旅の憩い亭にて
宿を探そうと思って外に出たら、さっきの白いローブの女性と神官服?っぽいのを着た男性が待っていた。
「すみません、宿をお探しですよね?実はさっきカウンターで話が聞こえてしまったもので。」
そう、白ローブが話しかけてきた。
「ああ、そうなんだよ。この村は初めてなもので。」
そう答えると、神官風の男性が頷いた。
「ええ、私達は冒険者ギルドの職員なのですよ。登録用紙を拝見しましてね、あなたに注目しているんです。それで、良かったら宿まで案内しますよ?」
白ローブも頷いた。フードの奥にチラリと見えた顔が、秀麗だった。
「一緒に食事とかどうですか?お話をしてみたいと思ったのです。」
「ええ、助かるよ。俺こそ、こんな奴で宜しければ。」
嬉しそうに二人は笑った。俺達は広場の1つ裏通りにある「旅の憩い亭」と言う宿に案内された。
中に入ると、結構賑わっている。20m四方のカウンター付き酒場&食堂に、見える範囲で客がひしめいている。
そして大体の客が冒険者らしい。鎧やローブを身に着けた人ばかりだ。
「いらっしゃい。あれ、アンタは新顔だね!今日は食事かい?」
カウンター越しに、店の女将っぽい人が声をかけて来た。
「女将さん、この人は宿泊込みですよ。」
神官?が返事をした。女将は食器洗いの手を止めると、カウンターまでやって来た。
「あいよ、グレッグ神父の知り合いじゃあ、無碍にできないねえ。ウチは1泊2食で銅貨5枚だよ!それでもいいかい?」
「ああ、構わない。じゃあ取り敢えず1泊お願いするよ。」
俺は銀貨を一枚支払った。相場がイマイチ判らんけど...。
「毎度!食事が先かい?それとも部屋へ運ぼうか?」
女将は釣り銭を差し出しながら尋ねて来た。
「部屋は後で案内してくれ。今はこの人達と一緒に。」
「分かったよ!じゃあ空いている席に...って、無いか。あはは。」
見渡すとメチャクチャ混んでいた。まあ今時間は夕食時だろうしな。
「...ここを使ってくれ。俺は部屋に戻るから。」
近くのテーブルで酒を飲んでいた、フルプレートメイルの男性が立ち上がった。
左眉に刀傷があり、身長も俺より頭ひとつ程高い。汚れが目立つ白銀色の鎧だ。ひょっとしてミスリルかな?...と思ったら、そう視界に表示された。
俺は「ありがとう。」と、礼を言い頭を下げた。
「...礼儀正しいな。思うに、あんた加護持ちだろう?」
すれ違う時に、男性は俺の方を見ながら小声で言った。
「...ええ、まあ。」
「そうか、じゃあ功徳を積めたかな?」
フッと笑うと、巨体を揺らしながら階段を登って行ってしまった。寡黙な感じだけど、悪人ではなさそうだ。
俺達は男性の座っていた席のテーブルに落ち着いた。ここは元から2席空いていたのだが、気を利かせてくれたのだなと感謝した。
「...さっきの人ね、男爵って言うのよ。品があるし、訳ありな感じですよね。」
白ローブがそう言うと、神官が軽くたしなめた。
「あだ名で呼ぶのは、もっと近い関係になってからですよ。彼の気に障ったら申し訳ない。」
「もう、固いんだから...ああ、ご免なさい。せっかくニューホープと相席なのに。」
白ローブが申し訳なさそうに言うと、神官も頷いた。
「そうですよ。今日はこの方を歓迎しないと。何しろジェイドを失神させたなんて、前代未聞ですからね。」
俺は申し訳なさそうに頭を掻いた。女将が早々に3人分のジョッキと、熱いスープやモツ煮込み、黒パンを運んで来た。
「へえ!あんたがジェイドをねえ...そういや、今日は見えないしね。」
サービス業らしく、話の相槌を打ってきた。
「やあ、凄い人だったよ。剣気の圧が尋常ではなかったね。」
俺は率直な感想を言った。流石ギルマスだなと、素直に思った。
「ふうん、あんたサッパリしてイイ男じゃないの!イザベラ、こんな人なら彼氏にうってつけだよう!」
世話焼きなのか、四十路過ぎに見える女将が笑いながら白ローブの背中を軽く叩いた。
「やあもうっ!女将さん酔っ払っているでしょう!?」
イザベラ?の尖った口から逃げるように、女将は笑いながら厨房へ行ってしまった。
「女将に悪気はないのですよ、イザベラ。」
神官が申し訳なさそうに言った。
「分かっているわよ。まったく一言多いんだから...」
