ぎとなった。
アステルの言葉に嘘偽りがないか、様々な人と引き合わされ、確認された。
結果、アステルは記憶喪失だと認められたものの、多くの人は聖女アステルを求めており聖女の力を取り戻そうと奮闘していた。
婚約者である第二王子も自分達の出会いを話してはアステルの記憶を取り戻そうとする。
ただ誰も記憶ないアステルを思いやり気遣うことはなかった。
彼らは必死に聖女アステルを求めていた。
エーシャも結局は聖女アステルの専属メイドだったようで、あれ以来姿を見ていない。
治癒を使えないアステルは、教会から追い出され母方の実家へ身を寄せることになった。
幼いころの記憶にわずかに残っていた祖父母の姿に懐かしむものの、そこでもやはり今のアステルは腫物のように扱われた。
帰りたい、明日奈の世界に。
アステルだって、なにもしなかったわけじゃない。
でも何をしても行動しても、彼らは聖女アステルを求めるのだ。今のアステルを見ようともしてくれない。
疲れ切ったアステルは、部屋にこもるようになってしまった。
そして夢を見た。
それはひどく残酷でアステルにとって最低最悪の悪夢だった。
夢には明日奈がいた。
いや違う、聖女アステルが明日奈となり生活をしていた。
まるで初めからそこにいたかのように、聖女アステルは世界に適合し、周囲に愛されていた。
違う違う、そんなはずはない。
私は赤ちゃんの頃からこの世界に生まれ育った記憶がある。
間違いなのは彼女の方だ!
ふとリビングにて父と母が顔をあわせて雑談していた。私は必死に叫んだ。
お母さん、と。
そこにいる明日奈は偽物だ、気付いてお母さん!
だけど叫ぶアステルの声など聞こえるはずもなく母は少しだけ戸惑ったように懺悔するように夫に吐き出していた。
「こんなこと言ったらおかしいとおもわれるかもしれないけど」
「ようやく娘が返ってきた、そんな気持ちになったの」
「おかしいわよね、赤ちゃんの頃からずっと違和感を抱いていたなんて」
母の言葉に後頭部を殴られたかのような衝撃がアステルを襲った。
その言葉はまるでアステルが聖女アステルの居場所を奪った言い草ではないか。
気付けば、アステルは泣きながら目覚めた。
どちらの世界にもアステルはいらない存在だったのだ。
ただ、ただ絶望がアステルを包み込んだ。
*
それから気付けば三ヵ月の月日が流れ、第三王子が亡くなった。
聖女アステルの力があれば助かったはずの命。
周囲は無能となったアステルを責め立てた。
アステルは、第三王子を死なせた罪として聖女の称号を剥奪され、第二王子との婚約も解消。
罰として修道院へ送られることになった。
正直罰だと言われても、アステルは何も感じなかった。
まるで生きた屍のように静かに荷物を詰めてアステルは修道院へ向かうのであろう質素な馬車の前に立った。
見送りは祖母ノマリーナを除いて誰もいない。
これが望まれない目覚めをしたアステルの姿だと思うとひどく滑稽だった。
「・・アステル」
「・・・」
「これから行く修道院はお金さえ払えば、普段の生活となんら変わりない待遇を受けれるわ。すでに50年分のお金は渡してあるから安心なさい」
以前の聖女アステルの功績を考慮してのことだろう。
だが今のアステルにはなにも響かない。
ふと皺だらけの手がアステルの手をとった。
まるで慈しむかのように大事に大事に触れてくる仕草にアステルはようやくマリーナと視線を合わせた。
「・・あぁ、やっぱり」
「?」
「アステル。私のアステル」
「あなたも前のアナタもどちらも私の愛しい孫よ」
ヒュッとアステルは息をのむ。
初めてアステルと聖女アステルの違いに気づいてくれた。
「アステル、あなたは好きなようにお生きなさい」
それがあの日、幼い孫と娘を助けられなかった私の償いだ。
マリーナはそう告げてアステルに大き目な小袋を渡して、馬車に押し込んだ。
呆然とマリーナを見つめるアステルを、マリーナはその馬車の姿が見えなくなるまでその場を動かなかった。
のちに王宮が用意した修道院行きの護送車が届くのだが、アステルはそれを知る由もなかった。
修道院行の馬車だと思っていた馬車は、全く別方向へ走り港へと到着した。
