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Mk.14  作者: 菅原やくも
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復路

 聴音機のヘッドフォンで海中の音に耳を澄ませていた通信兵ジョン・ミッチェルは、その音が聞こえた瞬間にハッとした。それは一基のスクリューと思しき音であった。大きな石臼を引くときのような音から、大きく重たいスクリューであることは、想像に難くなかった。

「艦長を呼んで来い」彼はそばにいた同僚に声をかけた。

「どうした?」

「船だ。スクリュー音一つ。おそらく貨物船か石油タンカー船、結構デカそうなやつだ」

 しばらくしてから艦長は潜望鏡の前に立ち、神妙な面持ちで各持ち場からの報告を聞いていた。

「ベイカー艦長、潜望鏡深度まで浮上しました」副長が言った。

「よし、外の様子をうかがうとしよう」

「対空潜望鏡のほうを頼む」

「了解です」

 艦長は攻撃用潜望鏡を使い、海上の様子をうかがった。商船が一隻、海上を進んでいた。

「上空機影なし」対空潜望鏡を見ていた部下が言った。

「よし、これなら一発、ないし二発で十分だ」

 艦長は目を凝らして観察した。ごくごく標準的な見た目のタンカー船のようだった。艦橋のマストには日の丸の旗がはためいていた。

 おそらく、南方から日本本土に向けた原油を満載しているのだろうと艦長は考えた。

「一番管、魚雷発射用意!」艦長は淡々として指示を出した。

 艦の前方では指令が復唱され、各員がきびきびとした動作だった

「一番管発射用意」

「発射管注水!」

「発射管注水」

 ベイカー艦長はじっと潜望鏡の先に見えるタンカー船を見つめていた。

 訓練時の、教科書の見本にあるような典型的な攻撃スタイルだった。これがひと昔前なら、浮上して近づき、海上臨検を要求して乗員を避難させた後、魚雷でもって沈めるというのが定められたスタイルだった。しかし、時代は変わった。そもそも日本は宣戦布告をするよりも先にパールハーバーを攻撃したのだ。戦争のかたちは急激に変わりつつあった。

 そして艦長は命じた。

「魚雷発射!」

 艦長は手にしていたストップウォッチをスタートさせた。到達まで一分もかからないはずだった。しかし、ストップウォッチで六〇秒を過ぎても何も起こらなかった。

「しまった。目測を誤ったか?」思わず艦長はつぶやいた。

「探知だ。魚雷はどうなった?」

「それが、どうやら相手の下を素通りした様子です」

「なに? 設定深度を間違えたか」それでも憮然とした声で続けた。「聴音? ともかく、標的はどうしている?」

「そのまま、進路変わらず進んでいます!」

「よし、二番と三番の発射準備だ。二発撃ち込む。設定深度は三メートル」

「二番管、三番管発射用意!」

「発射管注水!」

 潜水艦の前方では発射管に注水がはじまり、さらに発射の終わった一番管には魚雷の再装填作業も同時に行われた。

「機関? 電動機全速。近づいて撃ち込む」

 艦は標的の船に向かって加速した。

「よし今だ、二番、三番魚雷発射」

 立て続けに二発の魚雷は発射された。反動で艦が揺れたが、艦長は構わず海上の様子をうかがっていた。しかし、またしてもなにも起きなかった。発射した魚雷は全て近接信管を備えていた。つまりは標的に命中しなくても傍を通るだけで爆発するはずだった。

「何か聞こえたか?」艦長はいらだち交じりの声で聞いた。

「魚雷の爆発音ということでしたらなにも」ヘッドフォンを外しながら横に首を振った。

「あの距離で外すわけがない」

「いえ、魚雷がぶつかったと思われる音は確かに聞こえました」

「二つともか?」

「いえ、一つだけでした」

 つまり、またしても魚雷は標的を素通りし、一発は当たったが不発であったと考えられた。魚雷は新型だったが、もちろん従来の着発信管も備えていた。近接信管が作動しなくても、相手に命中させれば爆発するはずだった。

 艦内には沈黙が漂っていた。艦は海面下に潜ったままだが、依然として半速でタンカーを追跡していた。

「不発だというのか?」

 艦長はなにが起きているのかよく分からないといったようすだった。

「それしか考えられません」副長も疑問の面持ちだった。

「新兵器である近接信管というは、標的のそばを通過するだけでも爆発する設計と聞いている。それが不発? 一発だけなら偶然ということもあり得るが……それとも、設定深度が深すぎるのか?」

「たしかに手持ちの魚雷で、それも立て続けに不発となると統計的にありえない事態です。それに磁気信管が作動しないとしても、これまでのように着発信管は備えてますから、当たれば起爆するはずです。今すぐ、魚雷の信管を調べさせましょうか?」