ちょっと顔を赤くして、彼女も笑顔に戻った。このままだと話が進まなそうなので、俺から話を振った。
「案内して貰って、ありがとう。改めて、マヒトと言うんだ。」
「私はイグニスの神官で、グレッグと言います。宜しく。」
身長は180cmくらい、年齢が20代で痩せていて坊主頭に神官っぽい帽子をかぶっている。
坊主でなければ多分イケメンの部類だろう、切れ長で優しそうな茶色の瞳、穏やかな喋り口、知的な雰囲気の男だ。
「私はイザベラです。魔術師をやっているわ。今後もお見知りおきを。」
こっちは身長が160cm弱、年齢が20代前後に見え、華奢な体格でフードから覗かせている秀麗な色白の顔、鮮やかなオレンジ色の虹彩、チラッと薄緑色の髪が見える。
3人で乾杯すると、ジョッキに口をつけた。ビールみたいな味がする。これはエールってやつかな。以前海外で飲んだことがある。
ふとスープ皿を見ると、アムがちゃっかり飲んでいる。
皿のへりから頭を下げ、直接口を付けて飲んでいるが、たまにバランスを崩して中に落ちそうになっているのがシュールだ。
「ふん、私はどうせアンタとしか喋れないもーん!」
そう言うと、澄ました顔で黒パンをちぎっている。まあ、後でフォローするか。
それから、3人で色々話をした。噂話や、身の上話、イグニス神の事とか、俺の旅の事とか。
「ふーん、マヒトって、旅の途中なんだあ...。」
完全に白フードが脱げて、短い薄緑色の癖毛がチャーミングなイザベラが、ジョッキを片手にテーブルの木目を指でなぞっている。
結構酔いが回っているみたいだ。耳がアムと同じ感じで尖っているのは、妖精族なんだろうか。かなり美形な面立ちだな。華奢だけど。
「左様、マヒトさんは修行の旅を...ふにゃふにゃ。」
グレッグも呂律が回っていない。何だろう、二人共酒に弱いのか?まだ席について1時間程度だと思うが。
とは言え、既にジョッキは4杯目が空いている。でも俺はほろ酔い程度だぞ...。
「そりゃアンタ、加護持ちじゃないの。アクリル様がどんな御方か知っているでしょう?」
アムが俺の顔の前で腰に手を当てている。
「ああそうか、加護って酒も中和するんだな。便利ではある。」
無言で返すと、アムは嬉しそうに頷いた。
「そうよ!偉大なる大地母神様の御加護持ちとして、自覚が足りないわよ?」
得意そうに人差し指を突き出しながら、片手でモツを頬張っている。何ていうか...まあいいや。
他の二人は泥酔の独自世界に。それでどうしようかと悩んでいたら、女将が腕っ節の強そうな若い娘を連れて来た。
「ああ、まったくもう。良い歳して泥酔するんだからね。新人さん、もう話は済んだわね?」
「ああ。楽しかったけど、二人とも疲れているみたいだな。宿泊はこの宿なのかな?」
「あんたの部屋の両隣だよ。マイライ、イザベラを頼むよ。」
マイライと呼ばれた若い娘は、頷くと軽々とイザベラを抱えた。女将の娘なんだろう、引き締まった精悍な表情の、浅黒いアーリア人みたいな顔だ。
女将はグレッグに肩を貸そうとして、よろけた。
「おっと!手伝うから。」
俺は女将とは反対側に肩入れして、二人で階段を登った。宿は2階から上が宿泊部屋で、3階まである。
グレッグの部屋は3階の中央付近で、宿の部屋全部が縦長のワンルームだ。
中は狭いが充分に体を伸ばせる広さの、清潔感があるベッドへ彼を転がした。
「あんたも、部屋で食事の続きをするかい?まだあまり料理に手を付けて無かっただろう?」
女将が気を利かせてくれた。客をよく見ているし、流石プロは違うなあと俺は感心した。
次もここの宿を使おうと決めた。料理も酒も、かなり美味かった。
「そうだな...迷惑でなければ、さっきの場所でも良いかな?」
「あいよ。でも混んでいるから、相席でも勘弁しておくれよ。」
「ええ、大丈夫。」
女将と部屋を出ると、丁度マイライもイザベラの部屋から出て来た。3人で階段を降りると、下にギルド受付嬢が立っていた。
「ああ、マヒトさん!」
彼女は俺の方を見て呼び止めた。女将達は礼を言うと、厨房へ行ってしまった。
「あれ、受付の人じゃない。何か御用で?」
俺が席を勧めると、彼女は嬉しそうに腰を下ろした。
「ええ、先程マスターの意識が戻りまして、早速これを持って来ました。」
冒険者証を、わざわざ届けてくれたようだ。
