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 鬼の花嫁の結婚式の日は、晴れの門出にふさわしく、雲ひとつない快晴だった。澄んだ青空がどこまでも広がり、時折穏やかな風が髪を撫でるくらいだ。


 そんな空の下で、私は式の準備におおわらわだった。


「早く料理を運べ!」

「ここにあった屏風はどこへやった!」

「受付に人手が足りないぞ!」

「お姉ちゃん! 早く靴を履かせなさいよ!」


「はいはいはいはい……」


 怒鳴られまくり、叱り飛ばされ、それでも私は懸命に立ち働いていた。この式をやり過ごせば、菜緒が迎えにきてくれて、そのままお泊まり会なのだ。

 

それを思えば、耳をつんざく怒声にも耐えられる気がした。私はとにかく、何事もなく式が進行することを祈っていた。


 だがもちろん、そんな願いはすぐに壊されることになる。


 私が花恋にヒールを履かせていると、関係者しか入れないはずの花嫁の控え室に、一人の美しい女性が現れた。錦糸に彩られた目にも綾な着物を着こなし、それに負けぬほどの匂い立つような艶やかさを放つ女性だった。


 ひと目見て、それが瓏樹の伴侶だという妖狐だと分かった。なぜならその絹のような金の髪の間から、獣耳が覗いていたからだ。


「おやまあ、此度の花嫁はずいぶんと幼いこと。瓏樹の若好みも変わらぬのう」


「……は?」


 鈴の鳴るような笑い声を立てる妖狐に、花恋が低い声で応じる。妖狐は構わず花恋に近付くと、品定めするように花恋の顎をその長い指で持ち上げた。


「まあまあの肉付きじゃな。強い子を産めよ。前の花嫁は大した子を孕まなかったからのう。妾の食事になったわ」


「前の? 子供? どういうことよ!」


 悲鳴のような詰問に妖狐は飄々と応じる。


「なんじゃ、また瓏樹は説明しておらなんだか。花嫁は強い鬼の子を産むためのもの、瓏樹の人生に寄り添うのは、妾のような伴侶ぞ」


「は? え? だって、瓏樹さんは私を花嫁にするって、愛してるって……」


「子を孕むだけで、不自由ない生活を送れるのじゃぞ。愛されておろうが」


「だって、だって、そんなの、私……」


「さて、妾は瓏樹に顔を見せに行ってくる。会うのは一月ぶりじゃが、真っ先に会いに行かぬと拗ねるでな。先に花嫁を見物に来たことは内緒じゃぞ?」


 恋する少女のようないとけない顔で、妖狐は部屋を去っていった。大きく口を開けて呆然としていた花恋だが、すぐに正気を取り戻すと、「待ちなさいよ!」と叫んで妖狐の後を追っていく。ドレスを引きずらないよう、私はその裾を持って続いた。


