崩れた日常
01
優しい嘘というものが存在するのなら
きっと現実というのは残酷なのだろう
02
「お母さんっまた来るね!今度は美味しいケーキ買ってくるっ」
私はまた笑顔の仮面を被る。
最近ずっとそうだ。その所為で、自分がどんな顔で笑っていたのかわからなくなってしまう。
私の母は、二ヶ月前から入院している。
末期の癌だとお医者さんに言われた。
そのことは、まだ母には話していない。
母は、いつも優しく笑っていて、自分よりも家族のために生きているような人だった。
私が落ち込んでいれば、どんなに長くなろうと最後まで話に付き合ってくれて、私が喜んでいれば、それを察して私の好物を夜ご飯に出してくれる。そんな人だった。
体調を崩しだしたのは、ほんの三ヶ月前。
咳き込むことが増え、朝起きて来られない日が少しずつ増えてきていた。
今までそんなことは一度もなかったので、父と相談して病院で検査してもらうことにした。
私は大学に通ってはいるけれど、自宅から通っていたので、その日はついていくことにした。
待合室で、母は恥ずかしそうに笑っていた。
「二人とも大袈裟すぎよぉ、少し休めば平気なのに」
その言葉が現実であれば、どれだけよかったことか。
私と父は、二人だけ診察室に呼ばれ、母の状態を知らされた。
父が泣いているのを初めて見た。
普段から仲のいい二人ではあるけれど、この時の父を見て、ああこの二人は一緒に生きてきたんだなと痛感した。
「母さんには、まだ言わないでいよう。父さんもできるだけお見舞いに行くから、お前もなるべく母さんに会いに行ってやってくれ」
「頼まれなくても行くに決まってんじゃん。でも本当にお母さんは助からないのかな」
父の目には、再び涙が浮かんでいた。
今年還暦を迎える二人は、三十年以上一緒に生活して、家族として生きてきたのだ。
比べることではないのだけれど、私よりも父の方が辛いのだろうなと、なんとなく感じた。
その日から、私はバイトを辞め、家のことを手伝うことにした。
母の代わりになんてなれないけれど、少しでも母や父の負担を分けてもらいたかったからだと思う。
毎日お見舞いに行き、想像上の思い出をでっち上げて、母に聞かせる。できるだけ明るい話を、だ。
母のことだから、私の嘘なんてきっと初めからわかっていたのかもしれない。
それでも、いつものように笑ってくれる母の顔が、私に希望を抱かせる。
「お母さん、退院したら何したい?久しぶりにみんなで旅行でも行こうよ」
「そうねぇ、梨央が笑っていてくれると、お母さんも嬉しいわ」
何度も、何度も、何度も、何度も。
笑顔の仮面を被って、約束をする。
それが、母の生きる活力になれば、と。
しかし、私はそこまで器用な人間ではなかった。
母に嘘を吐き続けることが、どれだけ残酷なことかわかっていないふりをしていたのに。
私は、母の笑顔を受け止めることさえ辛くなってしまっていた。
そして、私は父と喧嘩をした。
喧嘩にすらなっていなかったかもしれない。
一方的に、私が怒鳴っていただけだったように思う。
「もう無理っ!お母さんといろんな約束しても、きっと叶わないって思っちゃう。でも、一日でも長く生きていてほしいから、一秒でも多く笑っていてほしいから。ねえ、お父さんはなんとも思わないの?このままじゃ、お母さん何も知らないままいなくなっちゃうよ」
「••••••梨央、ごめんな。お前にもこんなに辛い思いをさせてしまって」
「謝ってどうにかなるものじゃないじゃん、私はお母さんと一緒にいたいよ。でも、病気でそれが叶わないのなら、ちゃんと、••••••ちゃんと、ね。ちゃんと、お別れしたい。ありがとうとかごめんなさいとか、全部伝えたいよ」
父は黙って下を向いて、涙を堪えていた。
わかっているのに、この人だってものすごく辛いんだ。
私だけがやりたいようにやっていい訳がない。
その日のご飯は何の味もしなかった。
いつか大人になって、結婚して、子どもを産んで。
母と父に孫の顔を見せて、休日はみんなで旅行したりして。
そんな未来を当たり前に描いていた。