普通、冒険者ランクは銅かららしいが、渡された物を見たら銀ランクになっている。俺は素直に頭を下げた。
「ありがとう。お陰で身分証明が出来る様になったよ。」
「いえいえ、これも仕事の内で...。あの、もし良かったら食事を御一緒しても?」
ちょっと頬を赤くして、彼女は俺の顔をチラリと見た。あれ?何かフラグが...。
そうか、アクリルが言ってたよな。ここって実力主義な世界なんだと、俺は改めて思った。
「ああ、構わないさ。今グレッグさんとイザベラさんが酔い潰れた所で。」
俺は女将を呼んで、エールと食事を追加した。奢ると言ったら、彼女は慌てた。
「いえいえ、私は自前で支払いますから...。」
「まあまあ。冒険者証を持って来てくれたお礼だから。遠慮なく。」
女将が早速ジョッキを2つ持って来た。まあ耐性があるから、これ以上酔えないし、金の無駄だ。これ位で酒は止めておくか...。
「ああ、ありがとうございます。私、ドロシーって言います。」
そう言うと、彼女はジョッキを突き出してきた。俺は乾杯し直すと、さっきはあまり食べられなかったモツ煮を食べた。
もう冷めているが、それでも味が染みていて美味い。ドロシーも飲食を始めた。
「そう言えば、ジェイド氏は怒ってなかったかな?」
そう尋ねると、彼女はキョトンとしてから笑った。
「うふふ、マヒトさんて真面目なんですね。マスターは、そんな事では怒りませんよ。むしろ喜んでいましたよ、あれ。」
「そうなのかな?」
「ええ、それはもう。自分より強い奴が新人冒険者とか、楽しみが増えたとか言ってました。」
「やっぱり、ギルマスともなれば心が広いんだなあ。ここの村の冒険者は、何か皆良い人ばかりな気がする。」
ドロシーは、また嬉しそうに笑った。彼女は俺から見ると大柄な方で、年頃は10代後半か?
身長170cmくらい、鼻の周囲にそばかすが少しあり、黄色人種っぽい肌色のチャーミングな人族だ。
体格は女性らしい、ややふくよかな感じで、三つ編みの赤茶色のおさげ髪だ。メガネは度が入ってなさそうだから、伊達と見た。
「きっと、マヒトさんがそう言う人だからですよ。それに、グレッグさんとイザベラさん、盗賊のビンセントさん、マスターは昔パーティーだったんですよ。」
「へえ、知らなかった。さっき一緒に飲んでいたけど、そんな話は聞かなかったな。」
ドロシーはエールを一口飲むと、溜息をついた。
「マスターはですね、数年前は名うての冒険者パーティーだったのです。でも、その当時のルク村は、酷いさびれ様でした。」
「どうしてそんな事に?」
「月光丘の迷宮と言うダンジョンが、ここから10km程先の森林の中にあるんです。そこから湧き出るモンスターが、度々村を襲撃していたのですよ。」
あん?それって俺が寝ていた場所じゃあ...?
女将が料理を持って来た。が、ドロシーの様子を見ると、しかめ面をしながら彼女の背後で、俺に向かって小さく頭を振った。
あ、もしかして酒癖が悪いのかあ?でも手遅れなんですがそれは。
「そうなんだね。じゃあギルマス達が、それを退治したりして貢献したと?」
「そうなんです!マスター達は、それまで流れの冒険者でした。でも、村の事で色々あったらしく、ダンジョンが落ち着くまでギルドの職員として働きながら、モンスターの増える原因を探しているんです!」
おお、それは凄いな。何故そこまでするのかは不明だが、村人の為に自由を捨てるなんて、中々出来る事ではない。俺はジェイドに興味が湧いた。
「そうなんだな...ジェイド氏、素晴らしい人だね。」
「分かりますでしょう!?あの人は、命をかけて村を救ってくれているのです。その当時は私もまだ子供でしたけど、彼の助けにと思い、読み書き計算を勉強してギルド職員になったのです。」
やけに熱の入ったセリフを言いつつ、ジョッキをゴクリと飲んで、彼女は話を続けた。俺はそれを聞きつつ、アムと食事を平らげていた。
因みに、さっきからアムがジト目で俺を見ている。俺が何をしたと...。
「じゃあ、ジェイド氏は村の英雄なんだね。何か良い話を聞かせて貰った。」
ドロシーは再びジョッキを手に取り、エールを飲み干した。最後は結構一気に流し込んだ風に見えた。
「ま、マスタはあ...ぶらどだべでぃいいん、じゅうをずでで...あうっ。」