 招待客が集まり始めた大広間の真ん中に、瓏樹と妖狐が向き合っていた。腕を取り合い、笑顔で言葉を交わし、いかにも長年連れ添った睦まじさを感じさせる様子だった。


「うそ……嘘よ!」


 花恋の喉から、血を吐くような絶叫が迸る。ざわめいていた客人の視線が、いっせいに花嫁に向いた。


「ねえ瓏樹さん! その女が言ったことは嘘でしょ! わ、私が、花嫁で、その女が、伴侶だって……」


 客人たちの顔に、きょとんとした表情が浮かぶ。何を当たり前のことを、といった風情だ。


「ねえ、ねえ、瓏樹さん……」


 もはや泣き声になって、花恋は両手を瓏樹に差し伸べた。瓏樹は妖狐に断りを入れてから、花恋の元まで歩み寄ってくる。


「そう泣くな」


「だって、だってぇ……」


「化粧が落ちるだろう。みっともない」


 素っ気なく言い捨てると、花恋の後方に立っていた私に声をかけた。


「そこの女、花嫁の化粧を直してこい」


「は、はあ……」


 彼の中で、私は花恋の姉とも認識されていないらしい。しかし、花恋がここにいない方がいいことは明白だった。私は花恋の腕に手を置き、控え室に戻るよう促した。


「ほら、花恋。いったん戻ろう」


 だが、花恋は一歩も動かなかった。俯き、肩を震わせていたかと思うと、喚き声をあげて私の手を大きく振り払った。


「触らないで!!」


「花恋……」


「なによその目! 私を馬鹿にしてるの!? 私がこんな目にあってるのが嬉しいの!?」


 周囲の客人たちは、これもまた余興、といった風情で花恋を観察している。どこからも救いの手が現れそうになく、私は必死で花恋に呼びかけた。


「一回落ち着こう。ここで騒いでも仕方ないから」


「うるさいうるさいうるさい!! なんで私がこんな目に合うのよ! 私は愛されるべきなのに!! 愛されなきゃ意味ないのに!!」


 私は辺りを見渡して、両親の姿を探した。今ここで、花恋に愛を与えられるのは両親しかいなかった。花嫁の親だ。そろそろ到着していてもおかしくないのに。


 私が気を逸らしたのが癇に障ったのか、花恋の悲鳴がどんどん甲高くなっていく。


「いい加減にしなさいよ!! お姉ちゃんは私よりもグズでバカで、全然愛されないくせに!!」


「それでいいから、早く戻ろう」


「なんでそんなに余裕ぶってるのよ! 私は知っているのよ! お姉ちゃんが式が終わったあと、友達と会おうとしていること!!」


「だ、だからなに」


 突然話題が菜緒に飛んで、私は面食らった。この状況と菜緒がどのように繋がるのだろう。


 眉根を寄せる私に、花恋は勝ち誇ったように声高らかに告げた。


「お姉ちゃんの友達は来ないわよ。今日、あの子の両親は仕事をクビになって、今頃それどころじゃないでしょうから」


「……今、なんて」


「気付いていなかったの? 大した友達ね。私は鬼の花嫁なの。私が命令すれば、従ってくれる鬼はたくさんいるのよ」


 辺りに視線を走らせる。幾人かの鬼が、さっと顔を伏せた。


 鬼は人間社会を支配するもの──。


 彼らにすれば、人間の一人や二人、社会的に追い詰めるのは容易かったのだろう。きっと、本棚の整理と同じくらいの重さしかなかったに違いない。


 私は咄嗟に拳を作り、目の前で喉をそらして笑う花恋の顔に向けて振り抜いた。


 ゴキッ、と硬いものが折れる嫌な音がする。白いドレスに包まれた体が傾いで、床に倒れた。


 全ての喧騒が遠ざかる。眼前に倒れ伏す白い塊をもっと手酷く傷付けてやりたいという衝動が私の体を突き動かす。急速に広がった視野の隅で、両親が大広間に現れたのを見つけた。今頃来たって遅いのに。


「いったぁ……」


 鼻を押さえて花恋が呻く。その指の隙間から、真っ赤な血が一筋流れ、白の手袋を汚していた。


 花恋に馬乗りになり、さらに拳を振り上げたところで、怒声とともに突き飛ばされた。


「俺の花嫁になにをする!」


 瓏樹だった。花恋を守るように抱き寄せ、私を睨み据えている。


 吐き気がした。なに悲劇のヒロインを守る正義のヒーロー面しているんだ。人間を餌としか思っていないような超常種気取りが、私の怒りに水を差すんじゃない。


 ゆらりと立ち上がり、もう一度拳を固める。そのとき、瓏樹が何かを呟き、私に向けて手を振った。


 途端に、内臓が捻じ切れるような痛みが私を襲う。この痛みは知っている。以前沙一にやられた鬼の術だ。


 だが、今回の痛みは、前回の比ではなかった。さすが当主を務める鬼の力だろうか。目蓋の裏に光が飛び、脳味噌がかき混ぜられたように意識が混濁する。手足から力が抜け、その場に倒れ伏しそうになる。


 それでも、私は歯を食いしばり、痛苦の声ひとつあげなかった。


 今にも吐き戻しそうな塊を飲み込み、軽蔑の念をあらわに私を見下ろす鬼を凝視する。


 あまりにも、悔しかった。

 あまりにも、恨みがましかった。

 あまりにも、憎かった。


 どうして、私の友達であるというだけで、菜緒はいわれのない不幸に見舞われなければならないのか。彼女は私の友達で、ありふれた、それでも私には見たこともなかった幸せを見せてくれる女の子だった。


