普通の人 ※挿絵有
「お帰りなさいませクロエール様」
「ミラ、急ぎ湯の準備を」
「っ、その子が、まさか……かしこまりました。何かお食事も用意いたしますね」
「ええ、お願いします」
眠ってしまっている間に、どこかに着いたようだ。誰かの話し声で目を覚ます。
薄っすらと目を開けると、白いふわふわが目に入る。どうやら握ったまま寝てしまったらしい。
にぎにぎと感触を確かめる。
じーじとおんなじ。
と、灰色がかった水色の瞳と目が合う。
「お目覚めになられましたか?」
はっとして手を離す。ふわふわは泥だらけだ。
「良いのですよ。シャルロッテお嬢様は、お髭がお好きですか?」
『シャルロッテはじじの髭がお気に入りじゃの』
じーじがにっこりと笑う顔を思い出す。
わたしは、こくりと頷いた。
「じーじ……いっしょ……」
「カルム様、でしょうな。爺の髭でよろしければ、お好きなだけお触り下され」
そう言って微笑む顔は、じーじとよく似ていた。
「クロエール様、お風呂の準備が整いました」
声がした。そちらを見ると、ニコニコとした、ふくよかな女の人がいた。
「シャルロッテお嬢様、おかえりなさいませ。わたくしはメイド長のミラと申します。さぁさぁ、まずは体をあたためましょうね」
伸ばされた手に、わたしは身を竦め、睨み付けた。
その女の人の服は、わたしにとって、敵でしか無い。
「……ミラ、私がお連れします。」
「かしこまり、ました……」
じーじに似た人が歩き出しても、その人が見えなくなるまで睨み続けた。
ふと、周りに目を向ける。
玄関ホールから何処かへ向かっているようだ。
前のお邸は木の板を張り合わせた床だったが、ここはピカピカに磨かれた石の上に、赤い絨毯が敷かれ、足音が殆どしない。
等間隔に設置された灯りも、柱も、壁も、細かな装飾や繊細な模様が描かれ、前のお邸とは比べようも無いくらい豪華だ。
そうじのやり方をきかないと、と思っていると、一つの部屋に入った。
そこには、どこから回ってきたのか、玄関で見た女の人がいた。
しかし、その服装は先ほどのメイド服ではなく、白一色のエプロンドレスで、しかも、裾を膝上で縛っていた。
奥様もメイド達も、そんな格好をしているのは見た事が無い。
わたしは目を丸くしてその姿を眺めていた。
「……シャルロッテお嬢様、この姿でしたらいかがでしょう?ミラは、この邸の者は皆、お嬢様にとってお辛い事は、決して致しません。」
そう言うと石の上に剥き出しの膝をつき、頭を下げた。
わたしはどうすればいいか分からず、じーじに似た人を見た。
「ミラの言う通りでございます。この爺の髭にかけて誓いましょう。」
イラズラっぽく笑うその顔は何だか少しおかしくて。
信じていいのかもしれない。もう、死ななくていいのかもしれないと、そう思わせた。
わたしはこくりと頷いた。
女の人が立ち上がり、ゆっくりと手を出して差し伸べる。わたくしはふわふわから手を離し、身を委ねる。
女の人の腕の中は、やわらかで、あたたかかった。
首元のフリルをきゅっと握ると、女の人は目を潤ませ、にっこりと笑った。
わたしを抱いたまま、部屋の奥にあったもう一枚の扉を抜けると、もくもくと湯気の立ち込める広い浴場だった。
湯にはピンク色の花弁が浮かび、熱気と共に花の香りに包まれる。
「さぁ、まずはそのお召し物を脱ぎましょう」
温かい床にわたしを立たせると、麻袋で作った簡易の上下を慎重に脱がせる。
あばらの浮いた体を、隅々まで見回し、滲みるような傷がないか確認する。至る所に痣はあったが、生傷は見当たらなかったようだ。
木で出来た椅子に促され、腰掛ける。桶にたっぷりと湯を汲み、温度を確かめると、わたしの手を取りほんの少しだけかける。
「熱くはないですか?」
こくりと頷く。
「足から順々にかけていきますね?もし、痛かったり熱く感じたらすぐお教えくださいませ」
足から膝へ、膝から腰へゆっくりゆっくり、少しずつお湯がかけられる。
それだけで体の汚れが落ちているのか、床を流れるお湯は茶色く濁っていた。
お湯って、こんなにきもちいいんだ……
あまりの心地良さにぷるりと身を震わせる。
「ふふふ、シャルロッテお嬢様、次は頭に掛けますので、目をぎゅっと閉じていてくださいませ」
言われたとおりに目をギューっと瞑る。
絡まり合った髪をほぐすように、手で梳きながら湯で汚れを流していく。
お湯を掛ける手が止まると、終わったのかと腰を上げる。
と、肩に手をかけまだ座っているよう促された。
「まだまだ、これからでございますよ?」
何処から取り出したのか、様々な大きさの瓶をずらりと並べ、ふふふふふと不敵な笑みを浮かべる。
後はもうされるがままだった。
この瓶はうるおいがどうのこうのこっちの瓶は艶がどうのこうのと、泡まみれになっては流しをひたすら繰り返され、今は花びらの浮かぶ湯に浸かり一息ついていた。
わたし、こんな色だったんだ。
くすんでいた肌はピカピカに磨き上げられ、細さや痣はどうにもならなかったが、土のような色ではなく、普通の、人の肌のように見える。
肩に掛かる髪は、まるで、他人の髪と入れ替えたようだ。橙色の髪は光に当てると金色に光を放っているようにも見える。
本当に自分の髪なのかと引っ張っていると、女の人に笑われてしまった。
「痣が消える頃には、体もふっくらとして、きっと国で一番愛らしいお嬢様になりますよ」
この女の人は、言葉通り、ずっとわたしに優しくしてくれた。
メイド達と似たような服を着ていた。でも、あのメイド達とは、違う。
「……ぁ……」
「!シャルロッテお嬢様、いかがされました?どこかお加減でも……」
「あり、がと……ミ、ら、さん……」
「……っ!あぁ、お嬢様……シャルロッテお嬢様……!良いのです、良いのですよ……!」
ミラさんはぼろぼろと大粒の涙を流しながら、何度も何度も頭を撫でてくれた。
ちゃんと、シャルロッテのターン!
明日の更新はありませんが、朝か夜に挿絵を入れておきますすす。