ドロシーはそう言うと、ジョッキをテーブルに落とした。その格好のまま、うつ伏せに潰れてしまった。
「はあ、あんたって相手を泥酔させるスキルでも持っているの?」
ドロシーが沈黙したのを見計らって、アムがジト目でツッコミを。
「その目はヤメロ。俺にも何が何だか。」
「て言うか、アンタ凄いわよね。色々な意味で。」
俺のジョッキからエールを飲んだアムは、ほろ酔い加減らしい。同じく耐性持ちだから、これ以上酔わないのだが。
「そう言われても。君も見ていただろう?俺は何もしてないけど。」
「うん、そうなんだけど...でもこれ、アンタの影響よ、多分。」
腕組みしながら、ドロシーの頭に足を組んで座った。高さが丁度俺の顔くらいになるので、楽なんだろう。
「俺にどうしろと。てかもう用は済んだのだし、あまり絡まれない内に村を出発しようか。」
「うん、あたしもそんな気がするわ。でも、アンタはやっぱり自覚が足りないわね。」
「ああん?」
「さっきも言ったでしょ?アクリル様はどんな御方なのよ?」
「ええと、大地母神...って、もしかして慈愛の神とか?」
「当たり。彼女の慈悲心に叶う人は、我々が助けるべき人よ?もしジェイドが、いえ、高い確率で彼がそう言う人と言う事は?」
「あー、巻き込まれる気マンマンじゃんか。それじゃあ逃げても意味ないなあ。」
女将がやって来た。ドロシーの潰れ方に、ヤレヤレと言う顔をした。
「ねえアンタ、こう頻繁に酔い潰れさせちゃうと、そのうち酒豪しか寄り付かなくなるわよ?」
女将は半笑いしながら、溜息をついた。その後ろで、俺の困り顔と女将を見比べながらマイライが口元をムニャムニャさせている。
多分メッチャウケているんだろう。何気に握った拳が震えている。
「俺は話を聞いているだけなんだがそれは。」
プッ!とマイライが吹いた。女将は娘の様子を見て、大笑いした。
「あっはっは、この娘を笑わすなんて、あんたも相当だね!どうだい、うちの娘を貰ってくれないかい?」
今度は娘のキャラメル色の顔が赤くなった。無言で女将の背中をバシッと叩くと、奥へ走って行った。
「女将さん、若い娘達をからかうのも程々に。俺は旅の途中なのでね。」
「まあそうだねえ、別れも人生のスパイスさね。娘も宿屋を継ぐなら、慣れて貰わなくちゃね。」
女将はウィンクすると、あははと笑いながら厨房へ行ってしまった。そう言えば、ドロシーをどうしよう...。
「はあ、アンタ責任を取りなさいよ。奢った酒で酔い潰れているんだから、アンタの蒔いた種よ。」
俺はアムをまじまじと見た。何かくっついて来るだけの奴くらいにしか思っていなかったから、今の発言にはちょっと驚いた。
そう言えば神が今後重要な奴とか言ってたな...。ふうん、コイツこんな霊的哲学な事を言う奴なんだな。
「仰る通りだね。ああ、面倒事を増やしたよ...。」
フン!と鼻で笑うと、アムは俺のカップのエールを飲んだ。
そうかコイツ、呪術師だったよな。何か呪詛系の法則とかから、そう言う霊的な知識を知っているんだろうな。
食事を終わらせた後、女将にドロシーをギルドへ運んどくと断って、俺は彼女を背負いつつ店を出た。
年頃の娘をおんぶするなど、以前には無かった事なのでメチャクチャ緊張した。何か背中に当たっている感触があるが、無かった事にしよう。
外は既に深夜前だった。彼女の家が分からないので、俺達は再び冒険者ギルドへ向かった。入り口から入ると、ギルマスが受付をやっていた。
「やあ、さっきは済まなかったな...おい、ソイツはどうしたんだ?」
背負っているドロシーを見て、ギルマスは怪訝そうな顔をした。
「アンタが元気そうで良かった。彼女に冒険者証を届けて貰ったので、御礼にエールを提供したら、この通りで...。」
奥の部屋から、盗賊のビンセント?が顔を出した。俺達の状況を一目見て、何か理解した顔をして笑った。
身長が190cm弱の長身で、あばた顔の醜男だが目つきは鋭く、口角を吊り上げて皮肉っぽく笑う様が盗賊っぽい。
が、直感的にコイツはそんなに悪辣な性格ではないと感じた。多分今までの人生が厳しかったのだろう。
ギルマスは頭を手で抑えながら、困った顔をした。
「ああ、酔っぱらいを送り届けてくれたのか。手間をかけたね...そうだな、救護室のベッドまで運んでくれるかな?」