御者はマリーナ個人に雇われた者でアステルが望むなら修道院行の馬車への道筋を、新たな道を歩むのであれば船で旅立つよう言付かったことを告げた。
マリーナから渡された小袋には10年は楽に暮らせるであろう金額の金があり、そして新たな身分「ロベルドナ」という男爵位を示す紋章とその領土を指す証明書が入っていた。
「お、ばあ・・さま」
この世界にもどってきて知った祖母マリーナの愛に、ただ静かに泣いた。
御者と別れ、アステルは一人海を見つめていた。
海の潮の香りを、行き交う人々を、目で鼻で感じながらアステルはただ立ち尽くしていた。
「おら!さっさと歩け!!」
ふと聞こえた怒声に振り返れば、鞭を振るう大柄な男と縮こまる幼子を抱きしめる青年の姿があった。
周囲は一瞬だけ視線を向けるが何事もなかったかのように通り過ぎていく。
奴隷なんて明日奈の世界ではなかったから一瞬だけ驚いてしまったが、この世界では当たり前の光景でもあった。
聖女アステルは奴隷制度をどう思っていたのだろうか。
容赦なく鞭を振るい叩きつける音を聞きながら、アステルは二人の子供を見つめていた。
そして気付けば傍観している奴隷商人へと声をかけていた。
「あの二人、買いたいのだけど」
マリーナの用意してくれた金の半分が消えてしまったが、アステルの目の前には怯える少女と警戒する青年がいる。
どちらも酷く痩せて汚れているが、奴隷なのだから当然の姿でもあった。
「まずは傷の手当てをしてもらわないと」
教会にいくらかお布施をすれば傷の手当はしてもらえるだろう。
二人に付いて来るように告げるも慌てて足をもつれさせた少女が転びそうになる。咄嗟に手を伸ばして痩せ細った体を支えた。
「も、もうしわけありません!!」
「別に気にしてないわ」
「・・・え」
ふと戸惑う声にアステルも訝しげに少女へと視線を向け、驚きで目を見開いた。
アステルの手から光が漏れ、少女の体を癒していた。
聖女アステルの治癒。
どうしてなぜ今更、その力が発動したのか。
混乱をするアステルの意志を置き去りに、光は少女の傷を治していく。
慌てて青年が少女の体を確認すれば「治ってる」と震える声でつぶやいた。
尊敬の眼差しを向けてくる少女と傷を治したことで警戒を解いたのか先ほどよりも柔らかな視線を向けてくる青年。
きっと聖女アステルもこの眼差しを一身に受けてきたのだろう。
もしこのまま力が戻ったことを伝えれば、聖女アステルのように必要としてもらえる。
聖女アステルの名を今度は自分が。
「冗談じゃないわ」
それは聖女アステルとして必要されるのであって、自分ではない。
「決めた、海を渡るわ」
マリーナは言った。
好きに生きろ、と。なら聖女アステルでも明日奈でもない、新たなアステルとして再出発しようではないか。
16歳までの自分であれば、公爵令嬢として生きてきた自分にはできないと嘆いただろう。
だけど日本での記憶が、アステルを進ませてくれる。
「ねぇ、私は海を渡るわ。あなた達はどうする?」
買った身とはいえ、彼らが嫌がるなら孤児院に行きお布施をすれば、それなりの好待遇を得るだろう。
「い、いきましゅ!つれてってください」
「オレ達を買ってくれたのはアンタだ。だからオレも妹もアンタについていく」
まっすぐにアステルを見る眼差しに、アステルは彼らの望むようにした。
二人の身なりを整え、いくつか必要なものを準備してアステル達は船に乗った。
どんどん離れていく港をアステルは静かに見つめていた。
気付けば甲板には誰もいなくなり、アステル一人がずっと立っている。
間を開けて奴隷の二人が呼びにきたけど、アステルはその場を動こうとはしなかった。
夜空に上る青い月を見上げながらアステルはアステルの過去を、明日奈の過去を思いはせる。
気付けば夜は明けていた。
ゆっくりと昇る日の出は、明日奈の知る日の出と全く変わらない姿だった。
「あぁ、この世界にも日の出があるのね。また…一から生きるのも悪くないわ」
美しい日の出を見つめるアステルの頬に一筋の涙が伝う。
だがその表情は悲観にくれていない。
凛と背筋を伸ばし、日の出に背を向け一歩一歩しっかりと歩き出すその姿はとても輝かしく見えた。
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