 それをくだらないと一蹴し、理解する気も価値を見出す気もないものどもに、関わらせていいひとではなかった。


 ここにいる全員、消えてしまえばいいと思った。


「ふざけるな──」


 噛み締めた歯の隙間から、怒りが漏れる。


「お前ら全員、地獄に落ちろ──!」


 意識が弾ける。痛みが消え去り、体の奥から見知らぬ力が湧いてくる。


 気づけば眼前の瓏樹の顔が、激しい苦悶に歪められていた。その整ったかんばせが、見る影もなく痛みにさらされている。


「あああああああっ!」


 瓏樹の悲鳴が耳に快い。私は唇の端を吊り上げ、花恋に目をやった。そう、お前だよ、お前。


 花恋はヒッと喉を鳴らしたかと思うと、ついで背を弓なりに反らして痙攣し始めた。真っ赤な口紅が引かれた唇からは、助けを求める声が響き渡る。


「ああ、いや、痛い痛い痛い、痛いの、たすけ、たすけて、おねえちゃ、ああ、うぐっ、うあああああっ──!!!」


 最後の方はもはや意味をなす言葉にはならず、ただ痛みを訴えるだけの母音となっていた。


 二人の異変を見てとり、客人たちが私を取り囲んだ。次々に私に術をかけようとするようだったが、私はすでに、苦痛の与え方を理解していた。


 なぜかは分からないが、どうやら私の激情は、箍を外れて周囲に漏れ始めてしまったらしい。それが触れた瞬間、周りのものは苦しみ始めるのだ。


 私を押さえようとしたものは、私が見るだけで続々と倒れ伏して行った。あるものは悲鳴を上げ、あるものは血を吐きながら。


 その中には沙一もいた。数日前、私に痛みを与え、苦痛に喘ぐ私を傲慢に見下ろしていた鬼。それが今や床に這いつくばり、私に命乞いをすることもできないようだった。


 気分がよかった。私を見上げる苦に満ちた瞳は美しかったし、迸る悲鳴は豊かな音楽のように私の耳を楽しませた。こんなに愉快な気持ちは、人生で、きっと──。


 部屋に女の高笑いが響く。


 初め、それは自分の喉から発せられているのだと思った。だが違う。口元に手をやっても、私は笑っていなかった。


 誰──。


 ゆっくりと辺りを見回す。そうして見つける。部屋の隅で、父に取りすがりながら哄笑する母の姿を。


「あはははははは! いいわ深春! それでこそあの鬼の子供よ! 十七年前、私を汚したあの鬼のね!」


 その瞬間、私は全てを悟ってしまった。


 なぜ、私は家族の誰にも似ていないのか。

 なぜ、私は両親から愛されないのか。

 なぜ、私は苦痛の与え方を知っているのか。


 唐突に、いつかの母の声が蘇った。

 母と二人、手招いた彼女が、私の耳に優しく吹き込んだ言葉の群れが。


『深春、あなたは鬼にならなくてはならないからよ。いいわね?』


 母は笑い続ける。私を指差し、蕩ける瞳で謳いあげる。


「さあ深春! 全ての鬼を殺し尽くしなさい。当主だろうが花婿だろうが、どうだっていいわ。私を騙し犯した鬼とかいうものを、この世から消してちょうだい──!」


 髪を振り乱して叫ぶ母を、父は守るように抱き寄せている。その顔は母だけに向けられており、私を振り返ることは一度もなかった。


 黙って両親を見つめる私の隣に、ふわりと誰かが降り立つ。素早く振り向くと、そこでは椿が微笑んでいた。


「椿、さん……」


「なあ深春、自分の姿をよく見てみろ」


 椿が両手で私の頬を包み込み、上向かせる。彼の赤い双眸、私の姿が映り込む。


 そこには、真っ白な髪に血の色の瞳をした、鬼の姿があった。


 唇がわななく。足から力が抜け、倒れ込みそうになるところを、椿の腕が支える。


「私は……」


「今ひとたび、深春の心を乞うとしよう」


 強く体を引き寄せられる。四肢に力が入らず、されるがままだ。椿は、そんな私の顔の輪郭をゆっくりと指でなぞり、吐息が混ざりそうなほどの距離で密やかにささめいた。


「俺と、道行きを重ねる気はあるか」


 責め苦に悶える呻きと、助けを求める悲鳴、そして鬼の死を命じる哄笑の中で、私は生まれて初めて愛を乞われたのだ。


 確かにこれ以上、私たちにふさわしい舞台はなかった。


 足元には苦痛にのたうち回る美しい異形のものども。立ち向かってくるものはおらず、今まで私を虐げたものを足蹴にできる。それを睥睨するだけで、私の胸はときめいた。美しい絵画にして、壁に飾りたいほどだった。


 私は乾いた唇をうっすらと開く。


「頷いたら……どうなるの」


「美しいものを見よう、愉快なことをしよう。俺と二人、いつまでも」


 椿はいっそ純真な笑みを浮かべた。


 けれども邪鬼である椿にとって、美しいものは醜いものだし、愉快なものは凄惨なものなのだ。そしてそれは、この苦痛の坩堝を作り出し、その中心で心を弾ませた私も同様だ。


 きっと私たちの通った後には悲しみと痛みしか残らず、あらゆる災厄を振り撒くのだろう。私たちはどこまでも、地獄の果てまで、絶望と憎悪の中を進み続ける。


 そしてその想像は、確かに私を夢見心地にさせた。


 ゆっくりと目蓋をおろす。腕を上げ、そっと椿の顔に手を伸ばした。


 何もかもが遠ざかっていく。地面に触れる足の感覚も、鼓膜を震わせる悲痛な呻きも、私を取り囲む全てが意味を失い、世界には私と椿だけ取り残されたような気さえした。


 全てを忘れ去り、この手を選べば、きっと今よりもずっと楽に呼吸ができるだろう。


 それでも。


「いいえ──いいえ!」


 私は叫び、椿の腕の中から逃れ出た。 


 足を踏み締める。真っ白に染まった髪をかきあげ、椿と同じ色の瞳を見開く。


「私の目は、もっと眩いものに灼かれたの」


 それは他愛のない日常。なんでもない道を、くだらない話をしながら歩く。足跡だって残っていない道行き。


 家族の誰にも似ていない幸福を指し示し、怪我をすれば心配そうに手当てをしてくれ、一緒に年を取ろうと約束をくれた。


 私の、友達。


 ありふれた、どこにでもある、私の友情。


 私は忘れない。他の誰が忘却してしまっても、大切にされた瞬間を、無かったことにはできない。


 だから。


「私が欲しいというのなら、あなたが私と同じ道を行くのよ!」


 これ以上なく傲慢に、手を差し伸べてみせた。

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