俺は頷くと、言われた通りドロシーをベッドに寝かせた。
「マスター、この子の家は何処なんだい?俺の奢った酒でこうなっているし、送って行こうかと。」
ギルマスは俺の顔をしげしげと見た後、フッと笑った。
「...アンタ真面目なんだな。まあその娘は両親をモンスターの襲撃で亡くしてな、独り身なんだよ。ここで寝泊まりしているんだ。」
「あっそうなんだね。では、これで良かったのかな。」
ビンセントがニヤニヤしながら、
「そうとも限らんさ。」
と言ったのを、ギルマスが睨んで一喝した。盗賊はハイハイと言う態度で両手を挙げ、奥の部屋へ戻った。
「彼女は業務中だったのか?それなら申し訳ない事を。」
ビンセントのジョークをフォロー(なぜ俺が?)しつつ、頭を下げた。
「いやいや、若いとは言っても自分の身一つの管理も出来無い様では、これからが思いやられる。あくまであの娘の判断だから、君は気にしないでくれ。こうやって、わざわざ送ってくれたしな。」
そう言って、ギルマスは笑った。今日はもう遅いから、話はまた明日と言う事になり、俺とアムは宿へ戻った。
♤
次の日、目が覚めると視界を何かが遮っていた。手で払うと、アムが浮遊したまま俺の顔の上で寝ていたようだ。
勢いでふよふよと空中を漂いながら、壁に当たって跳ね返ってきた。
「あう...痛い...。」
とかムニャムニャ言いながらまだ寝ている。俺は彼女を起こさない様にしながら、静かに身支度を整えた。
ハードレザーアーマーを着て、荷物をまとめた。宿泊は1泊だったから、退去準備だ。
顔に手を当てると、大して髭も生えてない。肌が浅黒いから目立たなそうだし。
そうだ、昨日は出来なかったから、せめて体を拭いたり洗面したいな。俺は立ち上がると、アムに気を遣いながら部屋を出た。
階段を降りると、まだ早朝にも関わらず食堂は賑わっていた。カウンターに顔を出すと、今日はマイライが食器を洗っていた。
「おはようさん。ええと、顔を洗ったりしたいんだけど、どこか水場とかあるかな?」
マイライは俺の方を見ると、頷いて「こっち」と言いながら裏口へ向かった。一緒について行くと裏庭に出て、すぐ目の前に井戸があった。
傍らに何やら蛇口の様な器具が付いている棒があるが、ホースのような配水はされていない様だ。それを彼女は指さした。
「あのー、これの使い方ってどうやるんかな?」
「魔力を流すと、お湯が出る。」
マイライは短く返事をした。コミュニケーションが苦手なんだろうか?
「ありがとう。」
オレが手を振ると、頷いて戻って行った。さて、魔力を流す、ね。どうやるんだか...ああ、それも聞いとけば良かった。
「あー、おはようございます。」
裏口の方を見ると、白ローブのイザベラが頭を掻きながら近付いてきた。
「昨日は酔い潰れちゃったみたいでご免なさいね...って、こんな所で何しているの?」
「おはようさん。ええと、これに魔力を流すと言われたのだけど、やったこと無いので分からないんだ。」
「ああ、そう言う事ね。えーと、マヒトさんは適合属性持ち?昨日能力判定していましたよね?」
「確か無属性が∞とか...。」
「えっ!?」
イザベラは俺を凝視している。何だ何だ、そんなに驚く事なのか?
「...あれだけの武力で、その上に魔法全般適正持ちで∞?あなた何者なの?」
「そう言われても。ああ、多分アクリル様の加護持ちらしいので、関係あるかもだけど。」
彼女は更に目を見開いた。何か視線が痛いんだが。
「...ギルマスが叶わない訳ね。まあ良いわ、これに魔力を流す訳でしょう?」
イザベラは近くの桶を手前に置くと、蛇口付きの棒?を手に持った。
「ねえ、こっちへ来て...そう、それで私の腕を掴んでみて。ええ、いいわよ。」
俺はイザベラの横に並んで、言われるがまま棒を持っている方の腕を掴んだ。すると彼女は精神集中?を始めた。
と、ザワザワっと体中が総毛立った様な感覚になった。自分の腕の体毛が鳥肌になっている。寒気では無く、体毛だけ立った感じだ。
そして体表を痺れともざわつきとも取れる感覚が急激に高まった。と、蛇口から湯気を立ててお湯が桶に注がれた。
気温の影響もあるが、結構湯気が激しいのは熱湯なのだろうか。
「ね、今の感覚が分かったわよね?」
「ああ、凄いな!全身がザワザワってなったよ。」
