第3話 魔法使いの弟子
そして今。
二十歳の夏、私は魔法使いの弟子になった。十三夜の月が輝く夜。ついさっきの出来事だ。
「とりあえず、私の家へ案内します」
フクロウの姿の自称魔法使いは、そう言うと、再びヤマボウシの木の枝に飛び上がり、器用に首だけ回して振り向いた。
「あなた、車持ってますか」
「一応、向こうの駐車場に止めてありますけど」
「それは良かった。少し遠いので車で行きましょう」
私は、赤い軽自動車の助手席にフクロウを乗せるとエンジンをスタートさせた。行先は魔法使いの家。ここから車で三十分程の山の頂上にあるという。
くねくねと激しく曲がる山道が、しばらく続いた。いつの間にか東の空は明るくなり、時々、急に現れた自動車に驚いて、道端から小鳥が飛びたった。
やがて、木々の間を走り続けていた車は、広い原っぱに出た。道はそこで行き止まりとなり、数台の車が止められるパーキングになっていて、一台の白い車が止まっていた。その向こうは小高い丘になっていた。
フクロウとともに車から降りて丘を登った。登り切ると、その向こう側は急な斜面になっていて、その先に、さっきまで私達がいた街を、はるか彼方まで見下ろすことができた。さらにその街の向こうには、巨大な山々が壁となって、街を囲むように連なっていた。
ふと、右側に目を移すと、斜面の途中に、いびつな建物が見えた。今にも崩れそうだが、うまい具合に丘のちょっとした窪みにはまっている。二階建の屋上には、天体観測用のドームが朝日の中に輝いていた。
あれは天文台かしら。
そのことに気づいたとき、私の頭の中には七歳の頃に住んでいた街の風景が飛び回っていた。そうだ。星見さんは今、どこで、どうしているのだろうか。
「あれが、あなたの家なのですか」
「そうです。魔法使いの家は、天文台であると、昔から決まっています」
だとしたら、星見さんは、本当に魔法使いだったのかもしれない。今更ながら、そんなことを考えていた。
家に着くと、魔法使いの弟子としての修業が唐突に始まった。
「魔法使いには、必要なものが三つあります」
「はい」
「まず、魔法の杖。それは、もう渡しました」
「はい」
「もう一つは、これ、魔法の書」
私はフクロウからそれを受け取った。とても古い本だった。表紙には、何やら文字らしきものが綴られているが、どれ一つとして、読めるものはなかった。試しに開いてみると、どのページも真っ白だった。最後のページに至るまで、何も書かれていない。
「白紙。ですね」
「そう。ここに君が自分で魔法の言葉を書き込む。ここに書かれた魔法しか、我々は使うことができない。因みに、これが私の魔法の書」
フクロウの魔法の書には、どのページにもびっしりと細かい文字が書かれていた。最後のページには『フクロウへの変身魔法』という文字が書いてあった。
「そして、必要なものの三つ目」
「はい」
「才能です」
「つまり、もし私に才能がなければ、魔法使いにはなれないと」
「そう言うことです。どんなに努力しても、できない人にはできない。それが魔法なのです」
「まさかとは思うのですが、私には才能があるんですよね」
だって、フクロウが私を選んだわけだから、今更、才能が無いから、帰れ、なんて話はないだろう。しかし、フクロウは言った。
「わかりません。これだけはやってみないと分からないんです。とにかくまずはやってみましょうか」
私は、フクロウに言われるままに、魔法の書の第一ページ目に、『魔法解除』と言う項目を書き写していった。
魔法を解除する方法を学ぶことは、魔法使いの弟子にとって最も大切なことだと、フクロウは言った。自分の魔法を止めることができずに、多くの幼い魔法使い達がトラブルに巻き込まれ、ある時は命さえも落としたそうだ。そういえば、ミッキーマウスも自分の魔法を止められずに困っていたっけ。
「それではどうぞ」
フクロウが言った。魔法の書の第一ページを写し終えた私は、そこに書いてある通りに、
フクロウに向かって杖を振ってみた。
「あ、今、風が来ましたよ。大丈夫、才能はあるみたいです」
フクロウの興奮が伝わってくる。元の姿に戻れるのがよほど嬉しいのだろう。
そして、三度目に、私が魔法を放った瞬間、フクロウは白い光に包まれ、やがて、人間の姿となって現れた。それは、声から予想した通りの、普通の中年男性だった。
がっしりとしたかなり大柄な体格。背が低く痩せ型の星見さんとは対照的だった。ちょうどフクロウと同じような色のグレーのスーツを着ていた。おそらくかなり高級なものだろう。魔法使いというよりは、どこかの大企業の部長という風格があった。
「ありがとう。君が優秀で助かりました」
魔法使いは、豊かなバリトンでそう言うと、にっこりと笑った。