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「あの花嫁は深春の妹なのだな」
「えっ!? 何で私の部屋にいるんですか!?」
牢に入れられた次の日の夜。一日の仕事を終え自室に戻ると、当然のような顔をした椿がくつろいでいた。
「しかしこの部屋は狭いな。物置だから仕方がないが」
「物置ではないですが……」
「物置だ。元々そのために作られたのだから」
断言する。まあ、長く生きているようだから、この屋敷の建築当時の事情を知っていても不思議ではない。
「物置でも自分の部屋があるだけマシです。で、花恋のことですが、私の妹ですよ」
「なるほど。花嫁を選ぶのは鬼の本能とはいえ、これはまた随分な娘だったものよなあ」
椿は楽しそうに肩を揺らす。私は斜向かいに座って、彼を眺めた。狭い部屋だから、膝が触れ合いそうだ。
「鬼は何を基準に花嫁を選ぶんですか?」
「体の相性だ」
「かっ……!?」
言葉に詰まる。椿はなんでもないように説明を続けた。
「なんのために人間の女を娶るのだと思う。強い鬼を生ませるためだ。それなら相性の良い女を選ぶのが道理だろう?」
「それは……そうですが。でも一緒に暮らすのでしょう。なら、性格の相性とかも考えた方がいいんじゃないですか」
たどたどしく反論すると、椿が声を上げて笑った。
「人間など八十年もすれば死ぬというのに、性格の相性を考えてどうする? 気に入らなくとも少し耐えれば勝手に死ぬ。強い子さえ産ませればよいのだからな」
「それじゃあ、長い年月、信頼できるものもなく生きていくんですか」
果てしない時の中で一人生きていくことを想像するとゾッとする。いくら鬼とはいえ、そのような所業が可能だろうか。
しかし、椿はそれをさらりと否定した。
「いいや。伴侶には大抵、別の鬼やら妖やらを選ぶことが多いな。寿命が同じくらいの生き物の方が、価値観も合って何かと便利だ。確か瓏樹にも妖狐の伴侶がいたはずだぞ。紅羽とかいう名だったか。たいそう美しいと自慢されたものだ」
「あ、そうですか……というか、鬼以外にも色々いるんですね」
「表には出てこないがな。鬼は人間の女を娶る必要があるから人間社会に混ざるが、人間を必要としない種族はそんなことをする意味がないからな」
「なるほどー……」
私は完全に引いていた。絶対に鬼の花嫁にはなりたくないと思った。
「鬼は一途に花嫁を愛するものだと聞きました。強い鬼ほどそれが顕著だと」
「他の鬼の子を産ませないために、人間社会において何不自由ない生活を約束する。なんの不満がある? これが鬼の愛だ。深春、鬼と人間は違うものだぞ」
言い聞かせるような声音に、私は俯いた。頭では理解しているが、あまりに醜いものに思えた。それは愛ではなくて欲だと、そう言いたかったけれど、分かり合える気はしなかった。
ふと思いつく。
「私、花恋が他の男と浮気している証拠を持っていて、それをバラそうとして花恋と争った結果牢にぶち込まれたのですが」
「相手は鬼か?」
「いや、人間です」
「なら、瓏樹にとってはどうでもよいことだな。鬼なら許さぬだろうが、人間なら大したことではない。人間の子を孕めば、自分の子を孕む期間が短くなるから不機嫌にはなるだろうが……まあ、いくらでもやりようはあるからな」
その言葉の裏に潜ませた意味に、嫌でも気付いてしまう。花嫁の胎に宿る人の子が邪魔ならば……いや、これ以上言葉にするのはよそう。
「椿にも花嫁がいたんですか?」
話題を変えたくて質問する。椿が顔を上げた。
「俺に? まさか、花嫁などいるはずもない」
「そうなんですか? 鬼なのに?」
きょとんとして彼を見つめると、顔をしかめられた。
「俺は鬼ではない。近しいものではあるがな」
「前に鬼火みたいなものを出してましたが……じゃあなんなんですか」
「他の鬼どもが、あの牢に封じようとするほどのモノだ。まあ、封じられはしなかったがな」
なぜか自慢げな様子に、私は息を吐いた。
「答えたくないなら、いいです。どうせ花恋の結婚式までの付き合いですし」
「妹の嫁ぎ先の関係者だぞ。これからも長い付き合いになると思うがなあ」
「私は高校を卒業したら家族とは縁を切りますから」
「……うん?」
首を傾げる椿に、素っ気なく告げた。
「私は家族との仲が最悪なんです。だから縁を切ります」
「ああ、そういうことか」
彼は一人納得している。そして勝手に私のお茶を飲みながら、
「だとしても、長い付き合いになる。俺がそうするつもりだからな」
「なんで!? やめてくださいよ」
ぎょっとして目を剥くと、椿は意地悪く目を細めた。
「あの牢から帰還したものは久しぶりだからなあ。行く末が気になるというものよ」
そういえば、『還らずの牢』についても詳細不明のままだった。
「あの牢はなんだったんですか? 私は完全に入り損だったんですが」
「なんと説明したものか……」
椿は中空に視線を彷徨わせ、しばし沈黙した。
おとなしく体育座りで説明を待つ。黙っていると、椿は随分と美しい男に見えた。鬼に共通した、人間離れした麗しさ。眺めていると知性を奪われそうな、異相の華やかさだ。これで鬼ではないというならなんなのだろう。より禍々しいものなのだろうか。
椿と目が合った。心臓が跳ねて、私は膝を抱え直した。
「あの闇は、俺を封ずるための術式で……まあ、言ってしまえば虚無だ。生命の自我を削り、同化し、無に帰すものだ」
言いたいことはなんとなく分かる。私もあの無限に続くかと思われた闇の中で、自分がなくなりそうな恐怖を覚えた。
「普通、あれに足を踏み入れたものは、気が狂って死ぬ。自分が死んだことにも気付かず、虚無の中を永遠に放浪する」
奇しくも、私が感じたことは当たっていたのだ。死んだ魂が彷徨い続けるイメージが蘇り、縮こまる。
「まあ、それはそれで俺のちょうどいい餌ではあったがな」
「悪食だ」
「放っておけ。それはともかく、あの闇から逃れる方法はただ一つ。虚無に対抗し、自分自身を確立することだけだ。あのとき、深春は何を考えた?」
私は押し黙った。あのとき考えていたことはただ一つ。自分を虐げてきたものへ報いることだ。
「自分のことだからよく分かっているだろう。虚無を打ち破るほどの鮮やかな激情、見事だったぞ。俺も三百年の眠りから覚める気になったというものだ」
「……それで、そのことと私たちが長い付き合いになることと、どう関係するんですか」
やけっぱちになって聞くと、椿は首を傾けた。
「あれほどの激情の果てが気になる、それだけだ。いずれ我が身を滅ぼすか、はたまた全てを塵に帰すか……見ものだな?」
「私が破滅するまで観察するというわけですか。椿が封じられた理由がなんとなく理解できました」
「自分が何を目覚めさせたと思っている? 愉快なことは保証しよう」
満足げに目元を緩ませる椿に、この先の苦労を思って肩を落とした。