「...凄いのはマヒトさんだよ。」
イザベラは小さくそう言った。
「え?何て?」
「いいえ、何でもないわ。今の感覚を再現しながら、意識をこの魔道具の先に集中してみて。その時に、お湯が出るイメージをすればお湯、同じ方法で水も出るわ。」
何か頬を赤くして、イザベラは棒を渡してきた。俺は同じく構えると、言われた通りにイメージしてみた。
すると今度は水が出て、桶の熱湯が丁度良さそうな湯加減になったみたいだ。
「おおお、凄い!俺、初めて魔法を使ったよ!ありがとう。」
何と言うか、出来てしまった。他の魔法もこんな感じなんだろうか。イザベラは苦笑した。
「...本当に面白い人ね。あれだけの達人のくせして、これは素人な反応なのね。いいわ、もし良かったら、私が魔法を教えてあげる。多分マヒトさんなら、すぐに使いこなせる様になると思うわ。」
「え、本当!?ありがたい。実は旅をしている目的が、魔法を教わりに行く事なんだよ。」
「へえ、そうだったのね。まあ、その才能なら理解できるわね...ねえ、それはそうとして、お湯はどうする気なの?」
ああ、忘れていた。俺はイザベラに事情を話し、何ならお先にどうぞと勧めた。
「あ、私は全身水浴びだし、あなたは洗面でしょ?私なら待っているわよ?」
「いや、教えてもらったし。俺は部屋に戻るから、イザベラさんこそどうぞ。」
イザベラは「むーっ」と声を出して、少し考えた。そして井戸の近くの壁を何やら指でなぞり始めた。すると、壁際に石壁の仕切りが出現した。
「これね、土属性のマジックウォールと言う魔法の応用なのよ。これなら、お互い気にしないで使えるわよね?」
そう言うと、イザベラは蛇口を持って、仕切りの中へ入った。
俺は鎧を脱ぐと、物理クラフトでタオルを作った。丈夫なロープを消費したが、麻布みたいな感触の手ぬぐい?が完成した。
顔を洗い、お湯を頭からかけて、全身を拭いた。久々にサッパリ出来たが、寒いので急ぎ鎧を着た。
ハードレザーは文字通り革素材なので、保温性もあるようだ。
この世界で目覚めた当初から着せられていたから、深くは考えていなかったけど中々便利だ。多少の斬撃や刺突も耐えてくれそうだしな。
打撃は...当たらないようにしよう。
「あー、マヒトさんゴメン。タオルを忘れちゃったから、あなたが持っているのを貸してくださる?」
「え、今使っちゃったけど、それでもいいの?」
「洗えば大丈夫じゃない、問題あります?」
この世界は、そういうところがラフな考えなんだろうか。ま、別に構わないけど。
「はい、じゃあこれ。」
仕切りの上から手が伸びていたので、タオルをすすいで手渡した。
「あ、俺は先に部屋へ戻るんで、後で返してねー。」
「はーい。」
部屋に戻ると、アムはまだ寝ていた。朝食をとらないとだが、起こした方が良いのだろうか?
気持ち良さそうなので、このまま放置した方が良い気もする。
「ああ、そう言えばコイツ森では何を食べていたんだろう?昨日は普通に食べていたよな。」
ま、後で聞いてみるか。そう思っていたら、ちょうど良いタイミングで目が覚めたようだ。
「ん...ふぁーあ、ねもい...。」
空中を漂いながら、上半身だけ起こして目をこすっている。
「おはよう、よく寝てたな。」
俺の方をボーッと見て、周囲を見渡したアムはやっと意識が戻ったらしい。
「あ...オハヨー。」
こいつ朝がすごく弱い感じだな。低血圧なのか?浮遊しながらゆっくり壁に接近し、ポヨーンと跳ね返って逆方向へ漂っている。
壁に当たった瞬間、「あう」とか言ってるし、なんかシュールだ。
「あのー、アムさん?朝食とかどうしようかね?」
「んー...チョウショク?ショク?朝?」
意外とポンコツだった件。俺は色々考えて、
「あー、俺は朝食にするから、食べたかったら早めに食堂へ来てねー。」
と言って立ち上がった。アムは無言で眠そうに頷くと、片手でバイバーイと手を振った。
酒場&食堂へ降りると、イザベラとグレッグが既に朝食を食べていた。
「おはようさん、御一緒しても?」
声をかけると、気さくにOKしてくれた。
「マヒトさん、これありがとう。」
イザベラがタオルを返して来た。俺はどういたしましてと、受け取る。使った割に湿ってないのだが、乾燥させる魔法でも使ったのか?
