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瓏樹の訪問の翌日。私は百目鬼家の門をくぐっていた。もちろん両手には花恋と自分の荷物を抱え、徹夜で進級の調整をしたため寝不足だ。夜遅くに対応してくれた先生の皆さんには頭が上がらない。それも鬼の花嫁の力かもしれないが。
そして何より、電話口で相談に乗ってくれた菜緒の頼もしかったこと。「毎日でも電話してよね!」と言う言葉に甘えて、今日から早速電話してしまいそうだ。
百目鬼邸は、森に囲まれた広大な日本家屋だった。門から玄関までは一点の曇りもない白砂が敷かれ、森の方から冷たい風が吹き寄せてくる。
「お待ち申し上げておりました。花嫁殿」
玄関で一人の鬼が待っていた。私には見覚えがある。以前私を児童相談所に迎えに来た、瓏樹の従者の鬼だ。相変わらず眼鏡をかけ、胡散臭い笑みを浮かべていた。
「わたくし、瓏樹様の従者をしております百目鬼沙一と申します。此度は花嫁殿の護衛を仰せつかりました」
「あら、よろしくお願いしますね。護衛なんてしていただくのは初めてです」
「花嫁殿は高貴な身ですから、当然のことです。万が一、御身に傷がついては一大事ですから」
慇懃に述べる沙一に、花恋は満足したようだ。満面に笑みを咲かせ、両手で自分の頬を包んで夢見るように瞳を潤ませる。
「まあ──まあ! そんなに大切にされたことは生まれて初めてだわ! 私、瓏樹さんに本当に愛されているのね!」
思わず唇を噛み締める。こいつ、両親からあれだけ溺愛されておいて何を言うのだ。周りからも愛を受け、いつだって──そう、今だって、複数の男から求められては応えているくせに。
もはや隠す気も起こらず白けた目を花恋に向けると、沙一と視線が合った。沙一は礼儀正しい笑顔を貼り付けていたが、その瞳には、明らかに嘲りの色があった。私に向けられたものではない。
彼は、つい先ほど高貴な身と持ち上げた、彼の主人の花嫁である花恋を嘲笑しているのだ。
「ねえ沙一さん、私、少し疲れちゃいました。部屋に案内してください」
「これは気付かず失礼いたしました。こちらへどうぞ」
沙一が先導して廊下を進んでいく。板張りの廊下は磨き抜かれ、あちこちに値の張りそうな壺やら絵画やらが置かれていた。時折すれ違う美しい形をした鬼が、花嫁の花恋に恭しく頭を下げていく。その度に、花恋はご満悦で手を振っていた。
花恋にあてがわれたのは、庭に面した広々とした部屋だった。部屋の真ん中に重厚な座卓と座椅子が設えられ、床の間には白い水仙が活けられている。開け放たれた障子の向こうにはよく整えられた庭が広がり、目を楽しませてくれた。
「素敵! 広いし綺麗だし、いいところね! ここがこれから私のお部屋だなんて最高!」
花恋は踊るような足取りで部屋に入る。その様子をやはり冷たい目で見ていた沙一が丁重に一礼し、「付き人の部屋は隣にございます。それでは、ごゆっくりお寛ぎください」と言い置いて去っていった。
私は花恋の荷物を部屋の隅に置き、いったん隣の部屋へ向かう。そこは花恋の部屋よりはずいぶん狭いものの、清潔で手入れの行き届いた和室だった。自室すらなかった家に比べればだいぶマシだ。
自分の荷物を整理し、花恋の部屋に戻ると、彼女は案の定荷解きをすることもなく座椅子にもたれかかっていた。庭を眺め、微笑んでいる。そうしていると、非の付け所のない優しげな美少女に見えた。
私の気配に気づいたのだろう。小さな顔がくるりとこちらを向く。
「お姉ちゃん。荷物、片付けて」
口を開けばこれだ。私は嘆息し、仕事に取り掛かった。