「まさか製造工場で付け忘れたわけないだろう」

 そのとき士官の一人が声を出した。

「ともかく、確かめる手段ならありますよ」

「なんだね?」

「再度攻撃をしてみればいいのではないでしょうか? 四発の一斉発射で」

「それは、単純明快だな」

 だが、艦長は少し考えこんだ。磁気信管はそれでも最新鋭の兵器で、みすみす不発で敵の手に渡るのも避けたいという思いがあった。それでも、こうした状況では手段は限られているように思えた。

「よし、浮上だ。追いかけて再度、攻撃をする」それから通信兵に向かった。「敵船の様子はどうだ?」

「進路を少し変えたようですが、ほぼ変わらない速度で進んでます」

「よしろしい」

 それから潜水艦は海面へと浮上した。

「上空機影無し!」見張り用潜望鏡を覗いていた士官が叫んだ。

 それに続いて、数名の見張り員が梯子を上って行った。続いてディーゼルエンジンが始動し、艦はその速度を速めた。艦長も艦橋して攻撃態勢に移ろうとしたとき、通信兵が声をあげた

「艦長! タンカー船は平文で送信しています。救援を求める内容です」

「わかった」

 艦長は踵を返して、海図に向かっている航海士に言った。

「近海の日本軍の基地を調べろ。航空基地だ」

「もしかすると近くに駆逐艦もいるかもわかりません」

「とにかく、敵機の予測到達時間を割り出せ」

「了解!」

 悠長に構えている時間は無かった。もしかすると近くを飛んでいる日本軍の航空機が来る可能性もあったし、駆逐艦がやってくるかもわからなかった。艦内はあわただしくなった。攻撃の体勢をとりながら、万が一に備えて急速潜航しておけるようにする必要もあった。そうして艦長も艦橋へ昇った。

「見張りはしっかり、空と海を見ておけ!」

 艦長は艦橋に設置された照準器から素早く狙いを定めると、指示を出した。今度は一番から四番管まで一斉に発射だった。一発だけだったが命中爆発し、船の舷側に大きな水柱が上がった。潜水艦の中では爆発音が聞こえると乗員たちが思わず歓声を上げた。

 しかし、タンカー船にとって致命傷とはならなかった様子だった。

「ジャップのくせに、頑丈な船だ」照準器を覗いていた艦長はぼやいた。続けて伝声管に向かって命じた。「さらに魚雷、再度一番と二番の発射にかかれ!」

 一方、日本のタンカー船の乗組員にとっては幸運だった。なによりそれは戦時急造船ではなく、平時からタンカーとして使われていた船だった。通常の貨物船と比べるとはるかに頑丈に作られていた。なぜなら原油は可燃性液体であるからだ。少々の事故や損傷でも簡単には漏洩しないように、船体は二重構造だった。それに、攻撃されていると気づくと機関の出力をめいっぱい上げて振り切ろうとしていた。

 潜水艦では発射管に新たに魚雷が装填され、発射された。しかしながら、それらも不発か素通りという結果に終わった。

 そのとき伝声管から声がした。

「艦長、最寄り航空基地はたっぷり二時間はかかる距離です」

「分かった」艦長はさらに指示を出した「こうなったら大砲を使う。準備にかかれ!」

 魚雷がだめならせもても、甲板に搭載された3インチ砲で攻撃しようと考えたのだった。もっとも、それで相手を沈められるかどうかは別の問題だったが……。

 前部甲板にあるハッチが開いて乗員の姿が現れた。彼らは弾薬を手作業で運び出した。その間にも別の乗員は砲身を動かして相手の船に照準を合わせていた。だが、訓練でそれらを扱う時間は不十分だった。いずれにせよ、人の目に頼った照準で、動いている船に弾を当てるには統計的なりゆきに任せるしかなかった。

 大砲は何度か大音響を発し、タンカー船のそばに水柱が上がった。相手からの反撃はみられなかったが、こちらから命中するものはなかった。しばらく不毛な戦闘が続いたが、ついにベイカー艦長は追撃を中止した。砲弾は上手く当たらない上、追いかけたところで魚雷が不発ではお笑いどころの騒ぎではなかった。それに加えて、全速でディーゼルエンジンを動かして燃料を無駄に消費するわけにもいかなかった。

 その後、緊急に魚雷の調査をおこなったが乗員たちが見るかぎりは、全ての魚雷に問題はなさそうに思われた。とすれば、考えられるは信管すべてが不良品であるか、そもそもの設計に問題があるかだった。


 潜水艦は月夜に照らされた海上を進んでいた。見張り員は持ち場につき、ディーゼルエンジンの音を響かせながら海上を進んでいた。

 艦長は魚雷の仕様書を自室の狭いテーブルの上に広げて、コーヒーの入ったマグカップを片手に図面の一つを凝視していた。もっとも、描かれている図面とにらみ合いを続けたところで不具合箇所が分かるわけでもなかった。いずれにせよ新型の兵器にトラブルはつきものだった。だが、この魚雷には従来の着発信管もついていた。それは古くから信頼のおけるものだった。ならば、命中した魚雷は爆発してもらわないと困るということでもあった。