「昨夜は申し訳ない。こちらから誘ったのに、我々が酔い潰れてしまって。」
「いえいえ、二人共疲れていたんだよ、きっと。」
「あーうん、そうかもね。私達、昨日の午前中に討伐から帰って来たばかりだったのよ。」
「討伐?」
俺はカウンターのマイライに、手を挙げて食事を頼んだ。
「ええ。武装オークが、ここ最近は近隣の村に出没するんですよ。何故かは不明ですが、それなりの品質の武具を装備しているので、手強いのです。」
グレッグが答えた。イザベラも頷いた。
「そう、あいつ等って案外耐性持ちなのよね。私の土属性とは相性が悪いのよ。土のマジックボルトだと、通常防具で弾かれてしまうし、パワーがあるからアースウォールとかで分断しようとしても、すぐ破壊されてしまうわ。」
困った顔でイザベラがそう言った。
「私の炎術系でも、耐性が高いのですぐに回復してしまう。味方に回復役が居ないのも痛いですな。」
そういえば昨日、イグニス神の事について聞いたな。
何でも神聖法術は回復や支援がメインと言う訳ではないらしい。「神の奇跡を体現する」職業との話だ。仕える神によってだいぶ違うそうだ。
イグニス信者の場合、見習い〜新人神官だと小さい火を操る程度らしい。
中堅以降になると、掌から放出する火炎放射で圧倒できるそうだが、オークは回復力が元々高い種族らしい。
だから表面を焦がしても、一時間もすれば治ってしまう。だから決定打にならず、数が減らないそうだ。
「ジェイドの剣技でも、通常の武器では板金鎧は通らないのよね。魔法の武器なら違うのでしょうけど...。」
イザベラはため息をついた。この世界では、装備が物を言わすんだな。
「それじゃあ、クエストは完了していないのかな?」
「ええ、その通りです。これからまた討伐に行く予定ですが、どれだけ成果があがるのか不安です。」
グレッグもため息をついた。俺はちょっと考えて、協力を申し出た。
「あの、差し出がましい様だけど、俺も手伝おうか?実は秘策があるんだけど。」
二人が俺の方に注目した。
「もしかして格闘かしら?でも、流石に全身の板金鎧では...。」
イザベラが怪訝そうな顔をした。
「関係ないんだな。どんなに防御が強かろうと問題ない。攻撃を任せて貰えれば、一体ずつなら多分倒せるよ。」
二人は顔を見合わせた。その後も少々話し合いながら朝食を食べて、結局ギルマスに相談する事になった。
食事後に冒険者ギルドで落ち合うことにして、とりあえず二人と別れた。
部屋に戻ると、やっと覚醒したアムがせっせと身繕いをしていた。
サイズが30cmなので別にそそられないが、平気で全裸になって着替えをしている。
「...お前、隠せよ。」
目を逸らすと、よりによって全裸のまま視線の方向に回り込んできた。
「うふふ、カワイイじゃない。女の裸1つで顔を赤くしちゃってさ。」
「うるさいなあ、普通に失礼になるだろ?」
「私を何歳のババアだと思っている訳?たかが裸で騒がれるほどじゃないわね。」
と、やけに胸を張って迫ってくる。ぱっと見だが、ババアと言う割には綺麗な裸なんだが。
おいだから前隠せよ...。俺は着替え終わるまでそっぽ向いていようと思っていたが、コイツわざとなのかスッポンポンのままだ。
その後、アムが精神集中?すると一瞬体が光った。頭の天辺から足の方向に、光の膜でコーティングされた風に見えた。
「今、何をやったの?」
「何って、清潔化の魔法よ。無属性適正持ちなら誰でも使える筈だけど?」
「清潔化って?」
「身体の汚れをクリーニングするのよ。シャワーしなくてもスッキリするわね。」
「あれま!今さっき魔導具?でお湯を出して体を拭いたばっかだったのに。なあんだ、教わればよかったあ。」
「何だ、言ってくれれば良かったのに。魔力を集中させる部位を自分の全身にして、浄化させるイメージしてご覧?」
何々、さっきの鳥肌を感じて、全身に集中、浄化ってどんなイメージだ?まあいいや、風呂上がりの感じで...。
俺の全身が一瞬光った。同時に凄くサッパリした感覚になり、ハードレザーアーマーも綺麗になった。
「おお、こりゃあ凄え!何て便利なんだ!」
さっきと比べて、凄く快適になった。それにイメージのお陰か、体中ホカホカしてリラックス出来る。魔法の凄まじさを実感できた。
アムは空中でうつ伏せになって、頬杖をしながら見ている。
「アンタ反応が新鮮だから、見ているこっちも楽しいわね。あれだけ強いのに、魔法は素人なのね。」
「それ...さっきイザベラにも言われた。」
「ああ、ハーフエルフの小娘ね。そう言えば魔術師とか言ってたわよね。」
おお!ハーフエルフ!あれがそうなんだな。RPG界の人気者、秀麗な容姿と長寿な一族だっけ?
