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この世界には魔法がある。
魔力を持って生まれる者は半分ほどで、この国の民の多くは水魔法を扱う。
ティトゥーリアは水の加護を受ける国だ。
水の女神の纏う青、その色は「ティトゥーリアの青」と呼ばれ、王族と王または王妃より下げ渡された者のみが身に着けることが出来る禁色として大切に扱われている。
ジークヴァルトはその青を瞳の色に持っているため、とりわけ女神の祝福を受けた王子とも言われている。誕生パーティーに令嬢達が駆けつけたのは、この見た目によるところも大きい。
そんな彼は、水魔法に加え風魔法を操る。王座は遠く望んでもいない。せっかくの魔力量だ、将来は魔法騎士として軍の一員となり、この国の礎となりたいと願っている。
そして、縁を持った女性を妻として迎え、穏やかな家庭を持てたらいい。王である父が愛して母を迎えたわけではないと知っているからこそ、自分はただ1人の女性を大切にしたい。
が、そんな女性を見つけることが出来るだろうかと考えると自信はない。今日の誕生日パーティーでも女性達の勢いに怯み、ノエルを見つけたのをいいことに逃げ出してしまった。
戻らなければと思うが、躊躇してしまう。
と、その時。
頬を魔力がかすめた気がして顔を上げる。
水と風を操るジークヴァルトには知らない波動だった。
ことさら魔法が苦手でやっとのことで水魔法を使うノエルではもちろんなく、襟をくつろげて長椅子にもたれるフェルディナンドでもない。
父上、と張り上げかけたノエルの声は寸前のところで押し留められる。
フェルディナンドと向き合うように立つ少女の右の指先に白い光が生まれる。
ただただ透き通った柔らかな光に目が引き寄せられる。
少女の小さな手がフェルディナンドのこめかみへとふれた。
「大丈夫だ、やめなさい」
「少しだけです」
ふわりと口元がゆるむ。
その時、ジークヴァルトが息を飲んだのにも気づかず、少女の双眸が上を向いた時。
指先の光がこぼれ落ちる。
落ちた光はフェルディナンドの額へと溶けていく。
ほぅというため息が続き、徹夜続きの宰相の呼吸が次第にゆったりとしたものへと変わっていく。
いつも働きすぎの父を案じ、また、誰よりも早く彼の偏頭痛に気づく彼女は水魔法とともに稀有な光魔法を操る。
彼女が得意とするのは癒しだ。
詠唱さえも必要とすることなく癒しの光魔法を発動させ、フェルディナンドから痛みを取り除いていく。
「あぁ、礼を言わねばならんな」
一度は止めようとしたものの、明らかな体調の変化に小言を躊躇ってしまう。
「随分和らいだ」
「それはようございました。ですが、今日こそは必ず夕飯までにお帰りくださいね」
「分かっている」
「本当ですよ。私、先に戻ってヨハンにお父様のお好きなターキーを用意するようお願いしておきます」
「はは、ヨハンのターキーは逃せないな」
「ふふ」
「シェラ」
名を呼ばれにこりと笑う。
癒し魔法を使った時、一瞬の大人びた、包み込むような穏やかさから、少女らしいあどけなさが姿を見せる。
嬉しそうに頬を染め、まばたきをする。
瞳の色は碧、深くてあたたかな、湖の色。
こちらを向いてはくれないだろうかと願ったその時、彼女が振り返る。
驚いたように碧が大きく開かれる。
目が、引き寄せられる。
「父上、シェラ」
改めてノエルが呼んだ。
「なんだ、サボりか」
呼ばれ、フェルディナンドがこちらを向く。
息子を揶揄するように細められた双眸が動き、ジークヴァルトを捉える。
「宰相」
「これは、殿下」
少女の肩がぴくりと揺れる。
フェルディナンドの言葉に、ジークヴァルトが何者か気づいてしまったのだろう。
笑顔が消えてしまったのを残念に思う。
フェルディナンドは心底嫌そうな表情を浮かべた。
彼が娘をパーティー会場から連れ出したのは、なかなか持てない彼女との時間を過ごすため、だけではもちろんない。
娘を溺愛する父親の行動など決まっているだろう。
誰が好き好んで王子の婚約者探しになどにまだ9歳の娘を差し出さねばならんのだ。
冗談じゃない。
頭の中は不満たらたらながら、表面からだけはきれいに消し去り、笑みを浮かべる。
「シェラ、こちらはジークヴァルト第4王子殿下だ。ご挨拶なさい」
「はい、お父様」
少女は少し緊張した表情を残したまま、口元に笑みを浮かべようとする。
「初めてお目にかかります、フェルディナンド=マティアスが娘、シェイラでございます。ご挨拶させていただく機会を持て、光栄です。本日はお誕生日おめでとうございます」
「ありがとう」
先ほどから幾度となく聞いた祝福の言葉だ。
この後続くのは、質問やら、衣装の自慢やら。この少女からも同じような言葉が発せられるのは嫌だ、そんなことを思い身構えていると、一歩下がり、貴族の令嬢らしく完璧なカテーシーを持って礼を取った少女は、視線を落としたまま、待つ。
王族であるジークヴァルトの言葉を待っているのだと気づき、はっとする。
今日は、社交界に出る前の子供達が多かったからか、このように正式の礼を取られていない。ジークヴァルトが声を発する前に、近づいてくる者ばかりだった。
「顔を上げられよ、マティアス侯爵令嬢」
ジークヴァルトが告げれば、ゆっくりと顔が上げられる。
相変わらず距離は変わらない。出来ればフェルディナンドに見せていた笑顔がもう一度見たいと思い、何か話しかけねばと焦る。
「ジークヴァルト=エイル=ティトゥーリアです、ノエルの妹君ですね」
「はい」
「ノエルからいつも話を聞いています」
「まぁ、ノエル兄様が」
どんなことを言われているのか気が気ではないのだろう、睨もうとしているのはわかるが、まったく怖さはない。
家族大好きなノエルは、シェイラのこともいつも嬉しそうに話してくれる。
うちの妹かわいい、うちの妹賢い、うちの妹やさしい。
ノエルの口調を思い出しつい含み笑いをすると、当然とばかりにノエルはシェイラへと抱きつく。
「兄様!」
「かわいいでしょう」
「殿下の前ですよ、ノエル兄様」
どちらが年上だか分からない。困ったように、でも嬉しそうに兄に応じながら、ジークヴァルトを見る。
碧の双眸の中に、自身が映っているのに気づき、どきりとする。
吸い込まれそうな感覚にとらわれる。
「殿下」
1つまばたきをした後、躊躇いがちにシェイラは呼んだ。