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他人のおうち

作者: 雉白書屋

 益美は娘の美奈と共に四つ駅が離れた町に住む、従妹の由美子の家に遊びに来た。

 一軒家の多分、二階建てもしくは三階建て。『多分』というのは壁の塗り替えをしているのか、ブルーシートで覆われているためだ。あるいは増築かもしれない。由美子の家は子だくさん。息子が四人。娘が一人にいる。


「ままー?」

「あ、うん」 


 益美は眺めるのもそこそこにインターホンを押し、由美子が笑顔でお出迎え、中へ入る。


「あっはっはっは! やだもー」

「あははははは! 益美ちゃんこそ あはははは!」


 居間で持参した洋菓子と紅茶を振る舞われ、楽しく会話する二人。

 と、そこにドタドタと廊下を駆け回るような音。襖が閉まっているため姿は見えないが多分、由美子の子供たちだろうと益美は思い、フフッと笑う。かくれんぼか追いかけっこでもしているのだろうと。が……。


「ちょっと! うるさいよ! 二階へ行ってきなさい!」


 由美子が襖を開け、一喝。

 ドンピシャ。ちょうど襖の前に男の子が一人、リモコンの一時停止ボタンを押されたかのように立ち尽くす。

 目を見開き、口をぽっかりと開けたその顔は死刑を宣告された罪人のよう。

 由美子は襖を閉めると、今しがたの怒声が嘘だったかのようにまるで仏のような笑みを浮かべ、また他愛のない世間話に戻った。廊下からは力のない足音。それはそのまま階段を上っていった。


「でも、あ、あれよね、いいわね! 由美子ちゃんの家は子だくさんで! 賑やかで楽しそうだわぁ、羨ましい」


 と、益美は何となく居心地の悪さのようなものを感じ、そう言った。


「そんなことないわよぉ、ホント毎日大変で」


「あらあら、でもまぁ、さっきの子も素直でね、うん、可愛いし、えーっと和希くんだったかしらね、あ! あとで小遣いをあげたいわ! みんなにね」


「あらあらいいのよ、そんな気を回さなくてもぉ」


「うふふ、気なんてそんな、あ! 大変と言えばお宅、工事中? ほら、家の二階部分からブルーシートが」


「ああ、そうなのよぉ、増築ね、まあそんな大掛かりじゃないんだけど、ほら、子供がね、多いか」


 と、ここで由美子が言葉を切り、天井を見上げる。

 上からドタドタと足音が右へ左へ、そして埃が下へ。小分けになった茶菓子を入れた器の中にそっと落ちた。

 

「うるさいわよ! 上へ行ってなさい!」


 まさに豹変。しかし、天井に向けたその怒声を出した顔よりも、スッと元に戻り向けられた笑顔の方がなぜか怖いと益美は感じた。


「え、ええっと……ん? あの、上って」


「ん? あらっ、洗濯機の音か。ごめんなさいね、取り出さないとピーピーうるさくて、ちょっと行ってきてもいいかしら?」


「え、ええ、もちろん」


 すぐ戻るからね、と優しい笑顔を向けて退室した由美子の姿が見えなくなると、益美は自然とふぅーと息を吐いた。

 次いで、天井に目を向ける。子供たちは、二階の様子はどうなっているのだろうか。お通夜みたいな空気だろうか。美奈は……。  

 気になった益美はどっこいしょと立ち上がり、バッグから持参したポチ袋を取り出すと階段へ向かった。

 自分は叱ってはいないがどこか罪悪感、共犯者のような気持ちがあり、それを拭いたかったのかもしれない。

 が、二階に着いた瞬間、その気持ちは吹っ飛んだ。


 ――臭い。


 臭い臭い臭い。一体どこから何からこの悪臭が立ち昇っているのだろうか。いずれにせよ、窓は雨戸が閉められており、その隙間から僅かに日が差し込むのみ。そのせいで空気が悪いのだろう、むしろよく一階まで匂いが漂ってこなかったものだ。

 益美はゆっくりと奥へ進む。口を押えているのは無論、この臭い、空気を体内に取り込みたくなかったためであるが、もう一つ理由があった。彼女はそう意識はしていなかったが。

 ……と、足裏にゴリッとした感触。何かを踏んだ。

 ひっ、と押さえた手、指の隙間から悲鳴が漏れる。

 益美はゆっくりと屈み暗闇の中、目を凝らす。


 人糞。

 それも乾燥した人糞であった。


 誰の、よりもどうして、が疑問として浮かび上がるが、答えもまたすぐに浮かんだ。

 小さい、これは子供のだ。そして二階にはきっとトイレがないんだ。さらに、床が湿っている気がしていたのは気のせいではなく……。

 益美は階段の方へと体を向けた。下に降りるためではない、上に向かうためだ。


「あの……誰かいる……? 美奈? 美奈ー?」


 三階に上がった益美は静かにそう訊ねた。

 三階も二階同様閉められた雨戸、その隙間から僅かに光が漏れ入るのみ。ゆえに十分注意を払ってはいたつもりであった。

 だが、踏んだ。

 ぐにゅっと。

 そしてそれは人糞ではなかったが、それが何の慰めになるというのか。暗闇の中、目を凝らしそれを見つめた益美が、巨大な毛虫を連想したのも無理はない。

 それは骨がない、恐らくはネズミ、あるいは猫であった。

 なぜこんなものが。図らずもその疑問はすぐに解消された。

 一歩、後ずさりした益美の背中に鋭い何かがトンと触れる。

 振り返る益美。もう悲鳴は抑えようがなかった。

 暗闇からヌッと現れたのは子供の顔。ついで胸、肩、腹と窓から漏れ入る光の線に触れ、露になる。

 キラリと光ったのは手に持っている、恐らく槍であろうか。

 向けられ、追い立てられた益美はさらに上の階に上がった。

 淀んだ空気を風がかき回す。ばさばさとはためくブルーシートの音。どうやら四階に窓はないようだ。ブルーシートが音を立てる度に光が点滅するように部屋の中を照らす。


「誰、誰か……誰かいる、ねえ……み――」


「まま……? ままぁ!」


「美奈!」


「ままぁぁ! あのね、あのね、上に行きなさいって言われたからね……」


 益美は探していた我が子をようやく見つけ、二人は抱き合った。が、ホッとしたのも束の間。


「うるさいうるさいうるさい! いい加減にしないと外に放り出すよ!」


 ドタドタと階段を駆け上がる音。その異常なスピードに気圧され、益美は娘を抱え、窓からぴょんと――

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