「そうそう。ハーフエルフってのは知らなかったけど。」
「耳を見れば一目瞭然でしょうに。尖っていて短ければハーフ、長ければエルフよ。」
「へえ、そうなんだな。俺の居た国では見た事無かったな。」
「ええーっ、そうなのね!それって珍しいわ。一体何処にある国なんだか。」
ま、異世界のとか言っても信じないだろうしな。あー、アクリルの召喚とか言えば信じそうかな。でもまあ、別に言わなくともいいや。
「そう言えば君さ、朝食は?」
「...お腹減ったわよ。」
口を尖らせて、アムは子供みたいに上目遣いで俺を見た。
「そう言えば、君って森の中では何食べていたの?」
「ああ、基本はあの泉の水さえ飲んでいれば生きられたのよ。まあ他の食物は、正直趣味程度ね。」
「なあ、それって変な話で悪いけど、排泄とか無いわけ?」
「ちょ、なんてこと聞くのよ失礼ね!」
ああ、これは怒るんだな。ま、まあ俺の価値観に当てはめるのは、よくないんだなと。つーか、マッパはいいのかよ...。
「いや、医学的興味からだね。」
「...イ学って何?」
これもこの世界の常識なんだろう。魔法とかがあると、わざわざ医学的な発想が生まれないのだろうな。そういう言語も存在しないのだろう。
「ええとね、俺の国の文化なんだけど、怪我をしたり病気になったら完全な物理的法則を利用して回復させる技術があるんだよ。ああほら、何だっけ...薬草を干していたとか言ってたじゃない?」
「あっうん、そうね。」
「複数の薬草を煎じて、体力回復や傷を癒やす薬と言うか、ポーションとかあるよね?」
「へえ、あんたの国でもその技術があるのねえ。確かにそうだけど、一般的ではないわ。」
「ふうん...もしかして、呪術師の秘技とか?」
「そんな感じね。この国には、そういった手段は普通ないわね。」
「そうなんだ。まあ、そんな感じの手段で、治療するのが医学なんだよ。だから、身体構造とか、生理現象とかを学問として知りたいのさ。」
「それ、面白そう。凄く興味あるわ。」
アムは全裸のまま俺の顔面前まで近付いて来た。俺は目を瞑りながら、
「...服を着ろ。」
と、片手で接近を拒んだ。
「ちぇーっ、せっかく色々見せたげようと思ったのにい!」
そう言うと、ゴソゴソと音がして、「服着たわよ」との声がかかった。目を開けると、アムは親指を立てた。
「準備万端。でもお腹空いた。」
「うーん、俺は今済ませちゃったからなあ...。」
「えーっ!この人でなし!」
俺の肩をポコポコ叩くアム。痛くはないが、駄々っ子が空中で手足をばたつかせているみたいで笑う。俺は両掌を前に向けた。
「まあまあ、慌てるなって。飯がないとは言ってない。」
「何よ、何かある訳?」
俺は魔法のバックパックから、生の鹿肉を取り出した。
「へえ、これジャイアントディアの肉じゃない。しかも新鮮...あーっ!アンタそれマジックバッグ!?」
すごい期待感溢れる様子で、アムはバッグを調べまくっている。
「ああ、そうだね。でも内緒な。アクリル様から貰ったのさ。」
「いいなあ、それ1つあるだけで行商ができる。生活に困らなくなるしぃ。」
欲しそうにバッグの周囲をウロウロしている。なあお前、そのサイズじゃ使えないだろ...。
「ダーメ、これは授かりものだからね。ほれ、これを調理すれば良いだろう?」
残念そうな顔で、アムはコクリと頷いた。そしておもむろに何かの印を指で空中に書き始めた。
すると、俺が持っている肉塊が空中に浮かび、周囲を青い炎が包んだ。
ゆっくり一定方向に回転しながら、10cm角の肉塊はあっという間に良い感じのステーキになった。
「ほえ、凄い。これも魔法?」
「いいえ、これは呪術よ。蒼きゲヘナと言う名前の呪法ね。」
「ほーん。俺は呪術ってのは、ヒト型とかを使うやつかと思ってた。」
アムは目を見開いた。
「なんでそれをアンタが知っている訳?師匠しか扱えないはずよ!」
アムは怒ったように言った。俺はまたもや両掌を前に向けた。
「ああほら、先に食べなよ。退去しなくちゃなんだからさ...そう言われてもな。俺の国の秘技だったけど、陰陽道って言うのさ。」
肉をかじり始めたアムの手が止まった。
「オンミョウドウ...それよ!師匠の秘技がそう言う名前だったわ!」
俺はマアマアと言いながら食事を促した。ほう、日本語が存在するなんてな。こりゃあアクリルにでも尋ねないと。
同じ日本人がこっちの世界へ来ているという証だよな?
まあとにかく、早く飯を済ませて貰わんとな。俺は、それ以上の会話は食事後だとアムに言い、空中に浮いている肉を食べ終わるまで待っていた。