『永長の大速記会のこと』速記談1083
永長元年、大速記会が催された。ある人の記録によると、七月十二日、頭弁源師頼は欠席だったが、少納言源成定、少将源顕雅、周防守藤原経忠、藤原宗輔、修理大夫藤原顕季、右中弁藤原宗忠、左中将顕実、兵衛佐藤原実隆、源師重、治部少輔藤原懐季、藤原長忠、右少弁平時範、民部大輔源行信、治部大輔藤原敦兼、兵衛佐源師時、少将源顕通、左馬頭源師隆、因幡守藤原長実、周防守藤原経忠、蔵人源盛家、権弁源重資、馬権助源家定、民部権大輔藤原基兼、美作守藤原基隆、笛吹右馬守藤原兼実、式部丞藤原宗仲らが参加した。
翌日は、左兵衛督藤原基忠、治部卿藤原通俊、右兵衛督源雅俊、宰相中将藤原宗通も参加された。このように、盛大に、白河院も、堀河天皇も、太閤藤原師実も、関白藤原師通も、日々夜々、在々所々、速記を楽しんだのであった。
教訓:よき時代のよき行いである。