生かされる日々 ※挿絵有
「わたし、じーじとけっこんする!!!」
その小さな少女の宣言に、老齢の執事は朗らかに笑い、こう返答した。
「旦那様に勝つことが出来ましたら、喜んで夫となりましょう」
少女の可愛らしい求婚に、冗談で返したこの言葉。
後に後悔することになるとは誰も思いもしなかった――
「ロッテ!汚い足で歩き回るなと何度言ったら分かるの!」
怒鳴り声と共に足が飛んでくる。
避けたり守ろうとすれば、更に苛烈な結果が待っている事はこれまでの経験から明白であった。
「ぐっ…!うぅ…っ」
腹部に爪先がめり込み、衝撃で壁へ叩きつけられる。
一瞬息が出来なくなりげほげほと咳き込む少女へ、鬱陶しそうな視線を向けるのはこの邸の夫人だ。
「サーラ!サーラはいないの!」
夫人が苛立ち露わに名を呼ぶと、まるですぐ側で待ち構えていたかのようにスッと人影が現れた。
「はい、奥様。」
「ロッテに廊下の掃除をさせなさい。自分で汚したのだから、他の者は手伝わぬように。」
「かしこまりました」
そう指示を出すと夫人は自分の部屋へ戻って行った。
サーラと呼ばれたメイドは夫人が部屋の扉を閉めた音を聞くと、下げていた頭を上げロッテに目をやる。
なんとか呼吸が出来るようになったロッテを心配するでも無く、口に手を当てくすくすと笑い始めた。
「可哀想にねぇ、まさか朝起きたら靴が泥だらけになってるなんて思わないものねぇ。アンタの小屋からずぅーっと足跡が付いてるの、気付かなかったの?ホントお馬鹿さん」
その言葉を聞いたロッテは、伸び放題でボサボサの髪の隙間からサーラを睨み付けた。
「そんな顔する元気があるならさっさと掃除なさい」
サーラがニヤリと笑うと、廊下の奥からいくつもの雑巾がロッテ目掛けて投げられ、当たったから私ね!ずるいわよ〜!とメイド達が小さくはしゃぐ声が聞こえた。
「素敵なお召し物ですわねぇ、こちらのアクセサリーもご一緒にいかがですかぁ?」
自分に当たらないようにと避けていたサーラが雑巾まみれのロッテの頭にバケツを被せると、廊下の奥からドッと笑いが溢れた。
サーラ自身も堪え切れなくなりケタケタと笑いながらメイド達に合流すると、自分たちの仕事に戻っていった。
廊下に一人残されたロッテは頭のバケツを外し、壁に投げつけようとしたが、そうすれば派手な物音でまた面倒な事になる。
唇を噛み締め怒りを抑え込み、バケツに体中に纏わり付く雑巾を押し込むと掃除をすべく動き出した。
ロッテは物心ついた頃からこの邸の雑用係だった。
夫人の子ではなく、メイドでも小間使いでもない。この邸が誰のものなのか?何処にあるのか?それすら知らず、聞かされず。
知っている事と言えば、自分が『ロッテ』であるという事。夫人とメイドに逆らえば痛い目に合うという事。
今日のような事も、別に珍しい事ではなかった。痩せ細って骨張った体には幾つもの痣や傷があり、それらが治りきる前にまた新たな傷が増える。それが日常であった。
自ら命を断とうとした事もあった。しかしそれは出来なかった。恐怖からではない。
刃物や物を使おうとすると阻止され、ならばと食事を断とうとしても無理矢理にでもねじ込まれる。邸の外に出る際には紐を結ばれ、片側をメイドが持っている為逃げられない。
殴られ、蹴られ、されど殺さず。
怒りを覚える事もあるが、反抗したところでただ生かされるだけ。
そんな毎日の中で、唯一楽しみな時間があった。
それは、草むしりだ。
気分が晴れるなどという理由ではなく、偶発的に何が起こって死ねるかもしれないという理由からであった。
偶発的な死を待ち望むロッテは少しでも時間があけば草むしりをした。雨の日も風の日も。草が無くなれば小石を退けた。冬になれば雪かきを。
しかし何かが起きる事はなく、今日も死ねなかったとがっかりしながら寝床で丸くなるのだ。
数日が過ぎたある日、ロッテは日が昇る前から草むしりをしていた。
その日は寝床にいる事と邸の中に入る事を禁じられ、日が沈むまで邸の裏から出てくるなと言われていた。
こんな事は今までで初めてで、ロッテはいつになく興奮していた。
(今日こそ死ねるかもしれない!)
いつ死ぬんだろう?どうやって死ぬんだろう?などと考えていたら辺りが明るくなってきた。
きっといい日になる。ぼんやりと朝日を眺めながら期待に胸を膨らませていた、その時だった。
「シャルロッテお嬢様…?」
のんびりと初連載していきます〜