「やれやれ、まったく信用のおけない兵器で戦うことになるとは」艦長は一人つぶやいた。

 軍では新兵器の試験は必ず行うはずだ。それなのに魚雷は不良品と思われる。工場での組み立てに問題でもあるのか? もしかするとサボタージュでも行われたのか? はたまた何か裏に陰謀めいたことでもあるのだろうか……。

 艦長は考えを巡らしたが、ため息をついて仕様書のページを閉じた。

「艦長、失礼します」

 副長のルール・ハーモンが部屋を訪れた。それから机の上の仕様書にちらりと視線をやった。

「図面をご覧になっていましたか?」

「ああ……しかし、さっぱりだな」

「私も気になっていました」

「技術屋が必要だよ」艦長はぼやいた。「しかし、ここは日本の近海だからな。おいそれと援軍を呼ぶわけにもいかん」

「魚雷の何が問題なんでしょう?」

「私にも分からん。ともかく軍は、テストはしたはずだ」

「もしかすると実際の海と実験場では、なにか条件が異なっていてうまくいかないのかもしれません」

「ああ。とにかく、設定深度はどれも一番浅いものにするよう伝えておいてくれ。相手の船の下をくぐって行ってしまうのでは話にならん」

 艦長は言葉を区切るとコーヒーを一口飲んだ。「新型魚雷だ。多少の不具合があったとしても不思議ではないが、これはいくら何でもあんまりだ」

「司令部への報告はどうしましょう?」

「一度、連絡はしてみたよ。だが、作戦は継続とのことだった。それに魚雷はテストでは問題はなかったと言い張っていたそうだ。まったく、現場のことなどわかってないな」

 艦長は苦笑した。冗談じみた口調だったが、実際のところは胃が痛くなるような思いだった。

「とにもかくにも日本軍は、こちらが日本の近海で大々的な通商破壊に出たことは把握したことだろう」

「そうですね。今後なにがしかの対抗措置が始まるかもしれません」それから副長は艦長に尋ねた。「それと艦長、魚雷は全部使い切るおつもりですか?」

「普通なら、そうしてから帰投するものだ」

「ですが不発の件はどうします? 新型魚雷に問題があるなら、すぐにでも持ち帰って調査をさせるべきではありませんか?」

「それは考えたが、」

 艦長は不精髭が生えている顎をさすった。「とにかく二、三本は持ち帰ることにするつもりでいる。それに戻ったら他の艦に乗せているものについても知りたいところだ。同型の新型魚雷を乗せているはずだからな」

 艦長はマグカップのコーヒーを飲み干した。「ただ、今から帰投? それを上の連中はどう思うか」

 厳しい視線を副長へ向けた。情勢がどうであれ、戦時中に臆病風を吹かせるというのは、どこの国でも大罪であった。ただ、副長もそれは自覚している様子だった。

「魚雷が不発多数のため、帰投……分かっていますよ。これでは臆病者の言い訳ですね」

「そんなことしようものなら、全員軍法会議行きだ」

「とにかく、魚雷に関しては今一度点検をさせるよう指示を出しましょう」

「ああ、頼むよ。いずれにせよ、あと一回か二回、攻撃をして魚雷を使ってから帰投だ。相手を撃沈できるかどうかは分らんがな」

 その後、潜水艦は何度か攻撃のチャンスがあったものの上首尾とはいかなかった。魚雷は標的を素通り、あるいは不発のオンパレードだった。時には爆発のタイミングが早すぎることもあった。

 最終的には満足な戦果も出せないまま、彼らは失意のうちに帰投することとなった。もっとも、無事に帰還できたことには艦長以下、乗員全員が安堵の思いであった。


 結局のところ、Mk.14魚雷は多数の欠陥を抱えた兵器だったのである。

 ただ、そこには陰謀もサボタージュも、敵スパイの工作などというものもなかった。いくつかの設計ミス、装置の強度不足、予算不足に加えて高い単価ゆえ不十分だった実地テスト、目盛りの狂った計器での検査等々……それらが気づかれることなく生産が続けられた。つまり、小さな事象が積み重なったせいだった。

 それからMk.14魚雷の欠陥が改良され、文句なしに機能することになるのは太平洋戦争も終盤となる、一九四五年に入ってからのことであった。

 面白くない尻すぼみな感じのオチですが、一応は事実に基づいた話(人物名や細部等は除く)。

 聞くところによると、問題を抱えたMk.14魚雷……中には直進性の悪いものもあったそうで。発射した魚雷がぐるりと円を描くように大回りし、自身を放った潜水艦に向かって突っ込んできそうになる、という事案もあったとかなかったとか。

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